1話
雲の切れ目の先に、巨大な島が空に浮かんでいる。神々しく照らすように、陽気が差し、中央に高くそびえるいくつもの尖塔が輝く。さらにその周囲は石壁で囲われ、その外側には豪奢な邸宅が地表を覆い尽くすように連なる。
そこは、ゆったりとした時間が流れ、人々にとっての『楽園』かのような光景であった。
──これが、空中都市≪アークレア≫。
人類の創り出した空の箱舟。
◆◇
その場所に降り立った時、目に飛び込んできた光景の眩しさに思わず少年は目を細めた。眼下を見下ろすと無限に続くのではないかと思えるほどの雲海。そして、時折見える濁った色の大地。
さすがは上層というべきか、空気からは仄かに小麦の匂いや紅茶の匂いなど気品を感じさせる清潔な匂いが漂う。
「まぁ、お兄様。怖気づいたのですか?」
少年の隣に立つ少女が首を傾げた。その銀色の髪は太陽に照らされ神々しく輝く。
白ともいえるようなその髪に深紅と黄金色の瞳。どこか人間離れしたその容姿はどんな令嬢よりも美しく見えた。
「緊張? ちょっと、胃が痛いだけだよ……」
「それはストレス、緊張によるものなのでは?」
「……そういう、考えかたもあるな」
少年の返答を聞いて少女はくすくすと愉快そうに笑う。まるで、小ばかにするように。
「ではまいりましょうか。お兄様、いえノアール・アッシュ様?」
彼女は一歩前で躍り出ると身を翻して少年に微笑んだ。
「そうだな。頼んだよ、アルカ」
アルカと呼ばれた少女は小さく頷くと少年の前を先導するように歩いてく。少年、ノアールは周囲の建物やそこで描かれる営みを横目に見ながらそれに続いた。
二人がしばらく歩いていくと荘厳な門が目の前に現れた。煌びやかな装飾。磨き上げられた両鷲の文様。そして左右につづく仄かに青みがかった白い石壁。
建物の2階ほどはあろうかというその石壁と門を前に、ノアールは思わず息を呑む。
その前には2人の槍を持った兵士が門の両脇に立ち、何やら身分を改めている。そして、その前には少年少女が入門の順番を待つ。
「意外と、多いんですね」
「みたいだな」
列の最後尾を見つけると二人はその後ろに並ぶ。するとそれまでは先導していたアルカはノアールの一歩後ろに下がり、地面を俯くように見つめる。
列に並ぶ者たちを見ると皆一様に、一方後ろに何物かを従えている。それは赤髪の少女で会ったり、金色の美しい髪を持った美少年であったり。大柄の男であったり。
まるで子供たちの影を踏むようにして俯いて立っている。
(人器≪じんき≫か──)
それは、人を模した武器の総称。彼ら、彼女らは主に仕え、時として従者として、時として武器としてその力を発揮する。あまりにも強力なそれは人類のなかでも1部の限られた人間にしか使用が許されていない。そして、使用を許された者が、使い方や戦い方を完全に会得するための場所。それが、目の前にそびえたつ学園なのであった。
この学園では「人器の性能」そして、それをいかに自在に操ることができるかがすべてを決める。それが、この島を統治するための理であり、人類が存続してきた方法でもあった。
列はゆっくりと進んでいく、そう待たないうちにノアールの番が来た。
「ようこそ、騎士団学園へ」
少し老いた衛兵は最早感情のこもっていない声でまず少年を歓迎する。一体今日何度この言葉を発しているのだろうかと思うと、すこし憐れにすら思える。
「君の名は?」
「ノアール・アッシュです」
「アッシュ……。あぁ。ここか」
その衛兵は手に持った書類をペラペラとめくり、記載された内容などを確認していく。
「人器はその子かな?」
もう一人の若い衛兵は少し疲れた表情で朗らかな笑みを浮かべる。将来の騎士候補に対して彼らはただの一般兵だ。彼らの表情や仕草を見てこの世界での騎士、人器を扱う者の地位を改めて実感する。
「はい、アルカと呼んでいます」
「へぇ。可愛いね。武器になってもらうことはできるかな?」
衛兵の問いにノアールは頷くとアルカに向かって両手を指し伸ばす。彼女はそれを握り返す。その瞬間、彼女の体が光り輝き、粒となる。
光の粒はノアールの両手に集まり、二振りの曲刀を作り出した。
「おぉ。二刀流なのか、しかも曲刀か」
疲れた顔の衛兵は感心した声を上げ、その両手に持った獲物をまじまじと見つめる。純白の太い身幅を持つその武器は柄に赤色と黄金色の宝飾があしらわれている。
その間にも、もう一人の衛兵は書類の確認を終えたようだった。
「問題ないな。よし、行っていいぞ」
老いた衛兵がそう促すと、ノアールは「ありがとうございます」とにこやかに答える。門をくぐり、学園の敷地に入ると早々にアルカを手放した。
その瞬間、刀が光り輝く。
「やはり、まだ慣れません」
人間の姿に戻ったアルカは不満そうにそう呟いた。
「あまり多用はしないさ」
「なぜでしょう。私はお兄様の武器です。問題があるのは私の方です」
彼女の言葉に、ノアールは立ち止まった。なんと言葉をかけるべきか、適切な言葉はなんだろうかと。
その瞬間、少女の声が響いた。
「人器、持ってないんです」
背後で交わされていた次の少女と衛兵たちのやり取り。それまでは「何かしゃべっているな」という程度の認識だった。だが、彼女のその言葉だけはやけにノアールの耳に残った。
振り返るとそこには、頬を赤くして衛兵の顔を見上げる茶髪の少女がいた。
「あぁ。それは、悪かった」
老いた衛兵がそう答えると、周囲の空気が1段変わった。憐憫だろうか、それとも優しさだろうか。否、どれも違う。茶髪の彼女を包み込む空気。それは──。
嘲笑、だろう。
「高いからな。書類は問題ない、頑張れよ」
書類を確認し終えた老いた老兵はそうにこやかに笑いかける。だが、その表情は優しさからくる温かさなど微塵も感じさせなかった。ほんの少しの憐みと好機の色、そして大部分が嘲りの色に染まっていた。
その視線、表情、空気を察知したのか、茶髪の少女は俯いて足早に門を駆け抜ける。
彼女がノアール目の前に来ると、彼女は立ち止まってアルカを凝視した。アルカの姿に驚いたような表情を浮かべた後、ノアールに視線を映し、羨望の眼差しを向け、睨んだ。
「は?」
そのあまりもの変わりよう、不遜な仕草に思わずノアールが声を漏らす。それに気が付いたのか目の前の少女は口を開き、
「あのっ! ごめん──。なさい!」
と叫んで走り去っていってしまう。
「なんだったのでしょう?」
「さぁ……。だけど──」
走り去っていく彼女の後姿を見送りながら、ノアールとアルカは言葉を交わす。腰ほどまでの長さに整えられた美しい髪が風と走るからだに揺られて左右に流れている。
きっと、愛されて育ったのだろう。太陽の光を浴びてその髪は美しく輝く。
「たぶん。『買えなかった』んだろうな」
「あぁ……。高いらしいですからね」
ノアールの言葉にアルカはそう静かに同意した。どこか他人事のような二人の会話は、風にさらわれて、雲の彼方へと消えていった。
◆◇
「もう、お兄様遅刻しますよ」
朝、仄かな蝋燭の光と共にノアールは目を覚ます。窓の外を見やるがそこから差し込むのは自然的な太陽の光ではない。地殻の天井から吊り下げられた無数の電球。それが、昼夜を表し、この地中の中でも一日の流れを感じさせる。
ノアールがのそのそとベッドから起き上がると、その間にもアルカはパタパタと家の中を歩き回る。今日着ていく服や持っていくべき物など、その手際に思わず感心しながら、差し出された服に着替える。
「今は?」
「朝の7時です。朝の鍛錬も少しならできますが?」
アルカの返答に思わず苦笑いを浮かべる。ここに来てから数日。一度だって朝の鍛錬などしたこともない。
「今までしたことないだろ」
「まぁ。もう少し真面目になっていただいてもいいんですよ」
その言葉に「真面目、ね」とノアールは自嘲気味に笑う。そして、机の上に視線を移すと笑みを浮かべた。
「相変わらずおいしそうだな」
ほんの少し黒みがかったパンの上に卵とベーコンが乗せられている。ノアールはそれを手に取ると口に運ぶ。その一瞬少し彼は微笑むと、次々に食べ進めていく。
「やっぱり美味しいな」
彼は小さくそう呟くと、窓の外を見つめる。空中都市アークレアの、地下部分に相当する場所に彼は住居を構える。
天井からは人工的な照明が無数に吊り下げられ、仄かな明るさを演出する。
「成り上がって、成り上がって。上にたどり着こうな」
それはある種の決意表明のような。
「えぇ、お兄様と。いつまでも。どこまでも」
ノアールの言葉に、アルカは小さく微笑み、小首をかしげる。彼女の銀色の髪が蝋燭の炎に照らされて温かく輝く。
この空中都市で、成り上がる。それが、彼らの目標だった。
朝食を済ませたノアールは改めて装いを整えると家を出た。玄関の戸を開けた瞬間に、どこか科学的な匂いが鼻腔を刺激する。天井を見上げると岩肌が少しずつ白い靄に覆われ、霞んでいる。
視線を少しばかり降ろして連なる家々の先を見ると、高く伸びた煙突からすでに煙が立ち上り始めている。
「どこも、こんなものですよね」
その光景を見てアルカは小さく呟いた。彼女はノアールの横を歩き、どこか悲しそうに天井を見上げる。
だが、待ちゆく人たちの表情は明るい。これから1日が始まるというのに、既に通りには活気があふれている。露天の準備にいそしむ者たちやパンを焼くために列をなす者たち。決して美しい光景ではないが穏やかな日常がここにはある。
よく知った日常、よく馴染んだ日常だ。
「今日の夕餉は何にしましょうか?」
島の端に向かって歩きながら、アルカはノアールにそんなことを尋ねた。彼女の視線は露店の軒先に吊るされた豚の干し肉や、どこかで獲れたのであろう鹿肉を楽しそうに見つめている。
「任せるよ、なんだって美味しいから」
「まぁ。ではたまには生肉でも使いましょうか」
「そうだな……。干し肉は少し飽きてきたな」
その言葉を聞いてアルカは意外そうな表情を浮かべた。
「そうですか。あまり食に執着はないのかと」
「毎日、くすんだ黒パンじゃぁ飽きもするさ」
「私のご飯が美味しくないと?」
ノアールの真意もすべて分かった上でアルカはわざとらしくそんなことを聞く。彼は、全てを理解したうえで首を振って人差し指で彼女の額を弾いた。
「もう。お兄様はいつも素直じゃないんですから」
二人の、穏やかな日常。
島の地中にある広大な空間。その端には無数の工場が立ち並び工業地帯を形成する。それらを区切るように川が流れ、東西南北に橋が渡されている。そして、その橋の手前には天井まで続く高い塔がそびえる。
中には昇降機があり、出る物を管理するかのように衛兵が立つ。ノアールは懐から身分証を取り出し、それを通過すると、昇降機に乗って地上へと出た。
一気に上層を流れる空気が彼らの肌を撫で、髪を揺らす。
「すこし、寄り道しようか」
ノアールはそんなことを言うと学園とは反対側、島の外縁に向かった。
「あ、待ってください!」
その後ろをアルカは慌てたように追う。10分ほど二人が歩くと小さな公園に出た。島の本当の意味で最端に設けられたそれは眼下に広がる雲海を一望できる。
「キレイ、ですね」
丁度、朝日が視線を少し上げたところにある。陽気を浴びた雲は温かく光を反射させる。
視線から少し上げればいくつもの気球が島の周りを漂っている。その光景を前に、アルカは目を輝かせる。平静を装っているが彼女の様子を見れば内心は一目瞭然だ。
(連れてきて、よかった)
ノアールはほっと胸をなでおろすと彼女に向かってほほ笑んだ。
ふと、視線の端の雲の切れ目が赤く燃えているように見えた。脳裏に頭痛がよぎり、思わず目を閉じる。その瞬間、瞼の裏に激しく燃え盛る嫌な紅色の光が蘇る。
雲の下、まだこの世界の不条理を知らなかった頃。いや、その夜世界の理不尽を知った。安息の地であった場所は醜く穢され、ほんのわずかな幸せも踏みにじられた。
熱で歪む視界の中、炎を背に何者かの人影が立っている。ただ、助けを求める声は屋根の崩れる音と共に、かき消された。
「二人で、絶対に。成り上がろうな」
あの日、雲の下で失ったものを取り戻すために。
3万年ぶりくらいになろうに投稿します!
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