表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端ノ魔剣士  作者: 如月 恭二
二章 異国之剣客
31/120

騒がしい昼時 弐

 診療所内部は、上品ともとれる外観とは一転して質素で、芥子(けし)丁子(クローブ)指甲花(ヘナ)の花で彩られている。アルシュと赤雷は、汗を拭き取りながら水差しで喉を潤していた。

 シガールと赤毛の少女──ミシェル──も、椅子に腰を据え小休止というところだ。

 彼女は美しい少女に成長していた。容貌はマジーに一歩譲るだろうか。あるいは、同程度だろう。それを差し引いても、目の醒めるような美少女であることは疑いようがない。

 椅子の背もたれに寄りかかり、深く息を吐くとアルシュは話し出した。


 「良い汗をかいたわい。 重畳(ちょうじょう)、重畳。 ……して、何用じゃ?」


 「この老害が……まあいい。 酒場に繰り出したんだが、一悶着(ひともんちゃく)あって退散してきた。 悪いが先生、何か俺たちに恵んでくれないか?」


 「老害とは心外よのう……。 大体日頃からあれほど注意しろと言うのに、お前と来たらまた人の相伴(しょうばん)(あずか)る心積もりか。 ほれ、屋台に行けば手頃な物をつまむこともできよう」


 アルシュが顎で示す先には、まばらではあるものの露店や屋台が並んでいる。大通りほどではないが、それなりに人が集まっており賑わっているのが見えた。

 焼きじゃがや串焼きなどの食べ物、紅茶や珈琲(コーヒー)といった飲み物まである。

 確認するなり、赤雷は眉をしかめる。


 「屋台? 冗談だろ、こんな場末(ばすえ)のものなんてまっぴら御免だ。 この間なんて蜥蜴(とかげ)の姿焼きがあった。 ……それも、ほぼ焦げていたような代物が」


 「ばか、それが良いんだろうが!?」


 ろくでもない品であることを説明する赤雷へ、アルシュがすかさず心外そうに返す。

 首を傾げ、理解できないと言った風に肩を竦め、蜥蜴の姿焼きの素晴しさを語る。曰く、“それ”は安酒との相性が良いらしく、彼はそれを酒の供にするとのことだ。どうやら、酒の薬じみた味と蜥蜴の苦味が堪らないらしい。


 「……うわあ」


 (まったく、いつみてもアルシュ先生は下手物好きだよなあ……)


 赤雷は廃棄した残飯でもみるような目でアルシュをみやり、シガールはシガールで何処か納得していた。二人と彼は長い付き合いである。

 それでも、赤雷はどちらかと言えば奇人変人の類であるアルシュを若干だが、苦手としているきらいがある。

 シガールはそうでもないのだが、アルシュ自体、常識に囚われない発想と治療を、平然と行うのだから無理もない話ではある。腕利きと専ら評判のアルシュは、同時に変質者とやっかみを受けることが多かった。

 因みに、赤雷が化膿した傷を負った時、治療と称して傷口に(うじ)を這わせたことがある。尚、彼によると、蛆が壊死した組織のみを綺麗に食すということだ。

 そんな寒気を禁じ得ない治療は二度と受けたくない、との感想は赤雷の(げん)だ。


 「まあよいわ。 二人ともそこへ座れ。 ミシェル君も、座るといい」


 長々と話して疲れたのか大きく溜め息を吐くと、アルシュは円卓を指差して座るように促した。円卓には四脚の椅子が設えられ、中央には徳利(とっくり)に似た瓶が鎮座ましましている。

 赤雷らが座る間にアルシュが、薬品棚に歩み寄って何かを取り出しているようで、みるに少々難儀と窺える。


 「今度は何だ、先生? なんだったら手伝うが」


 「いやなに、探し物が、な。おお、これじゃこれじゃ」


 そうして数分もの間、薬品棚と格闘していたアルシュが酒瓶のを取り出した。

 瓶になみなみと(たた)えられているのは、薬とおぼしき液体である。薬と断定せずにいるのは、その色彩が明らかに可笑しい為だ。

 一体何をどう間違えたのか──もとい配合したのか、液体が発する光は鈍い瑠璃色(るりいろ)である。それだけならまだしも、光の加減に因ってか明滅すらしていた。誰がどうみても真っ当な物ではないと一目瞭然の品を、アルシュは当然の如く湯呑みに注ぎ分けていく。


 「……うわあ」


 今度はシガールが呻く番だった。それは臭いも酷く、死臭にも似た酸味を思わせた。ミシェルに至っては、鼻を摘まんで拒絶の意を露にしている。年頃の少女にそのような異物を供出したのだ、無理もない。

 そうしている間にも、アルシュは厨房へ足を運び、慣れた手つきで皿を運んでは円卓に載せていった。

 皿には料理があった。馬鈴薯(ばれいしょ)と肉の腸詰めを岩塩で炒めたものに始まり、ライ麦のパンにポトフ、その他鯉の洗いなどが並べられた。さほど広くもない円卓は、たちまち食卓へと転身を果たす。

 唾を飲み込み、シガールが首をひねる。


 「先生は、昼ご飯食べなかったんだ?」


 「いやいや、これからというところじゃ。 食事は大人数の方が賑やかで楽しいものになろうよ。 きっとミシェル君もその方が喜──つっ!?」


 言い終わろうかと言うところで、アルシュの向う(ずね)をミシェルが蹴り飛ばす。


 (……喧嘩でもしたのかな?)


 「はは、一言余分だったみたいだな、先生。……お?」


 赤雷は、食事を四人で分けると、一人当たりの分け前が少なくなることに気付く。アルシュを手招きで部屋の奥へ誘導し、口を開いた。


 「なあ先生、食事を摂らせてくれるって話だ。あまり言いたくはないんだが……あれでは量が少なすぎはしねえか」


 「ほう? なかなかに貴様、ふてぶてしくなったのう。 元はと言えば、儂とミシェル君の二人で摂ろうとして注文したものぞ。 ……食い物の恨みは恐ろしいともいうが、今この場でそれを教授してやらぬでもないぞ」


 喉元まで出かかった有らん限りの罵倒を、赤雷はようやく抑え込むことに成功する。以前の彼であれば、まず間違いなく先に手が出たことだろう。殺気を絶つことに関してとなると、それはかなわなかったのではあるが。


 「この耄碌(もうろく)じじい……違う。子供たちのことに決まってるじゃねぇか。何と言っても育ち盛りだ。料亭だか酒場で何か追加で買おうと思っているんだが、どうだ?」


 その言葉に面食らったような表情を数秒浮かべ、アルシュは底意地の悪い笑みを浮かべる。


 「これはなかなかどうして、見物じゃわい。あの頃の暴れん坊が、小僧どもの保護者気取りか。まったく笑えるわ」 


 「……二度と軽口を叩けねえようにしてやろうか」


 赤雷の背中越しに、アルシュはシガールたちに一瞥を寄越す。それは孫に向ける類の優しさ溢れる笑顔で、「じきに済む」という意味を持つ目配せにも思えた。

 一転して、アルシュは硬い顔で話し始める。


 「お主という奴ばらは、まったく……危なっかしくていかん」


 赤雷は若干体勢を崩す。このように、彼が赤雷をたしなめることはほぼ連日のことで、一種の日課である。それは、“仕事”の後始末であったり、目撃者の口封じに関しての言及だったりする。

 言動などから常に面倒臭がりな印象のアルシュだが、その実非常に面倒見がよかった。教師が生徒を叱責するようなやり取りが、ほぼ毎日あることからも赤雷は彼の気質を知っている。

 しかし、如何せん何度も繰り返されている。(シガール)にしてみれば「ああまたか」という感想は、無理からぬものだ。


 「お主は強い、少なくともこの町では頂点に位置する。さりとて、人間である以上は油断もするし、場合によっては隙を晒すこともあろう。冷酷になれとは言わんが、もう少し感情を御する道を学べ。それが叶わねば、お前はいずれ倒れることになろう」


 「忠言痛み入るところではあるが、俺は油断なんぞしねえよ。 先生こそ、お優しいこったな。せいぜい死なないように、お互い留意すればいいだろうよ」


 おどけるように言ってのけると、赤雷はアルシュの脇を通り抜けようとする。

 アルシュは、彼の反応をある程度予期していた。思えば、最初の頃から忠告には耳を貸さないことが多かった。それが元で窮地に立たされたことは、最早一度や二度ではない。もうかなり長い付き合いになる──だからこそ、彼が何に反応を示すのかが分かった。


 アルシュの横を赤雷が通り抜けようとした時、彼は小さな声量で切り出す。赤雷にだけ聞き取れるように、声を絞る。


 「この町に余所者が逗留(とうりゅう)している。どうやら倭ノ国辺りの異邦人らしいが、のう……」


 「……っ」


 予想外で衝撃的な言葉に対し、一瞬返答に窮した。異邦人自体はそう珍しくもない。西方の国々から流入する人口があること。そして、それらの貧しい人びとはと言えば、伝がなく大抵は巡りめぐって貧民窟へ流れ着くものだ。この町ですらもそのご多分に漏れず、住民のおよそ六割が異国の民で構成されている。


 だが、赤雷のような東方の島国となると話は別だ。

 大陸から島国へ移る際、長い船旅を経ることに加え、海は時として時化(しけ)となる。殆んどの場合、やむを得ない亡命や難民などが辿り着くが、それでも年間を通して二十にも満たない人数だ。察するに、時化に巻き込まれ海に投げ出される道と、山賊に身ぐるみ剥がされて殺される道とがあるのだろう。よしんば無事に上陸したとしても、偏見と迫害が待っている。まともな職に手を付けること叶わず野垂れ死にすることもあるだろう。

 これらのことからも島国からの流入は、困難を極める。それでも尚、一人が到着した。赤雷と同じように──それも何の因果か同郷の者らしい。

 だが、赤雷達が大陸へと辿り着くことが叶ったのは、運によるところが大きい。彼もやはり人間である。大自然の力の前には塵芥(ちりあくた)と同義なのだから。


 振り向いた時、アルシュは既にシガールとミシェルを相手に話しかけている。先程の雰囲気が霧散したかのようだった。

 その光景すら、今の赤雷には見えていない。視界に映るものすらも背景と化している。


 ──そんな……まさか。


 取り留めのない自問自答に、赤雷の思考は掻き乱される。答えが出るはずのない問答。考えれば考えるほど、どつぼにはまっていく。誰しも、情報がないままに個人を特定することなど出来はしない。

 そんな単純なことすら、今の彼は失念していた。


 (……赤雷、お主はどう動く? 島国の異邦人は、どうやらお主こそを目標としている節もあるのじゃぞ?)


 シガールたちに笑いかけながら、アルシュは内心で赤雷を(おもんばか)っていた。

 不穏な動きがあるということは知っている。常連と話をしたが、どうもきな臭い事態になりつつあるらしい。東の港では巡回中の警ら隊が全滅するなどの事案も発生していた。彼はこれら一連を偶然と片付けるのは、危険だろうと予測しているのだ。


 だからといって、情報が少ないのは変わらない。ただひとつかっていたのは、倭ノ国の人間について嗅ぎ回っている程度のことだ。

 多くを教えないのは、混乱を防ぐ為でもあった。

 行動指針を幅広く取ることが出来れば、それだけ柔軟に対応が可能となる。結果、(くだん)の人物が敵対する者であれば、付け入る隙を少なくすることができるのだ。


 そんな二人のやり取りを、観察している人間がこの場にいた。シガールである。


 徹頭徹尾、アルシュたちを視ていた彼は決意する。恐らくは、かつて彼がシガールを救うと決めた時のように。

 ──沈んでいる赤雷の役に立ち、力になろう。


 その意思は荒々しく燃えるような意気込みではなく、どこまでも静謐(せいひつ)で芯の通った鋼にも似たものであった。

芥子は、現在では違法薬物ですが、昔はよく医療行為に使われていたそうです。

丁子は刀の錆止め等に、指甲花の精油は髪染めや切り傷、皮膚の潰瘍等にも効果があったそうです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ