2-3 どうにもならない状況から脱出するには、ある程度の運も必要だ。
問い。人は死んだらどこへ行くのだろう?
答え。真っ白い空間で神らしき存在と会う。
何もない真っ白な空間。空間があることすら本当かどうかわからない場所。
そこに人のような気配が二つあった。二人は会話をしている。
「え? 俺、死んだの? マジで! よっしゃー! あんた神でしょ? んじゃ、剣と魔法の世界に転生させてくれ。あと、チートよろしく! 俺、来世から本気出すつもりなんで!」
「…………いかにも、ワシは神じゃ。一つ聞くが、もう一度まじめに人生を生きるつもりはないのじゃな? 今なら半身不随になるが、奇跡的に一命を取り留めることができる。ワシとしては、おぬしが真剣に生きることを願っておるのじゃが」
「はぁ!? 障害者になるなんてヤダよ! いいからさっさと次の世界に送ってくれよ!」
神を目の前にえらくふてぶてしい人間だ。
そんな無礼な口を聞いて天罰を受けないだろうか。
「たしかに人は死ぬと死後の世界に送られる。だがどの世界に行けるかは生前の行いによって決まるのじゃ。おぬしは今のままじゃと、あまり良い世界には行けないじゃろうな。まあ、剣と魔法はありそうじゃが」
「えー、何でだよ! 俺、結構頑張ったよ? 犯罪も犯さなかったし。まー、それでも、今の世界よりはマシだろうから、異世界に行かせてくれ。んで、チートは? すんごいの期待しちゃうよ!」
「死後の世界での待遇も、生前の行いによって決定される。今この場で伝えることはできぬ」
「えー、そうなの? まあ、お楽しみってヤツか。ネット小説じゃ引きニートでもすげぇチート貰ってるし、きっとそれなりの能力が貰えるだろう!」
人間は自信たっぷりに言い放った。
「はあ……。もう一度だけ問うが、本当に人生をやり直す積りはなのじゃな?」
「くどい! あんなクソゲーみたいな世界なんて二度と戻りたくないよ! だいたい、あんたが管理してる世界だろ? もうちょっとマシな管理しろよな! いったい何人不幸になったと思ってんだ! しっかりしろよな、神!」
ついには神に上から目線でダメだしする人間。いったいどんな立派な人生を歩んできたのだろうか。気になったので、回り込んでその顔を拝見した。すると、やたら濁った目の男だった。って、
――――俺、じゃねーか!
やけに見覚えのある顔はまさしく、何年も連れ添ったブサ面だった。
あれ? そういえば、この光景、見覚えがある。確か日本で死んでネクラ世界に来る前に、見た光景だ。
ん? ネクラ?
――ハッ! そうだった! 俺、死んでネクラに転生しちまったんじゃねーか!
やばい! 何てこった! これは過去の光景だ。止めないと! 俺がネクラに送られちまう!
おい、俺ぇえええええええええええええ!
やめろ! 今すぐ、日本に帰れ! こっちに来るんじゃねえっ! 今すぐ神に土下座して生き返らせてもらえ!
今から思えば、車椅子生活のほうがはるかにマシだ! 人間としての尊厳は守られるんだ! もっといい世界に転生できるように、真面目に生き直して来いやぁぁああああああ!
「そうまで言うなら仕方がないのう。転生を始めるぞ。次に行く世界はワシの管理外じゃから、ワシから手助けすることはできぬが、構わぬか?」
「いいよいいよ、大丈夫。俺、異世界に行ったら何でもできる気がするんだ!」
やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!
「おぬしが真摯に人生と向き合えるようになると願っておる。そのときになったらもう一度ワシのもとへ戻ってくるがよい。早く戻ってくるのじゃぞ」
俺の叫びも虚しく、転生は執行された。
ああ…………。終わった。何もかも。
過去の俺は消えた。残ったのは今の俺の意識だけ。
俺は、どうしてこんな決断をしてしまったのだ。バカすぎる。愚かすぎる。取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
放心する俺のほうに神が向き直った。
「早く、戻ってくるのじゃぞ」
え? 今のは俺に言ったのか? 過去の俺じゃなくて、今の。
その言葉を最後に、俺の意識は覚醒した。
◆
「俺が、悪か、った…………ん?」
うわごとのようにそう呟きながら目を覚ましたとき、俺は蓑虫のように宙吊りにされていた。
酷くショッキングな夢を見ていたような気がするが、すぐに海辺の気泡のように消えて思い出せなくなった。
俺は確か、ネクラ世界に転生したんだった。
異世界での記念すべき最初の朝にこなすテンプレと言えば、「知らない天上だ……」とつぶやくことだろう。
ああ、知らない天上だともさ。天上どころか、ここがどこなのかもわからない。
空洞であることと光ゴケが繁殖していることから、あの地下空洞からそう遠くない場所だろうことはわかる。
巨大な蜘蛛に捕らえられた俺は気絶している間にどこかに運ばれて、気がつけば蜘蛛の糸で蓑虫にされて宙吊りにされていた。
どのくらい時間がたったのかわからない。身体の痺れはだいぶ取れたが、蜘蛛糸の強度が強すぎて脱出できない。
俺の周りには同じように捕まって宙吊りにされた人間やモンスターが列を成している。
そして眼下を見下ろせば、無数の白骨と、それよりも多いバレーボール大の黄ばんだ卵が所狭しと並んでいた。
そのうちいくつかがひび割れる。中からべっとりした粘液に包まれた複数の細い足がモゾモゾと這い出てきた。見計らったように巨大な親蜘蛛が近づいてきて、俺の横に吊られていた戦士風の男の糸を切った。
「うぁああああああ!」
無精ひげをたくわえた三十路くらいの男が、恥も外聞も無く泣き叫びながら落下していく。
地面に激突した瞬間、孵化したばかりの子蜘蛛が喜び勇んで男に群がった。
「やめろ! いや! やめてぇええええ! ママぁあああああああ!」
幼児退行したようにそう叫んだのを最後に、子蜘蛛の群れに埋もれた男の声は途絶えた。
ぶちゅり、ぶちゅりと耳障りな音と、吐き気を催す血の臭いが広がる。
俺は白目を剥く寸前のように視界をひきつらせながらその光景を見ていた。
グロイよぉおおお、エグイよぉおおおおお、ヒィイイイイイイイイイイイイイ!
しばらくすると激しく暴れながら群がっていた子蜘蛛たちが一斉に散開していった。後に残ったのは骨とボロボロになった男の装備だけだ。
あまりにも残酷で凄惨な光景に身の毛がよだつ。猫なので余計に立つ。
哀れな男。だが他人事ではない。なぜなら、次に卵が孵化したときに犠牲になるのは――、
――俺なのだから……。
こんな初見殺しの罠がいたるところに仕掛けられているのがネクラだ。
こんなエグイ展開誰得だよ! クソゲー! クソシナリオー!
俺は下半身を湿らせながら、ただそのときが来るのを待つしかない。
それから半日ほどたったくらいだろうか。
複数の人の声が洞窟の壁に反響してかすかに聞こえてきた。
「たぶん、このあたりだと思う」
「たのむ、トーマス。生きていてくれ!」
「もう三日近くなるわ。時間的に厳しいわね」
「諦めるな! あいつは必ず生きている! オレたちが信じなくてどうする!」
どうやら蜘蛛に囚われた人の仲間みたいだ。男の声が一人、女が二人。
声の集団はどんどん近づいてきて、やがて俺のいる空間までやって来た。
「おい、見ろ! 卵だ! ここがヤツの巣に違いない!」
「トーマス! いるなら返事をして!」
俺が吊られている真下までやって来た女が一人、何かに気付いた。
「ねえ、みんな! これ……」
女にしては低く落ち着いた声で仲間を呼ぶと、
「こ、これは、トーマスの皮鎧!? 横に転がっているのはあいつのペンダント……」
俺の前に食われた三十路のおっさんはトーマスという名前だったらしい。
「うわぁああああああああああ! トーマスぅううううう! すまねぇ……、俺を庇ったばっかいに……! ちきしょう! 出て来い、蜘蛛野郎ッ! ぶっ殺してやるッ!」
ローブを被ったリーダー格っぽい男がわめきながら近くにあった卵を蹴り壊す。怒りが治まらない様子の男は腰から短杖を引き抜くと、杖先から火炎砲射のような火線を走らせた。
「燃えろ、燃えろ! みんな燃えちまえぇええ!」
蜘蛛の糸に引火した炎は瞬く間に広がってあたりを包む。
接着剤が焼けるような異臭広がり、壁面に反射した炎の影が慌ただしく揺らめく。
って、熱っちーな! 燃え移った炎が俺の近くまできた。このままでは俺も一緒に丸焼けになってしまう。
「ニャー! ニャー! ニャぁー!」
俺が力いっぱい叫ぶと、冷静そうな女が頭上の俺に気付いた。
「ちょっと、ガストン、落ち着いて! まだ生きてる人がいるわ!」
しかし興奮した男の耳には入らない。
チッ、と舌打ちを漏らした女はもう一人の女に激を飛ばす。
「ディアナ!」
「りょーかい!」
ディアナと呼ばれた女が背中に預けていた弓を構えた。しかし矢をつがえることはせず、指先で弦を引く。すると弓全体が若葉色に発光し、弦が弾かれると同時に半月状の光りが放たれた。
若葉色の光刃は上空に吊るされていた俺たちの糸を一息に切り裂いた。
俺たちは一斉に地面に投げ出される。二人の女がその中から生きた人間を探し出して開放する。と、同時に、獲物を捕りに巣を離れていた親蜘蛛が異変に気付いたのか、猛スピードで戻ってきた。
前足を大きく立てて金切り声を発すると、怒り狂ったように地面を踏みつけながらローブの男に走り迫った。
「ガストン! 一旦、戻って!」
「うるえぇ! トーマスの仇を取らずに引けるかッ!」
ローブの男と巨大蜘蛛が互いの憎悪をぶつけ合う。炎へと変えられた憎しみがあたりに飛び散り、ますます火災は広がる。
俺は地面に打ちつけられた痛みにこらえ周囲を転がる。僅かな火種を見つけると、自分をぐるぐる巻きにしていた蜘蛛糸を焼く。
「ニャぁアアア!(熱ちぃいいい!)」
熱さに耐えて何とか自由を取り戻すと一目散に火の手の弱い場所へ避難した。
岩陰に身を潜めながら周囲の状況を観察する。
男と大蜘蛛の戦いはすでに佳境に入ていた。
全身に炎の鎧をまとって大蜘蛛の懐に潜り込んでいた男だったが、徐々にその火力が薄れていた。
「ダメよ、ガストン! 引いてッ!」
女たちが叫び終える、その僅か一瞬前――、
大蜘蛛の大振りな前足を横っ飛びに回避した男に、その動きを読んでいたかのように合わせられた蜘蛛の後ろ足が男の胴をとらえる。
「ぐフッあッ!」
男のわき腹を貫いた長い脚はそのまま反対側まで貫通して飛び出した。
魔法の制御ができなくなった男は身を守っていた炎の壁を失う。その隙を逃さずに、大蜘蛛は男の頭を食いちぎった。
顔面の右半分を抉り取られた男が力なく腰を折った。その脳梁の断面図を仲間の女たちに見せながら。
残る女たちの決断は早かった。
「逃げるわよっ!」
それを見て俺も後を追った。
女たちは来た道を通って走る。
そのうちの一人、弓使いの女が大空洞へ続いていた道の入り口に向けて魔法の弓を射た。
崩落によって入り口が塞がれる前に俺は滑り込み、適度な距離を離しながら女たちを追走した。
何度か休憩を挟みながら女たちを追跡していると、洞窟の外へ出られた。
そこに広がっていたのは砂漠だ。
以前サソリに殺された砂漠とは色合いが違う。砂の砂漠ではなくて、赤茶色の岩石に覆われた岩砂漠だ。
洞窟の入り口近くに一台の帆馬車が止まっていた。
女たちはその御者台に乗り込むと、すぐさま馬にムチを入れた。俺は後ろから気付かれないように荷台に潜り込む。馬車内には保存食やスペアの武器などが積まれていた。その死角に身を潜める。
なんとか助かった。このまま街まで運んでもらおう。
馬車が揺れるたびに、蜘蛛糸を焼くときに負った火傷がヒリヒリと痛むが、俺はこの世界に来て初めて人が傍にいる安堵感に包まれながら安らいだ。
次回から街編。




