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異端ノ魔剣士  作者: 如月 恭二
三・五章 滅亡ノ鐘
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明けの鐘 参

異端ノ魔剣士──“完”!

 素早く、獣の如くその身を踊らせたミシェルはしかし、何処までも冷静であった。足音を殺しつつ、一足跳びに間合いを詰める。得物や飛び道具が(こす)れないように気を配っていながら、目を見張る身のこなしだ。

 手練れと言えど、闇を見通せるはずもない。ましてやそれが背後であるならば、よほどの場数と反射神経がなければ迎撃は困難となる。とりわけ死地に置かれた経験が豊富な兵士は、そう言った状況に(さと)い。完全に優位を取ったとしても、油断は出来ないのだ。確信は不測の事態を予期させ得なくするばかりか、当人を混乱に(おとしい)れかねない。


 つまるところ暗殺という作業は、何処までも繊細(せんさい)でなければならないのだ。それは服の下に吊った縄や、隠し持つ刀剣の類は勿論、足運びの音にまで及ぶ。

 硬質な床を()り、彼女は音もなく跳躍(ちょうやく)。背後を見せる男の首筋目掛(めが)けて長剣を振り(かざ)した。


 「──っ!」


 微細な動きで揺れる急所だが、果たして突き出された切っ先は男のうなじを穿(うが)った。ぞぶ、と刃が肉を裂き、分け入っていく感触が柄から掌へと伝う。断末魔の声すらあげず、見張りは倒れ伏した。どうやら即死したようだ。アルシュによれば、人体には急所中の急所がいくつかあるらしい。今突いた場所はそこなのかも知れなかった。


 傷口から流れ出す血潮(ちしお)が溜まっていくのを、彼女は無感動に(なが)める。仕留める直前に、一瞬だけではあったが、彼の視線が横へずれたことに肝を冷やしていたのだ。そこには格上を下したことへの喜びは一切介在していない。彼が提げていたランタンが落ちることこそなかったが、それすらも心をざわめかせる一因にしかなり得なかった。

 灯りを消す手付きはやや危なっかしい。


 (もしあのまま振り向かれていたなら……)


 ミシェルも、得手ではないが荒事の心得はある。だからこそ、彼我の実力差というものを感じ取っていた。仮に正面から切り結んだとするなら、命の保障はない。たとえ生きてたとしても、五体満足ではすまないだろうとも──。

 もはやそれは確信に近かった。


 「やはり、暗殺しかないわね」


 その事実を改めて痛感するが、止まっては居られない。いつ別の人間が来るとも知れない以上、死体を物陰に隠すなどの後始末をしている時間もない訳だ。当然の帰結として、次の獲物に移るしか無いのである。

 思案している内に、前方から足音が響いてきた。襲撃に勘づいた風ではないようだ。大いに動揺するミシェルであるが、すぐさま(すそ)(まく)り上げ、そこから短剣を取り出す。装備にも抜かりはない。光を反射しないよう、黒く塗装されている。それは、光沢によって警戒させないための工夫である。

 暗殺者に(きた)えられた甲斐(かい)もあってか、彼女は比較的夜目(よめ)が利く。急いた様子がないことを察するに、相手の灯りが照らす範囲に惨劇の痕は入っていないのだろう。幸い、発見はされていない。機先を制するには千載一遇の好機である。


 そう思い立った瞬間、彼女は動き出した。

 呼吸すら止め、全神経を得物と、投射すべき方向へと向ける。しくじれば何もかも失う重圧の中で、その手は(ひね)りも加えて鋭く振り抜かれた。

 ひょう、と凄まじい速さで放たれた短剣が捉えたのは、敵が提げる灯りだ。その切っ先は確かに人を殺生しうるが、勢いが良いのは最初だけでしかない。後は次第に威力を殺し、そして停止する。投射とは即ちそれだけでしかない。それどころか仕損じれば、軽傷で済んでしまう。

 だが、たかが軽業(かるわざ)と言えど、真髄はその使いどころにこそ在る。意表を突くことさえ叶えば、決定的な隙がもたらされるのだ。


 現に、灯りが消されたことに驚いた彼は、興奮してか暗がりで突如抜剣した。ミシェルは彼の手元を狙い、視界を奪うことにしたのである。結果としてその目論見は成功した。光源は足元へと叩き付けられ、残った燃えさしが弱々しく明滅するのみとなっている。

 ──何ごとかを叫ぼうとした彼の口が、開いたまま硬直する。


 「──静かに」


 喉仏を斜め下から貫いた剣は血と脂に濡れ、やがて滴らせた。彼女にとっては未だに慣れない瞬間である。命の流れ出す感触が苦手だからだ。何故ならそれは、ひとつでも違えれば自身が辿ったかも知れない末路。身体に走る怖気は、心根の発露に他ならない。

 そんな時だ。領主が隠れているであろう部屋の奥の通路から、声が届いた。


 「今の音はなんだ!?」


 「さてな。なんにしても、確認するしかないだろう」


 壁に反響してか、灯りが落ちた音などは聞かれていたらしい。

 口上から察するに、ミシェルの行為が気取られた風は無い。が、確認の為に巡視をするようだ。そこまで気が回っていなかったことが仇となったのだろうか。

 短剣や口笛で気を引くか、はたまた他の手法を用いるかで迷い、足が止まる。時間にしてみれば、ほんの数秒かも知れない。焦っている彼女にしてみれば、かなり長い時に感じられた。


 「くそっ! 貴様らに任せてなどおけぬ、私は自室へ戻る。そもそも鼠一匹捕らえられぬ兵など、案山子にも劣るっ!」


 「なっ!? なりません、外へ出ては──」


 「喧しい」と、裏返った甲高い怒声が会話を(さえぎ)る。かなり大股で歩いているようだ。歩調が平常時より早く、足音も大きい。

 そして、


 「まったく、どいつもこいつ、も……?」


 混乱の極致にあった彼女は、領主の接近がどの方向なのかまったく見当が付かなかった。怒り心頭の領主と鉢合わせるとは思っても見なかったことだろう。それは彼自身もまた同様だ。肉をだらしなく垂らしている顔が、間抜けに固まっている。

 兵への恨み節も、尻すぼみとなり霧散した。


 短く悲鳴をあげ、逃走を図るべく背を向ける領主。ところがミシェルの方が、急な状況の変動に対応出来たようだ。前傾姿勢で初速を得ると、彼の背中に膝蹴りを喰らわせる。

 不自然な体勢も手伝い、彼はうつ伏せに倒れ込んだ。


 「逃がさないんだから……」


 すかさずミシェルは彼の延髄へと刃を突き込む。伸ばしかけた手が少しの間中空を彷徨(さまよ)い、力なく落ちた。

 それを引き抜いた刹那、教会の鐘楼が夜明けを告げる。目も覚めるような荘厳な響きの中で、余韻に浸る間もなく、彼女は領主を追ってきた敵兵と目が合うのだった。

──と、思っていたのかァ?

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