第5話 挑発
それからしばらくしたある日、カルミラ・ウィズタッカーは『クロエ・リチャードソン伯爵令嬢』と名乗って、オランディーニ公爵夫人の主催する夜会に出席した。
レイチェル王女と顔見知りになるためである。
今日の夜会は小規模で、オランディーニ公爵の敷地内の一部で行われていた。
月の美しい夜だった。柔らかい風が吹き、人々の頬を撫でる
夜会会場で、カルミラは遠目にレイチェル王女を眺めた。
レイチェル王女は、深紅のオーセンティックなイブニングドレスを身に纏い、凛とした佇まいだ。王女としての品位が滲み出ていた。
柔らかい表情をしているが、芯の強そうな眼差しは、なるほど、王太子妃候補としての覚悟が窺える。皆がオースティン王太子にふさわしいと考えるのも納得だ。
替わって、オランディーニ公爵夫人の方は、今日は黒と白のドレスで、まるでペンギン。
王族出身らしい威厳を漂わせているが、オランディーニ公爵夫人の少々滑稽な出で立ちはなぜか見る人には愛嬌を感じさせるようで、それが彼女のおしゃべりで世話好きな性格と相まって、周囲は人が途切れることがない。
カルミラは二人を注意深く観察していたが、レイチェル王女が少し疲れて人の輪から離れようとしたのを見ると、偶然を装ってレイチェル王女の方に近づいて行った。
「ごきげんよう、レイチェル王女様」
「えっと、失礼いたしました。あなたは……」
レイチェル王女は慌ててしゃんと背筋を伸ばすと、聞き返した。
「どうも。わたくし、リチャードソン伯爵家のクロエと申しますわ」
カルミラは自然と名乗る。
「レイチェル様は、オースティン王太子様のお相手候補なんですってね」
「はい」
レイチェル王女は答えながら、ふと目を落とした。
カルミラはその仕草を見落とさなかった。
「どうかなさって?」
レイチェル王女はハッと顔を上げた。
「いいえ。何も。すみません、連日の社交界で疲れているのですわ」
レイチェル王女はぎこちなく微笑んだ。
「まあそうですか? 何か心に引っかかるものでもあるのかと心配いたしましたわ」
カルミラは同情するような温かい目を向けた。
「いいえ、そんなことは。ありがとうございます。お優しい方ね」
レイチェル王女はほっとしたように答えた。
カルミラは「押せば行けるかも」と心の中で思った。
「オースティン王太子様のことで、何かご心配でも?」
カルミラは心配そうな顔を作って尋ねる。
レイチェル王女はハッとした。
「え? あ、いいえ」
カルミラは心の中でにやりとした。
「まあ、気丈な方ね。私があなただったら、オースティン王太子のお相手にと言われたら嫌ですもの」
カルミラはさもレイチェル王女の心に寄り添うような口調で言った。
「え? あの、それは、どういうことですの?」
レイチェル王女は身を乗り出すようにして聞いた。
よしよし、食いついてきた、とカルミラはほくそ笑んだ。
「あら、ご存じないのですか? オースティン王太子様の長年の恋人について」
「長年の恋人!?」
レイチェル王女は、手を口元に当てて息を呑んだ。
それから、納得したようにため息をついた。
「やはり、そういうことでしたのね……」
「やはりってことは、少しはお気づきでしたのね?」
カルミラは親切そうな笑顔を少し歪めて聞いた。
「はい。オランディーニ公爵夫人から『オースティン王太子がぜひあなたを』と聞きましたので、そこまで望んでくださっているのならと思ってこちらにまいりましたの。でも、実際オースティン王太子に会ってみたら、素っ気なくて、私のことを望んでいるなんて少しも感じなかったのですわ。むしろ疎んじるような……」
レイチェル王女は最後は消え入りそうな声になった。
カルミラも少しはレイチェル王女のことが気の毒になった。
「おかわいそうに……」
そして、本物のクロエを思い浮かべた。レイチェル王女にはかわいそうだけど、オースティン王太子とクロエとの仲は本物だからなあ。
レイチェル王女は悲しそうに言った。
「でも、周りは私がお妃の第一候補だと祭り上げているのです。今日この夜会だって」
「そのようですわね。まあ実際、愛は必要ありませんしね、この国の王族の結婚には」
カルミラは憐れむような口調で言った。
「愛が必要ない? ってことは……」
レイチェル王女は顔を上げた。
カルミラはそっとレイチェル王女の手を取った。
「ええ。オランディーニ公爵夫人が『オースティン王太子がぜひあなたを』って仰ったみたいですけど、あなたは騙されているんだと思います」
レイチェル王女の顔が引きつった。
「騙されて……。やっぱり」
「あ、ごめんなさいね。言いすぎましたわ。例え、オランディーニ公爵夫人があなたを騙して後見として王宮で実権を得ようとしていても、騙されたあなたが幸せならウィンウィンですものね」
カルミラはわざとらしく胸に手を当てて、お詫びの言葉を口にした。
「ウィンウィン……」
レイチェル王女はどこかぼんやりとして呟いた。
カルミラにはその心が透けて見えた。
今、レイチェル王女は一生懸命、オースティン王太子との結婚がどれだけ自分にとって有利なのかを考えているはず。
そして、この愛のない結婚にはたいした希望を見出せないと気づくはずだ。
レイチェル王女が自分から辞退してくれた方が、オランディーニ公爵夫人を黙らすには都合がいいもの。
カルミラは、思ったようにレイチェル王女が反応してくれるかどうか、その表情を観察した。
レイチェル王女は一瞬うつろな目をして口をつぐんだが、ふっと目に光を宿すと、ゆっくりとカルミラの方を見た。
「オースティン王太子の恋人のことは、オランディーニ公爵夫人は知っておいでなの?」
「知らないと思いますわ」
カルミラは答えた。
レイチェル王女は急に顔を顰めた。
「では、あなたが嘘をついている可能性もあるのかしら……」
カルミラは「おっと」と心の中で思った。
しかし顔には出さない。
「ああ、そうね。少し困ったわ、嘘だと言われては。どうしたら私が本当のことを言っていると信じてもらえるかしら」
「あなた、えっと、リチャードソン様……」
「クロエでよろしくてよ」
「ありがとう、では、クロエ。どうしてあなたは、オースティン王太子の恋人のことを知っていますの?」
カルミラは少し躊躇って、言葉が詰まった。
その一瞬の沈黙にレイチェル王女は違和感を感じた。
「あなた、何者? あなたこそ、何か企んでいるのではなくて? どうしてわざわざ私にオースティン王太子の恋人のことを教えてくれるの?」
カルミラはレイチェル王女の勢いに少したじたじになった。
「そういえば、そうですわね……」
カルミラは、しらばっくれることにした。
「ええ。わざわざ、ご注進する必要はございませんでしたわ」
「ちょっと待って!」
レイチェル王女は食い下がった。
「私に意地悪を言いたくて、嘘の忠告をしたの?」
「まさか、意地悪だなんて。あなたには何の恨みもございませんわよ」
カルミラは取り繕った笑顔を浮かべた。
「いいえ、嘘。きっとあなたは、私がオースティン王太子と結婚するのが面白くないのよ。それで意地悪を言いたいのね。いえ、もしかしたら、意地悪ってだけじゃないかもしれないわ。あなた、別のお妃候補の派閥だったりするんじゃないかしら? 私を陥れようとしているのね」
レイチェル王女は毅然とした態度でカルミラの前に立ちふさがった。
「そういうことでしたら、私も負けるわけにはいきませんわ!」
カルミラは呆気にとられていたが、急になんだかおかしくなって、フフッと笑った。
「何がおかしいの? 図星だったってことかしら?」
レイチェル王女が気味が悪そうにカルミラを見る。
「いえいえ、なかなか気骨のある王女様だと思って」
カルミラは素直に言った。
それからカルミラは口元に手を当てた。そして一人で笑った。
「ふふ。あなたの言っていることは結構当たってるわ、王女様」
レイチェル王女は息を呑んだ。
「まあ、付け加えておくと、私、クロエ・リチャードソンが王太子の長年の恋人なの。よろしくー」
カルミラは楽しそうに笑った。
「え!?」
レイチェル王女は絶句した。
「あなたが?」
それから、ぐっと堪えて、レイチェル王女は背筋を伸ばした。
「いいえ、その手に乗るものですが。あなたが恋人だなんて、そんな嘘、信じられませんわ」
「そうね! こんな嘘、信じない方がいいわ。私がクロエ・リチャードソンかどうかも、本当か怪しいものね」
カルミラはニヤリと笑った。
レイチェル王女はカルミラの不気味な笑顔に恐れをなして、一歩後退りした。
しかし、ぐっと体に力を込めると
「でも、あなたとお話できてよかったわ。私の他にもお妃候補がいて、私と戦う気でいることが分かりましたから」
と言い放った。
カルミラは楽しくなった。
「いいじゃない。あなたも戦う気なのね。そういうの嫌いじゃないわ」
「あなた、なぜそんなに挑発的なのよ……」
レイチェル王女は戸惑いを隠さずに言った。
「あら、そうね。勝利を確信しているからかしらね」
カルミラは高らかに答えた。
「勝利を確信……?」
「そうよ。だって、オースティン王太子が誰を愛しているか、私は良く知っているもの」
レイチェル王女は悔しそうに身震いした。
「で、でも、もしあなたがオースティン様の恋人だったとしても、あなたはさっき伯爵家の令嬢だと仰ったわ。この国では王族でなければオースティン様とは結ばれないはずよ」
「ご名答!」
カルミラは人差し指を立てた。
それから、カルミラは底意地が悪そうに口の端を釣り上げた。
「でも素直に別れると思う?」
レイチェル王女はハッとした。愛妾か……。
カルミラはその顔を見て満足そうに頷いた。
「結婚する方法もあるかもしれないしね」
カルミラはお話はおしまいにしようと思い、さらっとレイチェル王女に言った。
「私の言うことが嘘だと思うならそれでもいいわ。まあ、実際全部は信じない方がいいしね。ただ言えることは、あなたがオースティン王太子に感じた違和感がすべてだと思うわ。愛のない結婚は、幸せなのかしらね」
カルミラの言葉にレイチェル王女はぐっと黙った。
そう、結局話はそこに還る。
オースティン王太子に望まれていない結婚……『それが個人の幸せなのか?』『そんな結婚にどんな希望を見出すのか?』と。
だけど……。
レイチェル王女はふうっと息を吐いた。
「とはいえ、ねえ。……今回この国に招待されるにあたって、私も……、国に恋人を捨ててきましたのよ。その恋人のことはどれだけ好きだったか……言葉にならないわ。なにも愛がないのはオースティン王太子だけじゃございません」
カルミラは「あら」と思った。
まさかレイチェル王女がそんなことを言いだすとは思わず、驚きがカルミラの顔に出てしまった。
「……あなたも結構なお覚悟をお持ちだったのね」
「そうよ。だから私も生半可な遊び気分で来たわけではありません。愛とかそんな陳腐なものよりも大事なものがあることを知ってますから。王族としてどうあるべきか」
レイチェル王女は目を細めて、カルミラを見下ろした。
へえ、オースティン王太子やクロエよりよっぽど肝が据わってるかもしれないわね、とカルミラは思った。
カルミラは微笑んだ。
「正直、よいお心がけね。では、これ以上は私も何も申し上げませんわ」
「ええ。これ以上はお話しても仕方ありませんわね。でも……まあ本当のところをお聞きできてよかったわ。結局、私はオースティン王太子には望まれていないということなのよね」
レイチェル王女は口をぎゅっと結んだ。
「まあ、そうでしょうね」
カルミラはオースティン王太子とクロエの顔を思い浮かべながら言った。
レイチェル王女はまたふうっと息を吐いた。
カルミラはじっとレイチェル王女の顔を眺めながら、レイチェル王女の心の内を判断しかねていた。
覚悟を持ってやってきた気高い王女様。
その王女様が、王太子に望まれていないと知って今、どう思っているのか。いい気分でないのは確かでしょうけれど。
レイチェル王女は
「……ではごきげんよう」
と控えめな声でカルミラに告げると、さっとドレスをかえして足早にその場を立ち去った。
残されたカルミラは少々後味の悪い思いだった。
ここまでお読みくださり、どうもありがとうございます。とても嬉しいです。
あと2話の予定ですので、またよろしければ覗きにきてくださるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いします。





