06__ラッケンガルドの宰相
まだまだ 1日目の続きです。
___視点:宰相 - シズ=ラトウィッジ___
「どう云う事か 教えてくれるか?」
執務室へ移動し 2人だけになった事で、シズは そう尋ねた。
並み居る臣下のトップに立つ宰相とは云え、一国の王であり 主人である青年に対する言葉遣いではない。
しかし、ラノイに それを咎める気はないらしい。
それ攸か、驚いた様子もない。
「何で、アシュリー姫は 未来を教えなかった?」
前以て知っていながら、従兄でもあり 主人でもある王に危険を教えなかったのは 何故なのか、と惟うのは 当然の疑問だろう。
「予見の結果は、そう簡単に談せないんだよ」
「だから、どう云う事だ?」
「未来を知るって云うのは、普通の事じゃないでしょ?」
それを云ったら、魔法だって 大概 普通ではない、と惟うも シズは言葉にはしない。
「特に 未来は、扱いが難しいんだよ」
「過去・現在・未来と云った時間は〔時の女神〕の領域だ。特に未来を知るって云うのは 特殊な事で、アシュリーの場合は、尚更ね」
説明にならない言葉を 言い濁し気味に呟いて、美形の若き王は 淋しそうに微笑んだ。
「未来を知るって行為は『〔時の女神〕から未来を窃む』に等しい事なんだ。だから、知った者には 罰則が科せられる」
知り得た未来に関わる者・関わらない者に抅らず、代価なしに語る者には 相応の罰則が適用される。
それは、知りたくて視た者であろうとも 知る気がないのに視えてしまった者であっても、同等に降り掛かる。
「 …………実際には、どんな?」
「まぁ、知っちゃった未来の程度に因るらしいけど……… 」
前置きをして、ラノイは 曾て教えられた知識を 幾つか語った。
過去でも 現在でも、気軽に語る事が憚られるが、未来は 断トツに扱いが難しかった。
「つまり、相応の代価の遣り取りがなければ その身が切り裂かれる、と云う事か?」
「緻い条件は 僕には判らないけど、突然 傷を負ったり、何かと 不幸が降り掛かったり、寿命が短くなったりするそうだよ」
未来を談すと云う事は、未来を変えると云う行為だ。
何をするでもなくとも、その可能性が生まれる限り 罰則は発生する。
勿論、二次的に『知ってしまった一般人』に対しても 同等の制約が適応されるのだ。
それを知っていれば、気軽に談せる筈がない。
誰にも言うな、などと忠告をしても 危険には変わりない。
何かの弾みで、王が 魔法使いから聴いた未来を 誰かに談してしまったら、その罰則で 王は生命を殞とす危険すらあるのだ。
魔法に疎いシズにも、良い未来も 悪い未来も、不用意に談せなくなるのだと理解が及んだ。
「成程、談さずにいる危険よりも 談した時の危険のほうが大きいな」
これに因って、魔法使いは 知り得た未来を誰にも談せなくなっていたのだろう。
納得の理由だった。
「敵国になりそうな国の 貴族の娘との婚姻は、国家が関わる事態だ。事の重大さから云って、代価は 安くなかっただろうしね」
「もし 忠告しようとすれば、国家単位の代価が発生する可能性もあった……か?」
「大凡 そんな攸だと惟うよ」
否応なく 納得してしまった。
もし、これが希まない未来に綰がったなら、彼女は 躬ら動いて それを描き換えていただろう。
「 …………成程、難しいモノだな」
大きな溜息を咐きながら、シズは 天井を仰いだ。
「たった 13齢で、背負うモノが大きいな」
「特に、アシュリーが視る未来は 決まってるからね」
「 ––––––––––––どう云う事だ?」
「アシュリーは、予見の仂を封印してるんだって。だけど、小さい頃に縣けた封印が完全じゃなくて 視えちゃうんだよ、もう『決定した未来』がね」
それは、魔法使いが何もしなければ 確実に実現する未来、と云っても良い。
確度の高い予見は、代価も それなりになる。
だから、魔法使いの視た未来の代価は どうしても高額になる。
つまり、扱いは 更に難しくなる。
安易に談しても、相手は 代価を払えない事が殆どだからだ。
そうなれば、払い切れない代価は 聴いた相手に撥ね返るか、魔法使いが肩代わりをして払う事になる。
「 –––––––––––––………… 」
シズは、絶句してしまった。
加えて ラノイが語った譚に因ると、彼女は 視たくて視ている訳ではないとの事だった。
封印が 完全なモノではなかったが故に、傍にいる人物の未来を 不意に視てしまうらしい。
本人の希まぬ予見で、知りたくもない不幸を視てしまう事もあるのだろう。
そう考えると、不憫になってくる。
「彼女には、優しくしよう」
妙な方向に 決意を固めた様だ。
シズは、神妙な顔で そんな事を口にしている。
それを見て、ラノイは 小さく笑った。
「そうだな、丁重に扱ってくれ」
きっと無理だろう、と惟いながら、ラノイは 山の様に積み上がった書類に向き合った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔獅子王〕- ラノイ=アシュリオン=ラッケンガルド___
僕の王妃(今の攸は 仮)となったアシュリーの部屋にと用意させたのは、後宮の中の 一棟だ。
王宮内にある『後宮』は 建物の名称じゃなく、区域の総称だ。
其処には 何棟もの建物があり、その1っ1っが 1人の妃-専用の『家』になっている。
各棟は 回廊で綰がっており、アシュリーに割り当てたのは 後宮の入口に近い棟だ。
比較的 小さな棟で、本来は 正妃に宛てた棟じゃない。
云うなれば、最も身分の低い側妃に宛行われる場所だ。
部屋は それなりに広いが、衣装部屋を含め 4部屋しかない。
彼女には 不釣り合いに惟ったけど『なるべく 傍に置きたい』と云う願望から こうなった。
クランツには 説教に近い反論を啗ったが、珍しく シズが取りなしてくれた。
最終的には『アシュリーを快く惟わない者達に 反感を買われない為にも』と説得した。
クランツは、苦い顔をしながら 押し黙っていた。
エスファニア王国の 王家の血を引くと知るからこそ、この扱いは あんまりだと云う惟いと、正妃として扱えば 敵を増やすだけと云う意見にも納得だと云う惟いがあったのだろう。
葛藤を擁えているのは判っていたが、放置した。
クランツが黙っている内に、事を進めてしまったほうがいい。
そんな訳で、面倒な事を言い出される前に 手配を完了させた。
《 アシュリーは、煌びやかなのは好まないだろうし。》
気に入ってくれているといいが、と惟いながら 後宮へ急ぐ。
人眼はないが、走る訳にはいかない。
気持ちは急ぐが、飽く迄も悠然と 回廊を渉った。
《 近くにして良かった。》
すぐに、アシュリーのいる棟に着く。
そう云えば、何で 歴代の王達は、正妃の棟を奥にしたんだろう?
絶対に 近いほうがいいのに。
アシュリーを正妃に迎えても、やっぱり 部屋は此処にしようと惟う。
仕事を終えたら、すぐに会いたいしね。
部屋に入ると、がらんとしていた。
女官達がいない事に 軽く違和感を覚えながら、奥へと進む。
次の間に入ろうとした処で、アシュリーの声が緲かに聴こえてきて 安心した。
吾知らず、そろりと次の間に近付く。
部屋の中は、蝋燭が醸し出す 軟らかい色の光りで満ちていて、その一郭に アシュリーがいた。
後宮の各棟には、備え付けの大きな鏡がある。
「その様な経緯で、暫く 帰れそうにありません」
アシュリーは、その前に座って 鏡の向うへ談し掛けている。
その視線は、かなり低い。
「確かに そうなのですが、見過ごせない事も 幾つかあって」
鏡に魔法を掛け、遠く離れた何処かに連絡を取っているんだろう。
そう察して、部屋の入口で趾を停めた。
「これから、何かの時に備えて 結界を築きますので、どうか、我儘を お赦しください」
会話の片方しか聴こえないが、内容から 談している相手は 彼女の主人なのだ、と見当を付ける。
エスファニア王に、長期間 留守にする許可を取っているのだと判ると 何だか嬉しくなった。
「ぁーーー……それは………… 」
何を言われたのか、アシュリーは 少し困った様に 言葉を途切れさせた。
暫く、沈黙したまま 何事かを考えている。
「そうですね、何も言わずに来てしまいましたから」
確かに、現在の状況は 何の予定にもなかった事態だ。
彼女は 視察に来ただけだった訳だし、今日中に帰るつもりだっただろうし。
そう惟うと 悪かったと云う気がしないでも……いや、しないな。
傍から離したくないんだ。
アシュリーの希みが どうであれ、尠くとも 当面は無理だ。
知らなかったら 帰してあげられたかもしれないけど、あの甘露を味わって手を放せる程 無欲じゃない。
「 ––––––––––––はい、判りました。仰せのままに」
いつの間にか、何がしかの折衷案が爲されていたらしい。
その一言を最後に、アシュリーは 鏡の前を離れた。
「終わった?」
声を掛けると、アシュリーが こちらを見た。
蒼い瞳が 軽く驚きを泛かべているのが判る。
「いらしたのですか」
驚くのも無理はないと惟う。
アシュリーは、部屋に 障壁を張っていた。
途中で誰かが入って来た時の事を考えてか、不可視と 不可侵、この2っの障壁だった。
それを視透したんだから、吃驚もするだろう。
「うん、さっきから」
部屋に入り アシュリーの許に近付きながら、そう答えた。
「それは、失礼を致しました」
そう言いながら、アシュリーは 部屋に備え付けのソファを勧めてくれた。
遠慮なく ソファに腰掛け、背凭れに 体重を預ける。
「ふーーーーうぅぅ」
惟わず、大きな溜息が零れた。
冗談でも 揶揄でもなく、山の様に積まれていた書類を ノンストップで精査してきたんだ。
このくらいは 赦されるよね。
「お疲れ様でした」
アシュリーは、お茶の準備をしながら 犒いの言葉を掛けてくれた。
どうしてだろう、シズやクランツと同じ言葉なのに 全然 違って聴こえる。
褒められて嬉しい歳でもない筈だけど、素直に嬉しかった。
《 頑張って良かった。》
それも これも、アシュリーの淹れた お茶の効果なんだろうけど。
「あの お茶、良く効くなぁ」
「疲労回復の お茶でも、お淹れ致しましょうか?」
本当に疲れていると察したのか、遣り佚ぎた と惟ったのか。
アシュリーは、そう提案してきた。
「 …………そうだね、お願いしようかな」
「畏まりました」
きっと、これも 良く効くんだろうな。
後 2〜3分で、この疲労感も消える筈だ。
何より、彼女の お茶は美味しい。
どんな効果があろうと 愉しみでしかなかった。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
お茶を飲みながら、隣に座らせた美女を見る。
対面にもソファはあるんだけど、ゴリ押しをして 隣に座らせたんだ。
「アシュリーは、帰りたい?」
ふと、そんな事を口趁ってしまった。
「あっちには、君の王様もいるしね。平和だとしても、離れてるのは 心配でしょ?」
何度も 帰りたいと言っていたんだ、帰りたいに決まっているのに。
莫迦な事を訊いたな と惟っていると、予想外の言葉が返ってきた。
「陛下の心配は しておりません」
「え?」
「あちらには、優秀な執政官がおられますから」
数ヶ月前に亡くなった ヘリオス=リンザー=クェンティンは、元は騎士で 老成してから執政官に収まった実力者だと聴いた。
各国に 独自の人脈があり、国の内外に 睨みも利き、知識の広い 有能な執政官だったらしい。
その跡を 誰かが継げるとは惟えないんだが。
「ヘリオス殿の跡を 誰が………?」
「リンザー様に育てられた猫が、立派に継いでおられます」
想定外の生物が 後継者になっている……啻の猫に 政治や外交が出来るとでも?
「猫? –––––––––––––––っ、あ!」
1っ、可能性を惟い付いた。
実際に見た事はないけど、魔法使いには『使い魔』と云う存在がある。
それは、文字通り 魔法使いの為にある存在。
1から魔法で生成した生物に 名前と存在意義を与えるか、元々 存在していた生物に 名前と存在意義を与えて使い魔とするか。
方法は 2っあるが、どちらも 特殊な生命体だ。
与えようと惟えば 世界有数の叡智も授けられるし、通常の生物よりも 断然 長寿で頑丈だ。
強力な魔法使いの使い魔になると、幾つかの魔法も使い熟すらしい。
執政官に収まった『猫』は その類いのモノじゃないか、と閃いた。
「それって、ひょっとして……… 」
「その親猫は、わたしが 差し上げました」
つまりは、今 執政官に収まっている猫は、アシュリーの使い魔の 仔どもって事だ。
直接は アシュリーの使い魔じゃないけど、そもそも 血統からして『啻の猫じゃない』訳だ。
「 …………そっか」
この世の綜ての光りと 生命を司る〔森の妖精〕の使い魔の 仔どもだ。
たぶん、頓でもなく有能なんだろうな。
「じゃあ、もう少し甜えても いいかな」
ぽつり と、心の声が零れていた。
「はい?」
「ん〜ん、何でもない」
聴き取られなくて良かった。
警戒されたくない、させちゃ いけない。
強制は出来るけど、可能なら 遣りたくないし。
取り敢えず、今のは 内緒にしておこう。
「じゃあ、さっき 談してたのは、その執政官殿?」
「はい」
道理で 視線が低かった訳だ。
「お赦しは出た?」
「この国-全体に 対-魔法属用の結界を張る事と、明日の朝 陛下や侍従長へ報告をする事で、何とか」
確かに ラッケンガルドは小さな国だけど、そうは云ったって、3都市と 27町村は あるんだけど。
殆どが 不毛の大地だから、市町村の数も尠いけど、国土は 旧-ブルネア王国より大きいんだけど。
それでも、アシュリーは この国を結界で包んでしまえるらしい。
而も、大して苦労はない と云った様子で 言って除けた。
幼い魔法使いであるとは云え、強大な魔力を持つ所以なのかな。
「明日の朝ね」
それまでの間に 結界は張る事が出来る様だ。
アシュリーに 急いでいる様子はないし、必要なのは ほんの数時間くらいかもしれない。
「はい」
隣に座る美女の 小さな笑みを見た途端、ふと 惟った。
《 エスファニア王や 侍従長とやらが反対をしたら、アシュリーは どうするんだろう。》
アシュリーは、出生を匿して 従兄であるエスファニア王に仕えている。
彼を護るのは 亡き執政官との契約らしいが、それを抜きにしても 彼女は従兄を放っておかないだろうな。
危難が迫っていれば、何を差し措いても 救いの手を差し伸べる。
今日 会ったばかりであり、戒縛の仂で 無理矢理 留まらせたと云うのに、僕とシズの毒を浄めちゃうくらい お人好しだし。
彼等が『戻れ』と言い出せば、絶対に忤えない。
「ラノイ様?」
そう惟ったら、軽く混乱してしまった。
危うく 手の中の湯呑を取り隕とす攸だった。
「どうか爲さいましたか?」
小首を傾げると、長い銀髪が 軽く揺れる。
そんな 何でもない仕草が、凄く魅力的だった。
そのせいか、ちょっと意地悪をしたくなった。
ついさっき 隕としかけた湯呑を 茶托に戻して、アシュリーへ向き直る。
「攸で、今夜は どうする?」
「はい?」
何を言われているか判らなかったらしい。
蒼い瞳が こちらを見上げた。
じっと見詰め返していると、唐突に アシュリーが喫驚を泛かべた。
「 –––––––––––––––っ、ぇえ⁈ 」
急に狼狽え出した彼女に、にじる様に近付く。
「知らぬ場所での独り寝は 心細かろう?」
絶対 そんな事はないって判っているけど、敢えて そう切り出してみた。
ソファに座ったまま アシュリーのほうへ膝を進めると、彼女は、これまた腰掛けたまま 後摩去る様に離れる。
「ぃ、いえ、お構いなく」
僕に 距離を詰めさせまいとしてだろうけど、そもそも ソファの端にいたんだ。
追い詰めるのは 簡単だった。
「そなたは、私の妃だろう?」
肘掛に阻まれ、それでも 遁れようと竚ち上がりかけたアシュリーの腰へ 腕を回す。
細い腰を絡め取って、引き寄せた。
「初夜に 夫を放るのか?」
「わ、わたしは これから、国境を巡って 結界を……… 」
「朝までにやれば良い事だ」
少しでも離れようとする彼女に、こちらから身を寄せた。
晳ら樣に 強張ったのが、旁眼からも判る。
「そ、う ですが」
アシュリーは、上体を捩る様にした上、両腕を つっかえ棒にして 離れようとしてる。
無駄だって、判ってるクセに。
本当に 可愛い反応をするなぁ。
「1〜2時間、私と睦み合ってからでも、充分 間に合う」
態と、耳許で囁いた。
案の定、アシュリーは 跳び上がらんばかりの 過剰な反応を見せてくれた。
「そなたは 私の妃だ、構わぬだろう?」
絶対に拒絶が返ってくるのが判ってて、こんな事を言うのは 反応を愉しんでいられるからだ。
頬を赤くして ぷるぷる震えてるのが、可愛くて仕方ない。
この初心な魔法使いにとって、こんな事をするのも 僕くらいなんだろう。
そう惟うと、どんな反応でも嬉しいんだ。
まぁ、半分は 意地悪でもあるんだけど、本気で口説く時の参考にしようとも考えている。
どっちにしても、僕は 人が悪いって事に変わりないんだろうな。
「なっ………だ、駄目です!」
「どうしても?」
脅えを含んだ蒼い瞳を 覗き込む様にして尋ねると、小さめの頭が 何度も上下する。
何もかも 惟った通りの反応に、もう 苦笑しか出ない。
「頑なだなぁ」
声も出せずにいる 姚しい魔法使いを腕から放し、軀を離す。
「判ったよ、今日の攸は 引き揚げる」
そう言って、最後に アシュリーの頬を撫でた。
朱の差していた頬は 熱く、微硬直していた。
「お休み、アシュリー」
そう言って、アシュリーに 笑みを向けた。
彼女は、ソファの端に身を寄せるようにしているまま 僕を見上げていた。
真っ赤な顔をして、見上げていた。
ソファから竚つと、泣き出しそうになっていた瞳へ 笑顔を向けて、やや足早に 部屋を出る。
「は、はい。お休みなさいませ」
強張った声に送り出されて、僕は 部屋を迹にした。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:宰相 - シズ=ラトウィッジ___
執務室で精査された書類の整頓をしていたシズは、ふと ドアを振り返って、瞠目した。
其処には、長時間の執務を熟して 意気揚々と後宮へ邀った筈の人物がいたのだ。
而も、泛かない顔をしている。
「僕って、魅力ないのかな」
彼から談し掛ける前に、ラノイが 不満そうに そう呟いた。
「何です? 藪から棒に」
そう返しはしたが、大体の事情が判ってしまった。
「アシュリーが靡いてくれない」
やはり、と惟う一方、此処まで ラノイを拒んだ者がいたかと記憶を手繰る。
そうしている間に、ラノイは 執務室のソファに腰を掛けた。
「他の どうでもいい女は、呼んでなくても 勝手に寄ってくるのに」
小さな溜息と共に呟かれた言葉に、シズは 苦笑を泛かべた。
《 そりゃ まぁ、そうだろうが。》
すらりと高い背・筋肉質だが 痩身にして優美な軀付き、誰もが見惚れる 美丈夫な青年。
それが、ラノイだ。
姚しかった母親に 良く似て、人を魅了する容姿をしているのだ。
青少年期には、択び放題の 遊び放題になっていても不思議ではない。
ラノイの身分を知らなくとも、女のほうから モーションを掛けてくるのだ。
《 そのリオを、拒んだのか。》
奇特な存在だ と惟いながら、ソファに座って 不貞腐れている国王を見る。
「彼女は 魔法使いだ。一般人やらとは、いろいろと違うんだろう」
そう返した シズの それは、主従の口調ではない。
向ける眼差しも、臣下の それではない。
「僕なら、護ってあげられるのに」
小さく零れた独白に、シズも 苦笑いを泛かべる。
「リオの仂は、魔法使いと雖も 忤えるモノではないからな。だけど、その程度、アシュリー姫にも出来るだろう?」
事実、エスファニアの魔法使いは、数多の魔人・魔女を斥けてきた。
御伽噺にはなっていないが、幾千もの闘いを経験している。
ラノイから それを聴かされていたシズは、特に考えずに そう返していた。
「 –––––––––––––………… 」
これに、ラノイの睛が険しくなる。
「リオ?」
虚空を睨んだ 若き国王を、若き宰相は そう聘んだ。
これも、特別な事ではないらしい。
口調と同様、ラノイは、注意する事も 咎める事もしない。
「〔森の妖精〕ってさ、魔法使いにとって 凄く特別なんだよ」
「『妖精』と聘ばれる1人だから、だけでなく?」
魔法使いには、2っの種類がある。
1っは 魔人や魔女、そして もう1っが『妖精』である。
「妖精達は、唯一 光りに属する存在だ。死や闇を その称に冠する妖精達でさえ、月の晃りに属する仂なんだ」
そう返して、ラノイは シズを見た。
シズは、執務用の大机を前に 書類の束を擁えたまま、眉を寄せていた。
どうやら 得心していないと詠んで、ラノイは 説明を始める。
「つまりね、普通の魔法使い達が使う仂って『闇』なんだよ。それは、魔人や魔女達の心と同じく 常闇と虚無に因るモノなんだ」
「対して、妖精達は 光り……… 」
「暗闇に射し込む 一条の光り……彼等も 生物だからね。本能的に、それを求めてしまう。だから、アシュリーは狙われるんだ」
半ば理解してきたシズだが、疑問は残る。
現在『妖精』と聘ばれる魔法使いは 4人いる。
魔法使いは、その1人に佚ぎない。
妖精が 特殊な存在なのは判ったが、先程の ラノイの言い方は『〔森の妖精〕が特別』だと示していた。
態々 妖精の1人である彼女を特定したからには、その理由もある筈だ。
「アシュリー姫は、その中でも特別なのか?」
そう惟っての問いに、ラノイは 重々しく肯いた。
「アシュリーは、この世の光り-そのモノ。綜てなんだ」
この説明に、シズは 小首を傾げた。
意味が飲み込めなかったのだ。
相手の反応から それを察したラノイは、説明を重ねる。
「陽の晃りも 月の晃りも 星の晃りも、更には 地上に溢れる人工的な光りも……綜てだ」
「え?」
「この世の 遍く光りを統べる存在、って事」
小さく息を咐いて、更に 言葉を連ねる。
「アシュリーの傍にいると、虚無感や 飢えが充たされるんだよ。それも、凍えてた軀を一気に溶かす 暖かい春の陽みたいな、凄く心地いい光りなんだ」
「それは、リオも?」
シズの問いに、リオと聘ばれたラノイは 暫し考える。
「 –––––––––––– そうだね、そうかもしれない」
彼女を『甘露』と感じたのは、自分も 飢えていた側だったからではないか、と結論付けた。
「魔法使いに充たない僕でさえ そう感じるんだから、何1000年も生きてる魔人達や 魔女達は、喉から手が出る程 あの甘露が欲しいだろうね」
「 ………… 」
「少し觝れただけで、あんなに美味しいなんて」
このソファで抱き締めた時、彼女の肌に口付けていた。
あの 何とも云えない 魅惑的な感覚を思い出して、ラノイは 口許を綯める。
「それも、その 光りの仂の……?」
「妖精の中に、1人 身持ちの綯い女がいるそうだよ。その妖精は、数日間 自分を護ってもらう代りに、魔人達に抱かせてやるんだってさ」
さらりと言われた情報に、シズの顔が 無表情になる。
これは、軽い嫌悪を懐いた時の反応だ。
「つまり、妖精が 魔人達に齎す効果は、そんな一時の対価で 交渉が成立する程だ、と」
「彼女のは〔星の仂〕だと聴いた。アシュリーの 何10分の1にも充たない仂だ」
〔森の妖精〕の何10分の1だとしても、それを 微弱と呼んで良いモノか。
シズに その判断は出来ないが、魔法属にとって どれ程 特殊であるかには察しが付いてきた。
「アシュリーは、これまで 誰の腕にも抱かれてないしね」
苦笑を交えた この言葉に、シズは 魔法使いに尊敬の念すら懐いていた。
「本当に 実力で、その身を護ってきたんだな。僅か 13齢の幼さで」
「どれ程の苦労だったろうね。おまけに、その いざこざのせいで、両親を失ってれば………辣さは 倍増だ」
「!」
「この国で、僕の傍で、あんなに笑ってても………闘う為に、手を抜かない」
哀しそうな笑みを泛かべたラノイを見て、シズは 表情を曇らせた。
《 それは、リオも同じだ。》
この小さな国の王になった青年は 大きな内乱を戦い抜き、王となった今も 国の内外の凡ゆるモノと闘っている。
それを援ける為に、シズは 宰相になったのだ。
若き王が 孤独にならない様に、最も近くで支える為に。
「僕は、アシュリーがいいなぁ」
僅かな者達にしか 心を敞かないのも、現在進行形で 戦闘中であるが故だろう。
そのラノイが、たった半日で 1人の女性を気に入ったと云うのだ。
《 リオは、アシュリー姫だから 気を赦しているんだろうな。》
シズは、心の何処かで ほっとしていた。
ラノイが 幼い魔法使いを欲したならば、異母兄として 応援するだけだ。
傍にいてくれるのが あの姫ならば、宰相としても 何の心配もない。
寧ろ、いろいろと大歓迎だった。
「なら、慎重にやってください。悚がらせたり 脅えられたりしない様に。ゆっくりと、搦め獲る様に」
シズは、手にしていた書類の束を 一綴りにし、次々と片付けながら そう進言する。
これに、若き王は、にやり と口許を吊り上げた。
「ああ、そうだな」
「クランツには 黙っておきますから『ゆっくり さっさと』ですよ」
矛盾する2っの条件を提示したシズに、ラノイは 声を発てずに笑った。