プロローグ 入学式の日に
それは、高校に入学したその日のことだった。今でもその光景を鮮明に思い浮かべることができる。
入学式が始まる前、俺たち新入生は男女入り交じってのあいうえお順で、体育館に続く外の通路に並ばされていた。
一クラスずつ体育館の中に入って椅子に順番に座るよう指示されていたが、前のクラスが手間取っているのか、俺たちはなかなか中に入ることができずに通路に立ちっぱなしにさせられた。
先生たちは、『私語は慎むように』って俺たちに釘を刺していたが、そんな注意は必要なかった。なぜなら皆、顔見知りが近くにいないのか、黙り込んだままだったからだ。
しばらくして列が進みだしたので、俺はほっと息を吐きながら、一歩前に踏み出そうとした。が、前の女子が動かなかったので足を止める。彼女の前が少しずつ空いていく。
彼女は体育館の脇、すぐそこにある桜の木を眺めているようだった。枝が四方に大きく広がり、俺たちの頭上近くにまで伸びている。見とれるのも無理はないか、と思えるほど、満開の桜は誇らしげに咲いていた。
とはいえ、そのままでいるわけにもいかない。俺が前の子の背中に呼びかけようとしたその瞬間。
目の前にひらりと桜の花びらが舞った。俺は声を掛けようとしたのも忘れ、思わず視線を頭上に移す。
視界いっぱいの、花びら。
「うわっ」
「きれーい」
黙りこくっていた新入生たちが、一斉に声を上げた。
桜吹雪。舞い散る花びらが俺たちに降り注ぐ。それは、俺たちの入学を祝うかのようだった。
嘘だろう。俺は呆然として、その光景を見つめた。……風も、ないのに。
いや、まったくの無風というわけではなかったかもしれない。さわさわと花を揺らす程度の風ならあったかもしれない。でも少なくとも、あんなにたくさんの花びらが一度に散るほどの風は、なかった。
皆、桜を見上げて両の手の平を前に差し出したりしている。今日初めて顔を見るのだろうに、互いに髪や肩についた花びらを、笑顔で取り合ったりもしていた。
綺麗な光景に目を奪われて、誰もそのことには気付いていないのだろうか。それとも、俺だけが風を感じなかったのだろうか。
目の前に視線を移すと、俺の前にいた彼女は口の端を少しだけ上げて微笑んでいた。
そして誰にもわからないくらい小さく、頭を下げる。桜の木のほうへ。
「なにを騒いどるんじゃ、早う中に入れ」
担任の先生の声がして、彼女は小走りで前に進む。俺も慌ててそのあとに続いた。
体育館の中に入って、折り畳み式のパイプ椅子に座って、入学式が始まって、長々とした校長先生の話の最中も、俺の頭の中はさっきの光景でいっぱいだった。
ちらりと横を盗み見ると、彼女は少し俯きがちに、きちんと膝の上に手を組んで静かに腰掛けていた。
ええと、か、川……川内。そうだ、川内。式の入場のために並ばされたときに、確か担任の先生がそう呼んでいた。
どこにでもいる普通の子。真っ黒でまっすぐな髪を肩のすぐ下あたりまで伸ばしている。太っているわけでもなく痩せぎすなわけでもない。身長が高いわけでもなく低いわけでもない。どちらかというと、印象の薄い部類に入ると思う。
でも俺の中で彼女は、その光景とともに強く印象付けられた。
しかし、それから彼女と親しく話をしたりすることはなかった。入学して一年が過ぎても。偶然にも二年に進級して同じクラスになっても。なにか用事のあるとき以外は、特に言葉を交わすことはなかった。
いつも変わらず出席番号は前後なのに。




