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―しくじった。
朦朧とする意識の中でケインは後悔した。
事の発端は研究室に来た遺品の解析を進めるときに起こった。
死者はテレパシストだったので、彼らの研究室にお鉢が回ってきたのだった。調査書によると彼女は若い女性で、その能力を生かし、ケースワーカーをしていた。その彼女が突然死し、その手には一つのネックレスが握られていたらしい。死後も固く握りしめたいわくありげなネックレスは、テレパシストの強力な怨念を恐れて一般人には処分することができないので、鑑定にまわってきたというよくある話だった。
テレパシストが早逝することは珍しくない。能力者の平均寿命は、そもそも能力を持たない者たちに比べて高くはない。そして、際立ってテレパシスト達の平均寿命は短かった。
―人の思考を読めるということは精神に多大な負担をかけ、社会的にも孤立しやすい。よって、テレパシストは短命の傾向にある。
世界銀行によって出された数値に社会学者はそう注釈をつける。世界の平均寿命が80歳を超えた今でもテレパシストの平均寿命はその半分の40歳にも満たない。
その多くは、自殺や不審死であった。中には自らの精神を壊し、何もわからぬままに廃人として一生を過ごすものも少なくはなかった。しかし、大半の死は、身近にある生前の思い出の品のへ強力な思念を残す。それらの品物は時に周りを巻き込み、新たな犠牲者を産むことは少なくなかった。そのため、テレパシストの遺品は研究所の専門職員のもとに送られ、彼らの無念を除去する部署が作られ、運用されていた。
「これが今回の遺留品だ。調査書はこれ。よろしく頼む」
アベルが手渡してきた遺留品と調査書は何の変哲もないごくありふれたものだった。半面、それを渡すアベルは、渡すものにそぐわず、気持ちの悪いくらいご機嫌であった。
それもそのはず、アベルはつい先日、念願かなってサーシャと結婚したのであった。それから数日も経っていない今、浮かれているのを隠そうともせず、毎日幸せそうな顔で就業しているのだった。
「………」
やっと失恋から立ち直ってきたミカはアベルの結婚によって、再びふさぎ込むようになっていた。ケインはミカがふとした瞬間に落ち込んでいるのを目の当たりにしているので、親友の結婚を素直に祝えないまんじりとしない気持ちでいた。
「どうした。微妙な顔をしているな」
アベルはミカの恋心を分かっていて黙秘しているのか、分かっていなくて無神経なのかわからぬ態度でいる。
そのことに口を出すべきか、出さないべきか、ケインは悩む。ミカの必死に隠そうとしている心情を知っているので、ケインは結局何も言えなかった。
「何でもないよ。やっておけばいいんだな」
流し読みした調査書もこれといった不審な点はなく、受け取ったネックレスからは強い力も感じない。油断は禁物だと思いながらも、ケインはこの調査が終わったら、ミカを慰めるためにどこか遠出でもしてやろうと思った。
その日はケインが研究室での夜勤だった。月に数度ある夜中の勤務をそれほどケインは嫌いではない。一人でいるのが楽なのはテレパシストとしての宿命だ。そう嘯けて、格好をつける余裕があるほどには、孤独とは慣れ親しんだ近しい友であった。
深夜に遺品を扱うのに恐怖を感じる人間もいるだろうが、それを死者への最後の静けさを与えると考えるのはテレパシストであるケインの優しさだった。だから、彼は一人で同胞の心へ土足で踏み込むという死者への冒涜は、決して理解をしてもらえないがゆえに死んでいった仲間への共感という慰めを周囲に喧騒がない静かな夜に行うことにしていた。
明るい白熱球の光を消し、今夜は満月だったので、月の明かりを頼りに窓辺でネックレスを触った。
彼女の遺留品の表面は諦念とも言える凪いだ状態だった。だが、その深層へと潜り込んだケインは手酷いしっぺ返しを食らった。
そこにあったのは彼女の激情。
「なぜ、私が孤独でなくちゃいけないの」
「だれも救えない、この忌まわしい力がなんの役に立ったの」
「死にたい。死にたい。死にたい」
「彼がいない世界なんていたくない」
「ミカエル!」
―ミカエルガ
イナイ世界ナンテ、
壊レテシマエバイイ
その苛烈な激情に巻き込まれてケインは意識を手放した。
次に彼が目を覚ましたのは、アベルに揺さぶられて無理やり意識を引き戻されたときだった。
「今、何時だ」
自分の失敗に舌打ちしたい気持ちを抑えてアベルに問う。
「午前7時35分。そんなところに倒れていたから何か起こったかと思ったよ。みたところ外傷はないし、とりあえず起こしてみたんだけど気分はどう」
アベルは心配そうにケインを覗き込んだ。
「このネックレス、少し時間がかかりそうだ。ついでに新薬の研究もするから、当分ここには来ない。ミカには俺が風邪を引いたから、治るまで家に来るなって伝えておいてくれ。絶対に寄こすなよ」
ケインはそれだけ言うと、戸棚の引き出しを開け、薬を持って足早に家に帰った。
ケインは帰宅して、厳重に家をロックした。テロが行われようとも、地震が起きようとも決して自分の正常な意思以外での開錠はできないようにした。
「もう二週間よ。ケインが風邪なんて嘘でしょ。いい加減ほんとのことを教えて」
ミカはアベルに向かって、いつになく牙をむいていた。
「ケインが家に来るなって言うなら、私も遠慮することくらいできるわ。でも、理由も教えないなんて、おかしいでしょ。研究室を荒らされなかったら、訳を教えて」
ミカは本気と示すために研究室に取り付けられた計器の数値を上げて、警告ギリギリの力をだした。
「ケインは遺留品の分析と新薬の臨床実験を家出しているよ。ミカに来てほしくないと思うのは、テレパシストの君のことを考えてのことだから、待ってあげているほうがいい」
そんなミカに仕方なく、アベルは真実を話した。どちらにしろ、彼女が本気で知ろうとしたら、アベルの心の中を覗き込めばいいだけの話なのだから、隠し事をするだけ無駄だった。
「でも、一週間、きっと、もっとよ。ずっと家から出てないのはおかしいわ。アベルはケインが心配じゃないの」
「心配してないわけではないよ。でも、これが僕たちの仕事だからね。必要以上に心配するのは、ケインに対して失礼だから」
「もう、いい!」
アベルのどこか突き放したケインへの態度はミカにとっては非常に腹ただしいものだった。ミカが一週間飲まず食わずでひきこもっていたら、アベルは心配して、無理やり扉をぶち破ってきてくれた。そして、その行為にミカは救われた。
―きっと、ケインもアベルやミカがそんなことになったら助けてくれる。私も、ケインがこんな状態になって、いてもたってもいられないのだから、アベルが二週間も家から一歩も出ないなら、きっと今以上の動揺が襲うはずだ。
ミカは三人でそういう絆を築いてきたと思っていた。だから、アベルのケインへのそっけない態度が許せない。はらわたが煮えくりかえるほど怒っているが、ミカは冷静にどうやってケインの家へ忍びこもうかと考えていた。
ケインは巧妙にテレパシストの能力を使い鍵をかけていた。ミカがやったような薄い扉一枚で隔てられているわけではない。だから、アベルがやったように力づくで扉を壊すことはできない。ケインを心配しているが、いつも子ども扱いする二人に泡を吹かせてやれると、心なしかミカは難攻不落の壁にワクワクしていた。
ケインの家の扉は固く閉ざされて開かない。鍵穴がどこにあるかさえ分からない状態になっている。でも、ミカは幾度となく彼の家を訪れるうちに、そんなものはないことを知っていた。ただ、ケインと彼が許した者だけが入れる扉。すなわち、ESPの能力を応用した鍵。それが開かずの扉の正体だった。
だから、ミカにとってはこの扉を開けることはそれほど難しいことではなかった。現時点ではミカは世界でもトップクラスの実力を持っている。それがときおり抑制できないだけで、制御することはできるようになっていた。この扉もその膨大な力を予測されて作られたものではなく、一般的な人間や能力者には開けられない程度の仕組みしかなかった。
キーは『ケインの正常な意思』。
やっぱりケインは自分ではどうにもならないような状況に追い詰められているんだとミカは少し焦った。
扉を開けてみると、いつもと違って部屋のなかは薄暗く、湿った空気が漂っていた。
「ケイン、いるんでしょ。私よ。困ったことがあるなら、助けてあげるから、安心して」
部屋の中から声はしない。しかし、ミカもここまで来たら、ケインの安否の確認するまでは帰れない。不躾だと思いながらも、ケインの寝室のドアを一度ノックしてから、覗き込む。
部屋の中には乱れたベットシーツに散乱した書類に、薬と注射器。それなのに部屋の主であるケインはいない。いつもの彼なら、いや、ただの風邪ぐらいでも彼はこんなことをしない。吃驚するほど自分のテリトリーに対しては神経質なケインがこんなに乱れた状態を許すはずがない。
部屋に備え付けられた浴室を見て、そして、この家のどこにもケインがいなければ、アベルに何としてでもケインを助けるために動いてもらおう。そうミカが決心して、浴室のドアを開けるとそこにはケインが倒れていた。
「ケイン!ケイン!」
慌てて、ミカはケインに寄り添った。もしかしたら、もうケインは死んでいるのではないか。そんなことさえ思い浮かべるほど、この部屋の空気は重苦しかった。
そんなミカの大きな声に反応してか、目を薄らと開けた。しかし、ケインは焦点の結ばない虚ろな目をしていて、普段の飄々とした彼とは違った。
ケインはミカの腕を骨が軋むような強さで掴み、自分の方に引き寄せた。茫然としていたミカは抵抗もなくケインの腕の中に抱き込まれた。その力は強く、抱き壊されるんじゃないかというような強さであったが、ここで拒否したり、驚いたりすれば、心が壊れかけている能力者であろうケインを救えるわけがないと経験者であるミカは知っていた。
「ついに幻覚まで見だしたか。それもかなりリアルだな」
ケインは薄く笑った。
「ケイン。大丈夫よ。私が着いているから」




