奇妙な遭遇
ちょっとした設定回的なアトモスフィア。
世界観を小出しにはしてきましたが、口で説明するとなると限界が来ますからね。
昼食は充実した時間だったと、シガールは満足げに診療所を辞し、僅かに遅れて赤雷が続いた。
皆で摂る食事は実に楽しいものであった。その光景は今でも思い浮かぶほどだ。
──シガール君、この鯉は旨いぞ。儂の分も少し取るがいい。
──そう言いながら俺の分を狙うんじゃねえ!?
──何を言うか、元はと言えばこれは儂らのものじゃぞ。
──……二人とも、うるさいです。
──ミシェル君が最近冷たいんじゃがのう、シガール君。どうしたらいいと思うかね?
──え。なんで俺に聞くんですか!?
──そりゃあ、お前しかいねえだろう。
──はあっ!?
皿に盛られた料理を背景に会話が交わされ、自然と笑みが零れる。あまり話をしない質の赤雷であっても、あの時ばかりは饒舌となった。
和気藹々とした空気や、やり取りはかつて仲間たちと過ごしたものに酷似していた。退出の折、アルシュが手付かずの薬品じみた液体を前に困惑している姿は、中々に笑いを誘ったものだ。
シガールはまた失いたくないと思うと、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。唇を、固く噛み締める。
(何があっても、守ってみせる。 俺は、誓ったんだ)
視線だけ赤雷に向けて様子を見ると、既に落ち着いていた。食事中には笑顔を浮かべていたが、アルシュと話していた時の表情は憂いとも喜びともつかぬものだった。少なくともシガールが彼と過ごした時間の中で、あれほど動揺した姿を見せたことはない。
気が気ではなかったが、ひとまずは胸を撫で下ろした。
「シガール、街を巡るぞ」
そんな矢先に、赤雷が声をかける。その顔は固い。情報を集めようというのだろう。四方がおおよそ七里弱であり、デポトワールは大規模というほどではない。だからこそ、余所者がいればすぐに知れわたる。
赤雷の狙いは、自身を嗅ぎ回る者の特定だと思われた。その判断に間違いはない。……そのはずだが言うに言えぬ胸騒ぎを、シガールは感じていた。
一抹の不安を覚えながらも、シガールは真顔で返した。
「じゃあ、何処から手を付けようか?」
「そうだな、今はまだ何も分からん。 目下の問題は、こちらに対する立場が不明なことか」
少し考え込み、すぐに答える。
「……手初めに大通りを回る。 適当に物見遊山といった風を装って聞き込め。 半刻後、大通りの南端──黒山羊亭で合流だ、いいな」
「赤雷さんは?」
「俺は商人や薬師……その辺りを狙って話をする。 いいか、さりげなく聞いて回るようにしろ」
だが子供相手なら口が軽くなる人間もいるだろう、と赤雷は自らの考えを補足した。
「いいな、半刻後。 通りの南端、黒山羊亭」
「分かった。 気を付けて」
シガールの案ずるような言葉に対し、赤雷は不敵に笑った。
「ガキが俺の心配なんざ、十年早い。 ……お前こそ気を付けるんだな」
シガールは、大通りを練り歩いた。
剣帯に収まった長剣が道行く人々の好奇の視線を引き寄せる。お構いなしに、露店を巡りパン屋や、鍛冶屋などにも足を運ぶ。
もうじき半刻が経過する。彼は目的の酒場まで後半里もない場所にいた。目視で確認も出来る。
だが、結果は芳しくない。シガールは大きく嘆息する。
めぼしい情報は何一つなかった。それどころか、異邦人という単語で怯む者すら居た。シガールが赤雷という腕っ節と行動を共にしているせいか、彼が姿をみせるなり店の奥に引っ込む者、逃げ出す者まで居る始末だ。
赤雷との待ち合わせまで、もう幾ばくかしか残されていない。気ばかりが急いていた。
「参ったな……」
西の空を仰げば、既に日が傾いていた。夕刻までは時間の問題だろう。勿論、夜の聞き込みは有効だ。酒が入れば寡黙な男であろうと、多少なりとも雄弁を気取るものだ。
この分ではそれも期待出来ないと予想された。なんら手がかりがないということは、誰かに隠匿されているか、外套などで顔を明かさない人間かも知れないのだ。
だが、異邦人らしいということを加味すれば、隠匿という可能性は薄いと考えられる。個人の性格にもよるが、この国の差別意識は高いからだ。異邦人を匿うとは考えにくい。
それにつけても潜み隠れるのが上手いとシガールは思った。顔は隠せても訛りは誤魔化せない。異邦人ということだけしか判明していない以上、隠蔽工作には人一倍気を遣っているのだろう。
(なんにしても、後手に回っている気がする)
「おい。 おい、兄さんや!」
諦めて赤雷のところへ急ごうとしていた時、嗄れた声が掛けられる。
振り向くと、そこには汚ならしい木綿糸の服を着た初老の男が露店をやっていた。声を掛けたのは客引きだからだろう。その割りに殺風景な店が異質な空気を放っている。
そもそも様相が異常だ。
ただ申し訳程度の敷物を設えているだけの佇まい。それだけならまだしも、扱っているのは鞘に収まった長剣とおぼしい物が二つに、小刀が十本あまりが目立つ位だ。他には縄や革製の水袋などの雑貨が並んでいる。
「兄さん、いい身体つきだね。 うちの品は安いぜ、ちょっと見ていきな」
シガールは、陳列された品々をみて聞こえよがしに溜め息を吐いた。
剣の鞘は壮麗な装飾がされていた。柄頭には片や青玉、片や紅玉がはめ込まれている様子だが埃を被っている。最低限の手入れしかされてされていないのが一目瞭然だった。
縄に至っては擦りきれて頼りない、見るに堪えぬ代物だと分かるし、小刀は所々錆が浮いている。
水袋は洗いざらし。一見して使い古しとすぐに分かった。
酷い管理体制だと思う。商業の何たるかを知らぬ素人が、商人の真似事をしてみたといっても信じられそうなほどだ。この周辺が貧民窟ということもある。判断材料としては十分だった。
──値札はないが……。 さては、ぼったくろうって魂胆か。
そう断じ、シガールが背中を向けると幾分か焦ったように言い募る。そればかりか、追いすがってきた。
「なんだよ、ちょっと見るだけさ。 損はさせねえよ」
「俺じゃねえ、“あんた”が損をしないんだろう?」
嫌味と皮肉を込めた一言に男は動じる素振りも見せず、シガールを引っ張り寄せる。どれ程引っ張って逃げようとしても、男は頑なに見ていけとせがむ。シガールはとうとう根負けした。これ以上続けたところで、いたちごっこになるのが予想できたからだ。
(くそ、面倒なのにつかまった。 まあ金は持ってないから諦めるだろう……)
面倒なこともあり、話を聞き流そうとしていたシガールは些細な異常に気が付かなかった。
ここは貧民窟だ。
人情沙汰の発生率は王都の比ではない。そして、それらが起きる要因の大半を占めているのが口喧嘩である。仮に他の露店へ嫌味ったらしい物言いをした場合、待っているのは鉄拳の襲来。そこから乱痴気騒ぎに発展するか、斬った張ったの殺し合いに進展するかのどちらかだ。
ところが、男が喧嘩腰の物言いを歯牙にもかけていないこと──瞳の焦点が合っていないことにもシガールは気が付かない。
座り込むなり、男は上機嫌で青玉の柄をシガールに向けた。抜いてみても良いということらしい。
──俺が持ち逃げするとは思わないんだな。 そもそもが持ち逃げしようと思われないかも知れないが。
内心うんざりといった風に、シガールは青玉の剣を抜いてみた。汚れている見た目とは裏腹に鞘走りの具合いは良好だ。心地よい音が耳朶を撫でる。
ほどなくして刀身が露となる。
「──っ」
それは意図せずして陶酔するほどの美しさを湛えていた。刀身はガラス質のように思われた。半透明で、湖面のように蒼く輝き向こう側が視認できたからだ。
頭上は陽光を奪い合うように衣服が掛けてあり、薄暗いにも関わらずその閃きは神々しくさえあった。
通行人が喚き散らす声で、ようやくシガールは我に返った。
興奮冷めやらぬ表情で思考を巡らせる。
──偽の剣か。 それにしては手が込んでる。 ガラス職人にでも依頼したか。
シガールは、かつて御伽噺に登場した魔剣が、このような見た目の描写だったと思い出した。偽物だろうが、完成度は高いのだろう。
そこで異変を感じ取る。周囲の空気が湿り気を帯びていた。
それだけではなかった。全身が凍えるような寒気に総毛立つ。這い回るような不快感は得体が知れず、吐き気を催す。異物感を覚え、その感覚が何らかの意思を持っているとさえ思えた。
咄嗟に武器を放そうとするが、それも叶わない。
──コロセ。
甘美な囁きにも似た声が何処からともなく響き、心身を余さず侵食していったからだ。それのまわりは早く、即効性の猛毒も顔負けである。
「先ずは、目の前の老いぼれから……」
奇妙な抑揚で呟くと、シガールは自然体のままに初老の店主に狙いを定めた。
「この馬鹿、何をやってる!?」
あわや斬りかかろうとしたところで、赤雷が割り込んでシガールの手元を叩いた。呆気なく剣を取り落とし、シガールは正気へ戻るが、改めて強い恐怖に身を震わせた。
濃密なまでの殺意を御することが出来なかったのだ。シガールが動機らしい動機すらなかった。突発的に初対面の人間を刻もうとしたのだから至極当然だ。更に、全身を舐め回すような感触は毒の類がもたらすものに相違ないと確信した。
理解が追い付かず、困惑していると赤雷はシガールを雑踏へと連れ込む。すると自然な口調で言った。
「まったく、どこで道草を食ってるのかと思えば。 本当に物見遊山とはな……あんな剣はただの飾りだろうよ。 そもそも、一体何処から拾ったんだ?」
その言葉には棘がある。端から見れば油を売っているようにしか見えなかったのだろう。
「ちょっと、待って! あの、おじさんの露店──!?」
言いかけて、シガールは絶句した。
そこに在るのは、歪んでくすんだ石畳だけであり、胡散臭げで小汚ない風体の男は勿論、露店の形跡すらなかった。まるで元から無人だったかのようだ。周りの通行人達も、露店があったはずの場所に関して何一つ言及する様子はない。
「どの爺さんだ? ……じじいならそこらじゅうにいるが、露店の主人は居ないぞ」
確かに、露店の並びをみても老人は通行人の中に五名ほど紛れているだけで、老主人とおぼしい人物は見当たらなかった。答えることが出来ない。
「阿片の煙でも吸ったんじゃねえだろうな」
先生に診てもらえ。そう呟くなり、赤雷はシガールを引きずって帰路へ就いた。理解不能な事態に首を捻りながらも、シガールは震えを抑えることが出来なかった。
半里もない距離、その先にみすぼらしい格好の老人が歩いていた。
その背格好と装いが、露店の主人とまったく同じであることにシガールは気が付いたのだ。
戯れに振り向いたであろうその顔は、残念そうでありながら嬉しそうな、歪で何処か底冷えのするものだった。ひいき目にみても、陽気になるような笑みではない。強いて言うならば、人形が笑ったような笑顔である。ただひたすらに気味が悪かった。
腰に古めかしく、荘厳な印章と装飾を施された長剣を二挺提げているのがシガールの目に止まる。
それは紛うかたなき、青玉の剣と紅玉の剣だった。一体いつ拾い上げたのか、地面に落ちたはずの“ソレ”は何事もなかったかのように剣帯へと収まっていたのだ。シガールが立っていた場所に目をやると、当然のように青玉の剣は消えていた。
剣が消えて、男の剣帯に収まったとでもいうのだろうか。仮にそうだとしても、俄には信じがたい事象である。
この異常事態を、説明することは出来ない。そう思いつつもシガールは、考えずには居れなかった。
シガールと赤雷は、帰路で情報を共有していく。依然として手がかりはなかったのだが、結局シガールの頭にその情報は半分も入らなかった。
如何わしいモノが登場しましたが、これは構想段階で固まっていました。
少しだけ設定を説明すると、〈魔剣〉や〈聖剣〉の類はあります。
ほとんど世に出回らないのは、人から人へと引き継がれるからです。手に取った人の末路は、お察しください。
今回のようなことはレアケースです。
尚、子供は感受性が強いらしいです。
つまりシガール君は、超常の力の一端をもろに感じ取った訳です。
この話は説明ありきかと思い、後書きに補足として掲載します。




