09__気の毒な側近 2
まだ 2日目の続きです。
___視点:国王 側近 - クランツ=バルトロメイ___
私と シズ様が資料庫から戻ると、執務室に アシュリー姫が いらしゃっていた。
アシュリー姫は 硬直しておられた、陛下の腕の中で。
当然だ、あの方は そう云った事に とことん懦くていらっしゃる。
勿論、開口一番『放しなさい!』と言ってやりたかったが、室内に大臣達がいては それも出来ない相談だ。
そんな訳で、私は まず大臣達を追い出した。
休憩だと言って 執務室から大臣達を排除し、彼等が 隣室からも離れたのを確認してから、アシュリー姫を解放させた。
陛下は 何かを言おうとなさっていたが、その暇など与えさせなかった。
後になると 信じられない事をしたな、などと惟う。
惟い返すと、震えがきそうになる。
だから、考えない事が肝要だ。
私は、アシュリー姫から陛下を引き剥がし 間髪入れずに仕事の催促をした。
大臣達を『休憩だ』と言い 追い出したからと云って、何も 本当に休憩をする必要はない。
啻でさえ、アシュリー姫を呼び寄せる為に 態と手を止めていたのだ。
執務室へ 姚しい華が来たのなら、この先は 馬車馬の様に働いてもらわねば!
そう惟っていたのだが、執務室で 沢山の書類が乗った大机を前に、陛下は 手を止めていた。
普段なら『手を休めない!』と 陛下を諌める私だが、今は 私の手も止まっている状態だ。
自分の事を棚に上げて 国王を叱る程、私は図太くはない。
因みに、宰相-シズ様の手も止まっている。
仕事の鬼と謳われる シズ様までもが、無言で 一点を見詰めていた。
陛下と シズ様の視線は、執務室の端にある 小振りなテーブルの前に竚つ アシュリー姫へ向けられている。
彼女は、テーブルに揃えられたティーセットを前に 竚ち尽くしている。
アシュリー姫は、陛下のセクハラから解放され 落ち着かれると、お茶を淹れてくださろうとした。
女官達が搬んで来た 茶器などは、執務室のサイドテーブルに用意されていた。
アシュリー姫は その前まで進み出て、そのまま 動かなくなってしまった。
陛下達と同様、私の手が止まっているのも 彼女が原因だった。
「 –––––––––––––………… 」
女官達に 茶の準備をさせておきながら、それを前にしても 一向に茶を淹れようとしない。
この状態が、5分近く続いているのだ。
これは、私の睛にも 奇異に留まっていた。
私が 声を掛けていいものか 悩んでいると、陛下が 口を敞いた。
「もしかして、何か 怒ってる?」
先程 大臣達に対する『妃-大好きアピール』に使った事が 気に障ったのか、との問いに アシュリー姫は 小さく首を振る。
「いいえ」
「迷惑だったんじゃない?」
「そうでは、なくて……… 」
だいぶ 歯切れ悪く、アシュリー姫は そう答えた。
彼女が こう云った態度をとる時は、何かがあるのだろう。
そう感じた私は、眼の前の書類を そっち除けで 小首を傾げた。
「何か 厄介事ですか?」
そうとしか惟えずに掛けた問いには、返事を貰えなかった。
どうやら 無視をした訳ではなく、何かが気になっているらしい。
それこそ、こちらの声など届かないくらいに。
「 ………… 」
そう察したのは、私だけではなかった様だ。
陛下は、執務用の椅子を竚った。
「談して? アシュリー」
心配事も 疑念も、教えてほしい。
そんな言葉に、アシュリー姫は 数瞬の間を擱いて 呟いた。
「こちらでは………女官や 侍従官などは、どうやって お決めになるのでしょう」
これは、先程の陛下の問いに答えたと云うより、ただの独り言だった様に惟える。
怕らく、陛下の問いも聴こえていなかったと推察される。
独白の様な問いに、シズ様が 小首を傾げている。
疑問を懐いている様だが、アシュリー姫の思考が判らずにいる訳ではないだろう。
シズ様は、恐ろしく頭の良い方だし。
その証拠に、睛が悚い。
或る程度 察しが付いてしまった、と その顔に書いてある。
これからは なるべく 正面の席に視線を向けない様にしよう、寿命が縮んだら困るし。
「一応 身元の審査はしてるよ? 侍従官の中には 長く働いてる者も多いけど、女官達は 日の浅い者のほうが多いかな」
陛下は、大机を廻り 入口付近にいるアシュリー姫に歩み寄る。
「そうですね、女性は 入れ換わりが早いですから」
シズ様の言葉は、返答の様で 返答ではない、と惟う。
何手も先詠みをして、正しい結論を導き出そうとしているのだろう。
「 –––––––––––––………… 」
これは、アシュリー姫も同じなのか。
彼女は、無表情で ティーセットを瞰している。
正直、私には 詠みや勘を働かせるなんて事は出来ない。
そんな 凄技的な能力はない。
「誰か、気になる者でもいましたか?」
誰も訊いてくれないので、仕方なく 自分で問い掛けてみた。
「まぁ………いる、と云えば いる様ですね」
蒼い瞳には、吾々では視えない 何かが視えているのか。
用意されたポットを見詰めて、アシュリー姫は 再び沈黙した。
「また、毒でも?」
以前から、陛下と シズ様の湯呑に毒が仕掛けられていたと云う譚は、私も聴いている。
だから、今回も それについてだろう、と推察していた。
「はい」
その為、アシュリー姫の答えに驚く事はなかった。
アシュリー姫が〔森の妖精〕であると知らなければ、毒を仕掛け続けるのは 当然の事だろう。
気付かれているとは知らずに、同じ作戦を実行しているに佚ぎないのだ。
疾うに 解毒されている事を知ったら、どんな反応をするか愉しみだ。
「今度は ポット?」
彼女の肩越しに 顔を覗き込む様にして、陛下が尋ねた。
間近に迫ったラノイ様の顔に、アシュリー姫が、びくりと爲さっている。
先程の事もあってか、警戒をしているのが ありありと判る。
《 あーあ、厭がる事など しなければいいのに。》
脅えられるのは、はっきり言って 陛下の自業自得だ。
尤も、図太い あの方には韻かないだろうが。
陛下の接近に気付いていなかったアシュリー姫は 急いで離れようとするが、前にはテーブルがあり 後ろには陛下がいる。
横へ遁れんとした彼女の往く手を塞ぐ様に、我が王は 両腕を拡げ 囲いを作っている。
陛下は と云うと、アシュリー姫の脅えを含めて、彼女を困らせて面白がっているのが 丸判りだ。
本当に、この方は 人が悪い。
と云うか、遣り方が 子供だ。
「アシュリー?」
どうしたのだと言わんばかりの態度で、陛下は アシュリー姫の顔を覗き込んでいる。
判っておられるだろうに、本当に こう云う時の陛下は 意地も悪い。
事実、彼女は逃げ場を失って 身を縮めている。
《 ああ、脅えられている。》
私は、はらはらしながら 王と〔森の妖精〕を見ていた。
彼女は、魔法属として『幼い』とは云え 高位の魔法使いだ。
吹き飛ばそうとすれば、この王宮くらい 簡単に消し去れるらしいとも聴いた。
あの方が やる気になれば、陛下くらい どうとでも出来るだろう。
それをしないのは、アシュリー姫が 類をみない程の お人好しだからだ。
こんな ちっっさな国の内情など、アシュリー姫には 一切 関係ないと云うのに。
今は〔獅子王〕の仮初めの妃になってくださっているが、そもそも アシュリー姫の お立場を考えれば、相当な無礼に當たる。
大体、今回の事だって 幾らでも断れただろうに、知り合ったばかりの陛下やシズ様の為に ラッケンガルドへ残ってくださった。
本当に お優しい方だ。
だから、陛下に『付け入られる』のだ。
「毒は、お湯に溶けてるの?」
追い込んでいる陛下は、眼の前の美女の脅えなど見えてもいないかの様な態度だ。
《 す〜んごく悚がっているじゃないですか。》
そう言ってやりたかったが、アシュリー姫の返答が気になった私は 言葉を飲む事にした。
「ぅ、器にも、塗られています」
軀ばかりか 声まで硬くさせて、アシュリー姫が答えた。
今にも抱き締められそうになっているんだから、当然だ。
アシュリー姫を お侑けするべきか逡巡する合間に、私は、迂闊にも 正面へ視線を向けてしまった。
広いスペースを挟んで 向かいの席にいるシズ様は、ペンを手にしながら 虚空を見据えていた。
途切れ気味の言葉を耳にしたせいか、シズ様の顔が 先程よりも悚くなっている。
今なら その睛力で、私の呼吸くらい 止めてしまえそうだ。
云うまでもない事だが、私は、即座に シズ様から睛を乖らしている。
体温が 急激に上がり、背中に じっとりと汗が泛いていくのが判る。
あの一瞬で、間違いなく 数ヶ月分の寿命は縮んだだろう。
書類を読むフリをして俯き、そんな事を考えている間にも 陛下の質問は重ねられていた。
「湯と 器の両方に?」
「はい………ですが、効果も 毒性も異なるモノです」
これを聴いて、正面から漂ってくる気配が変わった……様な感じがした。
悚いモノ見たさ、とは 厄介な心理だ。
見てはいけないと頭では判っているのに、衝動は これに忤い、恐怖対象の恐怖度合いを その睛で確かめずにはおれなくなる。
愚かな私は、惟わず 顔を上げてしまった。
シズ様は、眉間に皺を寄せ 険しい表情をしている。
「っ〜〜〜〜⁉︎ 」
凄いですね、本当に 人を殺せそうですよ。
出来る事なら、シズ様を見ない様に 背を向けていたい状況です。
可能なら、一刻も早く この部屋から逃げ出したいですね。
たぶん、足が竦んで 歩けもしないでしょうが。
「それは ブッキングした、って事かな」
「尠くとも 2人、毒を仕込んだ者がいる、と云う事ですか」
陛下が呟くと、シズ様も 苦々しく言い零した。
こう云う時の シズ様は、本当に悚い。
流石は 陛下の兄上様だと実感させられる。
お母上様は違うものの、同じ血筋にあるせいか、恚りを滲ませると 同等の威圧感を醸し出すのだ。
私には、この環境は息苦しい。
実際に、本当に息苦しかった。
私の周りの酸素が薄くなったのではないか と惟う程に、呼吸をしてもしても 酸欠状態が続いている。
そして、これは 私だけの変化の様だ。
「どっちが どんな毒?」
「器の毒は、昨日と同じモノです」
陛下も アシュリー姫も、酸欠状態にはなっていない様だ。
勿論、私を呼吸困難にしているシズ様も 何ともないのだろう。
椅子に座って 尚、倒れそうになっている 私を余所に、3人の会話は続いている。
「口にする程に効力を増し、ゆっくりと体調を垉させるモノ、でしたね?」
シズ様の確認する様な言葉に肯いてみせてから、アシュリー姫は、改めて ポットを瞰した。
「ですが………ポットの毒は、即効性のモノです」
「 ––––––––––––死ぬんですか?」
「いいえ。綜て飲み干しても、数日 寝込むくらいでしょう」
その瞬間、陛下と シズ様の睛に剣呑な光りが宿った。
当然だろう、と惟う。
何を狙って その毒が仕掛けられたのか、私にも判る事だ。
それだけに 憤りは判る。
だが! 2人-同時に怒気を発するのは罷めて頂きたい!
今し方 気絶しそうになったんですよ⁈ いい大人が!
《 迸る怒気を 波動の様に放つのは、毒を仕掛けた者に対してだけにしてもらいたい。》
そう言えれば良かったが、もう、喉が からからだ。
毒が入っていてもいいから、早く お茶が飲みたい。
何なら 毒でも飲んで、数日 寝込んでいたほうが 軀の為にいいかもしれない、とまで惟う。
「ふぅん」
陛下が、鼻先で嗤う様にしつつ そう言い零した。
慄しい。
雍かかった 我が王の声は〔獅子王〕の それに変わり始めている。
「つまり、狙いは 陛下の生命ではなく、唯一の妃である アシュリー姫を陥れようとしての事だ、と」
「だろうな」
シズ様の恚りを滲ませた言葉に、陛下が 冷ややかな声で同意した。
「後宮へ身内を入れたい連中にとって、アシュリーは 眼障りでしかない。妃が淹れた お茶で『国王の毒殺未遂』などと云う騒ぎでも起これば 簡単に引き摺り降ろせる、とでも考えたか」
「相変わらず 姑息なマネを」
陛下に続いて シズ様も、溜息-淆じりに 独白とも付かない言葉を呟いた。
ゆったりと喋っているが、2人共 慄しい怒気を滲ませている。
最早、殺気と呼んでやりたいくらいだ。
勿論、最初の犠牲者は 私だろうが。
《 これで死ぬとなったら、余りにも 短い人生だ。》
何で こんな人達に仕える事にしたんだろう、などと 過去の短慮を嘆いてみる。
硬直し 酸欠になり 干涸びそうになっている私とは 打って変わって、アシュリー姫は 穏やかだった。
「わたしが『毒薬を作れない 唯一の魔法使い』であると知らなければ、こうする事が 最も効果的でしょう」
何でもない事の様に、そう 結論付けている。
この姫が怒る事など あるんだろうか。
自分が嵌められ様としていたと云うのに、どうして そんなに穏やかでいられるのか。
陛下や シズ様が、恐怖と威圧の波状攻撃を 私に強いていなければ、私だって 怒気を言葉に載せていただろう事態なのに。
どうか、陛下達は この穏やかさを見倣ってもらいたい。
ええ、今 すぐに。
「問題は それが誰か、だ」
相変わらず 薄い笑みを泛かべたままで、陛下は ポットを見据えている。
睛が笑っていないのに 表情だけは笑っていると云うのは、何度 見ても慄しい。
整い佚ぎている顔だけに、迫力がある。
雍かく笑んでいれば、お母上-似の 姚しい顔立ちをしておられるのに。
《 何にせよ、莫迦なマネをしてくれる。》
出会ったばかりとは云え、アシュリー姫は 陛下の『お気に入り』なのだ。
アシュリー姫に害となる者を、この人が赦す筈がない。
今 陛下の頭の中では、何人かの可能性を吟味しているのだろう。
晣らかに、先程よりも 猙々しい怒気を発している攸からも それが俔える。
尤も、これは シズ様も同じだった。
流石は ご兄弟であらせられる。行動が似ていますよね。
でも、罷めてください。
即刻、罷めてほしいんです。死にそうです!
「買収されている女官や 侍従官がいるかもしれませんね」
この茶器も 湯も、後宮付きの女官達が用意したモノだ。
だが、直接 搬んで来た者でなくとも、前以て 毒を仕込む隙はある。
厨房に出入りする者は 云うに及ばず、途中で擦れ違った者達にも 不可能ではない。
対象人物は どれ程になるのか、今は 見当も付かない。
それを 短時間で知る術を持つのは、アシュリー姫くらいだろう。
「アシュリー」
行動を促す様に、陛下は、再び『幼い魔法使い』の顔を 後ろから覗き込んだ。
仕込まれた毒が視えるなら、仕掛けられる前の毒も視える筈だ。
それを持つ者を 彼女の眼力で捜し出せば、問題解決は早い。
私も、その案が最善策だと惟う。
しかし、アシュリー姫の返事は 異なっていた。
「じきに判りますよ?」
捜す気のない言葉に、陛下の眉が寄っている。
それでも 笑顔を保っているから、尚 悚い。
余りに悚くて 睛が乖らせないくらいだ。
私としては、何故 アシュリー姫が悚がらないのか不思議でならない。
「 –––––––––––––………… 」
一方、シズ様は 難しい顔で沈黙している。
黙られるのも悚いので、何か喋っていてもらいたいモノだ。
「アシュリー」
陛下は、何かを含んだ様に、背を向けたままの魔法使いを聘んだ。
これに、アシュリー姫が 首を竦める。
毒を飲まされるのは 陛下になるが、真の標的は ラッケンガルド王-唯一の妃だ。
つまり、アシュリー姫を 失脚させる事だ。
そう惟えば、陛下の誘導も 尤もだと惟う。
「っ、じ……じきに………… 」
先程と同じ言葉を繰り返したかったのだろうが、流石のアシュリー姫も 声を詰まらせた。
しかし、この返答は 拙かった。
自分に降り掛かる火の粉を放置する様子に、我が王は 態度を変えた。
逃げ道を塞ぐ為に 拡げていただけだった両腕で、柔かく彼女を抱き締めたのだ。
「きゃ、っ」
後ろから、肩と腰を抱き込む様に 腕を回したのだ。
あの姫なら、厭がって当然だった。
寧ろ 小さな悲鳴に留めてくださった、と云うべきだろう。
《 無礼な腕など 魔法で払い除けて、顔面に 強烈な平手打ちでもしてしまえばいいのに。》
そうすれば、陛下も 少しは慎むかもしれない。
アシュリー姫は、やってくださらないだろうが。
「アシュリー?」
尚も びくん と撥ねた軀を 後ろから包み込む様に抱き、返答を促す。
「捜さない気か?」
自分の希む返事を引き出そうとする〔獅子王〕にも、彼女の答えは変わらない。
「じ、じきに 判る事、です」
捜そうとすれば、必ず 周囲に違和感を懐かせる。
それは、証拠を隠滅する猶予を与える上 牽制にもならない。
必ずある『背後の糸』を辿る前に 逃げられでもすれば、根本の解決には繋がらない。
陛下の腕の中で 身を縮めながら、アシュリー姫は そう付け加えた。
確かに、正論だ。
しかし、これには『探査する者が 一般の者達だった場合は』と云う文言が 上に付く。
見るだけで判別出来る事を知らない者達が、アシュリー姫を警戒する筈がないのだ。
王宮へ来たばかりの妃が いろいろな場所を見て廻っている、と云う体を妝えば そう警戒されるモノでもない。
何せ、持ち物検査をする攸か、直接 問い質す必要もないのだから。
そうである以上、かの姫が あれこれと上手くもない理由を付けているのは、そうしなければならない何かがある……と云う事なのか。
私には、これ以上は 想像も付かないが。
これは お任せするほうがいいのかもしれない、と惟えてきた。
尤も、陛下達は 私とは違った。
アシュリー姫の発言を受けて 何事か考え付いたらしく、陛下が 一際 悚くなった。
元々 慄しい人だと云うのに、更に増すとか 罷めてほしい。
私の精神と 寿命の為に、本当に罷めてほしい。
「 …………判った」
溜息-淆じりに 承諾して、陛下は エスファニアの魔法使いを放す。
そして、適切な距離をとる様に、数歩 退いた。
「攸で、お茶は なしになるの?」
残念そうな声で催促をした陛下は、一瞬前までとは 表情が違う。
発せられていた猙い気配も 険しい表情も熄え、和やかな睛をしている。
私も、漸く 息が出来る様になってきた。
だが、まだ 喉は からからだ。
このまま 咽の皮膚が貼り付けば、今度こそ 呼吸困難で死ぬかもしれない。
それを回避する為にも、出来れば、一秒でも早く お茶が欲しい。
何なら、そのポットの中の 冷め切っているであろう微温湯でも構わない。
毒入りのままで構わないので、早く ください。
「いいえ」
アシュリー姫は、ポットと湯呑に 軽く觝れる。
たった それだけの事で、綜ての毒は 効果を失った様だ。
相変わらず、何と便利な能力だろう。
私にも使える様になるのなら、すぐ樣 弟子入りしたいくらいだ。
彼女は 茶器の解毒もし、お茶の用意に移った。
まずは、冷め切ってしまったポットの中身を 湯に戻す攸から始まった。
解毒の済んだポットの上に 手を翳しただけで、蓋の隙間と注ぎ口から 勢い良く蒸気が噴き出した。
ポットの蓋が軽く持ち上がり、かちゃり と音が発つ。
これなら、再度 女官を呼び寄せ 改めて湯を用意させる必要もない。
それにしても、湯にする魔法も使えるなんて、何と便利な……。
私は 陛下の魔法しか見た事はなかったが、アシュリー姫は、御伽噺にある様に 火や水をも自在に操れるのだろう。
而も、火を出さずに熱を発すると云うのは 高等技術だったりするのではないだろうか。
今度、詳しく訊いてみよう……後日、気力と体力が戻って 真面に喋れる時に。
「今日は、ほうじ茶に致しましょう」
手際良く お茶を淹れ、まず 陛下へ差し出す。
「ありがとう」
アシュリー姫は、シズ様と、畏れ多くも 私の分まで ご用意下さっていた。
嬉しいです! 感謝しますっ。
喉 からからでした。
「ありが と、ござ ぃま す」
口内が乾燥し佚ぎると、上手く喋れなくなる。
それでも、辿々しく 礼を述べてから、私は ほうじ茶を啜った。
そして、瞠目し 沈黙した。
瞠った睛は、ほうじ茶の 茶色い水面を見据えたまま 動かなかった。
頭の中を、僅かな疑問と 数多の感動が駆け巡っていた。
アシュリー姫の淹れる お茶が美味いと云う譚は、知っていた。
昨日 シズ様が『実に美味い お茶だった』と、珍しく 熱弁しておられた為だ。
確かに これは素晴らしい!
普段の茶葉と違うのでは、と惟ってしまうくらい 美味い。
「美味しいよ」
「ええ、本当に」
陛下と シズ様が賛辞を送っている。
私も 賞賛を送りたかったが、驚きの余り 声が出なくなっているらしい。
どうも、昨日から驚かされてばかりな気がする。
序でに、先程の 肉体に響く精神疲労が、洗い流されている気がする。
喉の渇きも、肉体-及び 精神的な疲労感も、もう感じない。
「わたしの仂は、生命を育むモノですから」
何とも 控えめな言葉が返ってきた。
此処は 素直に喜んでいいと惟うのだが。
「 ––––––––––––魔法使いの中でも 稀では?」
「いいえ、そう 珍しい天賚では ございません」
「そうなんですか?」
「実際に〔緑の手〕や〔癒しの手〕と云った天賚を具える方は、魔法使いでなくとも いらっしゃいますよ。事実、わたしの母も、同じ仂を具えておりました」
「でも、魔人や魔女で そんな噺を聴きませんが」
「魔法使いは、とても 長寿ですから」
「?」
解答を貰う度に 新たな質問を重ねていたシズ様は、アシュリー姫の返答に 小首を傾げられた。
旁で聴いていた 私も、同じ事に引っ掛かっていた。
魔法使いが長寿だから? 何だと云うのか? と云う疑問だ。
確かに、御伽噺で 魔法使い達の多くは『老獪な魔人』やら『狡猾な魔女』やらと謡われている。
そして、総じて 長寿であると云ったニュアンスを含んでいる。
明確に謡われてはいないが、1度でも御伽噺を聴いたことのある者ならば 同じ印象を懐いた筈だ。
それを 今更 云われても、何を示唆しているのか判らないのだ。
これについては、陛下が 答えをくださった。
「つまり、永く生きる内に『生命を育む』って心が薄れるのさ。闇の仂ってのは、そう云うモノなんだ。そのせいで、使える筈の仂も 揮えなくなるんだよ」
陛下は、戒縛などと云う 魔法使いにとっては凶悪な天賚を具える上、幾つかの魔法も使い熟す。
元々、魔法使いに準ずる魔力があったのだとかで、幼少期に 魔法使いの弟子になった事があるとか ないとか。
それだけに、陛下は、魔法使いの事情に お詳しい。
「アシュリー姫は……… 」
彼女は『幼い魔法使い』だ。
ほんの13齢の、魔法使い達にしたら 赤児の様な齢の人……だそうだ。
御伽噺で『老獪な』と語られる程に 永く生きた魔法使い達とは違う訳か、と 漠然と惟った。
「わたしは、殊更 この仂が強いのです」
どうやら、それだけではないらしい。
《 それも『光りの仂』に因るんだろうか。》
私には 全く判らないが、強力な光りに属する魔法使いだと云うし。
「お陰で 安心して飲み喰いが出来るよ」
陛下の声も 表情も、すっかり和らいでいる。
先程まで 赳しいまでに険しかった気配が、嘘の様だ。
「お役に立てて 何撰りです」
ええ、役に立っていますとも。
とても 役に立ってくださっていますよ。
陛下は仕事をしてくださるし、あの悚さを緩和してくださるし、大援かりです。
陛下や シズ様の お生命を護ってくださっているばかりか、2人の脅威から 私の寿命をも護ってくださっていますよ。
《 勿論、この場で お伝えする事は(慄し佚ぎて)出来ませんが。》
そんな事を惟いながら、手許の ほうじ茶を 大切に大切に啜っていた。