第八章8 『未来の展望』
――『雲龍』がマデリンを置いて帝都へ飛び込んでいったとき、エミリアはそれを追いかけていったセシルスに遅れ、自分も都市の中に隠れることを決めた。
「そこの人! この子を連れて後ろに下がって! 暴れないように手足は凍らせておいたから、丁寧に運んであげて!」
その際、半分白く凍っていたマデリンを、様子を窺っていた叛徒に託すのを忘れない。
氷漬けのマデリンは目覚める様子がなかったし、一応、手足を強めに凍らせておいたので、本陣で暴れられる心配も最小限で済むはずだ。
「……なんだか、すごーく嫌な空気」
マデリンを預けたあと、氷の階段を作って城壁を乗り越えるエミリアは、帝都の中に蔓延する空気に嫌な予感を覚える。
空気自体が城壁の中と外で変わるわけではないはずだが、確かにピリッとした感覚が肌にあって、エミリアの心を竦ませようとしてくる。
しかし、その心のピリピリに負けて引き下がるわけにはいかなかった。
「メゾレイアもセシルスも、お城の方にいっちゃったもの」
『雲龍』メゾレイアとの戦いは、間にセシルスが入ってくれなかったらエミリアの完敗で終わっていた。セシルスのおかげでエミリアは元気を残したままでいるが、やられかけたことに関しては反省しきりである。
「みんなに無理言って、ヴォラキアまでこさせてもらったのに」
もちろん、飛ばされたスバルとレムを心配していたのはみんな同じだ。今みたいなことを言ったら、誰もエミリアだけのせいだなんて言わないだろう。
それでも、エミリアには陣営の一番偉い人としての責任があった。
後ろ盾であるロズワールの偉さと、質の違う偉さのことをエミリアは自覚しなくてはいけない。エミリアの望みを叶えるため、みんなが頑張ってくれる偉さを。
だからこそ――、
「私は、自分がやれるって言ったことをうんと頑張らなくちゃ」
高い高い城壁を乗り越えて都市に入ると、ようやく帝都の街並みが目に入る。
ルグニカ王国の王都とずいぶんと雰囲気が違うが、それでも大国の首都であるだけあって、整然と綺麗な建物の並びや、機能的な部分がしっかりと考えられた街づくりの形がエミリアの目からも感じ取れた。
きっと、帝国の皇帝はしっかりした未来図を思い描いて、この街や国をよりよくするために一生懸命頑張ってきたのだろう。
「そんなに頑張っても、こんな風になっちゃうのね……」
帝都の街並みから受ける印象と、しかし実情はあまりにも食い違っている。
皇帝が帝国の運営にどんな思いを抱いていたとしても、帝国民の一部が出した答えはこの反乱であり、エミリアもそれを後押しする側についている。
それをなし崩しや成り行きと言うこともできるが、エミリアも考えなしにこちらに与したわけではなく、話を聞いて、仲間と話し合って、決めたことだ。
もちろん、叛徒の多くが望むように皇帝の命を奪う形ではなく、皇帝の身柄を押さえてアベルとの交渉などに臨んでもらえるのが一番いいとは思っていたが。
しかし、そんなエミリアの望みと願いは、エミリアが想像もしていなかった形で裏切られることになった。――その、帝都に起こる異変によって。
「……なに?」
遠く、帝都の最奥にある煌びやかな城――水晶宮と呼ばれる建物の傍で、信じられないほど大きな人影と、戦場を飛び立った『雲龍』がぶつかるのが見える。
大きなものと大きなものとのぶつかり合いは、帝都の攻防戦の危なさを一段階も二段階も引き上げていたが、それ以上に驚かされたのは別のものだ。
――激戦が繰り広げられる水晶宮の足下、帝都の街並みのあちこちに、逃げる人々を襲い出している顔色の悪いものたちが乱出している。
「やだ……っ」
その存在を目にした瞬間、エミリアの背筋を悪寒が駆け上がった。
それは単なる生理的な嫌悪感がもたらすものではなく、おそらくは精霊術師としてのエミリアの性質が、それらに対する拒否反応を発したと考えられる。
精霊とは自然的なモノであり、世界に望まれて発生した存在だ。
対して、悪寒の原因となったそれらは不自然なモノであり、世界が存在を認めない不純的なモノであると、そうエミリアは直感した。
同時に、これまで辛くとも悲しくとも、人と人との戦いであった帝国の内乱が、その時点で人と人非ざるモノとの、熾烈な生存競争へと姿を変えたのだとも。
「――――」
それを直感した瞬間、エミリアの中で戦場の意味が変わる。
より多くを生かすため、エミリアは必要なことをするべく両腕を持ち上げると、帝都を取り囲む星型の城壁の届く範囲、手当たり次第に氷の階段を作り上げた。
城門を通らなくては出入りできない状況を、城門以外から出入りすることが可能な状況へ変えることで逃げ場を増やす。
「みんな! 壁に向かって走って! 門までいかなくても、そこから逃げられるから!」
大きな声でそう呼びかけながら、エミリアは城壁から市街へ降り立つ。
途端、地面から伸び上がるように顔色の悪い存在が出現し、エミリアへと手を伸ばしてくる。それを、エミリアは容赦なく、氷の剣撃で打ち払った。
「あなたたちにも、目的があると思うけど……」
問答無用で他者に襲いかかる姿には、エミリアも大人しく対話の席に着くよう説得することはできない。
立ちはだかるのはいずれも帝国兵の軍装をしたものたちで、それらは駆け抜けるエミリアの攻撃を浴びると、まるで陶器のように体が砕け、倒れる。しかし、その壊れた体はすぐにくっつき始め、また元の状態に戻ってしまい、倒し切れない。
「だったら――」
分が悪い、とここで引き下がらないのがエミリアの果敢さだ。
砕いても起き上がってくる相手に対して、エミリアは剣撃を浴びせて相手を叩き割るのではなく、剣撃を浴びせた相手を氷漬けにする方向へ舵を切った。
「てや! たあ! うりゃうりゃうりゃぁ!」
一人、二人、三人四人と湧き上がってくる『敵』に対して、エミリアは壁を蹴り、地面を蹴り、帝都の街並みを縦横無尽に足場にしながら飛び回り、攻撃を加える。
エミリアに攻撃され、砕かれる部位を氷漬けにされた『敵』は、期待通り、その傷を元通りに直すことができない。ただし、『敵』の中には氷漬けにされた部位を自分から壊してしまい、再生で上書きするものも出てくる。
「それなら、そのやり方を引っ込めさせるわ!」
相手が対応してくるなら、エミリアはさらにその対応を上回る。
体の一部を凍らせてもダメなら、体の全部を凍らせる方法で『敵』を攻撃する。もちろん、『敵』一人に対して使う力は大きくなるが、そこは仕方ない。
足りない頑張りは気力とやる気で埋めて、エミリアが一帯の通りを攻略する。
「いって、早く! 今だったら邪魔されないから、逃げて逃げて!」
制圧した通りをわかりやすく氷漬けにして、エミリアが逃げ遅れる帝都の人々の逃げ道を先導する。一方で、エミリアは城壁に向かって走る人々と逆走して、都市の奥へと向かう道をひた走った。
「誰かが、こんな風に悪さを働いてる……!」
次々と現れる『敵』は、自然的な現象に逆らう形で引き起こされている。
つまり、魔法や呪術のように誰かしらの意思が関わって起こっていることだ。そこに術者がいるなら、その人を止めなくては根本的な解決にならない。
エミリアが凍らせられる範囲にも限度がある。
幸い、人並み外れてマナの貯蔵量が多いエミリアはまだ動けているが、マデリンとの戦いにメゾレイアの参戦、そして先ほどの城壁の内外への階段づくりと、こうして次々と現れる『敵』と戦うので、さすがに疲労感を感じつつあった。
「人よりちょっぴり元気なのが私の取り柄なのに……っ」
自分の力不足に情けなさを感じながら、エミリアは帝都の街並みを駆け上がる。
真っ直ぐに水晶宮を目指せばもっと早く移動できるが、途中途中で『敵』に襲われる人たちを守らなくてはいけない。その手助けをしながらだと、これが速度の限界だ。
そうこう考えている間にも、また別の一団が通りの『敵』に見つからないよう、四苦八苦している姿が目に入って――、
「今、道を作る!」
一団が通りに出る邪魔者になりそうな『敵』が四人、それが背を向けた瞬間に建物の屋根から跳んで、降り立ったエミリアに気付いた彼らが振り返る前に、氷刃一閃――。
「――――」
青白く光り輝く氷の剣が大気を薙いで、斬撃を浴びた四人の『敵』を氷像へ変える。
驚きの表情のまま凍り付く『敵』、それがしっかりと冷凍できたのを見届けると、エミリアは手の中の氷剣をマナに戻して、通りの陰へと振り向く。
「もう大丈夫! この先も、氷を目印にしてくれたら外に出られるから!」
「あ、ありがとうございます。助かりました」
エミリアが声をかけると、陰の向こうから返事があった。
感謝の言葉にエミリアは手を上げ、そこから抜け出してくる人たちが無理なく通りを渡れたら、また中央行きを再開しようと考える。
と、そんな風に思っていたのだが――、
「わ、子どもがたくさん……」
目を丸くしたエミリアの視界、通りの陰から抜け出したのは二十人近い集団だった。しかも、その大半がまだ十歳くらいの子どもで、みんな黒い髪をしていた。
黒髪自体が珍しいので、とても珍しい集団だとエミリアは目をぱちくりさせる。
全員が家族にしては顔立ちが似ていない子も多いので、そうではないのではないかと思わされた。
すると、その一団の数少ない大人の一人がエミリアに手を振って、
「やあやあ、とても助かったよ! なにせ、僕たちは逃げ隠れするのに手一杯でね。どうにかこうにか、いっそ僕が囮役をするか決めかねていたところだったんだ」
「そうなの? だったら、そうならなくてよかった。ここからも大丈夫なはずだから、焦らないでみんなで力を合わせてね」
「わかったとも。心から感謝するよ、お嬢さん! じゃあ、奥さん! カチュア嬢!」
「お、大きい声で呼ばないでよ……またあいつらがきたら困るでしょ……っ」
朗らかに笑った金髪の青年、彼の呼びかけにそう答えたのは最後尾にいた女性だ。目線の低い彼女が乗る車椅子を見て、エミリアはわずかに驚いた。
「スバルが作ったの以外で、初めて見た」
足の不自由な人を運ぶのに便利な車椅子だが、あの手の道具はあまり見かけることがない。エミリアが知っているのも、眠り続ける少女のためにスバルがわざわざ設計して組み立てた実物を目にしたからだ。
その車椅子も、スバルとレムが飛ばされてしまった今、ロズワール邸で置かれている状態になっているが――、
「カチュアさん、そう怒らないでください。……婚約者の方と離れ離れで、不安な気持ちはわかりますが」
「よ、余計なこと言わない! あんただって、ずっとあのチビたちを気にしてるじゃない……っ。私にばっかり言わないでよ」
「そんなつもりはないのですが」
と、その車椅子の女性に目を奪われていたエミリアは、女性の後ろに立って車椅子を押している相手の姿を視界に捉えるのが遅れた。
車椅子の後部の取っ手を持って、椅子を押しているのは青い髪をした少女で――、
「――レム?」
「――――」
思わず、エミリアの唇がその音を紡ぐと、ハッと顔を上げる少女と目が合った。
目を丸くしてこちらを見返してくるその少女の顔を、エミリアはまじまじと確認。瞼を開けているところを初めて目にする少女は、しかし、エミリアのよく知る少女とそっくりな顔立ちをしていた。
それもそのはずで、彼女とその少女とは双子と聞いているから。――他ならぬ、エミリアの頼もしい騎士様から。
「あなたは、私を知って?」
眉を顰めて、少女――レムがエミリアを訝しげに見ている。
片手を自分の胸に当てた少女の問いかけに、エミリアは息を呑んだ。その二人のやり取りに挟まれ、車椅子の女性が交互にエミリアとレム、二人の顔を眺める。
そして、
「ま、またあんたの知り合い? あんた、どんだけ探されて……わぶっ!」
「レム!」
渋い顔をして、ぼそぼそと何か言っていた女性の頭を飛び越して、エミリアは大股で距離を詰めると、そのままレムの手を取った。
そのエミリアの動きにレムが目を丸くするも、その驚きに配慮する余裕がなく、エミリアは彼女の手を掴んだまま、すぐ前にいるレムの姿に瞳を潤ませた。
「起きてる……レムが起きてる! すごい! 大変だわ! 早く、ラムとスバルに知らせてあげなくちゃ!」
「ま、待ってください、あなたはいったい……」
「ええと、ラムからは外で合流するって連絡がきてたから、もう外にいるかしら? もう! こんなときにスバルは迷子なんだから……えっと、えっと……」
「話を聞いてください!」
あんまり驚きの出来事に頭がしっちゃかめっちゃかになるエミリア、そのエミリアの思考に待ったをかけたのは件のレムだった。
彼女はエミリアに手を掴まれたまま、じっと怒り気味にエミリアを睨み、
「あなたも、私をレムと……以前の、私を知っている人なんですか?」
「あ、ううん、それはちょっと難しくて。私も、あなたが起きてたときのことは覚えてないの。だからへんてこだけど、初めましてみたいな感じね」
「い、意味がわかりません……」
「ええと、私もあんまり説明がうまくないからちゃんと話せるか不安なんだけど……」
困惑顔になるレムに、エミリアは申し訳ない気持ちで何を言えばいいか考える。
こうやって起きているレムと話せているのはとても嬉しいことだが、エミリアにとって彼女はラムの妹で、一年以上もずっと眠り続けていた子。しかも、『暴食』の大罪司教の力で、その起きていた頃の『記憶』を奪われてしまった子でもあった。
エミリア自身、レムとの『記憶』が奪われたことは、スバルの話やラムとそっくりなことから、きっと本当なのだと信じている以外に実感はない。
ただ、レムの話からわかることと、エミリア自身がわかっていることがある。
それは――、
「レムは、もしかして起きる前のことを覚えてないの?」
「……その、起きる前と後という表現にあまり実感がありませんが、そうです」
「……そう。やっぱりそうなんだ」
もしかしたら、目覚めたレムはちゃんとエミリアたちと過ごした『記憶』があって、彼女の口から前の自分たちの関係がわかるかもしれないという期待があった。
その期待は残念ながら、叶わぬものとされてしまったが、
「でも、何にも心配いらないわ。色々わからなくてすごーく不安かもしれないけど、私も力になるし、ラムとスバルがいてくれるもの!」
「――。あなたは、私のなんなんですか?」
「私たちの関係だけ言ったら、お客さんとメイドさんってことになると思う。でも、私はラムとそれだけの関係じゃないと思ってるから、レムともそれだけじゃない関係になりたいと思ってるのね」
「――――」
「困ったときは力を貸したり、悩んだときは一緒に考えたり、難しいことには隣でぶつかったり……そういう関係って説明は、ダメかしら」
レムにとって自分が何者なのかと言われたら、エミリアにもよくわからない。
彼女との関係性はゼロに崩されて、またそこから組み立て直さなくてはならないから。だから、どんな風に組み立て直したいのか、その展望だけ伝える。
「私、レムと仲良くしたい。一緒に、うんと頑張るぞーって」
それが、エミリアの嘘偽りのない考えで、未来の展望だった。
「――――」
そのエミリアの答えを聞いて、レムは目を丸くしたまま、何度か唇を開閉させる。
でも、なかなか彼女の考えは言葉にならず、唇は開いたり閉じたりを繰り返した。そのままもどかしい時間が過ぎようとするが――、
「奥さん、彼女は君の味方だと僕は思うな」
「フロップさん……」
「僕もなかなか、商人として色んな人と出会ってきたが、このぐらい真っ直ぐにものを言える相手というのは貴重だ。きっと、彼女は信じて大丈夫だよ」
口ごもるレムにそう言ったのは、フロップと呼ばれた金髪の青年だった。
明るく朗らかな彼の肯定に、レムは眉を寄せ、それから改めてエミリアを見つめた。その視線に負けぬよう、エミリアは胸を張って受け止める。
そのエミリアの態度に、レムは小さく吐息して、
「……あなたが私を知っている人ということも、悪意がないことも、わかる気がします」
そう、躊躇いながらも言ってくれたことで、エミリアも胸の詰まる思いになる。そうして目を見張るエミリアに、レムは薄青の瞳をわずかに細めると、
「あの、先ほどスバルという名前を口にしていましたが……」
「え? ええ、言ったわ。スバルっていうのは、あなたのことをすごーく心配してる子で、あなたのことをずっと大切に……」
「――。それが本当なら」
エミリアの答えに目を伏せて、レムの視線がちらっと路地の奥――今しがた、レムたちの一団が出てきた方へ向いた。それは厳密には路地を覗いたというより、自分たちが通ってきた道を遡るような目線に思える。
と、それが意味するところを考えて、エミリアは「もしかして」と前のめりになり、
「スバルと一緒だったの? スバルは平気? 無茶してない?」
「あなたもそういう認識なんですね。よく無茶をする人だと」
「ん、そうなの。困った子で……あ! そう言えば」
「なんです?」
「私の名前はエミリア、ただのエミリアよ。忘れちゃってたんなら、その自己紹介からちゃんとしなくちゃダメよね」
エミリアの方はレムの名前を覚えていても、レムはエミリアのことを知らないのだから、それを教えてあげないといつまで経っても名前を呼べない。
そのエミリアの名乗りを聞いて、レムは軽く目を見張ったあとで、
「エミリアさん……」
「ええ、そう。それでレム、スバルなんだけど、向こうにいるの?」
「向こうにいる、で間違いないんですが……」
そこでレムが言葉尻を濁し、わずかに表情を曇らせたのを見て、エミリアは嫌な予感に眉を立てた。
この帝都の状態と、レムやフロップ、車椅子の女の子と子どもたちだけで移動しているところを見ると、ここから別行動するスバルはあまりスバルらしくない。
それでもスバルがレムたちと別行動するということは――、
「さては、また無茶してる……早くいってあげなくちゃ!」
「すぐにピンときてるということは、やっぱりそういう人なんですね……」
「そうなの。スバルはすぐカッコつけちゃう癖があるから、いつも心配で」
「やっぱりそういう人なんですね……」
エミリアのスバル評に、いちいちレムが納得した風に頷く。
こんな風にレムと言葉を交わせるのはエミリアにとっても嬉しいことだが、状況の切迫さが長々としたお喋りを許してくれない。
その気持ちをさらに急がせるのが――、
「――っ! な、なに!? なんなの!?」
不意に、遠くでかなり大きな爆発音が響き渡って、その音に肩を跳ねさせた車椅子の女性がきょろきょろとあたりを見回す。
彼女の角度からは見えづらいが、エミリアの位置からは帝都のもっと奥、そちらの方で赤い火柱が上がったのと、遅れて黒煙がたなびくのが見えた。
とても大きな爆発だ。
大気が騒がしくないので、魔法で起こした爆発ではないように感じる。火の魔石などが引火したのかもしれない。
「あっちは……」
「もしかして、スバルがいる方?」
「――。はい」
その爆発の方向を見て、声を詰まらせたレムがエミリアの言葉に頷く。
途端、エミリアにはあの爆発が、スバルの関わったものに思えてならなくなった。今すぐにでもあちらへ駆け付け、スバルと合流したい。
でも、ここにいるレムを放っていくのも、ラムやスバルの気持ちを考えるととても難しくて、エミリアはあれもしたいこれもしたいでてんやわんやになりかけた。
「……あ、あんた、あの爆発の方にいくの? だったら、だったら、この子も一緒に連れていきなさいよ。役に立つから」
「え?」
「カチュアさん?」
その、エミリアの混乱に終止符を打ったのは、爆発音にものすごく驚いていた車椅子の女性――カチュアだった。
彼女はおどおどと、エミリアと視線を合わせたり逸らしたりを繰り返しながら、
「ほら、あんたは傷を治す魔法が使えるじゃない。それがあったら、あっちが多少無茶しても大丈夫そうでしょ。それに……ずっと、ちらちら気にしてるし」
「……ちらちら気にしてるのは、カチュアさんの方だと思います」
「私の方はいいの! と、トッドは、あいつはほら、生き汚いから。どうせ、何があっても平然とした顔で戻ってくるに決まってるもの。でも、あんたの知り合いの子どもは、トッドみたいに頑丈とは限らないから」
「ですが……」
カチュアのたどたどしい物言いは、つっけんどんにしながらもレムの気持ちを思いやったものだった。その思いやりがちゃんと伝わってしまうからだろう。
レムはカチュアの言葉に素直に頷けないでいたが、そんな煮え切らないレムの様子に「いいから!」とカチュアは声を高くして、
「ここから先は、もうこの人が……ほら、何とかしてくれたんでしょ。この……なに、あんた、銀髪で耳長って、縁起悪いわね」
「あ、その話をすると困らせちゃうかもしれないから、今は見ないで」
エミリアがハーフエルフだとわかると、帝国でも相手を怖がらせてしまうかもしれないので、それを忘れてもらえるように手で両耳を隠しておく。
そのエミリアの反応を訝しみながら、カチュアは改めてレムを見やり、
「私のことなら、心配しすぎだから。そこの、ボロボロの優男に連れてってもらう。あんたは、ちゃんとあんたのしたいことしなさいよ……」
「――――」
「つ、ついででいいから、トッドの奴がヘマしてないか見といて。私からはそんだけ! ほら、もたもたしてないで……」
言いながら、カチュアは自分で車椅子の車輪を回すとレムから離れる。自分の手を離れるカチュアの決断に、レムは「あ」と小さく声を漏らし、目を伏せた。
しかし、一度ぎゅっと目をつむると、
「フロップさん、カチュアさんのことをお任せしていいですか?」
「ああ、しっかり任されたよ! なに、この最後のひと踏ん張りくらい、ここまで一緒に頑張ってきた偽皇太子くんたちと乗り越えようじゃないか」
「はい。――カチュアさん、ありがとうございます」
胸を叩いて請け負ったフロップに、レムが深々と頭を下げる。そして、最後にもう一言お礼を言われ、カチュアは頬を赤くしながら「ふん」とそっぽを向いた。
その、レムとカチュアとの間の微笑ましいやり取りに、エミリアも目尻を下げる。
「ここから抜け出したら、レムが今日までどうしてたのか教えてね。私も、ラムもスバルもみんなも、それをすごーく聞きたがってるから」
「面白い話になるとも思いませんが……わかりました」
エミリアが手を差し出すと、レムはわずかに躊躇ってから、その手を握り返す。
その手の感触にエミリアが微笑み、それから握った手をそっと引き寄せた。思わず、目を丸くしたレムがつんのめり、エミリアの胸に飛び込んでくる。
そのまま、エミリアは「よしょっ」とレムの体を抱き上げて、
「ごめんね。ゆっくりしてられないから、ちょっと急いで運ばせて!」
「ち、力持ちなんですね」
「ええ、そうなの。――みんなも気を付けて! あとでまた会いましょう!」
レムをお姫様抱っこした状態で、エミリアは周りのカチュアやフロップたちに声をかけると、そのまま「や!」とその場から跳んで、建物の屋上へ上がった。
「奥さん! エミリア嬢! そちらこそ気を付けて!」
「ち、ちゃんと戻ってきなさいよ……っ」
その声援を受けながら、エミリアは腕の中のレムを見下ろし、
「しっかり掴まっててね。私、ちょっと急いで走るから!」
「――。以前、私とあなたはどういう関係だったんでしょう」
ぎゅっとしがみつきながら、絞り出すように呟いたレム。その言葉にエミリアは返せる明確な答えを持っていなかったが、
「それは、私もおんなじことを知りたいと思ってるの!」
と、そう強く言い切って、レムを抱いたまま帝都の奥へと再び走り出した。
そのまま、しがみつくレムの腕の感触を強く掻き抱いたまま、エミリアは走り、走り、走り続けて、そして――。
「――そこまでよ」
――その瞬間へ辿り着いて、再会は果たされたのだった。