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ネガティブプレゼンス  作者: 鈴蘭かな


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9/11

9.境界線

 放課後のホームルームが終わり、いつも通り、誰よりも早く教室を出ようと立ち上がったとき。


 「雨宮」


 背後から名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。


 声が、出なかった。


 数秒、時間が止まる。


 振り向くと、田口くんが立っていた。


 手には、一冊のノート。


 私のノートだった。


 ――あ。


 状況を理解した瞬間、顔が一気に熱くなる。


 バッグの中を探す。


 あった。


 田口くんの数学ノート。


 同じ色。

 同じ表紙。


 私は、何も言えないまま、真顔でそれを取り出した。


 「……」


 田口くんが、少し笑った。


 「あ、やっぱり」


 「俺のだ。同じノートの色だし、わかりにくいよな、ありがと」


 そう言いながら、ノートを交換し、彼は私の前の席に腰掛けた。


 教室には、もう数人しかいない。


 ――早く帰りたい。


 でも、前の席に座られると、帰りづらい。


 田口くんは、前の席に横向きで座って、こちらを見て何か言いたげな空気を醸し出している。


 ……何か、ある?


 私は、視線を合わせないまま、気づかないふりをして、ゆっくりとドアの方へ一歩踏み出した。


 「雨宮」


 また、呼ばれる。


 「ちょっと話したいことあるんだけどいい?」


 最悪だ、と思った。


 関わりたくない。


 関わりたくないと思う人ほど、どうしてこういうイベントが発生するんだろう。


 田口くんのことを考えるんじゃなかった。


 色々考えていたのが、顔に出ていたのかもしれない。


 田口くんが、少し笑った。


 「そんなに俺のこと嫌い?」


 私は、はっとして、慌てて首を振った。


 「……いや」


 「いやいや」


 下を向いたまま、必死に否定する。


 しょうがなく、私は自分の席に戻った。


 物珍しい組み合わせだからなのか、教室に残っていた数人が、こちらを見て、ひそひそ話している。


 田口くんは、それに気づいていないのか、気にしていないのか。


 いつも通りの調子で話しかけてきた。


 「急にごめん」


 「別に、ここで話すことでもないんだけどさ、せっかくの機会だし、ちょっと聞いてほしいことがあって」


 ……怖い。


 「お前、暗すぎ」とか、そういうことを言われるのかと思って、身構える。


 でも、違った。


 「あんまり……。というか、一回も話したことないよね。中学も同じなのに」


 私は、小さく頷いた。心なしか声色が優しい。小動物にでも接してるかのような優しい目をしてくれている。


 そんなに私は怯えてる風に見えてるのだろうか。気を使わせてしまう空気を纏っているのだろうか。もっとラフに雑に話しかけてほしい。


 田口くんが乙葉と話しているところは中学の時によく目にしていた。


 男女関係なく仲良い、いわゆる一軍グループの中に2人はいて、よく話をしていたっぽい。


 たまに私も廊下とかで見かけたし、グループで家に遊びにくることもあった。家に遊びにくる時は、私は自分の部屋に隠れてたけど、ちゃんと声は聞こえてた。


 その時の田口くんを知ってるからこそ、この優しさを醸し出す空気には気を使わせて、言葉を選ばせてるというのがわかる。乙葉と話してる時みたいにラフに雑に話しかけてくれる方が理想だ。


 でも、無愛想すぎる私に、こうやって優しく笑顔で話しかけてきてくれる時点で、田口くんのコミュ力の高さはうかがえる。


 他の人なら、この無愛想さに、顔をしかめてもおかしくないのに、ずっと優しい表情で私の緊張を警戒心を解こうとしてくれてそうなのが伝わってくる。


 申し訳ない。


 「話したくなかったら、俺の話、聞いてくれるだけでいいから」


 気を遣われた。


 別にそんなつもりないし、話しかけてもらえたのは少し嬉しい。


 でもそんなふうに捉えられて、相手を嫌な気持ちに少しさせてしまう自分が嫌いだ。


 そう思った瞬間、胸の奥が、ちくりとした。


 なるべく、そんなことないよ、ということを表現するために口角を上げてみたつもりだけど、多分数ミリも上がってないし、緊張でむしろガチガチの顔をしてるんだろうな。

 

 そんなことはお構いなしに、田口くんは続ける。


 「この高校、同じ中学のやつ、そんなに多くないし、話してみたいなーとは思ってたんだ」


 「乙葉とは、結構話してたんだけど」


 その名前に、少しだけ反応してしまう。


 「乙葉から、俺のこと聞いたことない?」


 私は、首を振った。


 「……いや」


 「そっか」


 第三者から、双子である乙葉の話を、こうやって話されるのは初めてだから緊張する。比べてほしくない。

 

 乙葉に好意でもあるのだろうか?

 私を介して乙葉のことが知りたいとか?


 好意があるのなら、双子の私に聞くのが手っ取り早いとは思うけど、そもそも乙葉と田口くんは仲がいいし、直接聞く方が簡単だろう。


 こんな話しかけにくい、みんなに壁を作って、よくわからない私に話しかけるのは、レベルの高いラスボスに挑戦するようなものだと思う。


 一歩間違えれば、私なんてびっくりするくらい冷たい対応をしてしまうし、暗い気持ちにさせてしまう。わざわざ茨の道を選ぶ向上心の高い男なのかもしれない。

 

 少し間を置いてから、田口くんは声を落とした。


 「今から話すこと」


 「誰にも言わないでほしいんだけど」


 田口くんはそう言いながら周りを見渡した。


 教室には、もう私と田口くん以外誰もいない。


 私は、目線を合わせるのは苦手だけど、ちゃんとそれなりに姿勢を良くして聞く体制を整えた。


 「実はさ、乙葉から、告白されたんだ」


 頭が、一瞬、真っ白になる。

 予想外の内容だ。


 「でも、断った。友達としてしか見てなかったから」


 私は、驚いた。


 乙葉はモテる。

 でも、恋愛の話は、向こうから好かれる話ばかりだった。


 乙葉が〇〇を振った、〇〇から告白されたみたいな話はよく聞く。


 その逆は全くない。人に興味がない、と言っていたし、恋愛感情もモテすぎて全く湧かないタイプなのかと思ってた。


 ――恋、するんだ。


 でも、相手が田口くんなら、気持ちはわからなくもない。


 少し、気になって、私は珍しく質問をした。


 「……その」


 「告白って、いつ頃の……?」


 田口くんは、少し考えてから言った。


「高校入って、一ヶ月くらいかな。それから、気まずくてさ…。でも、俺としては、前みたいに、普通に友達でいたいなって」


「女子の立場からして、友達に戻ろうみたいなのはやっぱり無理なのか、雨宮的立場からしてどうなのかなって思って。あと、乙葉、落ち込んでたりしてなかったか聞きたくて」


 私は、首を振った。


 「……全然」


「態度は普通だった。そんなことあったの知らなかった。でも振られた人と、また仲良くするのは、私は、大変そうだなって思う。私は男友達もいないし、双子だけど性格真逆だから参考にはならないと思う」


 自分でも、妙に冷静な声で淡々と話せて驚いた。


 私は、人の心は読めるつもりでいる。


 でも。


 乙葉の気持ちだけは、一番、わからない。


 それと同時に。


 田口くんが、本当に乙葉に恋愛感情を持っていないことも、はっきりわかってしまって、胸が、少しだけ痛んだ。


 「……あの」


 私は、思い切って聞いた。


 「元気なかったのって、乙葉の件、関係ある?」


 田口くんは、即答した。


 「いや、全然関係ない。なんか、どんよりしてただけ。理由、わかんないんだよね」


 私は、少し迷ってから、口を開いた。


 「……今」


 「私と話してて、気持ち、落ち込んだりしない?」


 普段の私なら、絶対に聞かない質問だった。


 どんな解答が返ってきたとしても落ち込むのはわかりきってるから。現実から目を背きたい。


 でも、乙葉の知らない一面を知った驚きと、田口くんの話しやすさと、二人きりという空間が、その言葉を引き出した。


 「別に」


 田口くんは、肩をすくめた。


 「むしろ、落ち着くよ」


 ……ああ。


 やっぱり。


 私は、心の中で小さくため息をついた。


 ――闇側だからかな。


 中学の頃みたいに、

 明るさ全開の田口くんだったら。


 きっと病んでただろうな。


 葛西先生の言葉が、頭の中でよみがえった。


 「……部活、行かないとな」


 田口くんは立ち上がって伸びをする。


 「めんどくせー」


 「急に呼び止めてごめん。ノート、サンキュー」


 そう言って、自分の席に戻っていった。


 通学用のリュックと大きな部活用のバッグを持つと、小走りでドアまで行き、田口くんは、爽やかに私に軽く手を振って教室を出ていった。


(爽やかだなぁ)

 私は、その後ろ姿を、少しだけ目で追ってしまった。


 教室には、私ひとり。


 静かだった。


 さっきまで、人と話していたのが嘘みたいに。


 乙葉が、誰かを好きになること。


 しかも、それを断られていたこと。


 私は、そんな乙葉を知らなかった。


 いつも楽しそうで、誰に対しても余裕があって、好かれる側でいる乙葉しか、見てこなかった。


 ――人は、こんなふうに、簡単に知らない顔を持つ。


 それが、少しだけ怖かった。


 それと同時に。


 田口くんとも、話したことがなかったのに。


 あんなふうに、言葉を選ばず、構えずに話せてしまったことが、不思議だった。


 中学の頃からの田口くんを知ってるからこそ、本調子じゃないのはわかる。


 でも、話せば、やっぱり爽やかで明るい。言葉の選び方が上手で、相手を傷つけない距離を自然に取れる。


 気を遣われているのはわかるのに、こちらが気を遣われているとあまり感じさせない。そういう、気を遣わない気遣いがちゃんとできる人。


 こういう人がモテるのか、と変に納得してしまった。同時に、乙葉が田口くんを好きになった理由も、少しだけわかってしまった気がした。


 明るくて、優しくて、自分の世界に無理やり引き込まない人。ある意味、私と真逆。


 自他の境界がはっきりしていて、乙葉と似た空気を感じた。


 良い意味で人に興味がない。相手を深く知ろうとしないかわりに、相手の領域を勝手に侵さない。


 だから、私は楽に話せた。私の闇に必要以上に引き込まれなかったのも、きっとそのせいだ。


 空間的な闇の影響は受けてそうだけど。


 心の奥まで踏み込まれる心配がない謎の安心感があった。


 ああ。だから乙葉も楽だったのかもしれない。


 私は、何を感じているんだろう。


 安心?


 戸惑い?


 それとも、知ってはいけないものを、一つ知ってしまった感じ?


 答えは、まだ出なかった。


 ただ。


 乙葉の知らなかった一面と、今まで交わるはずのなかった田口くんとの会話が、頭の中で、ゆっくり混ざり合って少し複雑な気持ちになった。


 知らなかった一面を知るたびに、世界が少しだけ、複雑になる。


 今日は、乙葉のことも、田口くんのことも、前より少しだけ、立体的に見えてしまった。


 私は、ずっと手に持っていた自分の数学ノートを見つめて、リュックに入れ直し、ようやく、席を立った。


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