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19話 彼の想い

 ――ヴァイツは幼い頃から自立した精神を持つ、大人びた子供だった。

 

 彼の寿命が短かったこと。

 両親が法を犯して彼の寿命を延ばしたこと。

 そして、その後ずっと一人で暮らしてきたこと。


 様々なことが要因になっていたが、ヴァイツ自身はそれを悪いことだとは思っていなかった。


「この命を、無駄にしちゃだめだ」


 死を前にして諦念を超えて悟りを開いていた幼少の子供は、与えられた超常の力と寿命を、何かの為にしなければならないと考えていた。

 その時に彼が考えたのは、とても単純なことだった。


「僕も誰かを助けなくちゃ」 


 自分も助けられたのだから、その命を使って人を助ける。

 その思いが、医者を志すきっかけとなった。

 多額の資金を持っていることを隠し、一人で勉強を続け、独学で医学と薬学を実践できるまでに学んだことを、ヴァイツはそういなければならないから、という義務感だけで続けた。

 幼い頃から研究に没頭する両親を見ていた彼にとって、それは苦ではなかったし、両親が自分に託した時間を自分が代わりに消費するのだという使命感は彼に妥協を許さなかった。


 彼は両親の想いを裏切らないために、表立った行動はできなかった。

 当然、真っ当な病院で雇われることも、試験を受けることもできない。

 そうすれば彼の身元が判明して、魔力研究所に送還されることになってしまう。

 それは彼の両親が望むことではない。


 そこで彼は、貧民の住む街でいわば闇医者として活動をすることにした。


 当初は幼い少年に過ぎなかった彼を本気であてにするものなどいなかったが、二年三年と月日が過ぎるごとに、彼の堅実な医療と薬学の知識は認められ、貧民街の闇医者として周りに頼られる存在になっていた。


 そんな日々を続けていくごとに、彼は多くの人を助けた。

 

 けれど、ふと疑問に思う時があった。


「これが本当にしなくちゃいけないこと?」


 答えを求めることはできなかった。


 彼はそんな疑問を誤魔化そうと無意識に考えたのか、ひたすらに忙しい毎日を自ら望むようになった。







 そんな彼の生活に、大きな変化が訪れた。


「よし、いくぞぉ……」


 そんな掛け声と共に、ベランダから飛び降りようとする黒いローブ姿の女性。


「えっと、すごい物音がしたんですけど、どちら様ですか……?」


 彼が声を掛けると、黒いローブを深く被った女性はひどく困惑した声を挙げる。


「そ、その私は………… し、失礼しましたっ!」


 そしてベランダから飛び降りようとした。


「あ、危ないですよっ!?」


 ――――そんな彼女を引っ張り込んだことが、彼の運命の分岐点となった。






 彼女は不思議なことを語った。

 別の世界からやってきた存在だと語る彼女の言葉を鵜呑みにできるほど、彼は素直な男ではなかったし、むしろ医療の現場で多くの人と会話をして診察をする中で多くの嘘や勘違いを見聞する機会があった。


 まるで信じられないようなことを語る彼女の正気をヴァイツは当然疑った。

 それは決して悪い意味ではなく、「正気を失っているなら取り戻してあげなければならない」という医者らしいと言えば医者らしいそんな考えのものだった。

 

 彼女が悪いことをしたのかどうか、についてはそれほど興味がなかった。

 ヴァイツも無許可で診察所を開いていたし、彼の下に来る多くの人の中には真っ当な仕事をしていない人も大勢いた。

 もしも悪いことをしているのなら、ここにずっと留めておくわけにはいかないけれど、治療をしない理由にはならない。

 それが彼の考えだった。


 

 けれど、彼女は正気かどうかはともかく、決して悪い人間ではなかった。

 そして、辛い体験をしたというのも事実であるようだった。


 彼女はまるで幼い子供のような素直さでヴァイツの言うことを聞き、彼の言うことには常に従って行動した。

 ヴァイツは幼い子供の治療も施してきたことはあったが、それとは全く別の感情を、彼女と過ごす内に生まれていることに気が付いた。


 庇護欲、愛情、友情、優しさ、愛しさ――彼はその思いに名前をつけられずにいて、それを次第に彼女を守ることは自分に与えられた使命なのではないかと自分に言い聞かせるようになっていった。

 だから、彼女が望むのなら、一生彼女を守って生きていくつもりだった。



「もしかして、何か悪い事しちゃったの?」


 

 彼女のその言葉は、ヴァイツをひどく驚かせた。

 ヴァイツにしてみれば幼い子供のような存在の彼女が、自分の心中を正確ではないにしろ、言い当てようとしていた。



「今までヴァイツがやってきたことは、贖罪、なのかなって」



 ヴァイツは自分が悪いことをしたとは思っていない。

 けれど、何もせずにのうのうと生きるのは、罪だ。

 そう真剣に考えていたのだから、彼女の言葉はより正確になったといえた。


 ヴァイツは凄まじい自己嫌悪に陥った。


 見下していたつもりはなかったが、守ると決めた相手に心配をされて、あまつさえその心中を見破られたことにひどく衝撃を受けている自分自身が嫌になりそうだった。

  

 彼にこれまで感謝する人間は山ほどいたし、彼を利用して金儲けをしようとする人間もいた。

 逆に、彼を善意からもっといい立場になれるようにという気遣いも受けたことがあったし、どこから嗅ぎつけたのか高給で雇おうとする人間もいた。


 それらはある意味では、彼を純粋に医者として見ているものばかりで、その能力に対する反応であった。

 しかし、彼女の言葉はそういった類のものではない。


 ヴァイツを純粋に心配しているだけの、どうしようもないほどの剥き出しの善意だった。

 

 剥き出しの善意が必ずしも相手に届いて喜ばれるかどうかはさておいて、ヴァイツにはそれが善意だと分かったし、彼女が純粋に心配しているのだとも分かってしまっていた。


 自分のやってきたことは正しかったのか。

 独りよがりで自分勝手な行動を積み重ねていただけではないのか。

 それを彼女に押し付けようとしていたのではないか。


 彼女を自分の贖罪の道具にしようとしていたのではないか。

 


 ヴァイツは初めてその問題に真剣に直面し、冷静ではいられなかった。


 彼女を置いて、外に出たヴァイツは闇夜を一人歩いた。


 自分はどうしたいのか。

 自分は何がしたいのか。

 

 自分は、あの女の子を――ヴァルシュと名付けたあの女の子を、どう思っているのか。

 一緒に何がしたいのか。

 一緒にどうありたいのか。


 不思議と彼女のことを考えている自分にヴァイツは気が付いた。

 

 自分が何を求めているのか。

 自分の限りある時間を何に使いたいのか。


 それを考えると、すぐに彼の頭には彼女の笑顔が浮かんだ。


「……そっか。僕はずっと楽しかったんだ。ずっと嬉しかったんだ」


 家族というものを失って久しいヴァイツにとって、周りの人間は商売相手か敵のどちらかで分類できたと言ってもいい。

 そのヴァイツにとって、唯一心を許して笑い合えたのが、彼女だった。


 自分の心中の企みが、取るに足らないようなものに思えるほどのあの素直さに、ヴァイツは救われていた。

 そしてその素直な彼女の見せる感情に、表情に、心を動かされていた。


 そのことに気が付いた時、彼の心は決まった。


 部屋に戻って、彼女が何者かに襲われてると分かった時、全力を尽くすのに躊躇いなど感じなかった。

 

 そして、その何者かから彼女を守る時に、ヴァイツは言った。

 

「これまでも、これからも、僕のわがままで構わない。君が誰かに助けを望むなら、僕が君を守る」

 

 どんな手段を用いてもいい。

 彼女を守る。

 そう決めた。


 彼女の隣に自分がいられることを願った。










 ヴァルシュと共に王宮の会議室に呼ばれ、ヴァルシュが先に一人で部屋に移動した後、ヴァイツはヴァルシュの人格や身元について教えられた。

 作られたもので、偽の人格で。

 おそらくそれは真の魔女によるものであるということを。


「……そういうわけだが、お前はどうする?」


 そうヴァイツに尋ねるブラウは酷く落ち込んでいた。

 彼も素直で飾るところのないヴァルシュの性格に、憎まれ口こそ叩いてはいたけれど、決して嫌ってはいなかった。

 そのヴァルシュの存在そのものが偽りで、しかも明確な敵である魔女によって作られた存在であると知らされれば、苦々しい思いにならないはずもなかった。


「俺は詳しいことは分からんが、どのみち守るんだろ? ……だったら、伝えなくてもいいんじゃねぇか」


 ルジィもまた複雑そうに眉根を寄せる。

 

「僕もルジィに賛成かなー。あの御嬢さんにとっては知っても何もいいことのない話だよ」


 ロイエも珍しく表情を陰らせて言った。

 

「それなら、そういうことでいいかな。ヴァイツ・アンデイル。君もそれでいい?」


 フィアスの感情のない問いに、ヴァイツは頷いた。


 ヴァルシュに伝える意味はない。

 彼女を無暗に苦しませたり、悲しませたりすることに意味はなかったし、会議室にいる全員がヴァルシュを実際に目の前にして、それをあえて伝えようとは思わなかった。


 


 その後、護衛の仕事とヴァルシュのサポートを兼ねてヴァイツは常にヴァルシュの近くにいるようにしていた。

 

 だから、ミリナの事情について――その寿命が魔女の手によってわずかになっていると聞いたのは、少し遅れてからのことだった。

 私も護衛の任に就きたいというミリナの言葉を、後生の頼みだからと四天たちは重く受け止めていた。

 一方でヴァイツは、それに対して強い疑念を抱いていた。


 そして、その疑念はロンダルによる最後の凶行による天井崩落の時に確信に近いものに変わった。

 内通者はミリナに違いないとそう考えた。


 けれど、その証拠と呼べるようなものはなく、あくまでもヴァイツの主観的な判断によるものだった。

 



「……どうして僕だけにその話を?」


 フィアスと一対一で会話をすることが許されたのは、ヴァイツが必死に頼み込んだ結果だった。


「あなたなら、僕の話を聞いても、そのことを誰にも知られずに済むと考えたからです」


「なるほど。それは正しい判断だったね」


 フィアスは、自分の魔力を異様なまでに正確に扱うことができた。

 それは、魔法としてもそうだったし、身体操作や感情の操作までもが思いのままといってもよかった。


「それに、僕以外にミリナを疑うようなことを言ったら、その場で怒鳴られていただろうね」


 フィアスがそうはっきりと言う程に、彼女の信頼は厚かった。

 もともとの付き合いの長さが違うし、様子に変化があれば気が付く、というのはもっともな話だった。


「僕もそう思います。そのぐらい根拠のないことを言っている自覚もあります。ですが、万が一に備えておきたいんです。どちらにしても、内通者を警戒する必要はありますから」


「そのために、ヴァルシュも騙すの?」


「はい。それが彼女を守る為に必要なら」


「…………よく分かった。君の言うとおりに手配しよう。病室で面会謝絶。そしてそこで実験もできるように色々と手配する」


「ありがとうございます」


 ――そして、ヴァイツは病室で孤独な戦いを始めた。

 ヴァルシュを守るために何ができるのか。

 そもそも、この判断は正しいのかどうかを考えないようにして、万が一に備えるためだけに様々な準備をした。


 そして、自分の翼の特性を理解し、それを最大限に利用するために、自分の足先にだけ魔力を集中させて切り取って、周囲の人間に誤認させた。

 ヴァイツは姿を見られない限り、誰にも感知されない存在になった。

 

 しかし皮肉にもヴァルシュの周りの厳重な警備のせいで、ヴァイツ自身が直接ヴァルシュを影から護衛することはできなかった。

 そこで、彼は自分の翼の特性を利用して、彼女を遠隔的に守ることを考えた。

 

 フィアスは何も知らない一部の部下たちを利用して、内通者を警戒しているという話をして秘密裏に実験を行うことに協力した。

 その結果、彼の翼を使えば少なくとも魔法として放たれたものはすぐさま吸収され、ヴァイツの身体を離れた後もヴァイツの下にその力が変換されてくることが分かった。


 そして、ヴァイツの突飛な発想であった、食事としてとりこんだ場合どのような効果があるのか、という実験もそれと並行して行った。こればかりは直接実験することは不可能だったので、とにかくものは試しと食事として取り込ませつつ、身の回りの品々に仕込むこととしたのである。


 人で実験をして万が一のことがあればまずい、ということで動物実験を経て毒性がないことを確認してから、戦闘能力のない魔法を使える人物に食してもらったところ、体内の魔力に影響はなく、けれども魔法を使おうとするとそれが吸収されて、当人に神聖力として力が備わることが判明した。

 そして、その現象は一定の時間――おおよそ食事を終えてから一日近くが経過すると終了し、神聖力も徐々に、わずかずつではあるが失われていくことも実験で判明した。


 ヴァイツ以外にも神聖力を備えることがこれほど容易にできることはヴァイツとフィアスを驚かせたが、神聖力を自由に使えるわけでもなく、自覚できるわけでもないことからあまり意味のあることだとは考えられなかった。




 つまるところ、実験でわかったことは二つ。


 

 一つは、ヴァイツの翼自体には他人の魔法を吸収する性質があること。


 もう一つは、体内に吸収されたヴァイツの翼には一日という時間制限があるものの、吸収した人物が魔法を行使するとそれを妨げて、本人に神聖力を与えるという性質があることだ。






 問題は、それらの性質が魔力崩壊現象にも効果があるのかだった。

 加えて、効果があったとして、ヴァルシュを守ることができるのか、というところもヴァイツにとっては重大な問題だった。


 後者の性質である、魔法の行使を妨げて本人に神聖力を与えるという性質はヴァイツに希望を与えた。

 魔力の代わりに神聖力が備わる、ということは魔力崩壊現象を経ても魔力の代わりに神聖力を獲得できるという可能性の示唆であった。

 とはいえ、それはあくまでも魔力崩壊現象が魔法として吸収された場合の話してであった。

 

 フィアスはそれに懐疑的であり、前者の力――つまり、ヴァルシュが魔力崩壊現象を引き起こして、その超次元的な魔法をヴァイツの羽が吸収することを期待し、身の回り――特に寝台や絨毯などに混ぜ込んだり、隣の部屋の壁にその翼を張り付けてみたりと試行錯誤を重ねていた。

 

 どちらにしても希望的な観測に過ぎなかったが、ヴァルシュに与えて効果があることを彼らは望んだ。






 ――――そして、その望みは叶った。








「全ては君の言うとおりだったね、ヴァイツ」


 ヴァルシュの魔力が消え、ミリナが意識を失った後。


 久しぶりに会議室に集まった四天を含む多くの人員が、ヴァイツに惜しみない賞賛の念を送った。

 特に、フィアス以外の四天は驚きと自分自身の不甲斐なさに打ちのめされながらも、ヴァイツを大きく称えた。


「僕だけが、彼女を疑える立場にありました。……全てはただの偶然です」


「そうかもしれない。だけど、僕らにとって――いや、この国にとって君は英雄と呼ぶにふさわしい行動をしたんだ。……何か、欲しいものはないか?」


「欲しいもの、ですか?」


「君は僕ら全員を救ったんだ。何でも、というわけにはいかないけれど、何か力になれることがあるのなら、それに全力を尽くさないような人間はここにはいないよ」


「…………少し、考えさせてください」


「うん、もちろん。ゆっくり休んで、それから決めてくれればいい」






 ヴァイツはフィアスにそう言われた後、会議室の面々に賞賛と激励と感謝の言葉をそれぞれに受けてから、ヴァルシュが眠る部屋に来た。


 彼女の部屋にもう兵士が控えてはいない。

 

 あの時――ミリナの中にいる魔女がいなくなったあの時から、まだヴァルシュもミリナも目を覚ましていなかった。

 ミリナは別室に移されて眠り、ヴァルシュはそのままずっと眠っている。


「ヴァル……」


 ヴァイツはヴァルシュの頭をそっと撫でる。

 

 穏やかに寝息を立てる彼女は、もはや真っ当な人ではない。

 

 人格を魔女によって消滅させられ、そして新たに作られた。

 魔力を体内に吸収したヴァイツの翼によって神聖力に変換されたことで、ヴァイツにしか感知できないが、莫大な神聖力を手に入れてしまった。

 そして、再び魔女に記憶をいじられた。


「ヴァルが無事に目覚めてさえくれれば……僕はそれだけで……」


 神聖力が魔力の代替として、人を生かし続ける保証はどこにもなかった。

 ヴァイツは神聖力だけで生存活動を行っていたが、ヴァルシュとはあまりにも状況が違い過ぎていて、同様に語ることはできなかった。

 

 ヴァイツは穏やかに寝息を立てるヴァルシュを見つめて、無事に目を覚ますことを望み続けるのだった。


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