01:襲撃
何かがぶつかる音で、目が覚めた。
意識が浮き上がるのと同時に、視界がゆっくりと揺れる。焦点が定まりきらないまま、板張りの荷台が目に入った。湿った木の匂いと、古い血の残り香が混ざっている。向かいには、幾つかの木箱と、数人の人影が押し込められるようにして座り込んでいた。
最低限の布切れを身につけているだけの姿。両手には枷がはめられ、鎖が床を擦るたび、乾いた金属音が小さく鳴る。誰も顔を上げない。全員が傷を負っていた。裂けた皮膚はろくに手当てもされず、固まりかけた血が黒くこびりついている。
目は開いている。だが、何も映していない。焦点が合っていないのではない。最初から、何を見ることも諦めているような目だった。
長い耳。獣の耳と尾。額から伸びる角。
人間ではない特徴が、その者たちにはあった。そして、その違いこそが、逆に彼らを一つの枠へ押し込めているようにも見える。
共通しているのは、それだけではない。全員の左肩には焼印が刻まれていた。
この荷台に積まれているのは、奴隷という商品だった。
――メルもまた、その中の一人だった。
十代前半ほどに見える少女。長く伸びた髪は肩口から前へ垂れ、暗い茶色の毛先は絡まり合っている。指を通せば、すぐに引っかかりそうだった。頭には大きな獣耳があり、先端にかけてわずかに色が抜けている。少し日に焼けた肌は薄汚れ、ところどころに小さな傷が残っていた。大きな尾は力なく床に垂れ下がり、揺れに合わせてかすかに動いている。
顔立ちは幼い。だが、目つきは鋭い。
他の者たちとは違い、その瞳にはまだ、生気が残っていた。
車輪の軋みが一定の間隔で続き、馬の鼻息が混ざる。時折、乾いた吐息が聞こえた。御者台から落ちてくる声は断片的で、内容までは聞き取れない。行先は分からないが、考える必要もなかった。待っているのが、ろくでもない場所であることだけは分かりきっていた。
揺れは途切れず続く。時間の感覚は曖昧で、どれほど経ったのかは分からない。最初に意識があった頃には、すすり泣く音や、押し殺した呻き声があったはずだった。それがいつの間にか消えている。今はもう、外の音だけが変わらず続いている。誰も声を出さない。出す理由も、残っていないように見えた。
ガタン、と一段強い衝撃が走る。これまでの揺れとは明らかに違う。体がわずかに浮き、そのまま床に叩きつけられる。衝撃のあと、揺れが止まった。
「何だ――」
「くそっ、ハマったか――」
御者台の方から、苛立った声が落ちてくる。メルの大きな耳がそちらへ向く。少し遅れて、地面を踏む音が聞こえた。二人分の足音は、馬車から離れる方向へと移動していく。どうやら何かに引っかかり、対処のために持ち場を離れたらしい。
止まった。その事実が、はっきりとした形で意識に浮かぶ。
逃げるチャンスかもしれない――そう考えるよりも先に、さらなる衝撃が轟音と共に馬車を襲う。体が浮く、というより投げ出される。誰かの肩にぶつかり、そのまま床だったはずの板に叩きつけられた。悲鳴とも呻きともつかない声が狭い空間に弾ける。木が軋む音、何かが裂ける音、そしてもう一度、激しい衝撃。
馬車が、横転した。
視界がぐらりと揺れ、上下の感覚が一瞬で狂う。湿った木の匂いに、今度は新しい血の匂いが混ざる。鼻の奥を刺す鉄の臭い。誰かが短く息を吐き、そのまま動かなくなる気配があった。
メルは、かろうじて意識を繋ぎ止める。細い体を押し潰すように、他の乗員が折り重なっている。だが、そのほとんどは動かない。
外から音が流れ込んでくる。
金属がぶつかり合う乾いた音。
怒号。
馬のいななき。
そして――何かが走る、低く速い足音。
襲撃。
「何なんだ、こいつら――」
御者の怒鳴り声が途中で途切れる。直後、何かが叩きつけられる鈍い音がした。骨が折れるような、嫌な響きだった。
考えるよりも先に体が動いていた。
メルは、鎖を床――いや、今は壁になった板に足で押し付け、手首を引く。最初はびくともしない。金属の輪が皮膚に食い込み、擦れるたびに焼けるような痛みが走る。それでも力を緩めず、無理に引き続けるうちに、関節の奥で嫌な感触が生まれる。軋むような違和感が広がり、やがてずれる。その瞬間、抵抗が抜け、手が外れた。
「……っ!」
声になりかけた息を、喉の奥で押し殺す。荒くなりそうな呼吸を抑えたまま、すぐにもう片方へ移る。同じように無理な力をかけるため、皮膚は裂け、血がにじむ。だが、その痛みを意識に上げる余裕はない。さっきと同じ感触が、わずかに遅れてやってくる。関節が外れ、手が抜ける。
ようやく両手が自由になる。
一度だけ、短く息を吸い、すぐに吐く。
外の喧騒はまだ続いている。だが、手間取っていられる時間は長くない。素早く、周囲を観察する。横倒しになった荷台の隙間、裂けた布の向こう。そのまま体を押し上げる。途中で鎖や人肌の感触を足に感じるが、構わず引き抜く。布の裂け目を広げながら、外へと身を滑らせた。
転がるように地面に落ちた。視界が揺れるがすぐに体を起こす。急いでこの場を後にしなければならない。
「おい、止まれ!」
誰に向けたかわからない、誰かの声が聞こえる。メルはすでに走り出していた。振り返る余裕はない。足に残る違和感を無視し、そのまま走り続けた。




