第十章37 『執行者』
「――ぐ、ぎがぁッ」
脇腹に刺さったナイフを抜いた瞬間、脳髄を稲妻が駆け抜けた。
視界が真っ赤になり、息の吸い方も吐き方も忘れ、内臓が身悶えする――だが、それもものの数秒のこと。直後に復旧した脳に従い、大きく、大きく息を吐いた。
ギリギリ、かろうじて、生還に成功――、
「よし、作戦通りだ……!」
「死なせないけど、死ねば?」
命を確かめたスバルの耳元で、囁くような距離からフェリスの呪言。とはいえ、言われて当然の無茶をした自覚はあるので、彼の怒りはごもっとも。
実際、スバルの臨死ぶりもだが、フェリスの現状もかなり散々だった。――なにせ、彼は両腕の肘から先を失った痛々しい姿で、それでもスバルの治療を優先していた。その治療の足枷になった彼の左右の腕は、今も片裁ち鋏で壁に留まったまま。
正直、作戦的にはもう少しスマートな救出劇が理想ではあったのだが――、
「フェリスの腕のピン留めと、敵の追加が予想外だった……。一応、俺にしてはリスクゼロの安牌作戦のつもりだったんだが」
「どこが? スバルくんも『白羊』ちゃんも死にかけたんだよ?」
「でも、お前がいるだろ? だから、百パーいけると踏んだ」
「……私、ラインハルトじゃないんだけど」
「――? 俺もラインハルトじゃねぇよ? だから、お互い苦労するぜって話だ」
と、治癒魔法という最強の切り札があるフェリス相手に、お互いとはずいぶんと背伸びしてしまった。が、ないものねだりをしても仕方ないと割り切り、スバルはスバルで自分の持てる手札を駆使するのみ。
差し当たっては――、
「――クルシュさん、メルティちゃんを!」
「お願いします!」
スバル同様、刺されたメルティにも早急な手当てがいる。
治りかけの横腹を引きつらせながら大声を出したスバルに、応じたクルシュが魔法で風を起こして、倒れるメルティを柔らかく放り投げた。
その放物線を描く体を、フェリスを背に負ったまま――、
「――インビジブル・プロヴィデンス」
生じた三本目の腕を駆使し、何とか飛ばされたメルティのキャッチングに成功。刺された腹の傷が痛々しいが、彼女は抱き留めたスバルを見ると、
「……作戦、成功でしたね」
「ああ、主演女優賞だったぜ。――フェリス!」
「言われなくてもだよ、お馬鹿二人!」
苦しげでも強がったメルティの笑みに、スバルも親指を立てる。
そのまま、メルティを抱えたスバル越しに彼女の傷の治療が始まるのを見ながら、改めて、この状況で出せるスバルの手札を開示する。
「――『コル・レオニス』、再開&全開!」
それは、九割五分死んでいたせいで中断していた権能の再動だ。
仲間たちの負担を引き取る『小さな王』の効果が再開され、これにより、打ち消すことのできない感情の『決壊』――ベラリスが『薬指』と称した異能を、スバルが一人で引き受ける。――否、フェリスがいるのだ。引き受ける負荷は、それに限らない。
「――く、ぁ」
「――え!? ちょ、何したの!? いきなりまた死にかけたんだけど?!」
「ふ、二人分のダメージが乗っかった、だけ……だぜ、イエーイ……!」
痛い、苦しい、でも作戦がうまくいってウルトラハッピー。
そんなネガティブとポジティブがスバルの内側で入り混じり、重傷の治療中なのに飛び跳ねたい衝動に駆られる。駆られ切って飛び跳ねようか。抱えたメルティと背中のフェリス、どちらも失血分だけ体が軽い。担いだまま跳ね回れそうだ。
「……まさか、クルシュ様たちの異常を引き取ってる? どうやってるのかわからないけど……ベアトリスちゃんと作ったトンチキ魔法?」
「トンチキは、ねぇだろ……ベア子の創造性は、いつだってプリティッシュ……」
「うっさい、黙って! ――今、それも治す」
混在する感情に振り回されるスバル、その肩に後ろから顎を乗せ、目を閉じたフェリスが真剣に、おそらくマナ的な触診を開始する。
スバルとメルティ、二人の重傷の治療と並行して、別の病気の原因を特定するような荒業に感じるが、フェリスならやり遂げてくれるだろう期待しかない。
そして、重複して引き取った『薬指』への対処をフェリスに任せながら――、
「――クルシュさん! ファイヤー!」
こちらに敵を寄せ付けまいと、俊敏な立ち回りを続けるクルシュに声援を送る。
地下の天井に空いた穴から合流したらしきクルシュは、片裁ち鋏を振り回す男――リボーンだったか、そう呼ばれていた敵と激しい剣戟を繰り広げている。
当然、直前まで彼女も感情の爆発に心を蝕まれていたはずだが――、
「――はい、スバル様!」
そう言って剣を振るうクルシュには、張り詰めた糸の緩んだような余裕があった。
正直、その変化には面食らうし、事情を聞きたい心配心と野次馬精神がいっぺんに起き上がろうとするが、それは何とか無理やり抑え込む。
いずれにせよ、今、クルシュに起きた変化は彼女に前向きな力を与えている。
その証拠に――、
「――し! せぁ!」
鋭い踏み込みで斬り込んだクルシュ、その一撃を片裁ち鋏で受け、衝撃に耐えかねたリボーンの矮躯が背後へと吹っ飛ぶ。くるくると敵は空中で身を回し、飛んでいった先の壁に足裏を付け、動きを制動――そこへ、風の刃が連続して襲い掛かる。
精密な狙いと速射性で、ご無体な性能の風刃が絶え間なく相手に叩き込まれた。
クルシュの剣技に加え、『風見の加護』の支援による燃費の良さがあるとはいえ、この地下空間ぐらいの戦場における彼女の制圧力は群を抜く。
『龍の眼』による短時間の戦闘力ブーストも含めれば、スバルの知る強者の中でも、しっかり上位に食い込むだろう実力だ。
その、ほぼハメ技同然の攻撃力の餌食になり、さしもの相手も形勢逆転――、
「さぁせぇるぅかぁ!」
「――っ」
咆哮と同時に、風刃を打ち破りながら飛んだのは、猛回転する銀の円盤――ならぬ、投じられた片裁ち鋏だ。
真っ向から迫るその剛撃を、斬り上げる一撃でクルシュが防ぐ。
だが、リボーンは風の刃の連撃がやんだ空隙に割り込み、壁を蹴って飛翔、弾かれた得物を空中で拾い、天井に空いた穴をさらに拡張――瓦礫の雨が降り注ぐ。無音で。
「マズ――っ!」
音の一切しない崩落は、リアリティを付け足すのを忘れて納品された悪夢のようだ。
大地震で倒壊するビルの如く、シャレにならない質量が落ちてくるにも拘らず、その重大性が伝わってこなくて、いっそ小馬鹿にされているようにすら感じる。
「――――」
落ちてくる大質量の天井は、風の刃では迎撃できない。
降り注ぐ落下物の流星雨を素早い身のこなしで躱すクルシュ、しかしその姿が濛々と上がる粉塵の向こうに見えなくなると、その無事が不安でたまらなくなる。引き取っている分、倍加した感情の膨張が、その場でスバルを泣き喚かせそうに――、
「あれぐらいでクルシュ様はどうにもならない! 馬鹿にしないの! ――それと、スバルくんもね!」
「――ぉ」
言われた直後、眼球のすぐ裏まで込み上げていた大量の涙が慌てて引っ込む。堪え難いと思っていた感情の爆発の波が引き、短い息が喉の奥から漏れた。
それは、スバルを蝕もうとしていたベラリスの『毒』からの解放だ。
そして、まんまと『薬指』を出し抜いたフェリスの宣言通り、噴煙の向こうに消えた彼の主君もまた、飛来物に潰されるほどヤワではなかった。
「――――」
無音の跳躍が煙幕を破り、飛び出したクルシュが落ちてくる瓦礫を足場に、それを蹴りながらまるで逆再生のように天井への飛距離を稼いでいく。
片裁ち鋏を天井に突き立て、ヤモリのように逆さに這うリボーンへ、無音を利用して死角から迫るような軌道だ。
そのまま、リボーンに到達する最後のひと蹴り、大破片を吹き飛ばす勢いで、クルシュが跳ねる――その蹴り音が、高らかに無音に響いた。
当然、その音はリボーンに彼女の死角からの接近を伝えてしまい――、
「――ベラリスぅ! 燃やせぇ!」
その指示が飛んだ瞬間、降り注いだ落下物の中に見えなくなっていたベラリス――潰された可能性すらあった『薬指』の声が、塵埃の奥から発される。
それは歓喜と情愛を謳うような、熱を帯びた艶声で――、
「触れ合っちゃいけない同士が触れ合うのって、危険よね。――それがいいの!」
刹那、中空でリボーンに迫ったはずのクルシュが、そのかなり手前で剣を振るった。
風刃ではない。それは敵の攻撃のキャンセルを狙った魔法斬りの一手だ。
発動前の魔法の兆しを断ち、その成立を阻止する『龍の眼』の為せる神業。
それが、クルシュとリボーンとの間で発生する現象を防ぎにかかり――しかし、断たれるはずの敵意は断たれず、スバルたちの頭上にカラフルな炎が花開く。無音で。
「な――」
スバルの目には、クルシュの魔法斬りは完璧だったように見えた。
だが、『黒狗』の魔法の完封には成功した剣技は、ベラリスの繰り出したやたらと色とりどりな炎――赤ではなく、青や緑、紫に金と、花火のようなそれを阻止できなかった。
「こぉこぉまぁでぇだぁ――!!」
生じた爆風に吹き飛ばされる形で落ちていくクルシュに、逆にその風を自分の跳躍力に加算したリボーンが追いついていく。
振りかぶられる片裁ち鋏がクルシュの細い腰を断たんと迫る――リボーンの叫び以外、ミュート状態の殺陣を見ているような、そんな現実感のない光景に、スバルの思考が白熱、高速で回転し始める。
「――――」
すでに、手札は揃っているはずだ。――メルティの語ったことを思い出せば、『愛し子』たちの能力は一人一個、『無音』と『遠回り』はわかりやすいが、ベラリスの『薬指』だけが、ここまでで異質な力を発揮している。
単純な、感情の抑制を外す力というのでは説明がつかない。『憤怒』の大罪司教の権能とも趣の異なったあの力は、今しがた爆発を起こした力と共通の説明がつくはずだ。
爆発は、魔法ではない。そのための溜めが一切なかった。強いて言うなら、起きた現象は罠の起動に近く、リボーンも何が起きるかを把握していた節がある。
理屈がつくはずだ。答えがあるはずだ。
思考思考思考応用応用応用追究追究追究看破看破看破――、
「――っ」
目が血走り、口の中に猛烈な渇きを覚えたのと、それが鼻腔を掠めたのは同時だった。微かにスバルの嗅覚をなぞったのは、腐った卵めいた悪臭――その臭いの源がなんであるのか気付けたのは、義務教育時代のスバルが実験大好き小僧だったおかげだ。
「クルシュさん! 斬るんじゃなく、風を起こせ!」
そう叫ぶまで、思考に割いた時間がどれだけあったのか。
気付けば、空中のクルシュにリボーンが追いつく寸前まで迫っている。そのまま、リボーンの刃があわやクルシュへ届きかけ――寸前で、風が吹いた。
それはおそらくとっさの反応で、クルシュも考えてした行動ではなかっただろう。
剣を握るのと反対の手から生じた風、それが狙いを定めずに吹き荒れ、たまさか飛んでくるリボーンの方へと空気を送った――そこで、山吹色の爆炎が生じる。
「ごぁあぁ――ッ」
予想外の爆発をもろに喰らい、リボーンがもんどりうって床を転がっていく。
それを見届け、スバルは思わず拳を握り、自分の考えが正しかった手応えを得た。
「すご、い……スバルさん、どうやって」
「『薬指』、『薬指』か……よく言ったもんだぜ!」
咲き乱れた無数の爆炎、そこに紛れて届いた悪臭――その正体は硫黄の香りだ。
久しく意識しなかったそれを感じたことと、炸裂した炎の色合いが赤に限定されなかったこと、さらには魔法斬りの不発から、スバルは『薬指』の効果を推定した。
魔法であれば、クルシュに断たれていた。であるなら、あれは魔法ではなく――、
「ズバリ、化学だ! 空気中に混ぜちゃいけない成分をばら撒く、そういう力!」
ある種の薬物は、人間が危機に直面したとき、心と体を戦うための状態に切り替える脳内物質の働きを強める。ベラリスの異能はそれに似た作用を起こし、相手を強制的な興奮状態に陥らせることで、感情の箍を外させていたのだ。
結果、ネガティブな感情はより負の色を濃くし、ポジティブな感情もまたその勢いと熱量を強める。それが『決壊』の正体であり、あの爆発も原理は同じだ。
ベラリスは化学物質の生成と反応で、望みの効果を引き出す異能の持ち主――、
「元素的カプ厨――つまり、あいつあんなんなのにリケジョ!」
「リケ、ジョ? それって、わたしの愛称? 愛称を付けるってことは、わたしを愛してるってこと……? わたしも……!」
「スバルくんってサイテー、浮気者」
「熱い風評被害!」
煤塵に隠れて見えない相手に勘違いされた挙句、フェリスにそれを責められる。
実に、スバルに不利な状況だが、その不運はなおも続く――、
「余計なことに気付いてんのはてめえかぁ……ッ」
味方のフレンドリーファイアを喰らい、煤で汚れた顔がスバルに向けられる。
『薬指』の正体を暴き、さらにはこちらの陣形の要を担っているのがスバルだと看破したのだ。一転、床を蹴るリボーンの殺意がこちらへ注がれる。
それを止めるべく、とっさに声を発そうとしたが――、
「――だぁまぁれぇ!」
「――――」
その一声に声が封じられ、スバルも、フェリスもメルティも音が出せなくなる。
ある意味で、この『無音』はスバルと最も相性が悪いかもしれない。なにせ、言葉で相手を翻弄するのが、スバルの得意な搦め手の一つなのだから。
それを封じられれば、為す術がなくなるも同然。
ただし――、
『――インビジブル・プロヴィデンス』
今回に限っては、スバルの声を聞いておいた方がよかったかもしれない。
真っ直ぐ、スバルの胸から伸びた黒い魔手が向かったのは、正面から迫ってくるリボーン――ではなく、重なり合ったスバルたちの真後ろ、地下と上階を繋ぐ階段の方だ。
スバルが地下に入り、即座にメルティに刺された思い出の場所だが、そこには階段室と地下とを隔てる扉がある。――出入りに際し、メルティが閉じた扉だ。
そしてここは、クーゲルシュライバー城――かつて、『強欲の魔女』と共に、ベアトリスが過ごした彼女の実家である。
つまり――、
「――あぁ?」
魔手が開いた扉、その向こう側の光景に、リボーンが赤い双眸を見開いた。
扉の向こうから現れたのは、空間を隔てた城内の別の場所から、この場所へと『コル・レオニス』の繋がりを頼りに、『扉渡り』で送り込まれた仮面の男――、
『――愛してるぜ、ベア「言ぃわぁせぇるぅかぁ!!」
無粋にも、この状況でも存在を頼もしく伝えてくれるパートナーへの愛を断ち切り、吠えるリボーンが、この場の情報の一切を音にするのを禁じる。
生じた『無音』が地下を広く支配し、駆けてくるリボーンの足音も、スバルたちの息遣いや掛け声も、現れた乱入者の最初の一声も、全部が空虚に霞んだ。無音で。
だが、その『無音』の中に、スバルは大きく自らの手を掲げ――、
「――――」
無言でリボーンを指差し、立てた親指で自分の首を掻っ切るハンドサイン。――次の瞬間、躊躇なしにぶっ放された緑の炎が、正面からリボーンを呑み込んだ。
「があああぁぁぁ――ッ!」
燃え盛る焔を一刀両断、咆哮するリボーンが炎幕を突き破り、飛び出す。全身に火傷を負いながら、烈火の如く目を怒らせ、片裁ち鋏を振りかざして吶喊。
そのリボーンの胴体を、スバルたちを追い越した『黒狗』の前蹴りが迎え撃つ。強烈な衝撃が音もなく広がり、しかし踵は相手の得物の柄に止められていた。
「そうやって何べんも――おごぁッ!?」
瞬間、勝ち誇ったリボーンの顔面を、斜めに振り抜かれる撃杖が打ち据えた。
跳ねるように立ち上がったメルティの、渾身の反撃だ。
「か――」
鼻の骨と前歯を折られ、のけ反ったリボーンがバク転し、追撃を逃れる。飛び去り際に足を刈られ、倒れるメルティを支えた『黒狗』はそれを追えない。
しかし、下がったのも束の間、リボーンに安息は訪れない。
「――カルステン公爵、クルシュ・カルステン」
「てめ……っ」
その声は、下がったリボーンの背後で、己の緑髪をリボンで結び、きっちりと髪をまとめた『戦乙女』の、美しい戦場の口上だった。
弾かれたように顔を上げたリボーン、彼が『無音』のフィールドを広げ、自分の領域に彼女を引っ張り込む。――だがそれは、無駄な抵抗だ。
「――――」
音を必要とせず、颯爽と風が走り抜け、金色の眼光が中空に軌跡を描いた。
迎え撃たんとした片裁ち鋏は斬り払われ、無駄のない流麗な動きで剣先が躍り、それが狙い違わず、リボーンへ迫り――、
「――やっぱり、クルシュ様はすごい」
そう、フェリスが感慨深く呟く通り、その一閃で勝敗が決する。
その刃に両目を斬られ、顔を覆ったリボーンの絶叫が、地下に轟き渡った。――もはや無音ではなく、その敗北を城中に知らしめるように、高らかに、高らかに。
△▼△▼△▼△
「くはははは! 大分ずいぶんとやられたみたいじゃないか、お前ら! ボロボロの血塗れで、一人は両手もなくしてる! 忘れんぼにも程と限度があるだろーよ!」
「そ、そんな言い方しないでください、『黒狗』っ! スバルさんも『青蛇』さんも、『翠麗』さんだってみんな必死で……っ」
「いいよ、大丈夫、メルティちゃん。たぶん、そいつもバツが悪いんだよ。自分がうっかりやられたせいで、肝心な場面にくるのが遅れたから」
抗議したメルティにスバルが肩をすくめる。すると、それを聞いた『黒狗』が「メルティぃ?」と訝しげな声を発した。
彼は仮面を怒り顔のそれに付け替えると、スバルとメルティを交互に眺め、
「なんだどうした、親しげじゃーないか。メルティだなんて名前まで教えちゃって、オレのいぬ間にすり寄ったのか? この悪女め!」
「あ、悪女なんて、わたしは……っ」
「だからやめろってば! せっかく、言葉がなくても通じ合えるチームプレイで勝利を勝ち取ったところじゃねぇか。よく反応してくれたぜ、『黒狗』」
「くはは、たまたまの偶然、お前の可愛くて愛しいチビッ子に言い含められてたからな! でなきゃ扉潜って知らないところでさあどうぞってのに対応できるもんか!」
「……だな。ベア子にゃ頭が上がらねぇぜ」
おそらく、『黒狗』に治療を施しながらも、スバルとの契約のパスを常に意識し、働きかけがあれば即座に対応できるよう、用意を整えてくれていた。
おかげで、フェリスの手で瀕死から復帰した直後、『遠回り』の解けた城内を、『コル・レオニス』頼りに、懐かしの『扉渡り』で援軍を送り込んでくれて。
「本当に助かった。……仲間割れで戦力ガタガタになったときはどうなることかと」
「――それを言われると、私の落ち度が大きくて、恥じ入るばかりです」
と、目を伏せたクルシュにそう言われ、スバルは「あ……」と言葉に詰まった。
どこかしおらしく、淑やかさを感じるクルシュの態度、それはここふた月で彼女が見せていた、質実剛健としたかつてのクルシュ・カルステンとは違ったものだ。――ほぼ瀕死だったので詳しくは把握できていないが、それは今に始まったことではないらしい。
つまるところ、『記憶』を奪われる以前のクルシュが戻ってきたと思っていたのは、どうやら彼女がその姿を演じていたということだったようなのだ。
そして、おそらくその理由は――、
「――クルシュ様、お怪我を。治療させてください」
そう言って、大立ち回りを演じたクルシュの治療を申し出るフェリス、彼との相対において、クルシュなりの考えあってのことだったのだろう。
それがわかっているだろうに、フェリスはそれに触れない。そのことにクルシュは眉を顰めたが、それ以上にフェリスの惨状に対し「あなた……っ」と息を弾ませ、
「私よりも、あなたの腕の方を……! すぐにくっつけないと!」
「そんな焦らないでください、クルシュ様が斬ったんですよ?」
「だから言っているんですよ! 切れ味は悪くないはずですが、くっつきますか!?」
わざわざ後回しにしたのだから、あとで治せる算段はちゃんとあったはずだ。だが、それをフェリスは明言せず、クルシュを焦るに任せている。
そこに、まだちゃんとしてはいなくとも、かつての二人の温度感――少なくとも、プリステラのときに近いそれは感じた気がして。
だが、そこに――、
「……何をぉ、和気藹々としてんだぁ、オイ」
地の底から呪うような、勝利ムードに水を差す輩の声がする。
バッと振り返ったスバルたちの視界、そこでふらつきながら立ち上がるのは、片裁ち鋏を杖代わりにしたリボーン――その両目を斬られ、視力を喪失し、もはや戦闘不能に陥ったはずの男が、その形相を憎悪に歪め、敵意と殺意を溢れさせている。
「もうよせ、やめろ! お前の『無音』の種は割れてる! 見えてる範囲の音をオンオフできるんだろ。だから、背中からの声は消せなかった。目を潰された今……」
「だからなんだぁ!? それで下がれる立場じゃぁねえ! ベラリス! 痛みを消せぇ! トルネル! もたもたしねえで『遠回り』を張り直せぇ!」
唾を飛ばしながら、リボーンが片裁ち鋏で床を乱暴に叩き、味方にそう声を飛ばす。
実際、ベラリスの力ならアドレナリンで痛みを飛ばすことも可能だろう。しかし、その訴えに彼女は答えない。失血とダメージが嵩み、気絶したか死んでいるか、すでに動かなくなっていて、それを叶える余裕がない。
そして、姿を見せない三人目も、それに応える素振りがなかった。
哀れだが、もはやリボーンはトドメを刺されるのを待つだけの状態だった。だが、『愛し子』の立場と本人の気質が、決して投降など認めない。
彼は味方の援護がないのを悟りながらも、血の涙の流れる顔をこちらに向けた。
「そうかよぉ、なら構わねえ……全員、俺が一人でぶっ殺して」
「――いいや、ここまでだ。やりすぎなぐらいだよ、お前たち」
――瞬間、聞こえてきたのは、それまで地下にいた誰のものでもない声だった。
「――――」
驚愕に息を呑むスバルたちの前へ、天井の大穴から一つの影が落ちてくる。
それはこちらとリボーンとの間に割り込むように軽やかに着地し、血塗れの彼を背後に庇い、スバルたちと対峙した。
すらりとした細身に黒い帽子、腰には三日月を模した曲刀――その姿に、スバルは見覚えがある。スバルだけでなく、クルシュにもフェリスにもあるだろう。
もしかしたら、こんな風に相対することがあるかもしれないとは思っていた。
だがまさか、今ここで、『愛し子』たちを守るように現れるとまでは。
そこに現れたのは、『神龍教会』の牧師であり、フィルオーレの護衛役の優男――、
「――ティーガ」
「――――」
その名を呼ばれ、優男――ティーガ・ラウレオンが片目をつむり、眉を顰めた。
紛れもなく、その名前は彼自身のもので間違いない。だから、ティーガの表情が訝しげになったのは、名前が理由ではない。呼びかけられた相手の問題だ。
彼を呼んだのは、スバルでもクルシュでもフェリスでもない。
「――メルティちゃん?」
思わず、ティーガの名を呼んだ人物――メルティの様子に、スバルは息を呑んだ。
メルティはその両手で口元を覆い、大きな丸い目を見開いてティーガを見ている。その瞳に宿るのは動揺と、その後ろに隠れ切らない大きな喜びだった。
「――?」
ただ一方で、ティーガの方はメルティの大きな感情の波に心当たりのない様子で、自分をそんな目で見る彼女に疑問を抱いている様子だった。
一瞬、ティーガの乱入と、その複雑な空気に奇妙な沈黙がその場を支配する。
その直後だ。
「――ティーガ、知ってる娘なのよさ?」
そう言って、ティーガの肩に小さな気配が身を乗り出した。――それは、可愛らしくも小生意気な顔立ちの、尻尾を丸めたリス風の精霊だ。
見知らぬ精霊を連れたティーガ、彼はその精霊の問いに「いや」と首を横に振り、
「知らない相手、のはずだ」
「――っ」
「でも、見るからにアンタを知ってる感じだわさ。それに……間違いないのよさ。アッチの、でかいみょうちくりんな格好の。――あれが、アタイの契約者だわさ」
「ああん? 一体全体なーにを言ってくれてるんだ、あのちんまいちっこい精霊は!」
ティーガの答えにメルティの表情が曇り、精霊の言葉に『黒狗』がそう反発する。
何やら、事情の不明な矢印が飛び交っている面々だが、その状況に我慢ならなくなったのは、スバルたちよりも、庇われる立ち位置のリボーンだった。
「てめえ、『執行者』! 何のつもりだぁ! ここは俺たちがやるはずのぉ……」
「――時間切れだよ、状況が変わったんだ。俺だって、慌てて乗り込んでくるつもりはなかった。だけど、あんな派手に動かれちゃな」
「派手に、ってのは何があったんだか聞いてもいいか、マイフレンド」
リボーンとの会話に割り込んだスバルに、ティーガが軽く眉を上げた。
マイフレンドと、その皮肉な呼びかけに、ティーガは口の端を歪める。――それがどこか、自嘲気味なものに見え、スバルは眉を顰めた。
しかし、そのスバルの疑問を口にする前に、ティーガが質問に答える。
派手に、何があったのか。その答えは――、
「この城が、異空間からこっち側に飛び出した。――今や、王国中の注目の的さ」
――四百年の沈黙を破り、クーゲルシュライバー城が空を舞ったという知らせだった。




