表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グリモワール  作者: えんぺら
第一章:赤く染まる
20/30

20:星剣

 暴風が森を揺らす。


 ヴォルフの戦斧が振るわれるたびに、騎士たちは吹き飛ばされ、木々が軋んだ。


 騎士が体勢を立て直す前に、ヴォルフは地面を踏み砕く勢いで踏み込み、戦斧を横薙ぎに振るう。凄まじい風圧が騎士をまとめて飲み込み、二人の騎士が木へ叩きつけられた。


「ぐっ……!」


 鎧が軋み、骨の折れる嫌な音が響く。


 ヴォルフは止まらない。吹き飛ばされた騎士の一人へ肉薄すると、そのまま戦斧を振り下ろした。騎士は咄嗟に剣を差し込むが、耐えきれない。轟音と共に地面が陥没し、騎士の身体が土煙へ沈んだ。


 残った騎士の顔に、明確な恐怖が浮かぶ。


「化け物め……!」


「今さら気づいたのか!」


 ヴォルフが獰猛に笑う。その横を、シャルが負傷した獣人を肩へ担ぎながら駆け抜けていった。


「ボス!子供たちは確保したわ!」


「ああ!先に行け!」


 シャルの後ろでは、他の獣人たちが怯える奴隷たちを連れて撤退を始めている。


 ヴォルフは周囲へ視線を走らせた。立っている騎士は、残り一人。それも満身創痍だ。肩で荒く息をしながら、それでも剣だけは落としていない。


 勝った。


 そう判断した、その時だった。遠くから、馬の蹄の音が響く。ヴォルフの耳がぴくりと動いた。


 聞こえる音は一頭分のみ。人間たちの援軍にしては少なすぎる。それが返って不気味だった。



「……二人ともよくやった!あとは俺に任せて皆と一緒に先に返れ!」


 ヴォルフは未だに撤退しないメルとフォルクに向けて言った。


「ボス?」


 フォルクが駆け寄ってくる。


「でも、もう勝てるだろ?こっちに来てるのだって一人みたいだし」


「ああ!だが仲間はもう開放した!これ以上戦う意味はない!」


「逃げるなら、ボスも一緒に逃げよう!」


 フォルクが必死に説得する。だが、ヴォルフは答えない。その視線は、街道の先へ釘付けになっていた。


 夜の闇の中を、一頭の馬が駆けてくる。乗っているのは、金髪の女騎士だった。白銀の鎧。藍色のマント。腰には細身の剣。


 距離はまだ遠い。なのに、ヴォルフの背筋を冷たいものが走っていた。本能が警鐘を鳴らしている。


 女騎士は感情のない目で、こちらを見据えていた。まるで最初から、誰を斬るべきか決まっているかのような視線だった。


 メルもその異様さを感じ取っていた。


「……なんだ、あいつ」


 空気が変わった。それまでの騒がしい戦場が、一瞬で静まり返ったように感じる。ヴォルフは短く息を吐くと、メルへ視線を向けた。


「メル!」


「な、なんだよ」


「フォルクを連れて逃げろ!」


 メルが目を見開く。


「何言ってんだ!一緒に──」


「行け!」


 その声音に、メルは言葉を失う。ヴォルフは、あの豪快な笑みを消していた。ヴォルフは、近くにいたフォルクとメルを後方へ突き飛ばす。


「ボス!」


「フォルク」


 ヴォルフはちらりとだけ視線を向けた。


「仲間を守れ」


 その言葉に、フォルクの顔が歪む。怒鳴るわけでもない。だが、逆らえない声だった。


「で、でも……!」




 その時。最後まで立っていた騎士が、安堵したように叫ぶ。


「ナハト隊長!」


 女騎士──ナハトが馬から降りる。無駄のない動作だった。土を踏む音だけが静かに響く。


「よく耐えた」


 ナハトが淡々と言う。


「あとは私に任せろ」


 騎士が、救われたような顔を浮かべる。ナハトはゆっくりと腰の剣へ手をかけた。


 刃が現れた瞬間、メルは息を呑んだ。


 星空を、そのまま切り取ったような刀身だった。夜空のように深い蒼。その中で、無数の星が瞬いている。剣の中に、夜が閉じ込められていた。


 ナハトが一歩踏み込む。次の瞬間には、もう剣がヴォルフの眼前まで迫っていた。


「っ!」


 ヴォルフは咄嗟に戦斧を持ち上げる。だが、衝撃は来ない。


 ナハトの剣は戦斧へ触れる寸前で軌道を変え、するりと刃の横を滑っていた。夜風のように静かな剣筋が、ヴォルフの肩口を浅く切り裂く。


 血が舞った。ヴォルフは即座に距離を取る。しかし、その動きに合わせるようにナハトも前へ出る。


 速い。だが、それ以上に無駄がない。堅実で、冷たく、まるで夜の冷気そのものが刃になったような剣舞。


 ヴォルフが戦斧を振るう。暴風をまとった一撃が木々を揺らしながら唸りを上げた。しかし、ナハトは真正面から受けない。


 最小限の動きで刃を滑らせ、力を横へ逃がす。戦斧は空を裂き、後方の木を粉砕した。その隙へ、ナハトの剣が入り込む。


 脇腹。太腿。肩。


 浅い。だが確実な傷が増えていく。ヴォルフが舌打ちする。


 金属音が響かない。それが不気味だった。


 本来なら、武器同士がぶつかれば音が鳴る。しかしナハトの剣は、一度としてまともに戦斧を受けていない。


 流している。すべて最適な角度で。最小限の力で。まるで、最初からヴォルフの動きが分かっているかのように。


「はっ!」


 ヴォルフが吠えながら踏み込む。戦斧を連続で振り回し、暴風ごとナハトを飲み込もうとした。普通の戦士なら、まともに受ければ肉片になるほどの威力だ。


 だが、ナハトは静かだった。夜空の剣が淡く軌跡を描く。そのたびにヴォルフの攻撃は逸らされ、空を切り、地面を砕くだけで終わる。そして必ず、その隙へ反撃が返ってきた。


「……っ!」


 ヴォルフの頬へ浅い裂傷が走る。息が荒くなる。


 一方で、ナハトには疲労の色がまるでない。呼吸すら乱れていなかった。ただ静かに、機械のように剣を振るい続けている。傷が増えていくのはヴォルフだけだった。


 フォルクは、その光景を呆然と見つめていた。


「ボス……」


 信じられなかった。


 ヴォルフは最強だった。誰より強くて、誰より頼りになって、笑いながら人間を吹き飛ばす存在だった。


 そのヴォルフが、押されている。いや、追い詰められている。


 フォルクの足が震える。何かしなければ。


 そう思うのに、身体が動かなかった。その腕を、メルが強く掴む。


「行くぞ!」


「で、でも!」


「今のあたしたちが行っても死ぬだけだ!わかってるだろ!」


 メルが無理やり引っ張る。しかし次の瞬間、フォルクはその手を振り払って駆け出した。


 向かった先には、先ほど吹き飛ばされて倒れていた騎士の一人がいる。まだ意識があった。


 フォルクは震える手で剣を抜き、その騎士の首筋へ押し当てる。


「う、動くな!」


 声が震えていた。


「動いたら、こいつを殺すぞ!」


 騎士が目を見開く。


 フォルクは必死だった。こうすれば、ナハトも止まると思った。


 だが──ナハトは、一度たりともそちらを見なかった。


 視線はヴォルフだけを捉えている。


 剣が閃く。ヴォルフの腕へ、新たな傷が走った。


「なっ……」


 フォルクの顔から血の気が引く。


 人質を取ったのに。仲間の命を握っているのに。なぜ止まらない。


 ナハトはただ淡々と剣を振るい続けていた。まるで最初から、誰が死のうと関係ないかのように。


 その冷たさに、フォルクは初めて本物の恐怖を覚える。メルが再びフォルクの腕を掴んだ。


「行くぞ!」


「で、でもボスが……!」


「ヴォルフはあたしたちを逃がそうとしてるんだろ!」


 フォルクが言葉を詰まらせる。


「ここでお前が死んだら、意味ないだろ!」


 メルは半ば怒鳴るように言った。フォルクの目が揺れる。


 後ろでは、再びヴォルフの血が宙へ散った。その光景を見て、フォルクは唇を噛み締める。


 そして──震える手から、剣が下がった。


 メルはその隙を逃さず、フォルクの腕を引いて森の中へ駆け出す。


「待って……!ボス……!」


 フォルクの声が、夜の森へ響いた。





     ◇





 森の中を、メルは駆けていた。


 枝葉をかき分け、湿った地面を蹴り、転びそうになるフォルクの手を強く引く。向かう先は隠れ家だ。


 後ろから追ってくる気配はない。ヴォルフの相手で手一杯なのだろう。


 ヴォルフはどうなったのか。考えようとすると胸の奥がざわつく。隣を走るフォルクを見ると、何度も後ろを振り返っていた。


「……ボス」


 漏れた声には、不安が滲んでいる。


 当然だった。フォルクにとってヴォルフは、恩人で、憧れで、英雄なのだ。置いて逃げろと言われたからといって、すぐに割り切れるはずがない。


 それでも、メルはフォルクの手を離さなかった。


 今度こそは、絶対に守る。


 歯を食いしばり、さらに速度を上げる。やがて風向きが変わった。その瞬間だった。


 鼻を刺すような臭いが漂ってくる。血だ。しかも、かなり濃い。


 メルの足が止まる。隣のフォルクも同時に表情を強張らせた。


「……なんだ、これ」


 嫌な汗が背中を伝う。


 匂いのするほうへ恐る恐る視線を向ける。木々の隙間。その先に、何かが倒れていた。









 獣人だった。


 撤退していた仲間の一人。胸から腹にかけて深く斬り裂かれ、ぴくりとも動かない。


 そのすぐ近くには、保護したはずの奴隷の子供が倒れていた。小さな身体は血で汚れ、開いたままの目が虚空を見つめている。


「……ぁ」


 フォルクの喉から、声にならない息が漏れた。


 その先にも死体があった。


 木にもたれかかるように崩れている者。逃げようとして背中から斬られた者。地面には赤黒い血が広がり、鉄臭い匂いが森中へ染みついている。


 撤退していた仲間たちだった。シャルたちが助け出したはずの奴隷たちだった。


 メルの喉が引きつる。頭の中で、最悪の想像がゆっくり形になっていく。


 隠れ家が──。


「シャル……?」


 フォルクが震える声で呟き、倒れているシャルへ近づこうとした。その時だった。


「おや?」


 女の声が響く。


 びくりと、メルとフォルクの身体が同時に震えた。


 木々の奥。暗闇の中から、黒いクロークをつけた人物がゆっくり姿を現す。


 細身の身体。獣の頭蓋骨のような面をしており、口元だけがわずかに見えている。手には血のついたナイフが握られていた。


 まるで死神のようだった。


「おやおやおや。まだ獣の生き残りがいましたか」


 その女は小首を傾げながら、楽しそうに笑った。


「これは失態ですねぇ。エッカルトやヨハネスに怒られてしまいます」


 メルは反射的にフォルクを背中へ庇い、剣を抜く。


 女はそれを見て、くすくすと喉を鳴らした。


「いい反応ですねぇ。狩りがいがあります」


 くるり、と指先でナイフを回す。


「獣は殺処分です」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ