第十章38 『待って』
――クーゲルシュライバー城を取り巻く事情の一変。
ティーガの口から伝えられたそれを聞いて、スバルたちは思わず息を呑んだ。
城が空間を渡った――それはつまり、隠された異空間から離脱し、数百年ぶりの表世界への帰還を果たしたということに他ならない。
ただし、それは――、
「どうやら、そっちにとっても予想外らしいな」
「――。いや、どうかな? そう思わせるためのこっちの作戦かもしれないぜ? 目で見たものを信じすぎるのはお前の悪癖だ、マイフレンド。昔から言ってるだろ?」
「スバル様、嘘の風が……」
「しーっ! クルシュさん、しーっ! 今高度な駆け引き中!」
「なってないなってない。さすがに騙されないから。……何か忘れてることがあるって言われると、ちょっとドキッとするのは本音だが」
スバルたちの反応を確かめたティーガが、ちらりと視線をスバルの傍ら――そこに立ち、今も自分を見ているメルティを見やる。
ティーガを見つめるメルティの眼差しは、期待と熱のこもった意味深なものだ。彼の名前を呼んだことからも、二人に何らかの関係があることは間違いない。
「で、それはお前もッて感じだが……『黒狗』、あの精霊ちゃんとの過去話は?」
「何にもサッパリこれっぽっちも覚えちゃいーなーいー! オレの知らないちんまい精霊が悪いなごめんなアイムソーリー!」
「……ああ、そうかい、ドントウォーリー」
メルティと同じく、『黒狗』も訳あり――ティーガの肩に乗り、こちらを睨んでいるリスっぽい見た目の精霊と只ならぬ関係らしい。当人はこの調子だが、たぶん嘘はついていないだろうと、この二ヶ月の経験値でスバルは判断した。
はっきり言って、詰め込まれる情報量に目の回る気分だが、目を回す原因になっていたベラリスが沈黙した今、それを理由に思考は休めない。――今、こちらの戦力は元気な『黒狗』とやや元気なクルシュを除くと、半死半生のスバル、フェリス、メルティだ。前半の二人にしても、傷と消耗で万全とは言えず、無茶は禁物。
ただ、こちらにも希望の目がないではない。その目を出すためには――、
「さて、こっちは五人で、そっちは肩の精霊ちゃんを入れても二人だ。数の上ではこっちが倍以上で圧倒的有利。降参するなら今のうちだぜ?」
「……アタイの聞き間違いだわさ? アイツ、自分たちのボロボロ具合そっちのけで、数だけでアタイたちにあんなこと言ってるのよさ」
「聞き間違いじゃないよ、プーカ。俺のマイフレンドはそういう奴なんだ。まぁ、消耗とか全部度外視したのは俺も驚いてるが」
「重傷な怪我人はそっちの方が多い。これもこっちが有利な条件だ」
「背中に穴が開いててそんなに堂々と言われると、うっかり信じそうになるな」
と、信じるつもりなんて全くなさそうに肩をすくめるティーガには、どうやら俳優の才能は全くない。ひとまず、リス風の精霊の名前がプーカという情報を得られたことと、相手に会話に付き合うつもりがあるとわかったことが収穫。
とはいえ、交渉とは呼べない世間話の延長戦に、自然と、戦いは避けられないと感じたクルシュと『黒狗』の戦意がじりじり高まり――、
「――っ! なぁにを悠長に話してんだぁ! やれよぉ、やれぇ! やっちまえぇ、『執行者』! そのためのお前だろぉがぁ!」
しかし、スバルたち以上に状況に焦れ、声を上げたのはリボーンだった。
片裁ち鋏を支えにしたリボーンは、クルシュの剣撃で視力を失い、視界に依存した『無音』の力を使えなくなっている。それでも彼は気配を頼りにティーガに怒鳴り、ここに駆け付けた責務を果たせと訴えかけていた。
その訴えに、スバルは余計なことをと唇の乾きを舌で湿らせる。
「……実際、問答無用が一番ヤバい」
『無音』と『薬指』の縛りが消えて、スバルの口と頭が普段通りに回るようになろうと、それで決定的な力の差が覆せるはずもない。
『コル・レオニス』×『青』という反則技で戦闘のフォローは可能だが、その持続時間も確実ではないのだ。
だから、ここでティーガに力押しでこられるのが一番厄介で――、
「とぉっとと、こいつらを――」
「――トルネル、聞こえてるだろ。『遠回り』を全開、ここから離脱する」
「な……ッ」
だが、続くティーガの言葉は、スバルの懸念とリボーンの訴えの両方を裏切った。
ティーガはこの場にいない三人目の『愛し子』に名指しで命じると、その場でくるりと身を回し、流血する顔を自分に向けたリボーンとの距離を詰める。そして、棒立ちのリボーンの首裏を、抜いた曲刀の柄尻でしたたかに打った。
「か」
「言ったろ、時間切れだ。そもそも、指示を待たずに先走ったお前らが悪い」
短く呻いた矮躯が崩れ落ち、それを軽々と肩に担ぎながらティーガが言い捨てる。それからティーガは唖然となるスバルたちを振り返ると、
「聞いた通りだ。俺たちは駄々っ子を連れて撤退する。今日はここまでだ」
「オイオイオイ、そりゃまたちょっとずいぶんと勝手なご意見だなぁ? いきなりズカズカ乗り込んできて、謎かけだけしておさらばか? 命と答えを置いてけよ!」
「な、なんて下品で野蛮な物言いだわさ……! あんなのがアタイの契約者だなんて、とても信じられないのよさ! アタイを騙したのよさ!?」
「知るかわかるか、おバカさんが! お荷物抱えて燃え尽きろバーニング!」
言い合いの最後を声高に締めくくり、『黒狗』が突き出した掌から業炎が放たれる。
緑色の炎は『龍』の息吹のように横薙ぎに広がり、憤慨する精霊を肩に乗せたティーガから逃げ場を奪った。その予想だにしない暴挙に「ばっ!」と思わずスバルが悲鳴を上げかけたが、それ以上の声が傍らのメルティから上がった。
ただし、それは悲鳴ではない。
「ダメですっ! プーカに炎は効きません!」
「ああん!?」
確信を持った叫びに、『黒狗』が怪訝な声を上げた。そしてその言葉の正しさは、緑炎がティーガたちへ届き――真っ向から喰らわれたことで証明される。
押し寄せた緑炎の中央、ちょうどティーガたちと衝突する部分だけが綺麗に齧られ、消える。それをしたのは、ぺろりと舌なめずりするプーカだ。
可愛らしい見た目の精霊は、その前足で口元を軽く拭いながら、
「その子はよくわかってるみたいだわさ。――アタイが、火の大精霊ってことを」
「知ってたわかってたんなら言えよ! ここで自分の悪女性のアピールか? セルフプロデュースに余念がないな!」
「いきなり『黒狗』が仕掛けるからっ! それより――」
『黒狗』の不当な抗議に言い返し、メルティの視線が割れた炎の向こうのティーガへ。それを合図にするように、リボーンを抱えたティーガが軽やかに飛びずさり――地面に倒れたベラリスを、伸ばした片腕で掬うように拾い上げながら、
「生きてるな? 『薬指』をばら撒け。手加減はいらない。――どうせ、俺には効かない」
「……あ、ら? それって……わたしを信じて、好き、ってこと? わたしも……!」
どれだけしぶといのか、ティーガの言葉にベラリスが性懲りもなく愛で応じる。次いで漂うのは、精神を昂らせ、正気を失わせる甘い香りだ。
ベラリスの『薬指』が発動し、再び、感情を決壊させる成分が宙を蔓延する。
「フェリス! 俺がヤバくなるから対処お願いヤッホー!」
「~~っ、もうなってる! 動かないで、暴れないで! 治療できない!」
『コル・レオニス』の力で仲間たち全員の精神異常を引き受け、それをフェリスに治療してもらうコンボを発動、何とか踏ん張る。が、その対処の最中も、ベラリスを俵抱きにしたティーガが、倒した『愛し子』二人を抱え、戦場からの離脱を図っている。
それを止めようと、クルシュと『黒狗』がそれぞれ動くが――、
「邪魔させないのよさ!」
「――っ!」
頬を膨らませたプーカが吠え、今しがた喰らった『黒狗』の炎を吐き返した。
ティーガを追おうとした二人に緑炎が襲いかかる。それをクルシュは下からの斬撃で断ち斬り、その炎の幕の向こうへ踏み込んで――『黒狗』と思い切りぶつかった。
「きゃあ!?」「うおう!?」と驚きの声が重なって、予想外の衝突に二人が転倒する。それは『薬指』の影響を受けた仲間割れの再演――ではない。
「――ホワイ!? ティーガ、どこいった!?」
躓いたクルシュたちの向こうに、スバルもまたティーガを見失っていた。
一瞬、プーカの吐き出した炎に視界を遮られ、ティーガたちの姿が見えなくなった直後だ。そこにいたはずの相手を見失い、スバルは己の目を疑う。しかし、ティーガを見失ったのはスバルだけではない。腕をなくした体でスバルに寄り添うフェリスも、「え? え?」」と混乱に目を白黒させていた。
そのフェリスの治癒の力を、スバルはこれ以上ないくらい身近に感じている。すなわちこれは、ベラリスの『薬指』の影響ではなく――、
「――『遠回り』! 迷子にさせるだけじゃねぇのか!?」
城内でのチーム分断の原因であり、その後の合流も困難にした『遠回り』――いまだに術者が姿を現さないそれが、方向感覚を狂わせるだけでなく、認知能力にも異常をきたせるものであるとしたら、視線と意識を『遠回り』させられ、ティーガを見失ったのだ。
そのまま、為す術なく意識の外側を走るティーガを取り逃がすことに――、
「待ってっ!」
瞬間、細い声を張り上げたメルティが、撃杖を手に立ち塞がった。
視界の端に微かに引っかかったメルティ、そちらに強引に首を傾けて『遠回り』に抗えば、地下を出る扉の前に立つメルティが、迫るティーガと相対する。
『愛し子』二人を抱え、両腕の塞がったティーガの視線が鋭くなり、
「そこをどけ! 怪我をするぞ!」
「させたら責任を取ってくださいっ!」
「なんだそりゃ!?」
道を塞ぐメルティの答えに、ティーガがぎょっと目を見張った。そのまま二人の距離は縮まり、メルティがその無謀さのツケを払わされるかと思いきや――、
「チッ! プーカ!」
「しっかりそいつらを掴んでおくだわさ!」
呼ばれ、ティーガの肩から飛んだプーカが一気にでかくなり、二十センチサイズがみるみるうちに五メートルほどもあるビッグサイズに。それに比例して大きくなった丸い尾が振られ、それがティーガの背中を柔らかく捉え、前方に吹っ飛ばした。
「――っ、ティーガ!」
放物線を描いて飛んだティーガが、丸い目を見張ったメルティの頭上を越える。とっさに彼女は手を伸ばしたが、それは勢いと高さを得た彼には届かない。
「じゃあな」
「ティーガ――っ!!」
一瞬の視線の交錯だけを残し、着地の一歩目から矢のように走り出すティーガが、必死に声を張り上げるメルティを置き去りにしていく。
その足は止まらない。遠ざかる背中に、『遠回り』は追いつかせない。
「待ってっ! 待ってってば、ティーガ! ティーガぁ!」
何度叫んでもその声が届かないように、伸ばした手もまた届かない。
ぐんぐんと、二人の距離は開き続け、遠ざかる足音もやがて消えた。その背後では、巨大化したプーカの姿もマナの粒子となり、離脱したティーガを追って、消える。
「クソ、まんまと……」
逃げられた。――そう、先の言葉を続けなかった決着が、このクーゲルシュライバー城における『愛し子』との遭遇戦、そのリザルトと認めざるを得なかった。
△▼△▼△▼△
――ティーガ・ラウレオンとプーカの乱入で、戦いの決着は見事うやむやになった。
正直、ティーガにはしてやられたとしか言いようがない。情報の信憑性はともかく、倒した二人の身柄を確保できれば、知られざる『愛し子』の秘密に少しは迫れたはずだ。それが無理でも、厄介な敵の戦力を削ることはできていたはず。
だがそれも、身柄を奪還されたせいで水の泡だ。
「とはいえ、あのまま戦いが続いてたらヤバかったのは俺たちの方か。まさか、ティーガが精霊術師だったとは思わなかったし、すっかり騙されたぜ」
「――。いいえ、違うんです。ティーガは精霊術師じゃなくて、あくまでプーカとは一緒にいるだけのはずですから……」
「契約なしで、ってこと? アナスタシアさんと襟ドナみたいな関係ってことかな……だとしたら、あの二人ってどういう関係なんだ?」
「それは……ごめんなさい。わからないんです。契約関係でないことしか」
縮めた撃杖を握りしめ、俯いたメルティの答えは曖昧だ。が、スバルにはそれが嘘や誤魔化しが理由の曖昧さには思えなかった。おそらく、メルティは本当にティーガとプーカの関係性について詳しくは知らないのだろう。
だが、彼女自身とティーガのことなら、話は別のはずだ。
「――。あとで、必ずお話します。でも、今は」
「わかってる。クーゲルシュライバー城の状況確認と、ベア子たちとの合流が優先……フェリス! 腕は!? ちゃんとくっつくのか!?」
「今集中してるから声かけないで! 痛み消してるから手元がブレるの!」
「手元がブレるって、ブレる手が取れてるじゃん……」
高い声で言い返してくるフェリスは、壁に留められていた自分の両腕――斬られた肘から先を回収し、治癒魔法でくっつけている真っ最中だ。
さすがに腕を斬り落とすところまではスバルも想定外だったので、もしフェリスの腕が戻らなかったなら、一生かけて責任を取らなくてはならなくなる。そういうニュアンスのことを言ったら、またも死ぬほど嫌そうな顔をされたのだが。
「それに、一生をかけて償うとしたら、それは実際に斬り落とした私の方だと思います」
「それをさせたことも結構責任感じてんだけどね。クルシュさんは体は?」
「大きな傷はありません。まだまだ――」
やれる、と続けようとしたのだろう。しかし、そう返事する意思と裏腹に、体の方はクルシュの気持ちについていかなかった。――ふらりと、その体が膝から崩れる。とっさにスバルが手を伸ばし、倒れかける体を慌てて抱き留めた。
「あぶな! 大丈夫?」
「あ、れ……スバル、さま……」
「きっと『龍眼』の副作用だ。クルシュさん、頑張りまくってくれたから」
「でも、まだ……」
「いいや、無理しちゃダメだ。今は休んでてくれ。足りない分は俺たちが頑張る。主に『黒狗』がだけど」
弱々しく身じろぎするクルシュを見つめ、そう答えるスバルに『黒狗』が「なーにぃー?」と不服そうに反応するが、それはひと睨みして黙らせておく。
そのままスバルは、クルシュの上着のポケットに入った眼帯を抜き取ると、瞼を重くしている彼女の左目にそっとかけてやり、
「起きたらまた話そう。クルシュさんの頑張り物語の話とか」
「――。はい」
薄れる意識の中で頷いて、クルシュの眼帯に覆われていない瞳も閉じられる。
この二ヶ月、『龍眼』の力に頼らざるを得ないとき、消耗して眠りに落ちる彼女はいつも厳めしく、気を張っていたように思われた。その寝顔が今、険が取れているようにスバルには見えて、そのことに少しだけ安堵する。
「――スバルくん」
と、眠ったクルシュを抱え直すスバルの前に、フェリスが立っていた。
黒いスーツ姿の彼の両袖からはなくした腕が伸びており、その快癒を見せつけるように掌を開閉してみせた。ちゃんと繋がったのだとわかって、それにもホッとする。
「正直、かなりグロくて直視できなかったけど……あそこからでも治せるんだな」
「うん。欠損した部位があって、その人のオドが元の状態を忘れる前だったら、わりと完璧に治せると思う」
「なんかさらっととんでもないこと言われた気がするけど、とにかくよかった。……クルシュさんは俺が背負うんでいいか? 俺が一番、手が空いてるから」
「――ん、ありがと。大っ嫌い」
「デレツン男の娘は新感覚すぎるぞ……」
やはり、フェリスを当てにした作戦は相当好感度を下げたらしい。元々の好感度が低かろうことを考えると、今やマイナスに振り切っていそうで聞くのが怖い。
それでも、フェリスなしでは、そしてクルシュなしでは『愛し子』撃退は無理だった。色々と感情的なしこりはあるが、全員がベストを尽くしてもぎ取った結果だ。
「たとえそれが、最終的にティーガにミソを付けられたとしても……!」
「あ、あの、ごめんなさい。ティーガの代わりに謝ります……」
「はん! いい子ちゃんぶってなーにが代わりだ! それで埋まる寂しさ侘しさがあってたまるかあるもんか。で、こっからどーする?」
「まず、メルティちゃんにだる絡みするのをやめろ。その次は言った通り――ベア子たちとの合流を優先する。ただし、慎重に動くぞ」
負傷した『愛し子』を連れて離脱したティーガだが、まだ見ぬ三人目の所在はいまだ知れないまま、城には伏兵が残っている可能性も十分考えられる。敵を完全に撃退したと無防備になるには、スバルたちはこの城のことを知らなすぎた。
ましてや今、城が表世界――リーファウス街道の雲上へ飛び出して、衆目を集めているなんて状況となると、なおさらだ。
「なにせ、城はエキドナ製って話だからな。あいつのことだ。乗り込んできた挑戦者を試すために、かっ飛んだ城が墜落する前に脱出する試練とか言い出しかねねぇ」
「どんな認識? ベアトリスちゃんのお母さんなんでしょ?」
「……性根の捻じ曲がった、ギリギリ大罪司教未満?」
厳密には、性質の悪さで言えば大罪司教と大差ないのだが、すでに故人で、これ以上の被害拡大がないというところでそんな評価だ。もっとも、ヴォラキア帝国で暴れたスピンクスのこともある。隠されている罪次第では、暴落の可能性は残されていた。
その答えに、それぞれ嫌そうな顔をする仲間たちをスバルは見渡し、
「とにかく、床にも壁にも徹底的に注意だ。異空間を抜けたんなら、死ぬまで延々落っこちるなんてことはないだろうが……」
「――あー、そこまで心配しすぎる必要はねえとよ」
「――――」
不意打ち気味に聞こえたその声に、弾かれたように振り返る。もういい加減、新しい闖入者の存在は御免被りたいところだが、その焦りと不安は不要だった。
地下空間と上階とを繋ぐ階段室、そこから顔を出したのは見知った相手――、
「――ラチンス! 無事だったか!」
「さらっと名前で呼んでんじゃねえよ、って言いたいとこだが……テメエらの方はボロッボロだな。『司書』から聞いてたよりヤバそうじゃねえか」
そう言って、地下に並んだスバルたちを見渡したのは、『愛し子』との遭遇以前に別行動になっていたラチンスだった。
見たところ、激戦の続いたスバルたちと違い、ラチンスには荒事に巻き込まれていた様子はない。敵との遭遇を運よく回避した、ということらしいが、
「ラッセルさん……『銀狐』は? 一緒だったはずだろ?」
「無事っつーか、ヤローの見立てで敵に見つからねえで済んだってことらしい。資料持って入口戻ろうとしてたとこで、入口の価値がガクッと落ちたとか何とか……」
「価値って、『目利きの加護』か。そんな使い方もできんのか……」
今の説明はつまり、城の入口の価値の暴落――それが加護者であるラッセルにとって有用なものではなく、有害なものに変わったと感じられたということだろう。その時点で異変を察せられたなら、なるほど、『愛し子』の回避もできたかもしれない。
正直、忠告してほしかったところではあるが、別行動中では無理もない。まだ、スバルたちのいないところで取り返しのつかないことにならなくてよかったと思おう。
「積もる話もしたいところなんだけど、『長っ舌』くん、外、大変なんでしょ?」
「って、ああ、そうだった。なんか、城が異空間から飛び出したって話らしい。侵入者を一網打尽にするための『魔女』の罠かもしれねぇんだ。今すぐに……」
「そうじゃねえよ。飛ばしてんのは『司書』で、指示したのは『銀狐』だ」
「――ベア子と、ラッセルさんが?」
焦った姿勢を引き止められ、スバルは目を丸くする。
ベアトリスとラッセルが一緒に何かをしているという思いがけない報告、しかもそれが、城を飛ばすなんて秘匿性皆無の派手な行動ならなおさらだ。
この二ヶ月、『六枚舌』の協力者として動いてきた経験上、ラッセルがそうした人目を引く行為を何より嫌うのは自明の理のはずだが。
「二人は無事なんだな? 何考えて城飛ばすなんて話に? お前は何してたんだよ、止めなかったのか?」
「矢継ぎ早にガーッとくるんじゃねえよ、うるせえな! そんなに気になんなら、ここで立ち話なんざしてねえで、当人たちに直接聞きゃいいだろ」
「そりゃそうか。『扉渡り』は?」
「できる。それでオレも飛んできたんだ。ったく、気持ちわりー魔法だぜ」
ベアトリスが聞けばほっぺを膨らませて地団太を踏みそうな感想を言って、ラチンスがスバルたちを先導するように歩き出す。と、その最初の数歩で足を止め、「ああ、そうだそうだ」とラチンスが首だけで振り返り、
「さっきの質問、一個だけ答えとくと……この城を、拠点化するんだと」
「え?」
「だから、何考えて城飛ばしたんだって話の答えだよ。城の拠点化だ。――本格的に王国を取り戻すのに、いつまでも転々と逃げ隠れしちゃらんねえからな」
と、派手さを嫌うラッセルが、それでも城を飛ばした理由を語ったのだった。




