公爵令息ヴィルヘルム⑤
◇続・ヴィルヘルム視点
衝立の陰に入ってまもなく扉が開き、伯母上とロレッタが入ってきた。衝立の継ぎ目にはわずかな隙間があり、そこから部屋の様子がうかがえる。
「あなた、何のご用? 帰ったばかりで着替えもまだですのに」
「お父様、見て。夜会のドレス、とっても素敵な生地にしたのよ」
伯父上はふたりを長椅子に座らせ、自分は立ったまま卓の上の書状を手に取った。
「公爵閣下から書状が届いた。ロレッタの処遇についてだ」
「処遇ですって?」
伯母上が眉をひそめる。ロレッタのほうは、ドレスの話を遮られたのが不満らしく、小さく口を尖らせていた。
伯父上は書状に目を落とし、一文ずつ区切るように読み上げていく。明後日にはロレッタは領地へ発ち、向こうの屋敷で蟄居すること。社交は一切許されず、公爵家の許しがない限り、王都へは戻れないこと。
初めのうち、ロレッタはきょとんと父親を見上げているだけだった。蟄居という言葉のところで、膝の上で組んでいた指がほどける。王都へは戻れないと聞くころには、口が半分開いたまま動かなくなっていた。
伯父上は構わずに続けた。侍女は紹介状なしで暇を出され、王都からも追われること。伯爵家でも二度と召し抱えないこと。
読み終えた書状は、たたまれて卓の上に戻された。
「なんですって!?」
真っ先に声を上げたのは伯母上だ。
「蟄居? ロレッタが? この子が何をしたというの。イレーヌが階段から落ちたのは、自分で足を滑らせたからでしょう!」
「その件については夫人は不問にしておられる。ロレッタは侍女に言いつけてアデライン嬢を偽って呼び出させ、そのうえ偽りの証言までさせた。公爵夫人の前でだ」
「そんなもの、侍女が勝手にやったことに決まっています。ねえ、ロレッタ」
「ええ、お母様。わたし、何も知らないわ。あの子が勝手に聞き間違えて、勝手に見間違えたのよ」
「……その侍女は今朝のうちに、すべてお前に言いつけられたと白状した」
ロレッタは黙り込み、やがて両手で顔を覆って肩を震わせはじめた。
「ひどいわ、お父様。わたしよりそんな侍女の言うことを信じるの?」
「信じるも何も、公爵家がすでに裁断を下している。私はそれを伝えているだけだ」
伯父上の声は少しも揺れない。泣き声を上げながら身体を寄せてきた娘の背を、伯母上が抱き寄せる。伯父上に向けられた伯母上の目は、ひどく冷ややかだった。
「この子は公爵家の血を引いているのよ! 公爵令嬢だったわたくしの娘なの。伯爵家の人間が、軽々しく蟄居だなんて口にしないでちょうだい」
伯母上が激昂し、伯父上に罵声を浴びせる。
伯母上の援護を受けて、ロレッタが顔を上げる。その頬は濡れていないように見えた。
「そうよ。あんな地味な子より、わたしのほうがずっとヴィルヘルム従兄さまにふさわしいわ。おば様だって、もとはただの伯爵令嬢じゃない。何を言われてもにこにこしているだけのお人形だったくせに、昨日は急に偉そうにして」
「ロレッタ、止めなさい」
伯父上が、このとき初めて声を強くした。
「お前は伯爵令嬢だ。母親が元公爵令嬢であろうと、それは変わらない。今の公爵家の夫人はイレーヌ様で、お前とは格が違う。その方の前で侍女に嘘をつかせたんだ。お前がしたのは、そういうことだ」
「お父様にそんなこと言われたくないわ。お母様の言うことなら、何だって聞いてきたくせに!」
伯父上は、それには何も言い返さなかった。
言っても無駄だと思ったのかもしれない。
衝立の向こうから聞こえる声が、僕が守ろうとしてきたもの。そう思うと、恐ろしくなる。
「ヴィルヘルム従兄さまだって、わたしの味方よ。わたしが泣けば何でも信じてくれるもの。弱い子は守らなきゃいけないって、いつもそう言っていたわ。ヴィルヘルム従兄さまからお願いしてもらえば、きっとなんとかなるわ」
弱い者は強い者が守るべきだと、僕は何度もロレッタの前で口にしてきた。ロレッタはそれを聞いたうえで、僕の前では弱い娘を演じていたのだ。
(僕が、見ていたものは……)
僕は衝立の陰から出た。
「えっ」
振り向いたロレッタが、僕を見て固まる。伯母上は息を呑んでいた。ロレッタの目はすぐに潤みはじめ、そのまま僕のほうへ駆け寄ってくる。
「ヴィルヘルム従兄さま。違うの、今のは、お父様があんまりひどいことを仰るから、わたし、どうしていいかわからなくて」
袖に縋ろうとする手を避けて、僕は一歩下がった。
「ひどいわ、従兄さま……っ」
ロレッタはその場にしゃがみ込み、しゃくり上げはじめる。えぐえぐと喉を鳴らしては僕の顔を見上げ、また両手で目元をこする。昨日までの僕なら、すぐに隣に膝をついて背中をさすっていたはずだ。
その姿を見下ろしたまま、僕は動けずにいた。
ロレッタとは幼いころから顔を合わせてきた。僕の後ろをついて歩き、転べば泣いて、手を引いてやるとすぐに笑う子だった。妹のようなものだと思って、ずっとかわいがってきたのに。
その同じ顔で、さっきまでアデラインを地味な子と言い、母様をお人形と呼んでいた。
僕はこれまで、この子の何を見てきたんだろう。
昨日、ロレッタが目眩を起こしたとき、母様は慌てもせずに医者を呼ぶと言った。
ロレッタが遊びに来るたび、母様はいつも少し困ったように笑っていた。もしかしたら母様は、ずっと前からロレッタの本性に気づいていたのではないか。僕がロレッタをかわいがっていたから、言えずにいたのではないか。
「ロレッタ。今の話は全部聞いていた。今更だ」
「まあヴィルヘルム、あなたならわかってくれるわよね。この子はまだ子どもなのよ」
伯母上がとりなすように口を挟む。
僕は呼吸を落ち着かせ、彼女たちを見据えた。
「子どもでも、してはいけないことはわかるはずです。ロレッタは侍女に嘘をつかせて、アデラインに罪を着せようとしました。僕から異を唱えるつもりはありません」
しゃくり上げる声が止んだ。ゆっくりと立ち上がったロレッタの目は、泣きはらしたはずなのに赤くもなっていない。
「後悔するわよ、ヴィルヘルム」
伯母上は僕をにらみつける。
「もうしています。ロレッタの言うことだけを信じてきたことを」
伯母上が言葉に詰まったところで、伯父上が呼び鈴を鳴らした。すぐに侍女たちが入ってくる。
「ロレッタを部屋へ。出立までは、部屋から出ることを許さない」
「お従兄さまぁ、ちがうのっ」
「……」
侍女たちに腕を取られてもなお、ロレッタの目は最後まで僕に向けられていた。それを見て、首を振る。
「こんなこと、わたくしは認めません! マクシミリアンがこんな書状を書くなんて、誰かが吹き込んだに決まっています。イレーヌが何か言ったのでしょう」
「公爵夫人は、ご自分が足を滑らせたことにされたそうだ。本来なら、この程度では済まない話だった」
「あなたが公爵家のことに口を出さないで!」
僕をひとにらみして、伯母上は娘のあとを追っていった。
しばらくの静寂の後、椅子に座り直した伯父上は、しばらく扉のほうを見てからぽつりと言葉を零す。
「妻は公爵家から嫁いできた人だ。家格を思えば、多少のことは仕方がないと思ってきた。娘があのように育っていくのも、見ないふりをしてきた」
僕に向き直り、伯父上は頭を下げる。伯母上は公爵家に固執しているように見えた。
もしかすると、ロレッタを通じて再び公爵家と縁づこうと思っていたのかもしれない。
「伯父上。今日はありがとうございます。僕はまだ未熟で、これから研鑽を積みたいと思います」
僕も同じだ。いい気になって、正しいつもりでいた。そのことをひどく恥じた。




