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11~12 Side Tsukasa 02話

 コーヒーは飲めない。ハーブティーじゃ糖分摂れない……。

 リビングでは栞さんが電話を切ったところだった。

「昇さんですか?」

「そう。元気そうだったわ」

 栞さんは嬉しそうに笑う。

 昇さんは栞さんの旦那さんで藤宮病院の外科医でもある。今はスキルアップのため、アメリカに留学中。

 栞さんが柔和な印象だとすれば、昇さんは切れ味抜群のメスのような人。けれども、栞さんといるときだけはバターナイフのように角が取れる。

 俺も将来は外科医になりたいと思っていた。それはほかでもない昇さんの影響。でも、最近は循環器内科や心臓外科、血液内科なんてものも考える。それはひとえに翠の存在がそうさせていた。

「司くんはどうしたの? コーヒー?」

「俺が、というよりは翠に。そろそろ糖分摂らせたほうがいいと思うので……。でも、翠に飲ませるとしたら何がありますか?」

「それならココアにしましょう」

 栞さんがソファを立ち、キッチンへと入ってくると、小さいカップと普通のカップを取り出した。

 別に同じ大きさのカップがふたつないわけではない。どのカップも六客ずつ揃っている。

 じっとカップを見ていると、

「あ、カップ?」

 と、栞さんに訊かれる。

「はい……」

「翠葉ちゃんね、牛乳は少ししか飲めないの。乳糖を分解する酵素が少なくてお腹壊しちゃうのよ。だから、百五十ミリリットル以上は飲まないようにしているの」

 そう言いながらミルクパンで牛乳をあたため始める。

「自宅にいるときは乳糖を分解してある牛乳を用意しているんだけど、今日は用意してないのよね」

 と、自分の失態のように口にした。

 本当に、なんだかんだと制約が多い。

「……支えになってあげてね?」

 真っ直ぐと向けられたのは優しい眼差し。

「……自分になれるのなら――」

 そうとしか答えることができなかった。

「私、あの子が幸せになれるのなら、相手は秋斗くんでも司くんでもいいの」

 言いながら、にこりと笑ってカップを載せたトレイを渡された。


 翠の部屋に戻り、

「はい、そこまで」

 最後の記入を済ませた答案用紙を取り上げ、ココアを差し出す。

「ありがとうございます……」

 飲み物を飲むときの翠の癖。

 目を閉じて、立ち上る湯気から匂いを堪能し、少し頬を緩ませる。そうしてから目を開け、カップに口をつける。

 何度となく見ていて気づいたこと。その、表情が緩む瞬間が少し好きだ。

 そんな顔をしている分には多くの制約の中で生きているなんて全く思わせないのに……。

 翠は強いのか弱いのか――それすらもわからない。

 答案用紙に目を通し、

「これなら九十五点くらいはいけそうだな。問題は英語か……」

 時計を見れば十時半。

「翠、いつも何時に寝てる?」

「テスト勉強のときはだいたい一時くらいまでです」

「じゃ、十二時半までがんばって」

 午前様になるのはどうかと思った。けど、中途半端に終わらせるのは嫌だった。それに最後に残っているのは一番のネックでもある英語だ。

 先ほどと同じように英語のルーズリーフを暗記するように、と差し出す。

 翠はというと、ペース配分がつかめてきたのか、先ほどとは目の通し方が変わっていた。

 古典と同じことを三回繰り返し、用意してきたすべての問題を解き終わったのは十二時半過ぎ。

「終わり」

 声をかけ答案用紙を取り上げる。と、翠は不思議そうに俺を見ていた。

「もう終わりですか?」

 どうやら、次のルーズリーフを渡されないことを不思議に思ったようだ。

 俺は時計を指して、時刻を知らせる。と、

「あ、十二時半……」

「割とできてた。前回課題を見たときよりも多少はいい。これなら九十点は取れると思う」

「良かった~……」

 と、ラグの上に転がる。それはもうこれ以上ないくらい無防備に。

 これは普通なんだろうか……。男とふたりの部屋でこういうの、普通なんだろうか。

 誰の普通が何かはともかく、翠にとってこれが普通なのだとしたら、ますますもって心配になる。

 秋兄の家でもラグに転がったりしてたわけじゃないだろうな……。

 そうは思いつつ、自分の神経を逸らすために解答用紙と問題用紙をまとめる。

「よくこのペースについてこれたな。海斗はこれをやると途中でぐれる」

 翠はクスリ、と笑った。

「なんとなく想像ができます。私は耐性があっただけ」

「耐性?」

「はい。司先輩以上のスパルタを知ってるんです」

 ……俺以外で翠に容易く近づける人間なんてそういない。

「それ――普段なら絶対にあり得ないって思うんだけど、まさか御園生さん?」

 翠はゆっくりと身体を起こし、

「ピンポン!」

 と、軽快に人差し指を立てた。

「高校受験のときは蒼兄が家庭教師になってくれたんです。そのときが一番つらかったからこのくらいはまだ大丈夫」

「……変な兄妹」

 本音だった。

 普段は極甘な御園生さんのスパルタなんて想像ができない。でも、考えてみれば翠は一年の療養期間を経て藤宮に入ってきたのだ。それくらの努力はしないと無理だっただろう。

「じゃ、俺帰るから」

 俺が立ち上がると翠は玄関まで見送りにきた。

「遅くまでありがとうございました」

 八時から今の今までふたりだったというのに、訊きたいことは何ひとつ訊けていない。

 ドアに手をかけ翠を振り返る。

「今日、秋兄と本当に何もなかった?」

 翠は少し驚いた顔をしたものの、

「え? ……とくには何もなかったと思うんですけど」

 目をじっと見ても泳がない。血色の悪い頬も白いまま。

「ま、何かあればこんな普通にしていられないか……」

 つい笑みが漏れる。

 ドアを開けると、「じゃ」と簡単に別れを告げた。


 ポーチを出て、表通路から空を見上げる。

 明日は晴れるな……。

 空に雲はなく星が見えている。この時間なら星が見えると気づいた瞬間。

 帰宅時間は回りが明るすぎて星など見えないが――。

「俺、何やってるんだか……」

 姉さんの家に帰ると、早寝早起きの姉さんがまだ起きていた。

「おかえり」

「ただいま」

「で?」

「は?」

「収穫は?」

 姉さんが口端を上げてにやりと笑う。

 自分の顔を見ているようで本当に最悪……。

「秋兄とは何もなかったみたい」

「へぇ、良かったわね?」

「別に……」

「無理しちゃって。あんた、このままでいいの? 秋斗に取られちゃうわよ?」

 面白そうに訊いてくる同じ顔がムカつく……。

「もう寝るから」

 言って、自分へとあてがわれている部屋のドアをパタンと閉めた。

 翠は気づいただろうか。英語の答案用紙に記した走り書き。

 ――「不安なものがあれば、テスト開始と同時に問題用紙に文法を書き込むこと」。

 それさえすれば、翠は間違いなく満点を採れる。

 伊達に海斗の勉強を見てきたわけじゃない。何が足りていて何が足りてないのかくらいはわかる。

 自分のことではないのに、テストの結果がひどく楽しみなものに思えた。


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