6-2 翠の恐怖
オアシスの中心へ近づくたび、大気の中に紫がかった靄が混じるようになった。
瓶子草械獣が発生させている毒霧らしい。
つまりそれだけ目標に近づいているということだ。兵士達は迫る対決の時に身を固くする。
汗を拭うなり身体を掻くなりして気を紛らわせたいところだが、分厚い防護服はそれを拒み、彼等のフラストレーションを煽った。
最初に異変に気づいたのは、67班の隊員だった。
「何か動くものがいる」
「動物じゃないのか」
「林に入ってしばらく経つが、鳴き声ひとつ聞いてないぞ」
レッドは事前にもらった資料を思い出す。
このオアシスにいた大型肉食獣はキャンプ設営時に駆逐され、残っているのは蝙蝠猫と跳ね犬と命名された小型動物くらいだったはずだ。
「いや、もっとこう、大きい――」
木々の後ろから黒い影が現れたのはその時だった。
即座に銃を向けた兵士達は、照星の先に自分達が普段着ているのと同じ迷彩服を見る。
しかしそれで彼等の警戒が一瞬でも解かれたかといえば、決してそんなことはなかった。
何故ならそいつの肌は、毒霧によって青黒く糜爛し、全身くまなく蚊に刺されたかのように腫れあがっていたからだ。性別など、もはやわからない。
眼球は白濁し、大きく開いた口からはあかんべえをするように舌が突きだしている。
「動くな! 手を挙げろ!」
手前にいた兵士が叫んだが、そいつは押し黙ったまま、ゾンビのようにゆっくりとした動きで前に進む。
「かまわん、撃て!」
発砲。
胸に鉛玉を受け、そいつは大きくよろめく。
超鋼タングステンの弾丸はテニスボール大の穴を開けて背中の皮膚まで突き破っていったが、そいつは何もなかったように前進を再開する。
2発、3発と打ち込まれるが、やはり歩みは止まらない。
「頭だ、頭を狙え!」
ブルーはすかさずライフルで、目標の眉間を撃ち抜いた。
唇から上が億万ピースのパズルとなって弾け飛ぶ。
しかし、それでも、そいつは止まらない。
「ゾンビだ……」
誰かが全員の思考を代弁した。
「なにがゾンビだ、ふざけんなよ」
そう返したレッドの言葉もまた、兵士達の総意だった。
更に数発の弾丸を受けて、ようやくゾンビは地に倒れ伏した。
膝を両方とも銃弾で引き裂かれては歩きたくとも歩けまい。
それでもそいつは半分以下の長さになった腿をばたつかせ続けていた。
「――見てください」
相手の無力化が確認されると同時に、即座に近寄っていったアドバイザーが死体を指差した。
赤地に白のけばけばしい水玉模様。拳大の蕾が、ゾンビの襟足に張り付いている。
蕾の底部からは脳神経のように根が伸び、迷彩服を突き破って食い込んでいた。
「……寄生植物だ」
アドバイザーが呻く。
「動物の神経系に根を張って、操っている」
「操る? 操って、何をしようってんだ」
「動物……いや、生命の考えることなんて知れてる。捕食か、繁殖だろう」
「……あの」
頭部の上半分が吹き飛び、付け根まで野ざらしになったゾンビの舌の上。
そこにメンカは、蝶の口吻のように渦を巻いた半透明の器官を見つけた。
「これ、なんでしょう」
「ふむ?」
アドバイザーが顔を近づけた瞬間、それは鞭のようにしなり、目の前の存在に襲いかかった。
ヘルメットのガラスさえ貫いてアドバイザーの頬に突き立った半透明の管は、次の瞬間赤く染まった。
血を吸っている。
「うわあっ!?」
根がいきなり跳ね上がって、近くにいた兵士に飛びかかる。
新しい寄生先にしようというのか、主根を突き刺して動きを止め、側根を潜り込ませようとする。
「ちっ!」
レッドは拳銃で蕾を撃つ。
しぶとい寄生植物はそれでようやく動きを止める。
乗り移られようとしていた兵士もまた、2度と動くことはなかった。
「……なんてことだ」
67班の班長がバイザーに手を当てる。
歯ぎしりの音が通信装置から漏れてきた。
「ちくしょう、俺の部下を! クソッタレの緑野郎が! 今すぐ吹き飛ばしてやる!」
「よせ、ここじゃ全部を吹き飛ばせない。もっと奥まで行かないと」
「わかっている!」
「――班長ッ!」
ヒステリックな叫び。目を向ければ、ここにも、そこにも、あそこにも――あちこちの木陰から動く死体が姿を現わしている。
おそらくその背中にも、あの蕾が張り付いているのだろう。
新鮮な宿主を欲したか、1体のゾンビがしゃがみ、その背中から寄生植物が跳ねた。
手前の兵士を越え、その奥にいた防護服――メンカを遅う。
「ひっ……!」
「バカ!」
次の瞬間、メンカは地面に倒れていた。
突き飛ばされたと理解して、無意識に元いた場所を見る。
寄生植物と格闘するピンクの姿があった。
側根に腕を封じられ、バタバタと足を振り回す。
しかし主根は冷静に狙いを定め、先端を柔らかい肉に突き立てるべく大きく身を引く。
「おっと」
間一髪、イエローの両手が主根を掴んだ。
「危ない、危ない」
メンカは、『蕾』が振り向くように首を捻るのを見た。
「18――」
寄生植物の口吻がイエローの頭蓋を砕いたのは、その直後だった。
「こいつ!」
ブルーのナイフが蕾を串刺しにし、寄生植物は息を止めた。
解放されたピンクは、ひび割れたバイザーに素早く補修テープを貼り付ける。
「188が……!」
「うるせえ! 今は集中しろ!」
茫然自失のメンカを叱咤するピンク。
嫌なものは意識から締め出すというハビタットでの習慣が、仲間の死という衝撃から彼女を守っていた。
「ぎゃああああ!」
1人の兵士が絶叫する。その身体には太い蔓が寄生木のように巻き付き、彼を締め上げていた。
骨が折れ、肉が裂ける音が響く。
メンカは口元を押さえ――る前に手はバイザーにぶつかったが――後ずさりする。
「迂闊に動くな! 足元に警戒!」
レッドの指示が飛ぶ。
視線を下げれば、先程の寄生木もどきが地面の上に横たわっている。
それも、結構な数だ。
「踏みつけると、その瞬間に巻き付いてくるぞ」
よく今まで踏みつけなかったものだと、メンカは唾を呑み込む。
こんなものが足元に転がっているのでは、不用意に走って逃げるわけにもいかない。
だが、ゾンビ達はその間にも距離を詰めてくる。
「……271」
レッドが素早くメンカに近寄る。
「俺達は車まで引き返す。おまえはここに残って、召神して森ごと焼き払え」
了解、とメンカが返事をしようとしたときだった。
67班の班長が怒号を上げる。
「なんで下ろしたりなんかしたんだ!」
「あんなもん抱えたままで戦えませんよ……」
「だからって、逃がす奴がいるか!」
「おい、どうした?」
「HCが逃げやがった!」
67班の青腕章が応戦のため肩から下ろした隙に、逃げ出したらしい。
兵士達は周囲を見回したが、生い茂る草より小さい少年の姿を見つけることはできなかった。
「化物みたいな草が生えてるところで、よく走って逃げられたもんだ。死ぬのが怖くないのか?」
そう言ったブルーは、少年がそもそも死を前提にした存在なのを思い出す。
このまま大人の中にいるより、寄生植物や寄生木もどきの上を駆け抜ける方が、少年にとってはずっと生存確率が高いのだ。
「あのガキにとっちゃ、俺達の方が怖い化物か……」




