17:狼
メルは廃材置き場で座り込み、ルナを抱きしめていた。
腕の中のルナは恐ろしいほどに軽い。まるで、魂すらも抜けて行ってしまったかのようだった。
血は乾ききっている。体を動かすと、ぽろぽろと血の塊が落ちていく。
空は少しずつ白み始めている。時間の感覚が曖昧だ。眠気は全く感じなかった。胸の奥を締め付けるような後悔だけが、ずっとそこに居座っている。
明るくなって、初めて地面が赤黒くなっているのが分かった。メルはぼんやりとそれを眺めた。もう涙はでない。枯れてしまったかのようだった。
いつまでもこうしているわけにはいかないのは分かっている。しかし、もう何をすればいいのかわからなくなっていた。
初めは人間に対する恐怖だけがあった。それを乗り越えるために稽古をした。強くなったと思い、この子を守ると決めたはずだった。しかし、守れなかった。今は自分と人間への怒りが頭の中を支配している。
そんな中でも。あの人間の胸の焼印──奴隷の証が妙に脳裏に焼き付いている。
何を思って、何を考えてあの小さな家で生活をしていたのだろうか。
気になるが、もう人間とかかわりたくない。もうあの家には戻らない。
◇
裏路地を、獣人の少年──フォルクが小走りで駆けていた。
軽装の革鎧を身につけ、金色の髪がクロークの隙間から覗いている。朝日を受けた毛先がきらりと光った。肩には、大きな木箱を担いでいる。
フォルクは仲間たちのために、食料の調達をしに来ていた。そのため、隠れ家からこの街の市場に来ていた。
獣人であることさえ隠せば、この街で動くこと自体はそこまで難しくない。昨日は市場を歩き回りながら、盗みやすそうな店を探していた。その途中で、裏路地を慌てた様子で走っていく人間の男を見つけた。
弱そうだった。自分でも簡単に殺せそうだと思った。だから剣を抜き、「食べ物を出せ」と脅した。
幸運なことにその男は八百屋の店主だったらしく、木箱いっぱいの果物と野菜を獲得できた。青ざめた顔で逃げていく男を見ながら、フォルクはあることを思いついた。
その男を尾行したのだ。人間を追跡することなど、獣人であるフォルクにとっては難しくも何ともない。足音を殺し、匂いを追えばいいだけだ。
家の場所は簡単に特定できた。
一人暮らしではなかったらしい。中からは複数人分の生活音が聞こえていた。
フォルクは適当な場所で眠り、夜明け前から再びその家を見張った。しばらくして、男が外へ出てくる。市場の通りで荷物を運んでいたところへ声をかけた。家族の話を少し出してやると、男は顔を真っ青にして何度も頷いた。
これで、今後も食料には困らない。少なくとも、しばらくは。
うまくいった。きっとボスも褒めてくれる。そう思うと、自然と表情が明るくなる。
浮かれた気分でそのまま走っていると、鼻につく匂いがあった。血の匂い。獣人の鼻は、それをすぐに嗅ぎ分ける。
フォルクは足を止めた。少し迷ったあと、その匂いを追うように路地を曲がる。やがて、廃材置き場のような場所へ出た。
そこで見たのは、赤いクロークを羽織った獣人が、何かを抱きしめたまま座り込んでいる姿だった。
フォルクがゆっくりと歩き、すぐ近くまで来た。それでも、その獣人はこちらに気が付いていないようだった。
「大丈夫か?」
声をかけると、ようやくこちらに気が付いたのか、ゆっくりと顔を上げる。その獣人はフォルクと同じような背丈の少女であった。体中が血で汚れていた。そして、どこかで見たことのある顔立ちだった。
「……なんだよ」
その声は弱弱しかった。目には生気がなく、泣いていたのか赤くはれている。その獣人が抱いていたのは、ぐったりして動かない血まみれの獣人の少女であった。
フォルクは何が起きたかを察して、いたたまれない感情がこみあげてくる。
「人間にやられたのか?」
その獣人は答えない。フォルクから視線を外して、腕の中の少女を抱きしめる力が強くなる。
「腹へってないか?」
こんな時の慰め方なんてわからない。木箱をおろして、中をあさろうとする。
「……あたしのせいなんだ」
再び、少女が口を開く。
「弱かったから……守れなかった」
そのまま、うつむいてしまった。
「……あたしは、どうすればよかったんだ。……これからどうすればいい」
心が折れて、生きる気力をなくしてしまっている。奴隷だったときの自分のようだとフォルクは感じていた。
しかし、今のフォルクは生きる意味を見つけていた。この少女が立ち直れるのかは分からない。しかし、フォルクもボスに助けられていた。今度は自分が助ける番だ。意を決して口を開く。
「俺と一緒にこないか?」
少女はうつむいたままだ。聞いているかもわからない。
「仲間がいるんだ。ほとんどが、元々奴隷だったけど……ボスが助けてくれた」
フォルクは自分が救出された時のことを思い出す。
「俺も捕まって運ばれてたんだけど、ボスが馬車ごとひっくり返して助けてくれた」
その言葉に反応したのか、少女がこちらを向く。その目はすこし明かりを宿しているように映った。
「俺らは奴隷を開放しながら、隠れ家で暮らしてる。その運動に参加しなくてもいい。あそこに行けば、食事もあるし、寝る場所もある」
そこで一度言葉を止め、腕の中の少女へ視線を向けた。
「……その子も、静かに寝かせてあげられると思う」
「……うん」
その獣人は涙声で返事をしながらうなずいた。
◇
「ここだ」
金髪の獣人の少年──フォルクに連れられてきたのは、街外れの森にある洞窟だった。木々に隠れるように口を開けており、近づかなければ存在にも気づけない。
「……少し待っててくれ」
メルはそう言うと、腕の中のルナをそっと地面へ降ろした。それから洞窟から少し離れた場所へ歩き、無言で地面を掘り始める。
「……俺も手伝っていいか?」
しばらくして、後ろからフォルクがおずおずと声をかけてきた。メルは手を止めず、小さく頷く。
「ああ……助かる」
二人で土を掘った。穴が十分な深さになると、メルはルナをそっと抱き上げる。眠っているみたいだった。そのまま静かに穴へ寝かせ、土を戻していく。埋め終わったあと、近くに落ちていた大きめの石を墓標代わりに置き、フォルクが摘んできた花をその前へ供えた。
後悔が消えたわけではない。それでも、少しだけ胸の奥のざわつきが落ち着いた気がした。
「……はい、これ君のものだろ?」
フォルクが遠慮がちに差し出してきたのは、メルの剣だった。廃材置き場に置きっぱなしだったものを、持ってきてくれたらしい。
「ありがと。……その、りんごは落ちてなかったか?」
「りんご?みなかったなあ。あ!この中になら入ってると思う」
そう言って、木箱をあさり、リンゴを手渡してきた。
「ああ、そういうんじゃないんだけど……」
不思議そうにフォルクが首をかしげる。好意を無下にするのも違うと思い、ありがたく頂こうとして手を伸ばした。
「よお!フォルク!遅かったじゃねえか!」
突然、後ろから大きな声が響く。伸ばしていた手を引っ込めて振り向くと、そこには獣人の男がいた。
大きな獣人だった。メルが見た獣人の中でも一番体格がいい。白髪を無造作に伸ばしており、毛皮を肩に羽織っている。全身は筋肉で盛り上がり、戦士そのものといった風貌だった。背中には巨大な斧を背負っている。
吊り上がった目と獰猛な笑みのせいか、狼のような印象を受けた。
「ボス!お行かれ様です!」
フォルクの表情が明るくなり、元気に返事をする。駆け寄るその姿には、隠しようのない尊敬が滲んでいた。
「食料をとってきました!うまく人間を脅せたので、しばらくは食料には困らないと思います!」
「そうか!すげえじゃねえか!」
男は豪快に笑うと、がしがしと乱暴にフォルクの頭を撫で回した。フォルクは痛そうにしているが、まんざらでもなさそうだった。
「ん?そっちは見ない顔だな。フォルクが連れてきたのか?」
じろりと観察するように眺めてくる。
「はい、俺が街でたまたま──」
「ああ!お前は!」
フォルクが何か言いかけたのを、大きな獣人の驚愕の声が遮る。その驚愕の表情を張り付けたまま、メルのほうへと歩いてくる。
「な、なんだよ」
敵意は感じないが、圧が凄まじい。メルはじりじりと後退した。
「お前!馬車から一人で逃げたやつだろ!」
「え?」
「俺は止まれって言ったろ!」
メルはぽかんとする。この獣人が言ってることが正しいとするならば、メルが乗っていた馬車を襲撃したのは──思考がまとまる前に、がしっと両肩をつかまれた。びくりと震えて、体が硬直する。
「感動した!捕まってもなお!諦めない姿に!」
「ちょ、落ちつ──」
「よく今まで生きていたな!すごいぞ!」
「話を──」
「お前!名前は!?」
言いたいことをまくしたてられ、肩を揺さぶられる。フォルクも何か言いたげだが、あまりの気迫に割り込めそうにないようだった。
「メ、メルだ。いったん離してくれよ」
大きな腕を払いのけながらメルは名乗った。
「メルというのか!俺の名前はヴォルフ!よろしくな!」
「ああ、よろしく……」
ヴォルフと名乗った獣人は異様にテンションが高く、暑苦しい男だった。




