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シロユキ  作者: miyanko
8/11

第8章 未完成の絵

「ちょっと寄り道していこう」

不意にシロユキが言った。

「これから先は長いんだ。ちょっと休憩しよう」

「どこで?」

「ここから少し道を外れるんだけどね、川が流れてるところがあるんだ。川の水は冷たくておいしくて、きれいですごいいい場所なんだ」

「ホント?行きたいわ。ちょうど喉がカラカラだったの」

シロユキはまっすぐ続く太い道から外れた、右手に続く細い道を進んだ。美紀もそれについていった。しばらく進むと水の音が聞こえてきて、そしたらすぐに川が見えた。

「うわぁ」

川の前まで来たときに、美紀は思わず口に出した。でも、それ以上の言葉が出てこなかった。木々の隙間から差し込む光が水の上で輝いていた。川の水は澄みきっていて、魚が泳いでいるのがはっきり分かった。美紀はしばらく、せせらぎを聞きながら、その川の流れに見とれていた。


「飲んでみてよ」

シロユキが美紀の隣に来て言った。美紀は言われるがまま、しゃがんで両手で川の水をすくい、口に入れた。

「つめたい。すごくおいしいわ」

美紀はもう一度水をすくって飲んだ。シロユキも一緒になって、水をすくって飲んだ。

シロユキがその場に腰を下ろしたので、美紀も同じように腰を下ろした。

「涼しくてきれいで、すごくいいところね」

「僕の自慢の場所さ」

シロユキは得意気に言った。

「よくここでね、絵を描いたり魚を釣ったりするんだ」

「シロユキって絵を描くの?」

「すごくいい場所だからね、ここは。ほら、あそこを見てみて」

シロユキはすぐ近くの岩場を指差した。

「あそこにビニールのシートがあるだろ。あの中に絵を描くための道具をしまってあるんだ」

「ねえ、シロユキの絵見せてよ!」

「僕の絵はまだ未完成なんだ。完成したら見せてあげるよ」

「本当?約束よ」

「うん。そうだ、代わりにいいもの見せてあげるよ」

シロユキは美紀を連れて、その岩場のほうに向かった。ビニールシートをめくると、そこには絵の具やスケッチブックが隠してあった。そして、そのそばに、一冊の本があった。シロユキはその本を手に取った。

「これは僕のお気に入りの本なんだ」

シロユキは笑顔で言った。そして、その本を美紀に手渡した。美紀は早速その本を開いて、ぺらぺらとページをめくり始めた。

「わぁ、面白い絵だわ。あ、ページをめくるとだんだん上手になってく。この絵なんてほら、写真みたいだわ」

シロユキは笑顔で、美紀の反応を見ていた。

「あれ・・・?」

美紀は言った。

「途中から、絵がないわ。これって、本でしょ?」

その本は、途中から白紙だった。それでもずーっとページをめくっていくと、最後のページにだけ、文章が書かれていた。でも、美紀にはまだ難しくて読めなかった。

「ねえ、美紀はどの絵が一番好き?」

シロユキは言った。美紀はもう一度初めから見直して、考えた。

「うーん、あとのページの方がうまいの多いんだけど、なんかこっちはつまらないわ。美紀は初めの方の、えーと、これが好きだな」

美紀が指差したのは、トラやキリンやゾウが一緒に遊んでいる絵だった。

「トラとキリンが重なってて、なんか変な動物みたい」

それを聞いて、シロユキはすごい笑顔になった。

「ぼくが一番好きなのは、その隣の絵だよ。たぶん、この人のお父さんの似顔絵なんだろうね。すごい優しそうな顔してるね」

「ちょっと顔がゆがんでて面白いね」

そのとき、美紀は絵の上側に数字が書かれているのに気付いた。美紀の選んだ絵には7、シロユキの選んだ絵には8と書かれていた。

「ねえ、この数字は何?」

美紀は尋ねた。

「これはね、えーと、この絵は全部、あるオランダの画家が描いたものなんだ。それで、描いた時の年齢順に載せてるんだよ。だから、数字を見るとこの人が何歳のときに描いたのかが分かるんだよ」

「じゃあ美紀のは7歳で、シロユキのは8歳の時に描いた絵なのね」

美紀はそう言うと、またぺらぺらとめくり始めた。

「34歳で絵がなくなってるわ。ねえ、もしかして、この年で死んじゃったの?」

「違うよ。この人は90歳まで生きたんだ」

「じゃあどうして?絵を描くのやめちゃったのかな」

「最後のページにね、書いてあるんだ」

「え?シロユキこれ読めるの?」

「これはぼくの大好きな本だからね、勉強したんだ」

「ねえ、なんて書いてあるか教えて」

「いいよ」

シロユキはそう言うと、最後のページに書かれた文章を読みはじめた。

それは文章というよりは、一つの詩のようだった。一番上には「未完成の絵」というタイトルらしきものが書かれていた。



「未完成の絵」


私は小さい頃から絵を描くのが大好きだった

そして空想するのも大好きだった

いろんなことを思い描いて

それをこの筆で描き上げるんだ


怒っているときは怖い絵ができた

笑ってるときは楽しい絵ができた

悲しいときは悲しい絵ができた


絵を描いている間だけは

時間がたつのも忘れられたんだ


でも・・・


あるとき私はきれいな絵を描きたくなった

すごくきれいな景色があって

それをそのまま描き写したくなった


空が私の求める色でいてくれる時間は

1日の中でわずか1時間

私はその1時間のために何日もそこに寝泊りして

やっと描きあげたんだ


私の描いたその絵はすごく評価され

私は名前の知られる画家になった

それから私は美しい絵を描き続けた


34歳

今になって私ははっきりと自覚した


あの時から

私の絵の中に、私はいない


一番みんなに見て欲しかったものを

いつの日からか見せるのが怖くなってしまったんだ


私は絵を描くのをやめることにした



「ねえ、この画家さんは絵を描くのが好きだったんでしょ?怖くなったってどういうこと?これじゃなんでやめたのか美紀にはよく分からないよ」

「ぼくもやっとこの文章を読めるようになったとこなんだ。なんでやめたのかじつはぼくもよく分かっていないんだ」

美紀は少しがっかりした。

「でもね、もしかしたらだけど、ぼくたちが好きだって言った絵が、この人の好きだった絵だったんじゃないかなって、そんなこと思うんだ。ぼくにはね、そういうことを言ってる気がするんだ」

「シロユキはどうしてこの本が好きなの?」

「ぼくはね、この絵が好きってのもあるけど、なんか、この文章がすごい大切なこと言ってる気がするんだ。だって、こんないい絵を描く人なんだから。ぼくも同じように絵を描くことにするんだ。そうすればこの人が言いたかったことがいつか分かるかもしれない」

「これがあるから絵を描こうと思ったんだね。そういうのって素敵だわ。じゃあ、分かったら美紀にも教えてね」


そう言うと、美紀は靴を脱ぎ、裸足になって足だけ川に浸った。そして、石の上に腰を下ろし、しばらく目の前の風景に見入っていた。シロユキはまだ楽しそうに、その本をぱらぱらとめくって見ていた。


「そろそろ行こっか」

シロユキがそう言うと、美紀はうなずいた。

美紀は靴を履くと、最後にもう一度だけ川の水を両手ですくって口に含んだ。美紀の準備ができたのを見て、シロユキは歩き出した。美紀もついていき、また並んで歩いた。

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