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16:王都

 王都アルマデル。数年前、帝国との戦争に勝利した王国の中心都市である。


 地方都市とは違い、道はすべて石畳で整備されていた。ゴミひとつ落ちていない通りには衛兵の巡回が行き届き、レンガの建物が整然と並んでいる。戦後の混乱を抜けきれていない外縁都市とは別世界のような光景だった。


 その王都の中央に、白亜の城がそびえ立っている。巨大で、優雅で、そして威圧的だった。都市全体を見下ろし、監視するように、そこに存在している。


 その城の一室で、一人の男が大量の書類と向き合っていた。


 灰色の髪をオールバックにした、四十代ほどの男。鋭い目つきの奥には疲労が滲んでいるが、その視線が鈍ることはない。男は机に積まれた書類へ目を通しては、短く何かを書き込み、次の紙へ手を伸ばしていく。


 書類の内容は様々だった。各地の税収。治安報告。戦後復興の進捗。異種族問題。貴族たちからの意見書。国民から上がってきた陳情。王国全土で起きている問題のほとんどが、この部屋へ集まってくる。そして男は、そのすべてに目を通していた。


 彼こそが、現在の王国を統べる国王その人だった。


 本来なら、その身には王国の威光を示す深い藍色のマントが掛けられ、頭には王冠が載っているはずだった。だが、今は身につけてはいない。机に向かうのに不要だからだ。


 身につけているのは、白を基調とした簡素な衣服だけだった。仕立ての良さから高級品であることは分かるが、豪華さよりも動きやすさと実用性を重視している。


 王というより、長時間働く役人のような格好だった。本来なら、王が狭い部屋に閉じこもり、一日中書類仕事をするなどありえない。しかし、それこそが王の日常だった。


 一日の大半をこの執務室で過ごし、上がってきた報告へ目を通し、政策を決定する。王国の未来は、この部屋で決まる。そう言っても過言ではなかった。


 もちろん、貴族たちを集めた会議も存在する。だが、それはもはや議論の場ではない。王が方針を示し、貴族たちが従うだけの場となっていた。


 実際にそれで問題なく国家は動いていた。戦後の混乱を見事な手腕で抑えて、国を成長に導いた王を国民はこう呼んだ。


 賢王ヴィルヘルム。


 書類の山が半分ほど片付いた頃、不意に執務室の扉がノックされた。ヴィルヘルムの手が止まる。まだ会議の時間には早い。通常の報告なら、書類にまとめて提出するよう徹底させている。わざわざ直接来るということは、緊急性の高い案件だ。


 ヴィルヘルムは机の端に置かれた小さな水晶玉へ視線を向けた。魔法道具だった。遠隔の景色を映し出すためのもので、扉の前に立つ人物の姿が淡く映っている。


 そこにいたのは、宰相の男だった。ヴィルヘルムが、“比較的まともな頭をしている”と評価している数少ない人間である。


 ヴィルヘルムは椅子から立ち上がることもなく、指を軽く鳴らした。淡い魔法光が走る。次の瞬間、扉の鍵ががちゃりと音を立てて解錠された。


「入れ」


 短く告げる。その声に応じるように、ゆっくりと扉が開いた。


「失礼します」


 宰相の男が執務室へ入ってくる。足音を抑えながらヴィルヘルムの机へ近づき、数歩手前で立ち止まった。


 本来ならば、王の前では跪き、長い挨拶を経てから報告を始めるのが礼儀である。だが、ヴィルヘルムはそうした儀礼を嫌っていた。時間の無駄だ、と。そのため、この部屋へ呼ばれる者には僅かな無礼が許されている。


 それを理解している宰相は、前置きを挟まず口を開いた。


「例の“金の卵”の件で、ご報告がございます」


 ヴィルヘルムの眉がわずかに動く。


 金の卵。


 王国でも、ごく一部の者にしか知らされていない極秘案件だった。そして同時に、ここ最近のヴィルヘルムにとって最も頭を悩ませている問題でもある。本来なら、すでに王都へ運び込まれている頃だった。にもかかわらず、何の報告も上がってこない。嫌な予感はしていた。


「ああ。本来なら、とっくに王都へ到着したという報告があるはずだな。何があった?」


 極秘任務だからこそ、問題が起きた際の報告も遅れたのだろう。宰相は一拍置き、静かに答えた。


「奪われました」


 一瞬、部屋の空気が止まる。


「何だと?」


 ヴィルヘルムが目を見開いた。


「いつ、どこで、誰に奪われた」


「十日ほど前、ガルドラボークにて輸送中の馬車が襲撃を受けました。護衛は全滅。積荷であった“金の卵”も奪われています」


「犯人は」


「不明です」


 ヴィルヘルムは言葉を失った。顔を手で覆いたくなる衝動を、辛うじて抑える。信じ難い損失だった。


 護衛につけていたのは、王国騎士団の中でも五本の指に入る実力者である。忠誠心も高く、極秘任務を任せるに足る人物だった。


 それが殺された。


 そして最悪なのは、金の卵を奪った相手が分からないことだ。居場所も分からなければ、奪い返すこともできない。


「……犯人の見当はついているのか?」


 ヴィルヘルムの問いに、宰相は少し考え込んでから答えた。


「おそらくは、ガルドラボークで活動が活発化している異種族融和派閥の者たちかと」


 異種族融和派閥。異種族奴隷の解放や、人権の保証を訴える集団である。


 戦争終結後、その声は日に日に大きくなっていた。一部の過激派は武装化し、奴隷商を襲撃した事例もすでに報告されている。


 一般的な奴隷輸送馬車に偽装せよ。そう命じたのはヴィルヘルム自身だった。判断そのものが間違っていたとは思わない。だが、後悔が胸の奥を掠める。


 もっとも、現時点では推測に過ぎない。決めつけるのは危険だった。


「……ガルドラボークを捜索しろ。王都から騎士団を派遣しても構わない」


 一大事だった。


 もし金の卵が王国に敵対する勢力の手へ渡れば、取り返しのつかない事態になりかねない。一刻も早く回収する必要がある。


「かしこまりました。至急、手配いたします」


 宰相が頭を下げる。


 ガルドラボークは、王国でも特に発展著しい都市だった。その分、人の流れも多く、治安維持は難しい。


 最近では、奴隷を殺して回る異常者が出たとの報告もあった。もっとも、騎士団が到着する前に一般人が制圧した程度の事案だったのだが。


 王国騎士団でも二番手と称される人物を配置してはいるが、それだけでは足りない。こうした捜索では、質より量が必要になる。


「“金の卵”について、どこまで情報を共有いたしますか?」


 宰相が確認する。


 金の卵は極秘中の極秘だった。詳細を知る者は、できる限り増やしたくない。


 知れば、誰もが欲しがる。だからこそ、金の卵なのだ。


「姿形だけを伝えろ。それ以上は不要だ」


 ヴィルヘルムは即答した。


「捜索に必要な最低限の情報だけでいい」


「かしこまりました」


 宰相は恭しく頭を下げた。


 だが、そのまま部屋を出て行こうとはしない。


 一瞬だけ迷うような間を置き、再び口を開いた。


「それと、もう一件……こちらは報告というより、ご伝言なのですが」


 わずかに言いづらそうな気配が混じる。


「構わん。言え」


 ヴィルヘルムは視線を書類へ落としたまま答えた。時間は有限だが、聞かずに損をするよりはいい。


「ローゼリア殿下が、陛下とお話ししたいと仰っていました」


 ペン先が止まる。数秒の沈黙。


「……ああ、そうか」


 ヴィルヘルムは短く息を吐いた。


「時間が空くまで待てと伝えておけ」


「かしこまりました」


 宰相は深く一礼する。そして、それ以上は何も言わず、静かに執務室を後にした。


 扉が閉まり、部屋に静寂が戻る。






 ヴィルヘルムは椅子へ深く腰掛け直すと、小さく息を吐き、再び書類へ視線を落とした。だが、先ほどまでのようには集中できない。


 娘とまともに話さなくなって、どれほど経っただろうか。本当なら、会いたい。少しくらいなら時間も作れる。貴族たちへ仕事を分担させれば、不可能ではない。


 だが――。


「私は、父上のようにはならない」


 ぽつりと漏れる。


 先代の王は、多くを自分以外へ委ねた。あらゆるものに任せた結果、帝国との戦争を引き起こした。


 だからヴィルヘルムは決めた。誰にも任せない。自らの頭で考え、自らの手でこの国を導くと。先代が死んだあの日、王座の前でそう誓った。


 ヴィルヘルムは再びペンを手に取る。積み上がった書類の山へ目を向け、感情を押し込めるように仕事を再開した。


 







 城の一室で、王女──ローゼリアは静かに椅子へ腰掛けていた。


 年齢は十代後半ほど。長い灰色の髪は丁寧に整えられており、窓から差し込む光を受けて淡く艶めいていた。整った顔立ちは父であるヴィルヘルムをどこか思わせる。だが、あちらのような威圧感は薄く、代わりに柔らかな雰囲気をまとっていた。


 身につけているのは白を基調とした上品なドレスだった。過度に華美ではないが、一目で高級品だと分かる仕立てをしている。胸元には、小さな金細工の首飾りが揺れていた。


 豪華な部屋だった。壁には繊細な装飾が施され、床には柔らかな絨毯が敷かれている。だが、その空間はどこか静かすぎた。


 ローゼリアは窓の外をぼんやりと眺めている。その手の中には、一冊の絵本があった。


 幼い頃、父が寝る前によく読んでくれた本だった。ページの中では、人間と獣人が笑い合っている。森の中で共に食事をし、共に歌い、共に暮らしていた。最後には皆が手を取り合い、“いつまでも幸せに暮らしました”で終わる、ありふれた童話だった。


 ローゼリアはその挿絵を静かに指でなぞる。


「どうして……みんなで仲良くできないのでしょうか」


 小さく呟く。答える者はいない。


 王国には、今も異種族の奴隷が存在している。街では獣人が鎖につながれ、労働を強いられている。人間と異種族が笑い合う光景など、絵本の中にしか存在しなかった。


 かつての帝国では、異種族にもある程度の権利が認められていたと聞いたことがある。少なくとも、今の王国ほど露骨ではなかった。だが、その帝国も戦争に敗れ、王国の支配下へ置かれた。結局、何も変わらない。


 ローゼリアは絵本を閉じる。ぱたん、と小さな音が部屋に響いた。


 父なら、この状況をどう思っているのだろうか。王としてではなく、一人の人間として。


 そう考えたところで、最近まともに会話すらしていないことを思い出す。ローゼリアは静かに視線を伏せた。


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