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面会  作者: 長谷川慶三
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黒い約束

「──面会終了です」


天井のスピーカーから、職員の無機質な声が響いた。

面会終了を告げる電子音は、思っていたよりも小さかった。


 熊田は「あーあ」と息を吐き、肩を鳴らした。その仕草には、疲労よりも退屈が滲んでいた。


「じゃあな」


 受話器を戻しながら、熊田は薄く笑う。


「まあ、せいぜい頑張って生きろよ。奥さんと娘のこと思い出して泣きたくなったら、また来れば?」


 三島は答えずノートを閉じる。紙の角を丁寧に揃え、背表紙を親指で一度撫でてから、スーツの内側へしまった。


 熊田は立ち上がる。椅子の脚が床を擦った。


 その時だった。


「ああ、それとな」


 三島が言った。熊田が半身だけ振り返る。三島は座ったままだった。だが、その目だけが変わっていた。


 面会が始まってからずっと、感情を沈殿させた泥水のようだった瞳の奥に、ようやく形を持った“意思”が現れていた。


「これから、お前の家族のことを書く」


「……は?」


「本にする」


 熊田は一瞬きょとんとしたあと、鼻で笑った。


「何だそれ。脅しか?」


「違う」


 三島は静かに言う。


「予定だ」


 その声には、怒鳴り声よりも強い確定があった。


「お前の生い立ちを調べた。父親の暴力、母親の虚言癖、妹の夜逃げ、親族の金銭問題。全部、記録してある」


 熊田の笑みが、ゆっくり消えていく。


「……何が言いたい」


「書くんだ」


 三島は淡々と続けた。


「お前がどう育ち、どう壊れ、どう人を殺したのか。そして、その土壌になった人間たちがどういう連中だったのかを」


「家族は関係ねえだろ」


「関係ある」


 三島は即答した。


「お前は、私の妻と娘を“むしゃくしゃしていた”という理由で殺した」


 熊田が口を閉ざす。


「ならば私も、私の理由でやるだけだ」


 三島はノートを軽く叩いた。


「出版社にも話は通す。週刊誌も飛びつくだろう。ネット記事にもなる。動画配信者も群がる。お前の家族の名前は検索され続ける」

 

 熊田の喉が小さく動く。


「世論は燃えるだろうな。ただの殺人犯の家族ではない。『あの残虐な熊田を産み落とした一族』として、日本中に名前と顔が知れ渡る。ネットには住所が書き込まれ、実家には毎日嫌がらせの電話が鳴り止まず、母親は買い物にも出られなくなるだろうな」


 三島の声は低い。だが静かだった。


「妹は職場を辞める事になる。甥は学校で石を投げられるかもしれない」


「やめろ」


「近所の連中は面白がって噂する。“あの熊田の家族だ”とな」


「やめろって言ってんだろ!!」


 熊田がガラスを叩く。面会室に鈍い衝撃音が響いた。

 三島は瞬きひとつしない。


「安心しろ」


 静かな声だった。


「私は、一度で終わらせたりしない」


 熊田の顔色が変わる。


「本を出して終わりじゃない。反応を見て、続きを書く。記事を書く。取材を受ける。講演にも出る。お前の家族が社会から完全に切り離されるまで、私は喋り続ける」


「……!」


「お前の母親が首を吊るまで」


 熊田の呼吸が止まる。


「妹が薬を飲むまで」


「やめろ……」


「甥が、自分の名前を呪うようになるまで」


 三島はそこで初めて、ほんの微かに口元を歪めた。

笑顔ではない。凍った刃物の反射のようなものだった。


「徹底的に追い込んでやる」


 熊田の顔から、完全に血の気が消えた。


「お前は死刑になるだろう。だが、1人で逝くんじゃない。お前の一家も付いてくる。あの世とやらで、また全員で暮らせばいい」


 三島は、ここで初めて、極めて微小な、美しい微笑を浮かべた。


「寂しくないだろ?」


 三島は立ち上がる。


「待て!!」


 熊田が叫ぶ。


 受話器を握る手が震えていた。


「関係ねえだろうが!! 家族は!!」


 三島は受話器を置く。


「関係ない?」


 そこで、ほんの僅かに首を傾けた。


「うちの娘も、関係なかった」


 熊田が言葉を失う。三島は続ける。


「だが、お前は殺した」


 沈黙。空調の音だけが響く。


「だから、これはお前が始めた話だ」


 熊田がガラスに張り付く。


「待て!! 三島!!」


 その声は怒声ではなかった。怯えだった。


「やめろ!!」


 三島は振り返らない。ノートを内ポケットへ戻し、

 静かに出口へ向かう。背後で熊田が喚き続ける。


「俺にやれ!! 俺だけにしろ!!」


 背後からは、看守たちに取り押さえられる熊田の、絶望に満ちた叫び声が響き続けている。だが、三島の歩みは止まらない。


「聞いてんのか!! 三島ァ!!」


 鉄扉が閉まる。絶叫が遮断される。廊下には、三島の靴音だけが残った。


(終わり)

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