第32話:時は灰となりて
数百年を縛りつけていた魔法陣がゆがみながら破裂した。封印が解ける音は素朴だった。無骨な摩擦音が続き、前面がゆるりと開いた。
隙間から漏れ出した塵の粒子が光の筋に乗って金粉のように漂っていた。
「これ……」
セレナの紅い瞳に濃い熱望がにじんだ。血の色に鍛え上げられた刀身の上でルーン文字が脈打ちながら明滅している。
魔剣インフェルヌス。
震える手を伸ばし、柄を握った。新たな主を迎えた魔力回路が手首を伝って共鳴した。長き渇望の果てにたどり着いた者の畏敬が、ありありと浮かんでいた。
「ゼ、ゼペットの魔弾設計図だ!」
ドレイクの声にも抑えきれない興奮が混じっていた。金属の薄板でできた図面に指を滑らせると、刻印された回路が反応し宙にホログラムを幾層にも展開した。魔弾の内部構造だった。
「この薬室の構造……ありえねえだろ。どうやって魔力の逆流を抑えてやがんだ? こいつ本当に、俺がもらっていいのか?」
後ろに立つランスロットが丸い頭をこくりと縦に振った。
「……ありがと。本当に」
セレナは魔剣を胸に抱き寄せてささやいた。
「済んだなら行くぞ」
影の中から声が落ちた。アッシュだった。隅の少女に一度目をやり未練なく身を翻した。
「ちょっと、見もしないわけ?」
セレナが呼び止めたが、アッシュは薬草を取り出してくわえ書斎の扉を押し開けて出ていった。
* * *
一行は来た道を引き返し階下へ向かった。二階のバルコニーでは、居並んでいたオートマタが最初に見たときの姿勢に戻っていた。
ドレイクがぼやきながら通り過ぎると、オートマタのレンズが瞬いたのち光を失った。
一階の玄関ホールに差しかかった。
「……おい、何してんだお前ら」
ランスロットが身の丈ほどもある荷物を背負って立っていた。フライパン、毛布、得体の知れない食材をはち切れそうなほど詰め込んだ巨大なリュック。
ドレイクの唖然とした視線を意に介さず、前足でリュックの紐をしっかり締め直すと、フンス、と鼻息をひとつ吐いた。その背後に、少女が幽霊のように佇んでいた。
「何だ、遠足でも行くのか? 俺がとやかく言うこっちゃねえが。とにかく遺産はありがたく頂戴した。体には気をつけろよ。達者でな」
ひらひらと手を振った。一行は開いた城門へ向かって歩き出した。だが背後からフライパンのガチャガチャ鳴る音がしつこくついてきた。十歩ほど進んでも変わらないその間合いに、ドレイクが目を丸くした。
「まさか、ついてくる気じゃねえだろうな⁉」
ランスロットがもう一度鼻息を吐いてうなずいた。
「絶っ対ダメだ!」
飛び上がって手をばたばた振った。即座にランスロットが牙を剥き低く唸った。
「ニャーニャー言ったってどうにもなんねえぞ! 宝をやけにあっさりよこすと思ったら、こういう魂胆かよ。ただでさえ食うにも困ってるってのに、猫と嬢ちゃんをどうやって養えってんだ? 俺は無理だからな!」
「いいじゃない。もうちょっと稼げば済む話でしょ。こんな辺鄙な城に閉じこもってるのが窮屈だったみたいね。あたしは賛成」
セレナが悠然とした足取りで歩み寄り、口を挟んだ。
「部外者は引っ込んでろ!」
「誰が部外者よ。チームでしょ。それに、あの子は純粋魔力体のシミュラクラムよ。あんたが思ってる以上に強いんだから。お荷物どころか戦力になるわよ。おまけに猫はあんたより百倍料理がうまいんだけど」
青筋を立てたドレイクの怒声とセレナのいらだった反論が絡み合い、古城の静けさを破った。
アッシュは騒ぎに背を向けていた。奥歯で薬草の茎をすり潰しながら闇に沈んだ古城の骨格を視線でなぞった。
墓と化した風景。世界をのぞく隙間を残そうとするかのように、まっすぐ切り落とされた蔓。その向こうに見えるのは漆黒だけだった。
風景の上に、不意に記憶の欠片がいくつも割り込んできた。
閉ざされた扉。
雨の中で踵を返すしかなかった足取り。
泥にまみれ踏みにじられたもの。
何千回と噛み砕いて飲み込んでも消化されない過去の澱だった。奥歯を強く噛みしめ、茎を断ち切った。舌の根までしびれる痛みが走る。
「おい、アッシュ! お前もなんか言えよ! 託児所じゃあるまいし、俺らが何の——」
「連れてこう」
騒ぎがやんだ。
「……は?」
「アッシュも賛成で二対一ね。案件可決」
「ふざけんな!」
「いい加減観念しなさいよ。魔弾の設計図がどれほどのモンか、あんたが一番わかってんでしょ。あんだけもらっといて頼みのひとつも聞いてやんないなんて、商売の仁義に反するんじゃない? ケチくさっ」
セレナの小言にドレイクは抱えた図面をちらりと見下ろした。反論を見つけられない唇が何度かひくつき、ばつが悪そうに口をもごつかせた。
「仲間になったんだから、よろしくね。このキレイなお姉さんがセレナ。あっちはアッシュ。で、あの性悪なオッサンがドレイク。何かっていうと意地悪だから、なるべく関わんないほうがいいわよ」
「何だと⁉」
セレナは聞こえないふりをして少女と目線を合わせた。
「でも……まだ名前、聞いてなかったわね」
猫は答えることができず、少女には声がなかった。
「オフィーリア」
アッシュが宙を見たまま放った一語だった。それだけ言うと先に歩き出した。
オフィーリアの首が、アッシュの背中へかしいだ。やがて衣擦れの音がその背を慌ただしく追いかけた。
「……あー、わかった、わかったよ!」
後頭部を乱暴にかきランスロットに指を突きつけた。
「おい、毛玉。やらかしたら即たたき出すからな。わかったな!」
ランスロットが威嚇なのか同意なのか判然としない鼻息を漏らし足をドンと踏み鳴らした。
* * *
一行が玄関ホールの敷居をまたいだときだった。闇の中にそびえる大時計が吐き出した鐘の音が天井を伝ってゆるやかに広がっていった。
アッシュが真っ先に外へ踏み出し、セレナとドレイクが後に続いた。最後に、ランスロットとオフィーリアが戸口を越えた。
巨大な城門が背後で重く閉じた。冷たい空気が押し寄せては消えた。嘘のように鐘の音が途絶えた。
永遠に続くかと思われた振り子の刻みも、ガラスをたたいていた震動も消えた。
* * *
古城を出ると空が開けた。ルナリスの銀白の海が再び広がっていた。
東の地平線の彼方からにじむ夜明けの光に押され徐々に色あせた。月光を失った花畑は寂しげな灰の匂いを漂わせていた。
波がさざめきながら砕けた。会話は途絶え、風の音だけが隙間を埋めた。
オフィーリアの足がぴたりと止まった。靴が花畑のただ中に釘付けになったように固まった。遠ざかるアッシュの背中と残された古城のあいだの境界線だった。
布の奥の碧い瞳が、死にゆくルナリスの海を湛えた。首を巡らせランスロットを見上げた。
見下ろす獣の丸い目には哀しみが溜まっていた。ゆっくりと頭を振った。
風がはげしく立ち、数千の花びらが花吹雪となって宙へ散る。
オフィーリアは正面へ向き直った。灰色のコートをまとった男の背が少しずつ遠ざかっていた。
靴のかかとが土を蹴った。速度が上がった。花びらをかき分け必死に距離を詰めた。ようやく追いつくと、元のゆるやかな歩調に戻った。
手を伸ばせば届きそうで、届かない距離。
曙光が大地を舐めながら昇った。
五組の足跡が花畑の上に浅く刻まれ、
風が吹くたび、静かに消えていった。




