わがままアリスと愉快な盗賊たち 1
アリスは『ヘーゼルの森』の端にやってきていました。家出をしてからまだ一時間も経っていません。森の端は切り立った崖でした。随分と高い位置にあり、生き物が落ちれば間違いなく死んでしまいます。
『ヘーゼルの森』ならびに『ヘーゼル城』のある場所は、もともと大きな山の頂上でした。そこをヘーゼルが魔法で削り取り、台地にして城と森を創ったのです。
アリスの視界には街が写っていました。街は暗い夜空の中にあって、魔法の光を放っています。崖の下にはまた森があり、そのずっと向こうに光を放つ街があります。それは俗に、王都と呼ばれる都市でした。
アリスの目は輝いています。いつか物語で読んだような冒険の予感に胸をときめかせているのです。しかしすぐに、アリスは困り顔を浮かべました。
「どうしようかしら。転移で飛べば一瞬でつくけれど、それじゃ面白くないわ」
アリスが求めているのは冒険、もとい経験です。もしかしたら道中で面白いことに出会えるかもしれないので、アリスは迷いました。アリスは一度行ったことのある場所なら転移することが出来ます。また、視界の範囲でも転移できます。だから、王都には行ったことこそ無いものの、行こうと思えば一瞬で行けるのです。
「そうね……やっぱり、歩いていこうかしら」
彼女はそう言うとすぐに崖から飛び降りました。どんどん下の森が迫ってきます。そして、森の木々にぶつかる寸前に、アリスは一瞬ふわりと浮き上がりました。そしてゆっくりと地面に降りていきます。邪魔な枝は魔法ですぐさま切り裂かれました。そうして、アリスは地面に降り立ちます。
彼女が使ったのは、自分の体そのものを魔力と定義して操作する身体魔法でした。魔法使いが魔力と定義したものは、自然法則から外れ不安定になるため、身体魔法は特に暴走の危険が伴います。しかし浮遊程度ならば、高位魔法使いのアリスはいとも簡単にやってのけます。
アリスは地面に降りると、とことこと歩き始めました。森はとても暗く、あちこちから獣の唸り声が聞こえてきます。しかしアリスは臆しません。いかなる獣も魔法生物も、彼女には敵わないからです。
王都のあった方向へ歩を進めていると、突如横から羽の生えた首の長い魔法生物が襲い掛かってきました。しかし、その生物の牙がアリスに届くことはありませんでした。アリスにぶつかる前に、壁にぶつかったかのようにその生物が停止したのです。
「まあ、ジャバウォック! 本物を見るのは初めてだわ!」
自分が襲われているというのに、アリスはジャバウォックに出会えて嬉しそうです。図鑑で外界の生物の勉強をしていたアリスにとって、実物を見ることは大変楽しい体験でした。ジャバウォックはとても凶暴な魔法生物で、並みの魔法使いでは簡単に殺されてしまうのですが、高位魔法使いの敵ではありません。
ジャバウォックは阻まれても阻まれても何度でも立ち向かってきます。しかし、アリスの防御魔法に阻まれ続けていました。アリスは周囲の気体を魔力とする気体魔法を使い、見えない壁を作っているのです。
何度も向かってくるジャバウォックをアリスは面白そうに眺めていました。その顔は既に血まみれで牙の何本かは折れていましたが、それでも諦める様子はありません。
「あなた、頑張るわね。でも残念。わたしの敵じゃないわ」
アリスがそう言った直後、オレンジ色の刃が空中から出現して、ジャバウォックの首を切り落としました。高温の電離気体で切り裂かれたため、傷口は焼かれて血は出てきません。しかし、首を切られてなおその体はまだアリスに向かってきました。
「すごい! 首を切られても死なないなんて!」
アリスは胸の前で両手を組んで、目を輝かせます。しかし、ジャバウォックの動きはすぐに鈍くなり、やがて動かなくなってしまいました。それを見て、アリスは肩を落としました。
「なーんだ、残念.」
つまらなさそうにそう言って、アリスはまた歩き始めます。
その後、何度も凶暴な魔法生物に襲われたアリスでしたが、彼女の防御魔法を突破できる生物はおらず、皆返り討ちにあっていました。
「なんだか飽きてきたわ」
最初こそ初めて見る生物を喜んで見ていたアリスでしたが、いよいよ飽きがきてしまいました。アリスは飽きっぽいのです。
「なにかもっと面白いことはないかしら?」
月明りもほとんど届かない森の中、襲い来る魔法生物を蹴散らしながらアリスは面白いものを求めて歩きます。するとアリスの目は、少し先の方で放たれた魔法の光を捉えました。音も聞こえてきます。どうやら魔法使いが戦っているようです。
それを見たアリスは、それはもう嬉々として駆け出しました。面白そうだからです。
近づいていくと、開けた場所が目に入りました。どうやら道になっているようです。道には魔車が置かれ、それを中心として剣を持ち鎧を纏った三名の魔法使いが戦っていました。どうやら魔車を守っている様です。
対するはこれまた三名の男たち。この男たちの風貌は変わったものでした。一人は大きな帽子と紳士服を着た男。二人目は上半身は人間なのですが足がどう見ても兎のそれになっている男。そして最後の一人が、目を瞑って眠っているようにしか見えない男。
アリスはその男たちの戦いを木陰からそっと覗きます。
「あれは、騎士団かしら?」
魔車を守っている男たちの鎧には、アリスも見慣れた紋章が描かれていました。それはこの世界を治めるウォルコット家直属機関の紋章でした。
戦いの様子を眺めていると魔車の扉が開き、中から一人の女の子が顔を出しました。心配そうに騎士団を見ています。
「姫様、出てきてはいけません!」
一人の鎧を着た男が気付いて、その女の子を注意しました。
やっぱり。あの三人は騎士で、あの女の子はお姫様なんだわ。それで、残りの三人はきっと盗賊か何かね。
アリスはそう考え、その戦いに介入することに決めました。見た限りでは高位魔法使いに匹敵する者がいなかったので、細かなことを考えずとも安全だと踏んだのです。
アリスは勢いよく木陰から飛び出し、魔法の打ち合いをしている両者の間に割り込みました。
「おわ! なんだ!」
帽子を被った盗賊の男が、慌てて攻撃をやめました。盗賊は残りの二人も攻撃を中止します。
しかし、騎士たちのとった行動は盗賊たちとは真逆でした。
「今だ! 攻撃しろ!」
魔車を守るために防戦一方だった騎士たちは、これ幸いと攻撃魔法を放ち始めました。赤い魔弾が何発も盗賊たちに放たれます。
「うわ! 卑怯だぞ!」
兎足の盗賊が叫び、防御魔法を張りながら騎士を非難します。
攻撃魔法が次から次へとアリスの左右を通り過ぎていきます。アリスも防御魔法を使っているので、仮に当たってもこんなものにかすり傷一つ負わされることはありませんが、それでもやはり面白くありません。
「ちょっと、あなたたち! わたしがせっかく助太刀に来てあげたのに、どういうつもりよ!」
アリスが騎士を振り返ってそう言うと、騎士は一度攻撃を止めました。
「……いや、すまん」
騎士は、アリスが女王陛下の一人娘であることに気付いていません。それもそのはず。アリスの容姿は世界中でもごく一部の人間しか知らないからです。
「分かればいいのよ、分かれば」
アリスは偉そうに言って、もう一度前を向きました。そして、盗賊たちを指さします。
「あなたたち! わたしが来たからにはもう好き勝手させないわ! いっぱいひどいことしてあげるんだから!」
アリスはどこまでも楽しげです。物語の登場人物になった様な気がして、頭がお花畑になっているのです。だからアリスは、後ろで騎士たちがなにやら怪しげな相談をしているのにも気付きません。
「お前は誰だ!」
帽子をかぶった男が問いました。
「わたしはアリスよ!」
アリスは自分の胸の片手を当てて、誇らしげに言い放ちます。ファミリーネームは名乗りませんでした。親の威光ではなく、自分の力でこの状況を解決したかったからです。
「なに! アリの巣だと! そんなものどこにある!」
帽子の男はアリスの名乗りを聞いて、キョロキョロと地面を見てアリの巣を探し始めました。
「誰がアリの巣よ! アリの巣なんてないわよ!」
「なに! じゃあなんて言ったんだ!?」
「だから、わたしはアリス!」
「なに! アリの巣だと! そんなものどこにある!」
「だからわたしはアリスって言ってるでしょう! アリの巣なんてないわよ!」
「いや、アリの巣があったぞ」
どうやら帽子を被った男はアリの巣を発見したようです。
「え、うそ」
アリスはそう言って、帽子の男の元までてくてくと歩いていって、地面を見ます。そこにはアリの巣がありました。
「まあ、ほんと。アリの巣があるわ! って、違うわよ!」
アリを見るのは初めてだったので、一瞬喜びかけたアリスでしたが、すぐに正気に戻りました。
「何が違うんだ?」
「だから、わたしはア・リ・ス!」
「ああ、アリの巣ならここにあるぞ」
「もう!」
アリスが苛立ちを抑えきれず地団太を踏みます。
「ああ、アリが!」
アリがうアリスにつぶされるのを見て、帽子の男が叫びます。
「なんてことするんだ、この人殺し!」
帽子の男は目を見開いてアリスを糾弾します。その表情から、とても冗談で言っている様には思えません。
「人なんて殺してないわ! せめてアリ殺しと言いなさいよ!」
アリスは怒ってそう言い放ちました。すると帽子の男は興奮した様子から一転、急に冷めた表情をしました。
「アリ殺し? 馬鹿かお前は。いちいちそんなこと言ってたら、道も歩けないだろう」
急に正論をぶつけてきた帽子の男にアリスはさらに苛立ちを覚え、またアリスは地団太を踏みました。
「もう! いい加減にしなさいよ!」
「ああ、アリが! この人殺しが!」
ここにきてアリスはようやく理解できました。帽子の男は狂っていたのです。
ほとほと疲れ果てたアリスは、さっさと盗賊たちを成敗することにしました。
「もういいわ。話は終わりよ。覚悟なさい。あなたたち盗賊はこのわたしが成敗—――」
「あー、嬢ちゃん、張り切ってるところ悪いが」
アリスがセリフを言おうとしていたところ、兎足の男が急に話しかけてきました。
「……なによ」
邪魔されて、アリスはさらに不機嫌になっています。
「後ろ、見てみ」
兎足の男がアリスの後ろを指さしました。アリスが後ろを確認します。
果たしてそこには、何もありませんでした。魔車も騎士も綺麗さっぱりいなくなっていたのです。
「え……」
騎士たちはどうやらアリスを囮にして逃げ出したようでした。この事態にアリスは拍子抜けし、また前にいる兎足の男を見ました。
アリスは困り顔です。兎足の男も困り顔です。
こうして互いの事情もよく分からぬまま、両者は出会ったのでした。