3-1 チャンスは忍耐の後にしかやって来ない。
首都アキバハラ。
響きがよく似た東京のアキハバラと濁点の位置が一つ違うだけのまぎらわしい名前だが、この場所がネクラ世界の中心地だ。
片や萌えの中心地であるユートピア、片やクソゲーの中心地であるデストピア。たった一文字の違いでこれほどの残酷な違いが生まれるとは、言霊の持つ力の大きさに愕然とするばかりだ。ここではこころがぞんぞんすることはあっても、ぴょんぴょんすることはないのだから。
アキバハラはこの世界で最大の都市だ。なぜ最大と言い切れるかと問われれば、それはネクラに存在する都市が一つしかないからだ。無論、広大なデスランドの大地に人の住む街が一つしかないわけではない。地方に行けば小さな村や街が点在しているのだが、都市ほどの大きさを持つとなればここアキバハラに限られる。
人工はおよそ五万人。この数字を多いと見るか少ないと見るかは意見が分かれるところだが、常に世界の半数以上の人間がこの都市に集まっていると言えばその判断の一助になるだろう。
かつてのローマ帝国のように全ての交通が交わる中心地点にあるこの都市は、その性質上、政治・経済・文化・宗教などあらゆる面で中心的な働きを持っている。
その中でもっとも重要なのが本部ギルドの存在だ。
依頼を受けることは地方の支部でも可能だが、登録は本部ギルドでしかできない。それゆえ全てのプレイヤーが必ずここに訪れることになる。
馬車に隠れてここまで辿りついた俺はなんとしてもギルド登録を済ませたい。何せここまでくるのに何度も死に、耐え難い苦痛を乗り越えた末にやっと巡ってきたチャンスである。
猫の俺は教会にリポップしてもリポップ狩りされてしまう。今このチャンスを逃したらまたあの無限デスリポップが始まる。それだけはなんとしても避けたい。
ギルド登録さえできればたとえ獣の姿であってもキルされることはなくなる。しかも教会でのリポップ確立が50%にまで跳ね上がる。
ギルドに加入する最大のメリットを得られるのだ。
加入条件に人型であることは含まれていない。よって理屈上は猫であっても加入できる可能性はある。しかしながらそこには大きな障害があるのだ。
「おい、あれモンスターか? 警備兵を呼べ」
道行く人が俺を指差す。
それを見て俺は素早く路地裏に逃げ込む。
実は、ネクラでは猫は一般的な動物ではないのだ。
この世界の住人には、猫は珍獣か突然変異したモンスターのように映る。
よって教会にリポップしたモンスターの討ち漏らしが都市内に紛れ込んだと勘違いして警備兵を呼ばれてしまう。
だから逃げる。
レベルの高い警備兵に勝てるわけない。捕まって殺されたらまたデスリポップのやり直しだ。
「待て!」
くそ、警備兵に見つかった。
さすが高レベルの警備兵ともなれば、猫の走力をもっても引き離すことは難しい。
「これでもくらえ!」
警備兵が砂のようなものを投げてきた。
その粒子が俺の口の中に入る。
しょっぱい。これは――――塩だ。
くそう、やめろ! 塩を投げるんじゃない! 俺がかたつむりだったらどうするんだ! ただ観光してるだけの善良なかたつむりかもしれないだろうが! かたつむりにとって塩はスズメバチ以上に脅威なんだからなっ! そんな塩を投げるんじゃねぇええええ!
ああ、思い出した。たぶんこれは『破魔の塩』というマジックアイテムだ。人に危害を加えようとするモンスターにだけ耐え難い苦痛を与えて足を止めさせる効果があったはずだ。街中の警備兵には全員に配給されている。
だが害意がなければただの塩でしかない。俺がダメージを負うことはないはずだ。
俺はかまわずに警備兵が進めないような狭い隙間に身をすべらせて、そのまま走り抜ける。
「くそっ! 待てぇえええええ!」
隙間にはさまって身動きが取れなくなった警備兵を一瞥して、俺は身を潜めた。
するとスキル《潜伏》の効果で俺の気配は周囲に伝わらなくなる。《潜伏》は他人の視界から隠れて一定時間たつと気配を悟られなくなるというもの。初期猫に備わったありがたいスキルの一つだ。
ちなみに俺が持っているスキルは潜伏のほかに、《猫歩き》《聴力強化》《睡眠回復》《夜目》の五つだ。
どれも直接戦闘に役立つものではない。聴力強化と夜目でいち早く索敵し、猫歩きと潜伏で隠れてやり過ごす。そう考えれば猫に求められるプレイの方向性が見えてくるだろう。
隠れて、逃げる。
……どう考えても狩られる側です。本当にありがとうございます。
これが初期猫が最弱の地雷種族だと言われるゆえんだ。モンスターも倒せない、生産もできない、スタミナもないの、ないない三拍子が揃った自力救済のできないドMプレイ専用種族なのだ。
ああ、考えただけで泣けてくる。しかしこれはあくまでも序盤苦しいというだけの話だ。今後手に入れるスキルによってはいくらでも最弱から成り上がることは可能だ。
俺は成り上がってみせる。
さて、《潜伏》が効果を発揮して周囲は静まったが、まだ警備兵が近くにいるかもしれない。念のためにもう少し身を潜めることにする。
時間がもったいないので猫らしく毛づくろいでもするか。
にしても、まったく勘弁して欲しいものだ。自慢の毛並みが塩でベトベトだ。
仕方がないので舐め取る。
塩分の過剰摂取は人も猫も問わず身体に良くないのだが、そうも言っていられない。これからギルドに出向くのだ。少しでも身なりをよくしないとな。人間関係も猫関係も初対面の印象が大事なんだよ。
しばらく時間を空けてからギルドへ向かう。
今度は警備兵に見つからないように慎重に移動する。
路地裏を突き抜け、建物の屋根を飛び移り、犯人を尾行する探偵のように物影に隠れながら進む。人目のないルートを探しながらの歩みなので時間はかかったが、どうやら無事に辿り着けたようだ。
おぼろげな記憶だが、アキバ内の主な施設の場所は覚えている。
北は武器職人が集まる職人街。東は商人街。南は農地が近いので飲食店や宿屋などが多い。西は図書館や病院などの公共施設が集まっていたはずだ。
そして東西南北にそれぞれ旗色の違うギルドがあって、中央にそれらを統括する本部ギルドがあったはずだ。
だからひたらすら中央区に向かって進んでいたが、目論みは成功したようだ。
遠くからでも見える、周囲の建物と比べて一際大きな石造りの建物。そこに大剣を担いだ野性的な男や槍を背負った女などが入っていく。おそらくランクアップの申請にでもしに来たのだろう。
俺は周囲に気を配りながらササッと近づき、窓枠に張り付いて中の様子を窺う。人はあまりいない。正面のカウンターに座る受付嬢と、先に入った客の男女が二人だけだ。しばらくするとその男女も用事を終えて出てくる。
今は中に誰もいない。チャンスだ!
俺は勇気をだして門をくぐった。
石材の床を一直線に走り、正面の受付を目指す。そして木製のカウンターテーブルの上に身を乗り出して、受付嬢を目を合わせる。
「キャッ!」
突然目の前に見慣れない生物が現れれば、か弱い女性としては悲鳴の一つもあげるだろう。
だがこれは想定の範囲内だ。
俺は両前足の肉球を見せて、敵意がないことをアピールする。
「にゃにゃーにゃにゃ。にゃなにゃにゃーにゃ(怪しいものじゃない。ギルド登録をしにきただけだ)」
言葉が通じない以上、ボディーランゲージに頼るしかない。
だが、受付嬢の反応は芳しくない。
「モンスター!? どうして、こんなところに」
「にゃ、にゃ! にゃにゃみゃーぉ!(ち、違うんだ! 俺はプレイヤーなんだ!)」
「誰か、警備兵を!」
くそぉおおお! ダメか! 念話のスキルがないと成功率は三割くらいだと言われている。だが三割はこの世界ではかなり可能性の高い部類だ。諦めきれない。
俺は必死に無害性を訴える。
前足ふりふり、しっぽふりふり、ごろにゃぁーん、と転がってからの可愛いポーズ。
頼む、俺の可愛さにメロメロになってくれ!
すると俺の願いが届いたのか、横合いから別の受付嬢が現れた。
「ねえ、その子、モンスターにしては変よね。害意を感じないわ」
おぉ! そうだよ、その通りだよ!
俺はアピール対象を隣の女性に切り替えて可愛いポーズを続ける。
おなかを見せながらの艶かしい仕草、上目づかいでうるうるさせた瞳攻撃。
「何かを伝えようとしている?」
「にゃぁーーー!(キターーー!)」
よし、いけ。あと一息。
そのとき、異世界に来てから何も口にしていなかった俺の腹が鳴る。
ぐぅ~~。
「おなかが空いているのかしら?」
あっ、しまった。違う、いや、違わないけど、今は違うんだ。
「お肉でもあげてみる?」
肉食べたいけど違う。
「まだ子供っぽいですから、肉よりもおっぱいじゃない?」
それは是非ッ!!
じゃなかった。くそう、わかれよ! こんだけ一生懸命に可愛い仕草で伝えようとしているんだから、感じ取れよ! そうやって人の心を敏感に感じ取るのも受付嬢に必須な能力だろうが! ここでできるかできないかで、将来の出世に大きく影響するんだからなっ!
俺の必死の思いを感じ取ったのか、頭の良さそうなほうの女がポツリと漏らす。
「ひょっとして魔獣使いのギルドメンバーの誰かが、助けを求めて遣いを寄こしたとか?」
それに頭の悪そうなほうの女が乗っかる。
「きっとそれですよ! テイマーは数が少ないですから、依頼記録を調べればすぐにわかるはずです」
「おいいいいいいいいいいいい! ちげーよ! なに勝手にストーリーを作ってんだよ! ダメだこれ、誰か、猫語のわかる人を連れてきてくれ!
そのとき、本部ギルドの入り口から低い男の声が聞こえた。
「失礼、街中でモンスターを見たという報告が……」
聞き覚えのある声だった。
「あっ……」「にゃっ……」
不覚にもそいつと声が重なる。なにせ、目の前にいたのはさっき俺に塩を投げつけてきやがった警備兵の男だったのだ。
くぅーそぉーがーーッ!
俺は一目散に逃げ出した。再びむさ苦しい男と追走劇を繰り広げるはめになった。
このクソゲーがぁああああああああああ!




