第6話 大博打
その頃、イレーネはクロエを伴って、南国の島を訪れていた。
「ああ、南国の海風って最高ね! しばらくバカンスでも楽しみましょうよ!」
「ええっ! ちょっとちょっと、バカンスに来たの!?」
クロエはイレーネの袖を引っ張った。
ここはどこで何をしに来たのか、クロエは何も聞かされていなかった。
これから何が始まるのかとハラハラしていたのに、頼みのイレーネがこんな調子で、クロエは余計に焦っていた。
「そうよ! バカンス! ふうぅ〜最高!!」
イレーネは、がばっと大口を開けて笑う。
「いやいやいや、そんな場合じゃないでしょ……。私の結婚の件じゃないの?」
「へ? そんなこと、どうでもいいじゃない」
「どうでもよくないわよ!」
クロエはずいっとイレーネに詰め寄った。
「バカンスなんてダメよ! 本当の用事は何なの!?」
「もう~! 融通効かないんだから!」
イレーネは空に向かって叫ぶ。
「何とでも言って。とにかく、バカンスは後よ」
「つまらない」
イレーネは露骨にやる気をなくしている。
「じゃあ、いいわ。私の助手がこの後の手順のことよく知ってるから。ほら、ロニー、後はよろしくね。私はバカンスしとくから」
ロニーと呼ばれた男は、少し離れたところで苦笑している。
「こら~!」
クロエはイレーネの耳を引っ張った。
「痛い痛い、ちょっとやめて!」
「じゃあ、真面目にやってちょうだい」
「もう! 仕方ないわねえ!」
イレーネは大きなため息をついた。
「ロニー、この国の正装は準備しといてくれた?」
「はい、抜かりなく」
ロニーは短くぼそっと答えた。
「そ。ありがと。じゃ、クロエ、行って着替えるわよ」
イレーネはぶすっとしたまま、クロエを従えて、ロニーに宿泊ホテルへと案内させた。
予約した広い部屋には美しい衣装が並んでいた。
助手のロニーが選んだものらしい。
この国の正装は色鮮やかだ。
光沢のある生地のゆったりしたドレスに、色鮮やかな薄い布を何重にも重ねて、それを美しい煌びやかなブローチで止める。
太陽が眩しいこの国にはぴったりの正装と言える。
ロニーはアクセサリーも何種類も用意していたが、イレーネは意外にも地味なアクセサリーを二人分選んだ。
「素敵な装いね。こんな格好をしてどこに行くの」
クロエは着なれない美しい衣装に胸が躍って、少し明るい調子で聞いた。
「ふん。まあ、黙ってついてきなよ」
なぜかイレーネはテンションが低かった。
クロエは少し違和感を抱いた。
やがてロニーが、用意した馬車が到着したと伝えてきた。
イレーネはまた大きなため息をつくと、クロエを伴って、ホテルのエントランスに降りて行った。そして、顎で馬車を差し示すと、クロエに「乗りな」と促した。ロニーは御者の横に飛び乗る。
「ねえ、あなた、なんか機嫌が悪くない?」
とクロエはイレーネに聞いた。
「別に」
イレーネは取り付く島もない。
やがて馬車は美しい宮殿に着いた。
クロエは息を呑んだ。
白い外壁、青い屋根、たくさんの装飾の施された柱。手入れされた広い庭園が、宮殿の正門から覗き見える。
門番が慌てて馬車を止めたが、ロニーが何やら門番とやりとりをして、馬車は宮殿に入れてもらえることになった。
その間も、イレーネは相変わらず足を広げただらしない恰好で、太った体を背もたれに預けて、ふんぞり返っている。
クロエはハラハラした。
この宮殿は、きっと相当な身分の者の住まい。
一見さんの自分たちが訪れてよいところではない。
さらに、イレーネの太った体はこの国のドレスでは隠し切れずに、相変わらず胸元が露出しているし、着こなしが悪いのか大根のような足だってはみ出ている。しかも、このだらしない態度。オランディーニ公爵夫人の夜会のように、つまみ出されて終わりなんじゃないだろうか?
案の定、イレーネとクロエが宮殿のエントランスに着き、馬車から降りると、出迎えた宮殿の執事は顔を顰めた。
ロニーが素早く執事に駆け寄ると、何やら説明し出した。
なるほど、とクロエはぼんやり思った。
これまで、何でこんな形のイレーネが貴族の夜会に入れてもらえるのか謎だった。
きっとロニーだ。ロニー・ホーエル。彼が、うまいことイレーネとカルミラを『仕事場』に潜り込ませているのに違いない。
ロニーの仕事は鮮やかで、顔を顰めていた執事も、腑に落ちない顔をしながらも、イレーネとクロエを宮殿に入れることを了承した。そして執務官の一人を呼びつけると、何やら言いつけた。
私まで『女詐欺師』になった気分。
クロエは少し汗をかいた。
通された客間で、イレーネは
「あ~疲れた!」
と言いながら、長椅子にどんっと腰を下ろした。
そして
「お茶持ってきなさいよ。お酒でもいいけど」
と執事に命令した。
「ちょっとちょっと!」
クロエはハラハラして、イレーネを窘めた。
そして、
「あの、この人が、すみません!」
と執事に謝る。
老齢の執事は表情を変えずに、
「とんでもございません。こちらこそ、お茶のご用意もせず申し訳ありません」
と言って、扉の向こうに控えていた使用人にお茶の用意を言いつけた。
「何よ。もっとあんたも寛げば」
イレーネはクロエに言った。
「できるか!」
クロエは叫んだ。
そのとき、扉の向こうが騒々しくなったかと思うと、勢いよく扉が開いた。
そこには、歳のいった夫妻が興奮した顔で立っていた。
慌てて、執事が扉に駆け寄り、お辞儀をする。
え!? 誰? 何事!?
クロエは突然のことでびくっとなり、その老夫妻を食い入るように見つめた。
女性の方が上ずった声を上げた。
「イレーネ・マクドネル様! このたびは……」
イレーネとクロエは立ち上がった。
イレーネはそっとクロエに耳打ちする。
「この国の国王ご夫妻よ。あんたは黙ってて」
こ、国王!?
クロエは今度こそ心臓が飛び出るかと思った。
なぜ、事前の準備もなく、急に私たちなんかが、一国の国王陛下にお目通りできるできるものなのだろうか。
しかし、イレーネは何も驚いた様子はなく、にこやかに国王夫妻に挨拶した。
「どうも。お久しぶりです」
「それで、こちらが?」
王妃が待てない様子でクロエを見た。
イレーネはゆっくりと大きく頷いた。
「はい。こちらがあなた方のご息女です」
は? はああ~?
クロエは呆気にとられた。
ご息女ってどういうこと!?
イレーネがクロエに囁いた。
「この国の王女がだいぶ長いこと行方不明っていうのは有名な話よ。あんたはその娘ってことにするからね」
クロエは面食らったが、イレーネに小声で訴えた。
「え? いや、ちょっと! 私にはちゃんと両親いますけど!」
「はあ? いいじゃない。これであんたも王女様よ。念願の『王族』」
イレーネはうんざりした顔で言い返す。
「で、あんたの名前はアウラ王女ね。サザンロックス王国のアウラ王女」
いやいやいや! そんなの誰が信じるの?
ってゆか、こちらがその『ご両親』なわけよね?
一発でバレてるはずでしょ? 別人なんだから!
王宮中の人だって、私が王女様だなんて言って現れても、そんなの信じないでしょ!
だってそれじゃあ、偽物天国じゃない!
しかし、王妃は微笑んで、クロエに近づいてくる。
クロエは偽物の罪悪感で体が強張ったままだ。
身動きできないクロエに代わって、イレーネがクロエを指差しながら
「あ、この人、記憶喪失なんです~」
とさらっと言ってのけた。
いやいやいや! 助け船のつもりかもしれないが、記憶喪失って、またとんでもない設定出た!
クロエは汗が噴き出るのを感じた。
しかし、イレーネの思惑が分からない以上、仕方なく話に乗っておくしかない。
「あ、ああ、そ、そうなんです。だから、私、自分が王女だなんてとても……」
クロエはかすれた声で、辛うじて話を合わせる。
嘘が過ぎる。消え入りたい気分だ。
しかし驚いたことに、王妃は悲しみの色を目に浮かべながら微笑んだ。
「大丈夫ですわ。イレーネ様がお連れになったのですから、あなたは本物です」
「え? 私が本物? あ、いや、まさか……。だって、私たちどこか似てます?」
クロエが驚いて思わず否定的に聞き返すので、イレーネがクロエの足を思いっきり踏んづけた。
「痛っ!」
「お元気にやられていましたか?」
国王は穏やかにイレーネに尋ねた。
「そうね。まあまあって感じ」
イレーネはなぜか上から目線で答えた。
「大変なことなどはございませんでしたか?」
王妃もイレーネに尋ねる。
「大丈夫よ」
イレーネは笑った。
なんで、イレーネが上から目線なのよ!?
クロエは理解に苦しむ顔をした。
「娘を……ありがとうございます」
王妃は深く頭を垂れた。
クロエは居た堪れなくなった。
王妃はクロエの方を向いた。
「イレーネ様はずっと娘についての相談に乗ってくださっていたのです。正直に申しますと、最初は私たちもこの方の立ち居振る舞いには驚きましたわ。でも、こういうスキャンダルめいた頼み事なら、こういう方の方が得意かと思いまして……」
スキャンダルめいた? どういうことだろう。
クロエは内心思ったが、
「そう。そういうことよ」
とイレーネが腕を組んで当然のように頷くので、納得するしかなかった。
「はあ、そうですか……」
それしかクロエは答えられない。
まあ、もう、何でもいい。早くこの場を去りたい。クロエは冷や汗をかきながら強く思った。
と、突然イレーネが国王夫妻に向かって
「ところで、ミッドランドの王国って知ってます? そこのオースティン王太子がお妃候補を探していてね。お妃探しのパーティをするんですって。招待状が来たら、こちらのアウラ王女も出席するわよね?」
と言い出した。
ええ!? 急になんでその話題!? 今それを言い出すの!? 突然にもほどがあるでしょ? 今、感動の再開の真っ最中なんじゃないの!?
クロエは仰天してひっくり返るかと思った。
しかし、当の国王の方はと言うと、にっこり笑顔を見せると、
「ああ。そういうことですか。それはもちろん」
と仏のような柔らかな声で肯いた。
「ごめんなさいね、せっかく戻って来た娘がいきなり他国に嫁ぐ話なんて~」
イレーネは白々しく頭を掻いた。
「あら、選ばれたら素敵ではありませんか。そのつもりなんでしょう?」
王妃も手をポンと打ってにっこりした。
え? ちょっとちょっとちょっと……? なに、この会話?
なんで? この話の流れ、誰もおかしいと思わないの?
クロエは、一人別次元に立っているのかと思うほど話についていけなくて、困惑した。
「じゃあ、ミッドランドのオースティン王太子から正式な招待状が届くまで、ゆっくり家族水入らずで過ごしたらいいわ」
とイレーネは話はついたとばかりに、両腕を上げて伸びをすると、
「ああ疲れた。ロニー、肩でも揉んでちょうだい」
とロニーをちょいちょいと手招きした。
クロエはハッとした。
もしかして、ロニー? 彼が何か裏工作でもしていたのだろうか?
クロエはイレーネとロニーを観察した。
案の定、イレーネは呼び寄せたロニーに、こそっと何か耳打ちした。
肩揉みのロニーは何事もない顔をしているけれど。
「アウラ?」
そのとき、急に国王陛下に声を掛けられ、クロエは飛び上がった。
「あ、ああ、どうも。私がアウラでしたっけね」
クロエは下手くそな笑顔を作る。
「晩餐には出てくれるかい?」
国王はおっとりとした口調で聞いた。
「あ……と」
クロエが一瞬まごつくと、横からすかさずイレーネが口を挟んだ。
「あら、ごちそう? あたしもご一緒するわ! 記憶喪失のアウラ様じゃあ、あたしがいなきゃ緊張するでしょうしね」
クロエは一瞬ほっとした。
と同時に、「何をほっとしている?」と自分を詰った。
クロエは、ぎゅっと手を強く握りしめた。
こんな三文芝居、うまくいくわけがない!
クロエだってバカじゃないから、イレーネが何を考えているかは分かった。
行方不明のサザンロックス王国のアウラ王女。
クロエをその『アウラ王女』ってことにして、オースティン王太子と結婚させようって魂胆だ!
だが、あまりに状況が不可解だ。
まず、アウラ王女の本当のご両親である国王夫妻が、どうしたって別人のクロエを娘の『アウラ王女』として素直に受け入れている点。
そして、イレーネがいきなり『アウラ王女』とミッドランド王国のオーステイン王太子との結婚を言いだしているのに、何の疑いも口にせず手放しで賛成している点。
いったいイレーネはどんな手を使ったというの?
この国王夫妻とはどんな話になっているというの?
また、クロエはもう一つ懸念事項があった。
例え――、例えサザンロックス王国の国王夫妻がイレーネとクロネの企みに気付きながらもすべて受け入れてくれたとして、そしてクロエが『アウラ王女』としてオースティン王太子と首尾よく結婚できたとして――、ミッドランド王国でこの嘘がバレないはずがなかった。
この嘘は必ずばれる。
だって、クロエには本当の両親がいるから。
『アウラ王女』などと名乗り、王族を騙って王太子と結婚する娘を、善良な国民の一人であるクロエの両親が、見て見ぬふりをするはずがない。
そして同時に、クロエは、娘と再開して喜ぶこの目の前の老夫妻を騙しているのだ。
しかも、王女の名を騙るということは、この国全体をも騙るということだ。
それは、いったい、どれだけ果てしない罪なのだろう?
いくらイレーネに乗せられたとはいえ、今のクロエは、最大の当事者に他ならない。間違いなく詐欺の主犯格だ――。
しかし、イレーネはというと、全く平気そうな顔をしている。
根っからの嘘つきなのだろう。
『ばれる』とか『騙す』とか、心配している様子は少しもない。
クロエはイレーネの人間性に不気味さを感じた。
この計画はきっと失敗する。
クロエの正直さが、この状況を拒否しているのだから。
ここまでお読みくださりありがとうございました。
次回、種明かし(というほどの種もないですが汗)、ハッピーエンドとなります。
次が最終話です。
本当にここまでお付き合いしてくださりどうもありがとうございました。
よろしければ最終話、覗きに来てやってください!





