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キャット@プレイヤー  作者: グッデイ
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第8猫話



 横たわる妹は、肩まである髪の毛が顔を覆いその表情が見えない。


 そのリンの前に立ちはだかる黒い化け猫の、右手人差し指から刀のように伸びる爪先が、横たわる妹の首筋を捕らえている。


「やあ、お兄ちゃん、また会ったね」黒猫が、猫の顔をぐにゃりと歪ませながら笑う。


「リンを、妹をどっどうするつもりっだっ」


 力の無い声でなんとか搾り出すように言うサトルに、黒猫は楽しそうに赤い瞳をぎらつかせた。


「さぁて、どうしようかなぁ」


「なんでこんな事をする?僕が目的なら妹には何もしないで!」恐怖からか、それとも怒りからなのか、サトルは肩を震わせながら言った。


「うん、いいよ、ただしお兄ちゃんが僕の言うことを聞いてくれるのなら、だけどね」


「い、言う通りにするから、妹には酷いことをしないで」


 サトルの言葉に、赤い瞳を細めて大きく口を開いた黒猫は、鋭い歯の覗く口からサトルにゆっくりと近づくように言う。


 言われるがままに、サトルは黒猫の目前まで進むと、黒猫の指示通りに膝をついてしゃがんだ。


「くっくっくっ、最初から僕の言う通りにしていれば、痛い思いも怪我もしないで済んだのにねぇ」


 サトルの脳裏に、あの恐ろしいほど冷酷で残酷な黒猫の行為が甦り、まだ治っていない脇腹や鳩尾の打撲が軋んだ。


「妹には・・・」


「わかってるって言ってるでしょ、さあ目を瞑ってよ、ビョウケのお兄ちゃん」


 ゆっくりと瞳を閉じたサトルの額に、黒猫の夷猫は左手に持っていた宝玉「天木宝」を押し当てる。


 どれほど苦しかったか、どれほど悔しかったか。


 やっと自らの望みを叶えるときが近づいてきたのだと思うと、夷猫は興奮を抑えることが出来ずに、赤い瞳を大きく見開き尻尾を震わせながら天木宝を持つ左手に力を込めた。


 夷猫の口から猫が威嚇するときのような音と共に、お経のような呟きが漏れる。


 額に押し当てられた冷たい感触が、突然に燃えるような熱となりサトルの全身を襲ったが、サトルは全身を縛られているかのように逃れることすら出来ず、夷猫の呟く呪文が終わるのと同時に、その場に重たく崩れ落ちた。






 あれ、私はどうしたんだろう・・・。


 なぜ自分が地べたにぺたりと座り込んでいるのか分からず、リンは記憶を辿った。


 えっと、黒い猫で買い物で、喫茶店にお兄ちゃん・・・


 ビルの谷間、薄暗い裏路地。

 ぼんやりしていた思考が晴れてくると、見慣れない景色に意識をはっきりさせ、そしてその視界の先に崩れる人影に辿りついた。


「お、にいちゃん?」


 買ったばかりのサマーセーターが、良く似合うお兄ちゃん。しかし、地面に横たわったままのお兄ちゃんに、リンは恐るおそる近づき、そっと触れたお兄ちゃんの手が氷のように冷たい事に、リンは身体を震わせた。


「お、お、お、お兄ちゃんっおにいちゃんっ!」


 どうしていいのか分からず、顔をくしゃくしゃにしてただ声をあげて助けを求めるように、頬を濡らしながら叫び続けるしかリンには出来なかった。


「誰かっお兄ちゃん、おにいちゃんっ誰かぁっ!」


 そんな悲痛な叫びを聞きとめたのか、リンの気が付かないうちに突然人影が現れたかと思うと、リンの横に跪き、右手を横たわるサトルの首筋に当てた。


「大丈夫よ、息もあるし脈も正常だわ」


 白く美しい顔の女の子は、まるで感情が無いかのように静かにいうと、澄んだ瞳でリンを見つめた。


「気絶しているだけだから安心して、泣かないで」


 リンはその言葉に、必死に頷くものの涙を止めることが出来ず嗚咽している。


「あなた、妹のリンちゃんね、私は玉置君の・・・と、と、ともだちの、神猫姫子しんぼうひめこ


 そう言って少しはにかむような仕草を見せた女の子に、驚きの表情でリンはかくかくと頷いた。


 ここじゃあなんだからと言って、神猫姫子は男の大人でも抱えるのに苦労しそうな、気絶しているサトルを軽々と両手で抱え上げると、驚いているリンに「私の家、直ぐ近くだから」と言ってすたすたと事もなさげに歩き出す。


「リンちゃんもおいで」


 そう声を掛ける神猫姫子に、ただただ驚いてばかりいるリンは、やはりかくかくと首を揺らして頷き、早足でその後に続いた。





 白い世界。

 いや、微かに色付き始めている広がり。


 僕は広がりと共に、多くを学び吸収し、自分の色に変わりつつあった。


 なのにそれは、それ自体の輝きを閉じ込めながら、僕を暗黒の闇に染め始めた。


 だから僕は、必死にもがき、掻き毟りながら、暗い底へと落ちていくしかなかったんだ・・・。





 嫌な夢、またいやな夢を見た。


 寝汗が首筋を伝う、はっきりとしない意識。


 ・・・なにか、なんだか違う。


 匂いだ、鼻をくすぐる匂い・・・これは、これはヒメの、猫とシャンプーの混ざった香りだ!


「ヒメっ!」


 思わず叫んで目を覚ましたサトルの瞳に映ったのは、驚いた表情のリンと神猫姫子だった。


「おにいちゃん!良かった、大丈夫?変なところ無い?」


 心配そうに覗くリンに、何の事だか分からず首を傾げるサトルの額から、冷たく濡らしたタオルが布団の上に落ちる。


「だいじょうぶ・・・かな、ここは?」


「私の家、です」そう言いながら、神猫姫子が落ちたタオルを取ってサトルの顔の汗を拭いてくれるが、されるがままのサトルはそんな神猫姫子にどきどきと胸を高鳴らせた。




「ごめんシンボウ、僕が迷惑かけちゃったみたいで」妹のリンから、気絶して倒れているサトルを自分の家まで運び、看病してくれたことを聞いたサトルが、申し訳なさそうに言った。


「ヒメネエは凄いんだから!ぱっと現われて、お兄ちゃんが気絶しているだけだってわかって、ひゅって家まで運んでくれて、チョー格好良かったんだから」


「そんな、リンちゃん私は・・・」ちょっと困った様子で神猫姫子が言おうとするが、リンの口が隙を与えようとしない。


「ホントに、肌も白くて可愛くて綺麗で、チョー素敵でもうリン、ヒメネエを尊敬しちゃいましたぁ!」


「あ、ありがとう」どう答えていいのか分からないと言った様子で、神猫姫子が戸惑いながら答える。


 いつの間に学校ではクールで無口なはずのシンボウに取り入ったのか、リンはサトルよりもシンボウと仲良くなっていたようだ。

 困り顔で微笑みながらも満更でもない様子のシンボウの、そんなはじめて見る彼女の表情に、サトルは見入っていた。


「あんまり迷惑ばかり掛けられないし、そろそろ帰ろうかリン」


「えぇー、まだいいよねヒメネエ、もっと話しようよぉ」まるで幼い子供のようにリンが我侭を言う。「ね、いいでしょ?」


「こらリン、あんまりシンボウを困らせるなよ」


 そう妹をたしなめると、サトルは布団から出て立ち上がろうとしたが、ふらふらと布団の上に尻餅をついた。


「玉置くん!まだ寝ていたほうが・・・」さっとサトルの肩に手を添えて、心配そうにシンボウがサトルの顔を覗き込んだ。「もうすぐお姉ちゃんが帰ってくるから、そしたら車で玉置くんの家まで帰りましょう」


「僕は大丈夫だから、その、この布団だってシンボウの・・・そんなに迷惑掛けられないよ」


 あのシャンプーの優しい香りが染み付いたこの布団が、サトルには誰の物なのかわかっていたし、自分の布団に他人の、それも異性を寝かすことが決して嬉しいことでは無いことぐらいサトルにだってわかっている。


 しかし、当のシンボウは「玉置君なら、私はかまわないから」と、目を逸らしながらぽつりと答えた。


「布団くらい、いいじゃん?ならなら、あっちの部屋で座って話そうよぉ」


 一人その意味を理解していないリンは、なんだかお兄ちゃんもヒメネエも何を気にしているんだろうと言わんばかりにいうものだから、それがサトルにはひどく面白くてクスクスと笑い、シンボウもつられて笑い出していた。




「ひっめちゃーん、お姉さまが帰ったわよぉ」


 夏の日差しが傾き出した頃に、シンボウのお姉さんが勢い良くドアを開けて帰ってきた。


「あら、お客さん?もしかしてヒメちゃんのお友だち?!」


 床を蹴るようにけたたましく玄関を上がると、居間を目指して突進してきたお姉さんが、小さなテーブルを囲んで座る僕たちをまるで珍しい物を見つけたような眼差しで言った。


「とうとうヒメちゃんにもお友だちが出来たのね、お姉ちゃんは嬉しいよ、うんうん」


「ちょっとお姉ちゃん、おかしな言い方しないでよ」


 あやしいまでのハイテンションなお姉さんは、その物言いとは似つかないミニスカートのスーツをビシッと着こなし、流れるようなウェーブの髪型が似合う、やり手のキャリアウーマンのようにも見える。


「あ、あの、お邪魔してます、玉置と言います」とりあえず挨拶をしようと、サトルがふらふらと立ち上がってお辞儀をすると、それに倣ってリンも慌てて立ち上がりぺこりとお辞儀をした。


「こちらこそ、不束者の妹ではありますが、末永くよろしくお願いします」


「もう、お姉ちゃんも皆も、なんでそんなにかしこまって・・・」


 いやぁーよかったと大きな声で豪快に笑いながら、お姉さんがシンボウを抱きしめて、その背中をばんばんと叩く。


「お姉ちゃんやめてって、もう、それよりお願いがあるんだけど」


 シンボウがお姉さんの奇抜な行動を遮ると、サトルが体調を崩していて家まで送ってあげて欲しいと告げた。


「えっと、サトルちゃんにリンちゃんね、お易い御用よ、お姉さまに任せなさい」


 無駄に威勢のいいお姉さんに、一抹の不安を覚えながらも、シンボウが普段は相当に苦労しているのだろうなぁなどと考えながら、サトルはお姉さんに頭を下げた。





「じゃあサトルちゃんは、ヒメちゃんと同じクラスなの?」


 真っ赤なホンダの軽自動車を運転しながら、サトルの家に向かう道すがらお姉さんは絶え間なく口を開いた。


「はい、シンボウさんとは同じクラスの隣の席でして」


「ふーん、てかさぁサトルちゃん、神猫さんって他人行儀な言い方やめなよ、友達なんでしょ?」


「あ、えっ・・・その」


「お姉ちゃん、玉置君がなんて呼ぼうといいじゃない」突然の切り返しに、サトルはなんて答えて言いか口ごもっていると、助手席にすわるシンボウが助け舟を出した。


「良くないわよ、『シンボウさん』じゃあお姉ちゃんなのかヒメちゃんなのか誰を呼んでいるのか分からないでしょ?」お姉さんがバックミラー越しに、後部座席に座るサトルとリンを気にしながら言う。


「姫子はシンボウヒメコなんだから、ちゃんと呼んでもらいなさいよ、ちなみに私は『華子はなこ』だから、おハナさんとでも呼んでね」


「はいわかりました、ヒメネエにおハナ姉さま」まるで子分にでもなったような言い方で、リンが素早く答える。


「あらリンちゃんたら可愛い子ね、ふふふ」


 どうも神猫姉妹には、リンはすぐに馴染んでいる様子で、おハナさんはご機嫌な口調で言った。


「えっと、じゃあその、ヒメコ・・・ちゃんで」なんだか恥ずかしくて、サトルは俯き加減に言った。


「そうそう、それでいいのよね、ヒメちゃんもちゃんとサトルちゃんのこと呼んであげなよ」


 そういってちらりと助手席を見るおハナさんの瞳は、なんだかヒメコちゃんをからかって楽しんでいるようだ。


「え?えっと、その・・・サトル、くん」


「うんうん、それでよろしい、ほほほほ」


 照れている妹を横目に、一人楽しそうに高笑いするおハナ姉さんは、サトルの家に着くまで終始この調子で、車の中はおハナさんの独壇場と化していた。




「お仕事でお疲れのところ、わざわざ送っていただいて、申し訳ありません」


「いえいえ、楽しいドライブが出来ましたから、私の方こそ仕事の疲れが癒されまして、お礼を言いたいほどですわ」


 お母さんが深く腰を折りながら言うと、それに負けじとおハナさんも腰を折りながら答えた。


「よろしかったら、夕飯をご一緒にいかがですか」


「明日も早いので、今日はお気持ちだけ頂いていきます」


 お母さんの甘い誘いをさらりとかわすと、またの機会には是非と言っておハナさんは玄関を後にした。


「おハナ姉さま有難うございました」玄関の外で待っていたリンが、目を輝かせながらおハナさんに言った「また遊びに行ってもいいですか?」


「可愛いリンちゃんなら、何時でも大歓迎よ」


 大人の余裕のような微笑で答えるおハナさんに、リンは憧れの眼差しを隠すことなく投げかけている。


「あの、有難うございました」


「いいのよサトルちゃん、これからもヒメちゃんとは仲良くしてあげてね」


 礼を言うサトルに微笑みながらも、妹のヒメを気遣うおハナさんは、右手をひらひらと振りながら「またね」と言って赤い軽自動車車に乗り込み、ヒメコと共に来た道を帰っていった。


「すごい格好いい姉妹だね、なんでお兄ちゃんなんかの友達なんだろう」


 今日の出来事などすっかり忘れてしまったかのようにサトルの隣で言うリンに、眉毛を引きつらせながらも聞こえない振りで、沈もうとしている夕日の中で下り坂を遠ざかっていく車を、サトルは目を凝らして追いかけていた。





 ハンドルを握るおハナさんは、来た時とは打って変わって神妙な顔つきで道路の先を見つめている。


「ねえヒメちゃん、あなたも気が付いているわよね」


 抑揚のない問いに、ヒメコが短く「ええ」と返事を返すが、そこで会話は一度途切れ、夕暮れに赤く染まる住宅街の中で、音の無い車内に響く虚しいロードノイズが重苦しさを誘う。


「どうするかは、あなたが決めなさい、猫姫ビョウキ


 猫姫と呼ばれたヒメコは何も答えず、その瞳には外を流れる夕刻の風景のように、憂いを纏っていた。




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