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悪役令嬢はだれだ

 グレイグとランチをとった次の朝、ミシェルは学園の門を潜って教室へと向かっていた。

後ろから、軽快に走る足音に気付くと振り返ろうとした。

その時後ろから肩のあたりに大きな衝撃が走った。


 「きゃあああ!!」


 甲高く大げさな悲鳴とともに、どさっという大きなものが落ちた音が聞こえる。

ミシェルが振り返った時には、カレンが涙目で尻もちをつきながら訴えかけていた。

朝の登校時間であるため、すでに自分たちの周りには人が取り囲んでいる。


 「わた・・・わたしっ・・歩いていただけなのに、ミシェルさんが・・急に・・突き飛ばして・・・。」


可愛らしい顔をきれいに歪めて、瞳には命一杯の涙がたまっている。

なるほど、これが庇護欲をそそるというやつかとミシェルは思う。

それにしても・・・。


 『私に突き飛ばされた?どういうこと。』


 驚きに回らない頭を何とか動かして周りを見渡す。

気の毒そうに顔を歪めた生徒たちが見ている。


・・・主にミシェルを。


 それもそのはずである。

振り向きざまに、思い切り後ろからぶつかられたミシェルは、前倒しにかなり激しく倒れた。

声も出せないほどの衝撃だった。


 カレンは自分は自分はと訴えているが、その間もミシェルは悲劇のヒロインが泣き崩れたような態勢で倒れている。

貴族子女の通うこの学園では、走っている人自体が珍しい。

朝の人がそこそこいる状況では、さぞかしカレンは目立っていただろう。


 見かねた伯爵家の令息が、ミシェルに手を差し伸べた。


 「大丈夫ですか? 捕まってください。 保健室まで送りましょう。」


 少しすりむいてしまった手のひらを、伯爵令息が自分のハンカチで包み、ゆっくりとミシェルを立ち上がらせた。


 「ありがとうございます。 お手を煩わせて、申し訳ございません。」


 いい年をして、人前で派手に転んでしまったミシェルは羞恥に頬を染め俯きながら謝った。

その可憐さに、伯爵令息は息をのんでミシェルを凝視した時、人だかりが割れた。


 「何をしている。なんの騒ぎだ。」


 グレイグの厳しい声に、カレンがいち早く反応する。


 「グレイグ様~!カレン・・・怖かったですぅ!!」


 がしっとグレイグに飛び込もうとしたカレンを、レオニールが寸前で止める。


 「カレン嬢、そんなに走っては危ないですよ。気を付けてください。」


 暗に令嬢は走るものではないと言うレオニールに、言葉通りに受け取ったカレンは上目遣いに拗ねたような顔をする。


 「カレン子供じゃないんですから、大丈夫ですよ。も~!!」


 レオニールはそういう意味ではないと思うが、いつもの事なので曖昧に微笑んだ。


 「いったい何があったのですか?」


 エイデリッヒが尋ねると、先ほどまでのにやけた顔を歪め、瞳に涙をためてカレンは訴えかけた。


 「歩いていただけなのに、ミシェルさんが突然カレンを突き飛ばしたんです!」


 これにはミシェルも焦りを覚えた。

一部始終を見ていた生徒たちはいるものの、カレンと懇意にしているグレイグたちは、カレンの言う事を優先させてしまうかもしれない。


 カレンの発言に一瞬ビクッと体を弾ませたミシェルの手を、伯爵令息がぎゅっと握る。

保健室まで送ってもらうために、手を支えたままの状態だったことを思い出し、ミシェルは伯爵令息の顔を見上げた。

ついさっきまで赤の他人だった人が、ミシェルを心配そうに見下ろしていた。


 「何をしている。」


 先ほどまでの声より一層、怒気を孕んだようなグレイグの声にミシェルは振り向くと、そこにはいつも以上の瞳で睨みつけるグレイグがいた。

あまりの激しさに心臓が握り潰されたように痛みを覚える。

グレイグのすぐ側では、カレンがざまあみろとでもいうように皮肉気に笑っている。


 『ああ、そうか。昨日殿下とランチを一緒にとったことが気に入らなかったのね。』


 得心がいったミシェルは、しかしそのお門違いな仕返しに、すっと気持ちが冷えるのを感じた。

婚約者のいる男性に、我が物顔で接するカレンも、婚約者がいながらカレンを優先させるグレイグも、ミシェルにとっては同様に不誠実だった。


 勝手に二人でやっていれば良いものを、他人を巻き込んで迷惑なことこの上ない。

訳の分からぬ茶番に巻き込まれてケガまで負った。

このままでは、自分を助けてくれた人も一緒に責めを追うかもしれない。

なんなら、自分がこそこそと挙動不審に日記をつけていることさえ思い出されて不快になった。

いつまでもこのまま引き下がるのはミシェルの矜持が許さない。


 ふとこんなことは前にもあったなと思う。

貴族の間では、自分自身の体を張った嫌がらせは少ない。

しかし、下町では違う。

昔、町の子供達とよく遊んでいた頃、仲間の中には町で人気のある少年たちもいた。

町の少女の中には、少年たちと仲の良いミシェルに嫉妬して、領主の娘だということも忘れて、突っかかったり意地悪をしたりする子もいた。

その経験からミシェルは知っていた。

こういった衝動的な嫌がらせをする人間は、同様の意趣返しに極端に弱い。


 助けてくれた伯爵令息には悪いが、もう少し付き合ってもらうことにしよう。

そう算段をつけてミシェルは、事を開始した。


 伯爵令息が手当てをしてくれた手を、みせびらかすようにぶつかられた左肩にあて、ミシェルはふらりと伯爵令息の方へと倒れこむ。

大丈夫ですか、と心から心配そうに声をかけながら伯爵令息は、しっかりとミシェルを支えた。


 「申し訳ございません。ぶつかった背が痛み立っているのが辛くて・・・。」


 「当然です。あんなに激しく体当たりされて、令嬢が無事で済むとは思えません。」


 必死にミシェルを支えてくれる伯爵令息には、そこまで痛くはないと申し訳なくなったが、同時にこの人ものすごくいい仕事するなと感激もした。

そこでポロリとミシェルは一筋涙を流した。


 貴族子女が人前で涙を見せるのはご法度である。

涙を流すのは相手に負けを認める行為だとされているからであるが、相手に仕掛けるためであるなら、さほど醜聞にはならない。

それに今のミシェルが少なからずケガを負っていることは多くの人が知っている。


 「私が不注意なばかりに、ダングラム男爵令嬢に痛い思いをさせてしまいました。お詫びを・・しなけれ・・ば・・・。」


 そのままミシェルは伯爵令息の腕の中で気を失った。

・・・ふりをした。


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