ライバル
南の領地の砦、訓練場では軍神達が固唾を飲んで見守っていた。
まだ真新しいとはいえ、ここに鳥の宮があった時の戦で崩れ、建設してからもう20年が経過していた。
目の前では、二人の将が激しく立ち合っていて、それを全て目で追い切れている者はそう多くはなかった。
刹那、キンッという金属音が響き渡り、立ち上る砂埃の収まる中、一人は膝を付いたもう一人の胸に刀を突きつけた状態で立っていた。その将はニッと笑った。
「…もう我に勝てなくなってしもうたの、炎嘉殿。」
そう言って刀を鞘に収めると、手を差し出した。
「ふん」相手はその手を取って言った。「姿ばかりか能力まで維心にそっくりになりおってからに。」
炎嘉はその将維に手を引かれて立ち上がった。軍神達がざわざわと今の立ち合いについて話し始めた中、義心が進み出て膝を付いた。
「将維様、そろそろ時刻でございます。」
将維はそちらを振り返った。
「おお、もうそんな時間か。」と炎嘉を見た。「では、炎嘉殿。我は宮へ戻るゆえ。また明日にでもお目に掛かろうぞ。」
炎嘉は頷いた。
「主も大変であるの。父がついに1800歳か。」
将維は微笑した。
「いつまでも1700歳では有り得ぬであろうよ。我は正確には父が1750歳の頃に生まれたのであるから。」と何かを思い出してククッと笑った。「母は驚いておったものよ。神世と人世では年齢の認識が違うらしい。」
炎嘉は少し不機嫌になった。
「まあ、維月はまだ100歳にもならぬのだから。」と炎嘉は言った。「我にしてみれば、子に子を生ませた様に見えるわ。」
あまり面白くないらしい。将維は苦笑して義心を見た。
「戻る。」
義心は頷き、傍の軍神に指図する。将維はそれを見て、先に立って龍の宮へと飛び立った。
この、父の年齢の件については、将維が父の居間で話していた際に、洪がやって来て新年の王の誕生の祝いのことについて聞きに来た時に知った。
いつものように母を横に座らせて、自分の椅子に座っていた父に向かい、洪が頭を下げて言った。
「王、この度の新年は特別なことでございまするゆえ、ご準備も早めにご命じ頂ければ我らも助かりまする。」
維心は立てた腕に顎を乗せて、あまり乗り気でないように答えた。
「ああ、特に大仰にすることはない。こんな歳まで生きておるのは、我だけであろうしの。」
維月が維心に問うた。
「来年は何かございまするのですか?」
それには、洪が答えた。
「はい、王妃様。王は年が明けて1800歳になられまする。ゆえに宮では、それを祝う式典を行うのでございます。100年に一度のことでございますので、王妃様には初めてのことでございまするな。」
維月は目を丸くした。
「まあ!だってずっと1700歳って聞いていたから、私は百年経たないと1800歳にはならないのだと思っていたわ。」
洪は説明した。
「神の世では、百年単位でございまする。100歳までは10年単位、100を過ぎると百年単位で年齢を申すのです。ですから、人の世で言うと、王は今1799歳でございまする。王妃様をお迎えした頃、既に1750歳ぐらいであられたので。」
維月は夫の年齢を確かに知らなかったことに、少なからずショックを受けた。じゃあ、96歳の私は、今90歳だということに…あと4年もすれば、百年間は100歳で、いきなり200歳になるのか。
「…ああ、私慣れないわ。そのうちに、私と将維は同い年になるということね。」
将維は驚いた。自分は母が40歳代の時の子。確かに百年単位になった時に、同い年になる時が来る。
「…母上が人であられたからこそ、こんなことが起こるのですね。」
将維はおもしろそうに笑った。その表情を見た維月は言った。
「将維、それでなくても私の血のせいで、あなたは普通の神より成長が格段に速くて、もう維心様とあまり変わらない外見になっているのに。見た感じ、どう考えても、親子じゃないわ。」
確かにそうだった。普通ならまだ20代前半の外見であろう将維は、30代ぐらいの外見になっていたのだ。最近では、気も格段に成長して増え、維心と見間違う臣下が後を絶たない。しかし、将維はいくらそっくりとはいえ、維心だけの子ではなく維月の子でもあるので、その気には月の気配もした。なので、見分けは付いた。
将維は母の言葉を聞いて、フッと笑った。
「親子でなければ、なんでありましょう。我が6歳の時に母上に申し上げた、そのままの状況になりましてございますね。」
維月がそれを思い出そうと視線を泳がせると、先にピンと来た維心が眉を寄せて言った。
「ならぬ。ほんに主は油断のならぬ…母は我が逝く時も連れて逝くのよ。主にはやらぬ。」と不機嫌に維月を引き寄せた。「主も思い出さずともよい。」
維月は怪訝そうに維心を見た。
「まあ維心様、そのようなことを申されてはなりませぬ。それにしても、私に少しもそんなお話はしてくださらないなんて…王のご年齢を知らぬなんて、それが王妃でありましょうか。」
維月は不機嫌に横を向いた。維心は慌てたように言った。
「特に隠しておった訳ではないぞ。主が知らぬなら教えたのに。我も主が何を知らぬのかわからぬし…。」と洪の方を見た。「全ては主に任せる。良いように計らうが良い。」
洪も慌てて頭を下げた。
「はい。では、御前失礼いたしまする。」
維月がまだ横を向いて袖口で口を押えているので、維心は何か一生懸命話し掛けていた。将維は苦笑して頭を下げると、自分もそこを出て行ったのだった。
そんなことを思い出しながら飛んでいると、龍の宮が見えて来た。将維は義心と共に宮の入り口に降り立った。
「あ、将維!」
聞きなれた声に振り返ると、母がこちらを見て手を振っていた。母はいつまで経っても人のようだ。きっと、神になるつもりはないのだろう。そしてそのまま嬉しそうにこちらへ向かって駆けて来たので、将維はハラハラした。いつまで経っても着物に慣れないのも母だからだ。
「母上、そのように急がずとも我は、」
将維は慌てて母の方へ足を向けると、着物の裾をやっぱり踏んだ。これには義心も将維も慣れていたし、いつも3回に1回はこうなるので、二人同時に手を差し出した。
維月は将維の胸に倒れ込んで支えられ、打ち身を作ることは回避された。維月も絶対に誰かが助けてくれると思っているので、着物の裁き方をマスターすることは最近では諦めているのだった。
「ああ、ありがとう、将維。」維月は腕の中で将維を見上げて笑った。「もっと短い着物か、もしくは服を着てもよいか維心様に聞いているのに、許してくれないの。こんな重くて足にまとわりつくもの、着てると動きづらいわ。」
将維は苦笑した。そもそも王妃はそうそううろうろなさるものではないので…と将維は思った。しかも女の神が走っているのなど、緊急時以外で見たことなどない。だが、これが母で小さい頃から見ているので、将維は慣れていた。赤子の時は、将維を小脇に抱えて走っていたことがあったぐらいだ。同じように足を滑らせた時、思えば赤子であったが、自分は気で母を支えた気がする…遠い記憶なのだが。なんて危ないんだろうと、今になっては思う。
「そのように急いで、どうなさったのですか?」
将維は言った。維月は微笑んで言った。
「あなたの着物を選んでいたの。維心様の物はもう選び終わったのだけど、同じようなものだと、みんな間違って仕方ないでしょう?だから、どうしようと思っていたら、あなたの気が近付いて来たから。帰って来たのだと思って。」
将維は首を傾げた。
「母上…我は別になんでもよろしいのですよ。母上の良いように。」
「まあ!それでは駄目よ!」と将維の甲冑の下の着物の襟を両手で掴んだ。「私は着物に対するセンスが全くないの!」
将維はクスクスと笑った。どうして自信たっぷりにそう言うのだろう。別におかしな着物を選んでいたのなど見たこともないのに。すると、維心の声がした。
「何をしておるのだ。」
振り返ると、かなり不機嫌な様子の父が立っていた。母はそちらを見た。
「維心様?将維の着物を選ぼうと思っておりましたの。そしたら、帰って来たので。」
「着物を選ぶのに、腕に抱かれておらねばならぬとは」
と維心は言って歩いて来た。維月は将維を見上げた。抱かれてって、なんて言い方なさるのかしら。受け止めてくれて、そのままだっただけよ。将維は苦笑して、そっと維月を離した。維月は振り返って言った。
「維心様、私がつまづいたのを支えてくれただけですわ。」と将維を見た。「それに将維は息子ですわ。昔は私が胸に抱いておりましたのよ。ただこんなに大きくなっただけじゃありませんか。」
維心は首を振って維月を引き寄せた。
「今は男よ。我と歳の変わらぬ外見をしておろうが。前にも申したの。神世と人世は違うのだ。見ての通り、もう主らは同じ年に見えるぞ。そしてこうも申したの。神世は略奪社会、父の妃を奪う息子も居るのだ。ゆえに我は、主がそのように将維に近付くのは許さぬ。」と手を取って歩き出した。「我の居る時にいたせ。さあ、着物を選ぼうぞ。こちらへ。」
維月は気遣わしげに将維を振り返り振り返り、維心に手を引かれてその場を後にしたのだった。
将維は、自分の対へ戻りながら、複雑だった。
確かに自分は、母のことが好きだ。恐らく今まで会ったどの女よりも好きであるのは確かで、しかし、それが恋愛感情かと聞かれると、恋愛自体がどのようなものか知らない将維にとって、答える術はなかった。
本当に小さい頃、母はよく自分と共に居て、そして人として子を育てるように育ててくれた。神の王族は、そのようにべったりくっついて子育てしないのだと、育って来てから知った。乳母が居るにも関わらず、母は任せきりということはなかった。しょっちゅう自分の様子を見に来ては、手を引いて庭へ連れ出したりした。抱きしめて頬ずりをし、そして自分の頬に口付ける母に、将維は確かな愛情を感じて大きくなった。それが普通なのだと思っていた。
それが出来なくなったのは、将維が10歳になった頃だった。宮での自分の位置というものがはっきりとし、そして維心からも第一王位継承者としてこの対を与えられ、そこから簡単には母が将維に触れたりすることが出来なくなったのだ。
それでも母はめげなくて、父の目を盗んでは将維に会いに来て、連れ戻されたりしていたが、基本母の中では自分は子で、いつまでも心配でかわいいといった感覚であることはわかっていた。
将維は、この身が大きく成長するにつれ、母がとても小さい事実を認識した。ある日母が対へ会いに来て、自分を抱き締めようとした時に、背が届かなくて頬を膨らませたので、仕方なく屈んでサイズを合わせたことがあったからだ。自分が母を抱き締めるのは簡単だが、母が望むようにその胸に抱きしめられようと思ったら、今なら将維は屈むどころか座らなくてはならない。だが、母はやっぱりめげなかった。わざわざ将維が座っている時を狙って近づいて来て、嬉しそうに抱きしめる。その時、将維は恥ずかしかったが、それでも心の中には暖かい愛情が湧きあがるのがわかった。そして癒されて、これからも頑張って王となるよう精進しようと思えた…だが、その愛情が母に対するものなのか、それとも父が懸念するように妻にしたいと思うような愛情なのか、将維にはわからなかったのだ。
しかし、確かに母を腕に抱いていると、いつまでも抱いていたいと思うのは確かで、またしかしそれが、母を求めてのことなのか、女として求めているということなのか、全くわからなかった。
まあ、自分は神の世で成人として認められる成人式まで、まだ150年はある。
将維は深く考えないようにしようと思い、自分の居間へ帰って、着替えて寛いだ。明後日は新年の式典がある。面倒事の前は、ややこしいことは考えない方がいい。
将維は自分の部屋の窓から見える山並みを見つめて、窓辺に立っていた。




