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第20話 想いが通じ合って



「エミーリア――君が好きだ」


 その言葉が耳に落ちた瞬間、心臓がどくん、と跳ねた。


 跳ねたというより、胸の奥で重い鐘が鳴ったみたいに、身体の中心が揺れた。


(好き、だなんて……)


 そんなふうに言われる日が、私に来るなんて。


 私はさっきまで、ルシアン様の過去の話を聞いていた。


 加護無しであること。

 父親に暴力を振るわれていたこと。

 期待と失望と、暴力と。


 それでも歪まずに立ってきた理由。


(支えたい)


 ずっと思っていたことだけど、さらにそう思っていたところだった。


 同情なんかじゃない。

 ただ、隣にいたい。


 この人が一人で背負ってきたものを、これからは二人で持ちたい――そんな気持ちが、喉の奥までせり上がっていた。


 ルシアン様は私を見て、少しだけ視線を落としてから続けた。


「君は……俺にとって、かけがえのない存在だ」


 言葉は少ない。

 いつも通り、飾りはない。


 それなのに、その一言で胸の奥が熱くなる。


「君の笑顔が見たい……笑顔を守りたい。そう、思う」


 守りたい。

 そんなこと、今まで誰も言ってくれなかった。


 私は息を吸い込むのを忘れて、ただ彼の顔を見つめた。


 灰色の瞳は揺れない。

 ただ――まっすぐ、本音を話している目だ。


「君が精霊が見えるかどうかは、関係ない」


 ルシアン様は淡々と続ける。


「……俺は、君に好意を持っていた。最初から全部ではないが、少しずつ」


 頬が、熱い。


 私の方が先に好きになったと思っていたのに。

 知らないところで、同じだけ近づいていたのだと思うと、胸が忙しくなる。


「それに……秘密を打ち明けてくれたことで、信頼してもらえていると感じた」


 彼は少しだけ眉を動かす。

 照れたのかもしれない。


「嬉しかったよ」


 その一言が、とてもルシアン様らしくて。

 私は思わず、笑いそうになってしまった。


「政略結婚だった……だが」


 ルシアン様はそこで一瞬、息を整えた。


「君と――愛し合えたら、幸せだと思う」


 どくん。

 さっきより強く心臓が跳ねた。


(愛し合う……)


 言葉の意味が、胸の中でゆっくり形になる。

 全部が一緒に押し寄せて、喉が震えた。


『おめでとう』

『よかった』

『エミーリア、にこにこ』


 精霊たちが、私の肩のあたりでふわふわと光って揺れる。

 嬉しそうな声が、背中を押す。


 私は、やっと声を出した。


「……私も」


 小さすぎて、自分でも聞こえない気がした。

 だから、もう一度。


「私も……辺境伯家に嫁いで、良かったと思います」


 ルシアン様の瞳が、僅かに柔らかくなる。


「最初は……怖かったです」


 言いながら、あの日の馬車を思い出す。

 死地だとか、冷徹だとか。

 噂の言葉を握りしめて、震えていた私。


「どういう場所かも、ルシアン様がどんな方かもわからなくて……」


 でも、知るたびに変わっていった。


 城下町の穏やかな空気。


 民の活気に満ちた顔。

 兵士たちの真面目さ。

 領地を守ろうとする、本気の背中。


「知るにつれて……辺境伯領が、とてもいい場所だってわかりました」


 そして――。


「何より……ルシアン様が、尊敬できる方で」


 そう言った瞬間、ルシアン様の喉がわずかに動いた。

 照れているのだろうか。


 彼が照れると、ほんの少しだけ目を逸らす。

 その癖を、私はもう知っている。


「こんなに優しくて……かっこいい方が、私の結婚相手だなんて……」


 言いながら、頬が熱くて仕方ない。

 恥ずかしい……でも、嘘じゃない。


「信じられない、って思いました」


 ルシアン様は無言で私を見ている。

 耳の先が少し赤い気がして、私はさらに恥ずかしくなる。


(ああ……)


 嬉しい。

 私は、つい笑ってしまった。


「それに、お慕いしているルシアン様から、そんなことを言われて……」


 胸の奥がきゅっと縮む。


「私に、こんな幸せなことが起きていいのか……不安になるほどです」


 自嘲するように、そう言って笑った。


 するとルシアン様は、即座に首を振った。


「そんなことはない」


 言い切って、彼の手が伸びる。

 大きな手が、私の手を取った。


 指先が温かい。


「君は……幸せになるに値する女性だ」


 その言葉は、胸の奥にすとんと落ちた。

 否定の余地がないくらい、真っ直ぐだった。


「むしろ、幸せにならなければならない」


 ルシアン様は少しだけ眉を寄せる。


「俺が、幸せにしたい」


 私は、息を呑んだ。

 視界が滲む。


(また……泣いてしまう)


 泣きたくないのに、涙が勝手に浮かぶ。

 でも、今度は恥ずかしさより、温かさが勝った。


「……はい」


 声が震える。

 それでも、はっきり言いたい。


「私も……ルシアン様と一緒なら、幸せになれます」


 涙の向こうで、彼の表情が柔らかくなる。


「もう、幸せです」


 そう言って笑おうとしたら、涙が頬を伝った。

 それでも笑った。


 たぶん、今までで一番、素直な笑いだ。


 ルシアン様が、少しだけ身を寄せた。

 近づく気配に、私の心臓がまた跳ねる。


「……エミーリア」

「……ルシアン様」


 名前を呼び合っただけなのに、距離が縮む。

 彼の指が、まだ私の手を握っている。


 そのまま、もう片方の手が私の頬に触れた。

 指先が涙の跡をなぞる。


 温かくて、優しくて、怖さが溶ける。


 私は息を止めたまま、目を閉じた。


 唇が重なる。


 最初は、軽い。

 でも次の瞬間、少しだけ深くなった。


 逃げないように、でも無理はしないように――そんな加減。


(……好き)


 唇が離れたとき、息が乱れていた。

 ルシアン様も、少しだけ息が熱い。


 私は恥ずかしくて、でも笑ってしまった。


「……好きです」


 言ってしまって、頬がさらに熱くなる。


 ルシアン様も、珍しく言葉を重ねる。


「俺も、好きだ」


 お互い同じ言葉を言って、ふっと笑ってしまう。

 笑って、また恥ずかしくなって、でも嬉しい。


 そのまま、ルシアン様が立ち上がった。

 そして――私の身体がふわりと浮く。


「……え」


 横抱きにされた。


 驚きで目を見開くと、彼は少しだけ困ったように眉を動かす。


「すまない……歩けないわけではないだろうが」

「い、いえ……!」


 否定が早すぎて、自分でも可笑しい。

 でも、嬉しい。


 抱えられる腕がしっかりしていて、守られている感じがする。


 ベッドに降ろされる。

 ふかふかの寝具が身体を受け止めた。


 ルシアン様は私の上に覆いかぶさらない。

 横に座って、私の髪をそっと撫でる。


 そして、低い声で尋ねた。


「……いいか?」


 その一言で、意味が全部伝わった。

 胸が跳ねる。


 怖い、というより、緊張で息が詰まる。


(これは……)


 私の身体が硬くなるのを、彼は見逃さない。

 だから、すぐに言った。


「嫌なら、やめる」


 その言葉が、安心をくれた。

 逃げ道をくれるのが、嬉しい。


 私は唇を噛み、目を逸らしたくなるのを堪えて、彼を見た。

 灰色の瞳は真剣で、優しい。


 私は小さく頷いた。


「……はい」


 ルシアン様は、ほっとしたように息を吐いた。

 それから、私の額に短くキスを落とす。


「――優しくする」


 囁きは、熱いのに丁寧だった。


 ――その夜のことを、私は全部は覚えていない。


 覚えているのは、恐怖がなかったこと。

 痛みが来そうになるたび、彼が止まってくれたこと。


 確かめるように名前を呼んでくれたこと。


 私は何度も頷いて、何度も息を吐いて――そのたびに抱きしめられたこと。


(……愛し合うって、こういうことなんだ)


 そう思った。


 ――翌朝。


 目を開けると、身体が温かかった。

 背中から腕が回されていて、私は抱きしめられたまま眠っていた。


(……昨日)


 思い出した瞬間、顔が熱くなる。

 恥ずかしい。


 でも、それ以上に、胸が満たされていく。


 私はそっと身じろぎして、彼の腕の中の温度を確かめた。


 そのとき、ルシアン様の呼吸が変わった。

 目がゆっくり開いて、視線が合う。


 灰色の瞳が、朝の光を映している。


 彼は、ほんの少しだけ笑った。


「……おはよう」


 その声が柔らかくて、私は胸の奥がきゅっとなる。


「おはようございます……ルシアン様」


 彼は私の髪を撫でて、短く言った。


「……いい朝だな」

「はい……とても、幸せな朝です」


『あさ』

『しあわせ』

『にこにこ』


 精霊たちが、窓辺でふわふわと光った。


 その光の中で、私はもう一度だけ思った。


(この人と一緒なら――私、ちゃんと幸せになれる)




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