カレンという人①
「むかつく、むかつく、むかつくっ!!」
ダングラム家の一室では、カレンが苛立たし気に部屋を歩き回りものに当たるので、メイドたちは顔を青くしながら息を潜めた。
「なんなのよあいつ。 昔から、気に食わない! 私の方がよっぽどお姫様にふさわしいのに、あいつが持っていくのよ! いつもいつも!!」
だんっと握り締めたこぶしで壁をたたくと、メイドたちは肩をビクッと震わせた。
カレンは昔から可愛かった。
平民の住む小さな町の一角で育ったが、家は平民の母娘二人暮らしにしてはかなり広かった。
きれいに整えられた家にはメイドもいて、派手ではないものの毎日着ている洋服は普通の平民のものより上等なものだった。
町の人からはお嬢さんと呼ばれ、周りの子供達から--特に年頃の女の子たちからは羨望や嫉妬を受けて育った。
それはカレンにとってとても甘い蜜のような気持ちを抱かせた。
父は家に毎日いる訳ではなかったが、来ればカレンをお姫様と言って甘やかし、母と睦まじく過ごした。
母もカレンほどかわいい子は滅多にいない、カレンこそお姫様にふさわしいと言って育てた。
そういわれれば確かに、町にはカレン以上に可愛い子はいないように思った。
7歳にもなれば、異性を意識もする。
町に出れば男の子たちは赤く呆けた顔でカレンを見たし、たまに恥ずかしそうに声を掛けられることもあった。
その世界では、カレンは特別なお姫さまだった。
ある日、珍しく父と母が言い争いをしていた。
父に別の家庭があることは、幼いカレンにも何となくわかっていた。
盗み聞いた話では、どうやらもう一つの家族--本妻にカレン達へ貢ぐ金の多さに苦言を呈された、そんな内容だった。
母は父に、本妻と別れて自分と結婚すればいいと泣きついたが、貴族関係ではそれは難しいとすげなく断られた。
父がカレンたちの住む家に来ることが減り、数人いたメイドが一人になった頃、そういえば最近新しい服を買ってもらっていないことにカレンは気付いた。
なんだか自分の世界が変わってしまいそうで、カレンは怖くなった。
そんな時、父が朗報だと言わんばかりにやってきて、ある女の子の事を話した。
「リンベール家のミシェル嬢を見たことがあるか? まあ、ないだろうな。」
わかっているなら言わなければ良いのにと、よくわからない話にカレンは首を傾げた。
母も訝しげに父を見ている。
「この前、リンベール領に仕事で出かけたんだが、そこの令嬢がお前によく似ていたんだよ。」
「まあ。それは大変。」
カレンはにやにや笑う父に、一体何がそんなに面白いのかと不思議でならなかったが、母はその話の見当がついたらしく、頬に手をあてて嬉しそうに返事をしている。
そこからは父と母でなにやら、あれこれと話し合っていたが、カレンはもう寝る時間だと寝室へと運ばれた。
しばらくたって突然、母と二人引っ越すことになったと言われた。
移動する馬車の中で、しばらくはあるお屋敷で使用人として働かなくてはならないが、カレンはいずれその屋敷の子供になるのだと説明された。
自分は母と父の子供ではなくなるのかと尋ねれば、母は側にいるが父は侯爵家の主人になるという。
元々父親は男爵ではなく侯爵様だったのだと言われて、カレンは益々混乱した。
しかし実際侯爵家について見れば、それはカレンが思い描いたお城のように立派だった。
お姫様にはこんな家こそふさわしい、そう思った。
しかもそのお屋敷にいるお嬢様は、真っ黒に日に焼けて、町の子供たちと町や野原を駆け回っていた。
まるで男の子のようだったし、自分に似ているとも思えなかった。
ただ、これなら自分の方がよっぽどお姫様にふさわしいのだと、益々自信をもった。
気に入らなかったのは、いつものように平民より少しきれいな服を着て町に出ても、同じ年頃の子供たちはカレンに見向きもしなかった。
子供たちの中心にはいつもミシェルがいて、楽しそうに笑いながら駆け回っていた。
何度かミシェルや子供たちが一緒に遊ぼうと誘いに来たが、女の子は走り回ったりしないとか、せっかくの服が汚れるなど高飛車に断っていれば、そのうち誰も誘いに来なくなった。
一人の暇な時間に、父から買ってもらった、騎士に扮した王子様とお姫様の恋物語--この国では一般的なおとぎ話--を読んでは、いつか自分にも王子様が迎えに来るんだと胸を高鳴らせた。
侯爵邸にきて3週間程過ぎたころ、母が突然お姫様のようなピンクのドレスを持ってきた。
これを着て本物のお城に出かけるのだと言った。
お父様からのプレゼントだと言ったが、それが男爵か侯爵かはカレンには分からなかった。
ただここの所イラついている母が上機嫌で、何よりもドレスが素敵だという事だけは分かった。
ドレスを着た自分を見て、やっぱりミシェルなんかより自分の方がお姫様に向いていて可愛いと思った。
母に連れられて、裏口からこそこそ馬車に乗って出かけたが、本物のお城に付いたときは、それはもう声にならないほどの感動に身を包まれた。
これこそがお姫様と王子様にふさわしい自分のための舞台。
馬車の中で母親に、今日はミシェルの代わりにミシェルのふりをして参加するように頼まれていると聞かされて、誰にもそのことに気付かれてはいけないと言われた。
それだけが不満だったが、城をみてすっかりそんな気も失せた。
だって自分はここで王子様に出会うのだから。
お城の前で受け付けの係員が、入場者をチェックしていたが、このころのカレンは殆ど金髪に近い茶色の髪だったこともあって、ミシェルの姿絵を比べられても難なく入ることができた。
成長するにつれ髪の毛は、母譲りの濃い栗色へと変化したが。
茶会の席に通されて、大人たちの挨拶が一通り済んだ。
王子さまは用事で遅れてくるらしかった、
きれいな会場に、きれいな食器、食べ物まで見たこと無いほど綺麗に盛り付けられている。
お菓子も料理も見たことないものばっかりだった。
きょろきょろといろんなものを見て回り、お菓子を一通り食べて回ろうと右往左往していると、くすくすと言う笑い声が聞こえた。
なんだろうと振り返ったカレンは、自分が他の令嬢達から笑われていることに気付いた。
はしたない、行儀が悪い、極めつけはどこの令嬢か、本当に貴族の令嬢なのかと囁かれて、今日はミシェルではないことに気付かれてはいけなかったことを思い出した。
羞恥で顔が熱くなり、貴族にはそれなりの作法があることを、今更ながら気づかされた。
恥ずかしかったし、なにより王城に忍び込んでいることが怖くなった。
その時後ろから、男の子に声をかけられた。
--「リンベール家のミシェル嬢ではありませんか?」
ミシェルの知り合いかもしれないと思い顔を青くした。
--「私はイングラム王国第二王子のグレイグです。少しお話できませんか?」
憧れの王子様が自分に--いや、正確にはミシェルに話しかけている。
もしバレれば嘘つきの自分は王子様に嫌われてしまうかもしれない。
そして何よりも、王子に話しかけられるミシェルに怒りが沸いた。
恐怖と怒りの混じった感情で震えた。
--「・・・て、こ・・・で。」
--「具合でも悪いのですか?」
--「やめて!来ないで!!」
そのあとの事はよく覚えていない。
気づいたらどこかの部屋にいて、母が迎えに来て馬車に乗って帰った。
帰りの道で青い顔をした母が、しきりにバレていないか確認していたが、カレンにとってはもう知った話ではなかった。
侯爵家に帰ったあと、急いで服を着替えて、使用人の食事部屋に行こうとした時、窓の外にミシェルが見えた。
男の子みたいなくせに、きれいなワンピースを着て。
お姫様は私なのに、お嬢様と大切に扱われて。
私の方が可愛いのに、私の父親--侯爵に抱き上げられて。
むかつく、むかつく、むかつくっ!!
ミシェルの何もかもが嫌いだった。
次の日、カレンに母が言った。
侯爵のところに行くから静かになさいと。
今からあなたが侯爵の娘だと知らせに行くのだと。
カレンは嬉しくなった。
これでミシェルと同じになる。
いや、お姫様の私は、きっと侯爵にミシェルより愛されるに違いないと。
人目を忍んで侯爵へと近づくと母は言った。
「旦那様、覚えていらっしゃいますか? この子はあの時の子です。」
初めて近くで見た侯爵は、遠目で見たときの何倍もカッコよかった。
それこそ男爵とは比べ物にならない位に。
こんな人が父になるなんて嬉しくなった。
お姫様に相応しいお父様だった。
「お父様・・・。」
カレンは顔を赤らめ微笑みかけながら、父になる侯爵に近寄った・・・それなのに。
こちらをみた侯爵は、まるで化け物でも見るような目でカレン達を見た。
そのあとは、母と侯爵が短い言い争いをしてすぐ、屋敷のものに連れ出された。
自分たちの荷物をまとめる間もなく、屋敷の門の前に文字通り放り出された。
しばらく放心して座り込んでいると、門がまた空いた。
勘違いだったと、侯爵が来てくれたかもしれないと期待してみたが違った。
さっきの使用人がカレン達の荷物をもってきて、屋敷の外に放り投げると、また門は閉められた。




