PART FINAL 受け継がれる命
空が天国に行った――その知らせは、SNSを通じてお父さんから俺のところに送られてきた。
ちょうど、その日の練習を終えてバンドメンバーと別れ、ひとりになっていた時のことだった。周りに誰もいなかったのは、幸いだったかもしれない。
悲しみとか、他にもいろんな感情が込み上がってきたけど、お父さんからのメッセージの最後の一文に視線が釘付けになった。
――どうか、もう一度お会いできないでしょうか。
俺はすぐに返信し、予定を組んでもう一度空の家を訪問した。
空に会いに行った時と違ってメイクもせず、服装も普段着のままだった。
仏壇に飾られた空の写真に線香を上げ、両手を合わせた。そのあとで、俺はお父さんに促されて今のソファに腰を下ろした。
「眠るように、空は旅立っていきました」
俺と視線を合わせて、お父さんは語った。
「誠に残念です、お悔やみを……」
言葉が見つからなくて、そう返すのが精一杯だった。
他に、俺に何が言えただろうか。
「そうだ、ちょっと待っていてください」
そう言うと、お父さんは席を立った。
どうしたのか? 怪訝に思っていると、すぐにお父さんは仏壇の前に置かれていたギターを手に持って戻ってきた。
あれは……空がプレゼントされた、俺と同じモデルのギターだ。
「このギター、どうかあなたがお持ちになっていただけませんか?」
「えっ……?」
予期せぬ申し出に、俺は目を丸くした。
もちろん、頷くことなどできない。
「いえ、あの、そのギターは……!」
「ええ、わかっています」
俺の言おうとしたことを見通したように、お父さんは俺の言葉を遮った。
「このギターは、私が空に贈ったもの……あの子の命そのものです。だけど、あなたは娘のヒーローだった。憧れだった……あなたがいたから、あなたが空の願いを叶えてくれたから……娘は病気も何も恨まず、最後まで懸命に命を燃やして戦い抜くことができたんです」
お父さんの瞳が、涙に潤み始めるのが見えた。
「きっとあの子は、ずっとあなたと一緒にいることを望むと思います。そして、どうか……」
こぼれた涙が頬を伝い、テーブルに落ちる。
「空のことを、忘れないでください……!」
お父さんは、それ以上は何も言わなかった。
俯き、涙声を漏らす彼の肩に、俺はそっと触れた。
「忘れませんよ、絶対に……忘れません……!」
◇ ◇ ◇
峻が大好きすぎる女の子、天国へ――。
そのニュースは新聞に載り、テレビでも報じられた。ネットのニュースでも話題になった。
それほどまでに、世間は空のことを認知していたのだ。幼いながらも懸命に戦い続ける彼女の姿は、多くの人の目に留まっていたのだろう。
Meteor Shower Fesが開幕した。
それは俺達がかねてより出演が決定していた、日本で開催される音楽フェスの中でも有数の規模を誇る音楽祭だ。
会場であるアリーナには数万人の観客が集結し、歓声を上げていた。そこまではいつものライヴと変わりなかったのだが、いつもとは違う点がひとつあった。
ステージの中央に、1本のギターが高々と掲げられていたことだ。
『ごきげんよう、諸君!』
ステージに出た俺は、マイクを通じて観客に呼び掛けた。
メイクを施し、黒い衣装なのはいつもどおりだった。しかし今日は、俺はギターを提げていなかった。
『Meteor Shower Fesに出られることはとても嬉しいし、光栄だ。だけど、今日はその前に少し……お前たちに話がある』
俺は手の平で、ステージの中央に掲げられたギターを差した。
『ここに集まっているお前たちなら、このギターのことは知っていると思う。このギターが誰のものだったのかも、このギターを抱えていたあの子のことも……』
会場から歓声が止み、ざわめきが静かになっていく。
『先週、俺たちは……』
空の笑顔が頭に浮かぶ。
ネットで顔を見ることはしょっちゅうだったが、直接会ったのはたった1度だった。それでも、あの子の笑顔や強さは、俺の頭にしっかりと刻み込まれていたのだ。
だから、すでに涙が浮かんじまう。
『“家族”を失った……』
声にまで、涙が混じっちまっていた。
強烈なキャラを売りにしてるのに、ライヴの場で泣いちまうなんて前代未聞だ。
だけど、言葉を止めるわけにはいかなかった。言わなければならないのだ。
『俺たちの曲を好きだと言ってくれた時点で、俺たちのファンだと言ってくれた時点で……空は俺たちの家族だった。つまり、あの子は今ここに集まっているお前たち全員の家族でもあるんだ』
数万人も集まっているのに、誰も声を上げず……会場内は、信じられないほどに静かだった。
ここにいる全員が同じ痛みを、同じ悲しみを分かち合っていることが伝わってきた。
『お前たちに頼みがある。ここに集まっている全員で、空の死を悼み……黙祷を捧げたい。頼んでもいいか?』
声は、やはり上がらなかった。
しかし、多くの観客が頷いた。
『よろしく頼む、黙祷……!』
照明の光度が下げられ、観客も、スタッフも、それに俺たち全員も黙祷する。
女性がすすり泣く声が聞こえてきた。もしかしたら彼女も、幼い子を持つ母親なのかもしれない。
『ありがとう』
黙祷は20秒ほど続き、俺の一声で終了した。
すると、どこかからか、その声が発せられた。
「空! 空!」
空の名を呼ぶコールは、たちまち周りにも広がっていき、やがて手拍子とともに大合唱が巻き起こった。
『空! 空! 空! 空! 空! 空! 空! 空! 空! 空!』
数万人によって織り成された大合唱と手拍子は、アリーナの隅々を満たし、天井を突き抜けそうなほどの熱量を帯びていた。まさしく圧巻で、天国にいる空にまで届いていると確信が持てるほどだった。
同じ悲しみを分かち合っていた観客たちは、今度は皆一様に空を称えていたのだ。
『ひとつ……お前たちに質問ができた』
会場内を見渡しながら、俺は告げた。
合唱と手拍子は止み切らなかったが、別に構わない。
『今もそうなんだが……俺は悪魔としてやってはならないことをやってしまった。それは、涙を流すということだ。悪魔は、人の魂を頂くために存在している。人の死を悼むなんてもってのほか、ましてや人のために涙を流すなんて、悪魔として失格だ……』
涙を流したことで、これまで培ってきた俺のイメージは台無しになってしまったことだろう。
しかし、それでも。
『だが、そんなことを言い訳にして立ち止まったら……それは空に対する裏切りだ! 最後まで命を燃やして戦い抜いたあの子に対する裏切りであり、冒涜だ! だから俺は、このライヴを死ぬ気でやり遂げなきゃならねえ!』
自分自身に言い聞かせるように、俺は叫んだ。
『お前ら、俺について来てくれるか!』
会場内が歓声に沸き立った。
『俺と一緒に叫ぶ準備はいいか!』
より強い歓声がアリーナ中を満たす。
あまりの迫力と、観客たちの団結に、思わず圧倒されそうだった。だが、怯んでいる暇なんかない。
『ありがとう!』
俺はマイクをスタンドに収め、横を向いた。
――ステージの上に、俺の隣に空が立っていた。
しかしその姿は薄れゆき、そこには代わりに彼女のギターが置かれていた。
覚悟を決め、俺はそのギターを……『空の命』を手に取り、ストラップを提げた。
演奏の準備を整え、再びマイクの前に立つ。
『この曲は空を見捨てた神と、あの子の命を奪った本物の悪魔に対する報復の狼煙だ!』
バンドメイトが、演奏開始の前兆であるギターを鳴らす、それは準備完了の合図でもあった。
俺は心置きなく、オープニングナンバーのタイトルを叫んだ。
『RESISTANCE TO GOD!』
ドラムのカウントに合わせて、俺は空から受け継いだギターをぶち鳴らし、思いっきりシャウトをかました。
ギターの音は空の叫び声がごとく、アリーナ中に届き渡った――。
◇ ◇ ◇
本当は優しすぎる悪魔に、数万人が泣いた。(10代男性)
悪魔が人を助けて何が悪い。悪魔が人の死を悼んで何が悪い。悪魔が涙を流して何が悪い。(20代男性)
会場で峻の言葉を聞いていたが、本当に涙が止まらなかった。涙を流すことは、悪魔には禁忌なのかもしれない。だけど峻、これだけは忘れないで。君が見せたのは決して『弱さ』じゃない、『優しさ』なんだ。君のファンでいてよかったと、みんなが心から思っているよ。(30代男性)
私にも、7歳になったばかりの娘がいます。ひとりの人間として、母として、あなたに心からお礼を言いたい。空ちゃんの夢を叶えてくれてありがとう、峻。あなたは最高の悪魔です。(30代女性)
大切な人を失う痛みは、生涯癒えることはないのでしょうが、わずかに希望が見えてきました。
痛みや悲しみを抱きながらも前を向き、歩み続けること。悪魔に、それができるのなら。
私たちにできないはずは、ありません……。