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1.運命の夜会と、引き返せない兄

眩い光に満ちた夜会会場のあちこちから、引きつった悲鳴と困惑の囁きが漏れ聞こえてくる。


その中心に立っていたのは、僕の兄であり、この国の王太子であるジョージ・プランタジネットだった。彼の傍らには、辺境の男爵領から出てきたばかりの少女、リリー・キャベンディッシュが泣きそうな顔で震えながら寄り添っている。


「エレノア・スペンサー伯爵令嬢! お前との婚約は今この瞬間を以て破棄とする! 僕はここにいるリリーこそを真実の愛の相手と認め、新たな婚約者とすることを宣言する!」


朗々と響き渡る兄の声。


その指が示していたのは、我が国の社交界の女王であり、兄の婚約者であるエレノア嬢だ。彼女は華やかな美貌に見事な気品を湛え、夜会での突然の糾弾にも、眉一つ動かさずに凛と佇んでいる。


(……ああ、本当にやってしまったのか、兄上)


僕は壁際から、その様子を静かに見つめていた。第二王子である僕、エドワード・プランタジネットの胸に去来したのは、深い落胆と、それ以上に深い哀れみだった。

父上である国王陛下が遠征で不在のこの夜を狙って、わざわざこんな大騒ぎを起こすなんて。物事を深く考えるのが苦手な兄上は、ただ隣にいるリリーに良いところを見せたかったのだろう。


僕は小さく息を吐き、貴族たちの注目が集まる中、ゆっくりと歩みを進めて兄の隣へと並んだ。


「兄上。冗談が過ぎます。父上がお戻りになられれば、ただでは済みませんよ。まずは一度落ち着いて、お部屋へ戻りましょう」


できる限り周囲の耳を刺激しないよう、声を低くして兄の耳元で囁く。

しかし、ジョージ兄上は僕の顔を見ると、悪びれもしない様子でふっと笑った。


「なんだ、エドワードか。お前は相変わらずお固いな。これは冗談などではない。僕は、純朴で美しいリリーという、利権も権力も関係のない、清らかな真実の愛を見つけたのだ。エレノアのように家柄だけが取り柄の高慢な女は、王太子妃には相応しくない」


兄上は僕の言葉に耳を貸さず、真剣に受け取らない。その証拠に、視線はすでに僕から外れ、愛おしそうにリリーの頬を撫でている。

兄上は優しくて素直で、信念を貫く素晴らしいお人だけれど、無責任で甘い言葉にすぐ流され、自分に都合の良い言葉しか聞かないところもある。


僕の脳裏に、幼い頃の記憶が鮮明に蘇る。

まだ僕たちが小さかった頃、教師に叱られ泣いていた僕に、遠くから駆けて来て慰めてくれたのは兄上だった。

「大丈夫だよ、エドワード。お前が頑張ってるのは僕が知ってる」

あの時、ずっと寄り添ってくれた優しい兄上の姿を、僕は今でも鮮明に覚えている。


(僕は、あの優しい兄上が大好きだったのに……)


国のために、将来は王となる兄上を全力で支えよう。そう心に誓っていたからこそ、僕は外交や内政の勉強に人一倍励み、実務をこなしてきたのだ。すべては、兄上を陰から支えるためだったのに。


「エドワード様、ジョージ様をそんなに困らせないでください。私、怖いです……」


リリーが上目遣いで僕を睨み、兄上の胸に顔を埋める。

兄上は「大丈夫だよ、リリー」と彼女を抱き寄せ、周囲の貴族たちに向けて、誇らしげに婚約破棄の正当性を語り始めた。


もはや、僕の声は届かない。

僕はそっと一歩下がり、再び壁際の影へと身を潜めた。


会場の隅では、兄上の悪友であるアルジャーノン・ペラムが、数人の令嬢をはべらせながら、退屈そうにこちらの様子を眺めている。

僕が影に退いた瞬間、アルジャーノンとばっちり目が合った。

彼はニヤリといたずらっぽく口の端を上げると、手にしたグラスを僕に向けて小さく掲げ、そのままゆっくりと顔を巡らせて、婚約を破棄されたエレノア嬢の美しい瞳へと視線を移した。

エレノア嬢の瞳の奥には、激しい怒りが炎のように揺らめいている。


「……お可哀想な、兄上」


僕は誰にも聞こえない声で、ぽつりと呟いた。


兄上のために、僕がしてあげられることは、もう残り少ないのかもしれない。

そんな寂しさを胸に秘めながら、僕は乱れていく夜会の喧騒を、ただじっと見つめ続けるのだった。

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