はじめての依頼、はじめての護衛
あの夜から三日後。
まなみは、ギルドマスターの部屋に呼び出されていた。
部屋の中には、ガルドと、レオンと、ピート。あの夜、まなみの部屋に駆けつけた三人が、そろっていた。
「さて、嬢ちゃん」
ガルドは、机の上に一枚の地図を広げた。
「お前さんのあれが、なんなのか。どこまでのもんなのか。一度、ちゃんと確かめておかにゃならん」
「確かめる……ですか?」
「10000を超える魔力だ。もしそいつが攻撃魔法になったらどうなるか、街の中じゃ試しようがねえからな」
ガルドは地図の北のほうを、太い指でとんとんと叩いた。
「ここだ。街から馬車で二日。灰岩山っつう、草一本生えてねえ岩山がある」
地図には、ぽつんと、山の絵が描かれていた。周りには、村も街道もない。
「少し前から、ここに岩喰いトカゲの群れが住みついてな。でかいのが百匹以上だ。ふもとの鉱山村まで降りてきて、坑道を荒らしてやがる」
「ひゃ、百匹……」
「普通なら、パーティを三つ四つ集めて、何日もかけて駆除する依頼だ。だが、誰も住んでねえ岩山で、周りに巻き込む人間もいねえ」
ガルドは、にやりと笑った。
「お前さんの『あれ』を試すには、ちょうどいい場所だと思わんか?」
まなみは、ごくりと唾を飲み込んだ。
あの夜から、こっそり何度も『超・詠唱大全!』の第八章を読み返していた。山脈がひとつ消滅した、という脚注のついた、あの詠唱。
(試せる……あれを本当に……?)
怖い。でも、それ以上に、胸がどきどきしていた。
「た、試したいです!」
「よし」
ガルドは、満足げにうなずいた。
それから、部屋の隅で腕を組んでいたレオンのほうを見た。
「レオン。お前が護衛につけ」
部屋の空気が、ぴたりと止まった。
ピートが、はっとしたようにレオンを見た。まなみも、思わずレオンの顔を見上げた。
レオンは、眉ひとつ動かさなかった。
「……ミアでいいだろ」
「ミアは今、別の依頼で南に出てる」
「なら、他の連中でも」
「このことを知ってるのは、ここにいる四人だけだ。外に漏らすわけにはいかねえ」
ガルドは、静かに言った。
「ピートは魔法の見立てで連れていく。だが、ピートに護衛は無理だ。嬢ちゃんを守れるのは、お前しかいねえ」
「……」
「ギルドマスター命令だ、レオン」
長い沈黙のあと。
レオンは、ふうっと息を吐いた。
「……店はどうする」
「三、四日くらい閉めとけ。客どもには、店長が腰を痛めたとでも言っとく」
「……勝手にしろ」
それだけ言って、レオンは部屋を出ていった。
ばたん、と扉が閉まる。
まなみは、その扉をしばらく見つめていた。
(店長……冒険者、もうやめたって……)
仲間を失って、剣を置いた人。
その人に、また剣を持たせることになる。
「……あの、ガルドさん。わたし、やっぱり――」
「嬢ちゃん」
ガルドは、まなみの言葉をさえぎって、首を振った。
「あいつは、断らなかったろ」
「……え」
「本気で嫌なら、あいつは俺の命令だろうが、平気で蹴る。そういう男だ」
ガルドは、閉まった扉のほうを見て、少しだけ目を細めた。
「五年も経ったんだ。そろそろ、外の空気を吸わせてやってもいい頃だ」
◇ ◇ ◇
出発の朝。
ギルドの裏手に、小さな幌馬車が停まっていた。
「マナミさん、その服……」
荷物を積み込んでいたピートが、まなみを見て固まった。
「ふっふっふ…気づいた?」
まなみは、くるりと一回転した。
深い紺色の足首まであるローブ。襟元と袖口には、銀糸で星の刺繍。腰には太いベルト。ふんわりとしたフードには、小さな三日月の飾りがついている。
この三日間、仕事が終わってから、毎晩夜なべして縫い上げた力作だった。
「旅用の服、作ってみました! 魔法使いっぽくない!?」
「ま、魔法使いっぽいです……すごく……」
(イメージは、もちろんルクレツィア! 形から入るのは、オタクの基本!)
ちなみに、ローブの下は動きやすいようにブラウスとズボンにしてある。胸元は、ちゃんと隠れるデザインにした。旅先で、変なトラブルを呼ぶわけにはいかない。
「……マナミ」
背後から声がした。
振り返ったまなみは、言葉を失った。
レオンが立っていた。
エプロンではなかった。使い込まれた革の胸当て。厚手の外套。そして腰には、一本の長剣が下げられていた。
鞘は古びていたが、手入れは行き届いていた。柄には、色あせた緑色の組紐が巻かれている。その先に、小さなお守りが揺れていた。
四つ葉のクローバーを、樹脂で固めたお守りだった。
「……店長」
「なんだ」
「……いえ。なんでも、ないです」
まなみは、それ以上なにも言えなかった。
いつもの眠たげな店長とは、まるで別人だった。立っているだけなのに、空気がぴんと張りつめている。
これが元高ランク冒険者の、レオン。
(……かっこいい)
心の中で、素直にそう思ってしまった。
「乗れ。日が暮れる前に、街道の宿場まで行く」
「は、はいっ!」
◇ ◇ ◇
馬車に揺られて、一日目。
街道沿いの宿場町で一泊して、二日目の昼過ぎには、街道を外れて荒れ地に入った。
ごつごつとした岩が増えていく。木も、草も、少しずつ減っていく。
その日の夕方、小さな川のほとりで、野営をすることになった。
「マナミさん、今のうちに、一回試しておきませんか?」
ピートが、例の簡易測定石を取り出しながら言った。
「明日、本番でいきなり失敗したら、大変ですから。……あ、もちろん、あの夜の、星の光のほうで」
「そ、そうだね!」
まなみは、川原の開けた場所に立った。
ローブのフードをかぶる。窓辺のかわりに、川のほうを向いて、そっと両手を広げる。
深呼吸をして、目を閉じる。頭の中に、ルナの姿を思い描く。
「――閉店の札を、裏返して。ここからは、わたしの時間」
胸の奥に、ぽっと、ちいさな火がともった。
身体のまわりが、ぼうっと金色に浮かび上がる。
ピートが、息をのむ音が聞こえた。
「――シャンデリアさん、おやすみなさい。冷蔵庫さん、おつかれさま」
ちらりと、自分の袖口が目に入った。
銀糸の、星の刺繍。
(あれ?)
頭の中の、真っ暗なファミレスのルナ。オレンジ色の制服の、ちいさな背中。
そこに、紺色のローブの袖が、すうっと重なった。
ルナの制服の袖が、一瞬だけ、ルクレツィアのローブの袖になる。
(ちがう、ちがう、ルナちゃんはこんなの着てない……!)
身体のまわりの光が、ちかちかと揺れた。
胸の奥の火が、消えそうになったり、また燃えたり。
「――ご注文は、星ひとつ。……かしこまりました」
ぽう、と。
まなみの手のひらに、光がともった。
ひとつ。ふたつ。
……みっつで、止まった。
しかも、ろうそくの火みたいに、ちらちらと頼りなく揺れている。
「……あれ?」
あの夜は、部屋じゅうに、百個以上浮かんだのに。
ピートが、測定石を見下ろして、首をかしげた。
「……100くらいで、ずっと、ふらふらしてます。あの夜の、十分の一も出てません」
「な、なんで……?」
まなみは、手のひらの、頼りない三つの光を見つめた。
あの夜と、今と。違うのは。
場所。時間。それから――
「……やっぱり、服だ」
まなみは、ぽつりとつぶやいた。
「あの夜、わたし、アンミラの制服だった。ルナちゃんも、同じ制服だった」
「……ルナ、さん?」
「あ、えっと、この台詞の、元の物語の女の子。ファミレス……ええと、食堂で働いてる子でね、その子も、制服のまま、この台詞を唱えたの。……だから、あの夜は、頭の中のルナちゃんと、わたしの格好が、ぴったり重なってた」
まなみは、自分の紺色の袖を見下ろした。
「でも今は、ルクレツィアのローブを着てる。だから、頭の中のルナちゃんに、ローブの袖が混ざって……絵が、ぶれちゃったんだ」
ピートが、目を見開いた。
「つまり……マナミさんの魔法は、元の物語の人を思い描くのが大事で。着ている服が、その人と違うと……」
「思い描く絵が、ずれる。ずれると、魔法も、ぶれる」
まなみは、ぱっと顔を上げた。
「――ってことは、逆に言えば!」
フードの三日月の飾りを、指でつまむ。
「明日のルクレツィアの魔法! このローブ、ルクレツィアをイメージして作ったから、ばっちり合ってる! やっぱり形から入るのは、オタクの基本! 大正解!」
「……結果的に、ですけどね」
「結果的に、大正解!」
まなみは、大きな胸を張った。
手のひらの三つの光が、ちらちらと揺れながら、夕暮れの空へ消えていった。
「……マナミ」
黙って見ていたレオンが、ぼそりと言った。
「唱えてるあいだ、お前、ずっと光ってたぞ」
「え?」
「三つしか光が出なくても、お前はずっと光ってた。夕暮れの川原で、お前のまわりだけ、ランタンでも灯したみてえに明るかった」
まなみは、自分の身体を見下ろした。
言われてみれば、たしかに全身が、まだほんのりと金色に光っていた。
「明日、山の近くで唱え始めたら、こっちから居場所を教えて回るようなもんだ」
「……灯台みたいですね」
「灯台より目立つ」
光が消えたあと。
焚き火の前で、レオンがぼそりと言った。
「……それで、明日唱えるっていう、本命の詠唱は。どれくらいかかる」
「……に、2分くらい、です」
「2分」
レオンは、焚き火に枝をくべながら、淡々と繰り返した。
「その2分、お前は動けねえし、身を守ることもできねえ。目の前に魔物が来ても、詠唱を止めたら全部台無し。そういうことだな」
「……はい」
「戦いの最中に、2分も突っ立ってる魔法使いなんて、聞いたことがねえ」
レオンは、枝をぽきりと折った。
「……実用的じゃねえな」
ぐさっ、と。
まなみの胸に、言葉の矢が突き刺さった。
実用的じゃない。
ネット小説を読みながら、何度も何度も、自分で思ってきたことだった。詠唱は、かっこいい。でも、実戦で使えるかと言われたら、使えない。だから、みんな詠唱を破棄するのだ。
アニメなら、主人公が長い詠唱を唱えている間、なぜか敵は律儀に待っていてくれる。仲間が都合よく時間を稼いでくれる。カメラが詠唱する横顔をゆっくり映して、BGMが盛り上がって、敵は一歩も動かない。
(でも、現実は…そうはいかないよね……)
ここは画面の中じゃない。あの岩喰いトカゲたちが、「どうぞ、最後まで唱えてください」と行儀よく並んで待っていてくれるわけがない。2分も突っ立っていたら、詠唱が終わる前に、自分が終わる。
わかっている。
本当は、ずっと、わかっていた。
まなみは、がっくりと膝に手をついた。
「いや……本ッ当に、その通りでございます……!」
「……なんで急に、そんなかしこまってんだ」
「ぐうの音も出ないからです……!」
「ぐう?」
ピートが焚き火の向こうで、気まずそうに笑っていた。
◇ ◇ ◇
その夜の夕食は、レオンが作った。
野営用の小さな鍋に、干し肉と、道中で買った根菜と、何種類かの香草。それだけの材料なのに、焚き火の上でぐつぐつと煮えるスープからは、四つ葉亭の厨房と同じ、いいにおいがした。
「……おいしい」
ひと口すすって、まなみはつぶやいた。
「野営なのに、なんでこんなにおいしいんですか……」
「……野営で作るのは、慣れてる」
レオンは、焚き火を見つめたまま、短く言った。
まなみは、ガルドの言葉を思い出した。
『野営でも、あの子が作ると、なんでも美味くなった』
(……エマさんに、教わったんだ)
四人で、こうして焚き火を囲んで、同じスープを飲んでいたのだろうか。
そう思うと、温かいスープが、少しだけ、しょっぱく感じた。
ピートが先に寝袋に潜り込んだあと。
まなみは、焚き火の番をしているレオンの隣に、そっと腰を下ろした。
「……店長」
「なんだ」
「その、ごめんなさい。わたしのせいで、また剣を……」
レオンは、しばらく黙っていた。
それから、腰の剣の柄に、そっと手を置いた。四つ葉のお守りが、焚き火の明かりを受けて、小さく揺れた。
「……剣は、ずっと手入れだけはしてた」
「え……」
「五年間、一度も振るわなかったが。錆びさせるのは、なんか、嫌でな」
レオンは、焚き火の炎を見つめた。
「どうしてかは、自分でもよくわからねえ」
まなみは、なにも言えなかった。
ただ、膝を抱えて、レオンの横顔を見つめていた。
ぱちぱちと、薪がはぜる音だけが響いていた。
「……マナミ」
「はい」
「明日、唱えてる間は」
レオンは、炎から目を離さないまま、ぽつりと言った。
「お前は、詠唱のことだけ考えてろ」
「……え?」
「……最後のひと言の、ひとつ前は、なんだ」
「え? えっと……『我が名において命ず』、です」
「それが聞こえたら、俺は下がる。お前は、合図なんか出さなくていい。最後まで、唱えきれ」
それだけ言うと、レオンは立ち上がって、馬車のほうへ歩いていった。
まなみは、焚き火の前に、ひとり取り残された。
(今の……どういう意味……?)
顔が熱い。焚き火のせいだ。たぶん、焚き火のせいだ。
まなみは、ローブのフードを深くかぶって、膝に顔をうずめた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
荒れ地を進んでいた馬車が、まだ目的地の手前で止まった。
「……ここからは歩きだ」
レオンは馬車を大きな岩の陰につなぐと、まなみとピートを連れて、低い尾根をそっと登った。
尾根の上で、レオンは身をかがめ、手で二人を制した。
「頭を下げろ。……見えるか」
まなみは、岩の陰から、おそるおそる顔を出した。
遠く、荒れ地の向こうに、巨大な灰色の岩山が、そびえ立っていた。
草一本、生えていない。ごつごつとした岩肌が、朝日を受けて、鈍く光っている。
そして、その岩肌が。
うごめいていた。
「……え」
目を凝らす。
岩だと思っていたものが、動いている。岩と同じ灰色の鱗。ずんぐりとした身体。太い尻尾。この距離からでもわかるほど、一匹一匹が大きい。
一匹、二匹ではなかった。
山の斜面を、びっしりと覆いつくすように。
百匹。いや、それ以上の岩喰いトカゲが、そこにいた。
「ひゃ……ひゃくって、こういう……」
まなみの膝が、がくがくと震えた。
ピートが、真っ青な顔で、魔法書を握りしめている。
「まだ気づかれちゃいねえ。風下だからな」
レオンは、低い声で言った。指を舐めて風向きを確かめ、山までの距離を目で測る。その横顔は、もう、厨房の店長のものではなかった。
「……ひ、引き返さないんですか」
声が、裏返った。
レオンは、山から目を離さずに答えた。
「二日かけて来て、ここで帰ったら、次に来るまでに、鉱山村の坑道がまたやられる」
「で、でも……」
「詠唱がダメなら、お前を担いで逃げる。それだけだ」
当たり前のことを言うみたいな、平坦な声だった。
ピートが、こくこくとうなずく。逃げ道は、最初から考えてあったのだ。
「ここで始める。お前が光り始めたら、あいつらは間違いなく気づく。だが、この距離なら、山を駆け下りてここまで来るのに、少しは時間がかかる」
「少し……」
「その少しの分だけ、俺が斬る数が減る」
レオンは、淡々と言った。
「群れが全部来るまでに、半分も唱え終わってりゃ上出来だ。残りの時間は――」
腰の剣を、すらりと抜き放つ。
五年ぶりに、戦うために抜かれた刃が、朝日を受けて、白く光った。
「――俺がどうにかする」
レオンは、まなみの前に、山に向かって立った。
「マナミ」
振り返らずに、レオンは言った。
「始めろ」




