後編
エミリアが言うには、以前は別の世界で生きていて、そこで事故に遭って亡くなりこの世界に転生したらしい。婚約を破棄されたショックでその記憶が甦ってきたのだとか。前の世界では定食屋というレストランの娘で、彼女も提供していたメニューを作れるそうだわ。
なるほど、このサバの何とやらは数あるメニューの一つなのね。
「アンジェリカお姉様にぜひ召し上がってほしいんです」
「…………、いただきましょう。エミリアが初めて私のために作ってくれたお料理を食べないなんて選択肢はないわ、たとえそれが異世界のものでも」
そう、最初から食べないなんて選択肢はなかったのよ。得体の知れないものでもエミリアの作ったものだもの。
ナイフを入れたサバはとても柔らかく、フォークで口に運ぶと濃厚な旨みが広がった。
美味しい……! そしてライスにとてもよく合うわ!
気付けば私は定食を完食していた。口元を直すとエミリアに視線を送る。
「とても美味しかったわ、エミリアが作ったかと思うとなおさらに。それで、私にこれを食べさせて前世の話をしたのはどうして?」
「私の旅を認めてほしいんです。お姉様なら私を監禁してでも阻止しにくると思ったので」
「そ、そ、そんなことするわけないでしょ……!」
「前世の私はやりたいこともできずに命を失いました。今回は後悔のない人生を送りたい、この世界を巡って色んなものを見てみたいんです」
……本当に、以前のエミリアと比べると別人のようにしっかりしたわ。記憶が戻るだけでこんなに人が変わるなんて……、あら?
「ちょっと待ってエミリア、もしかして以前のあなたは消えてしまったの?」
「いいえ、前世の私とこの世界で十六年生きた私が合わさって今の私になっています。……ただその、この世界の私は結構空っぽだったので、前世の私が色濃く出てるというか」
結構、空っぽ……?
その言葉は私にとって衝撃だった。
間違いなく原因はエミリアを溺愛していた私にある。何でもしてあげるのが彼女の幸せでもあると思っていたのだけれど、……そうじゃなかったのかもしれない。
私は、エミリアをただのお人形にしてしまっていた……。
妹が執務室を去った後も、私は自分の行いを大いに反省した。
さらに一日しっかりと反省した末に、彼女の旅を応援しようという答に至る。
――――。
執務室で仕事をしていると、夫のケヴィンが豪華な箱を持って入ってきた。
「また送られてきたよ、公爵家からお詫びの品が」
箱を受け取った私は早速開封して中身を確認。一段目にはお菓子が綺麗に並んでおり、内蓋を取ると下には……。
「今回も札束が綺麗に並んでいるわ。いただいておきましょう」
取り出したお金を持って棚の一つを開ける。中にはこれまで送られてきたお詫びの札束がしまってあった。そこに今回の一千万ルタを上乗せ。
「これで五千万になったわね。エミリアが稼いだお金だから旅に持たせたいのだけれど、今のあの子なら断りそうね……。知り合いに頼んでうまく渡してもらおうかしら」
私がそう呟きながら執務机に戻ると、ケヴィンは何か言いたげな表情をしている。
「はっきり言いなさいよ」
「……君は、エミリアのことになると本当に怖い」
「今更じゃない、分かっていて私と結婚したのでしょ」
婿に入ってくれたケヴィンは伯爵家の次男で、私の幼なじみでもあった。昔から私のことをよく知っているので、エミリアが私にとってどういう存在かも理解している。
彼が怖いと言ったのはおそらく、エミリアがオリバーから婚約破棄されるように私が仕組んだことだろう。
大切な妹の婚約者であるオリバーを、当然ながら私は常に監視していた。子供の頃から女好きのマセたガキだと思っていたけど、成長に伴ってそれは顕著になっていった。あんな男と結婚したらエミリアは確実に不幸になる。何としても婚約は破談させなければ。
しかし、オリバーの家は当家より格上の公爵家。商売の上でも結びつきが強いので、角が立つのは避ける必要があった。
そこで、エミリアの友人マリリスに頑張ってもらうことにした。
エミリア周辺の人間なのでもちろんあの子も監視対象。マリリスは平民から男爵家の養女になっただけあってとても野心的な子よ。エミリアに引っついて何かに利用してやろうと企んでいたわ。妹の目は騙せても私の調査は欺けない。
オリバーが当家に来る時は、必ずマリリスも招待するようにした。お膳立てに精を出した甲斐あって彼女はついにオリバーを奪取。
念願の婚約破棄が成就し、現在は、勝手に家同士の約束事を違えたオリバーの後始末に追われる公爵家からお詫びを受け取る日々よ。
全ては私の計画通りに進んだ、はずだった。
「それがまさか、エミリアに前世の記憶が生えて旅立つことになるなんて……」
窓辺に移動した私は外の景色を眺めながら思わずそうこぼしていた。
いえ、エミリアの旅を応援するんだったわ……。
「裏社会であの子を守ってくれそうな用心棒でも捜してこようかしらね」
そう呟くといつの間にか隣にやって来ていたケヴィンが遠くを見ながらぽつりと。
「……各業界に精通しすぎだ。アンジェリカ、君が当主になったら、侯爵家が公爵家を食うと思う」
そうね、公爵家の次期当主がオリバーでそのパートナーがマリリスなら、造作もないことだわ。
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お読みいただき、有難うございました。
本編が少し短いのでおまけSSです。
『妹と作る思い出。若鶏のからあげ定食』
エミリアがお父様とお母様のために、またあの定食を作るという。旅立つあの子との時間はもうそれほど残されていない。そこで、私も一緒に料理をして思い出を作ることにした。
屋敷の台所で腕まくりをして立つ私に、エミリアは複雑そうな眼差しを向けてくる。
「……お姉様、料理は初めてですよね?」
「ええ、だからエミリアが教えてちょうだい」
「骨が折れそうなので、お断りしてもいいですか……?」
「ひどいっ! 私はエミリアとの思い出を作りたいのよ!」
「……はぁ、ではお姉様は試食係ということで」
任せてちょうだい、完璧に試食してみせるわ。
椅子に座った私は机にお皿を置き、ナイフとフォークを両手に構えた。
「それで、今日は何という定食を作るのかしら?」
「お父様はチキンがお好きなので、若鶏のからあげ定食にしようと思います。もう下準備はできているのであとは若鶏を揚げるだけなのですが、あ、その前に付け合わせのキャベツの千切りを作らないと」
と、エミリアはなんと包丁を手に。
これを見た私は慌てて椅子から立ち上がった。
「そんな刃物なんか持って! 危ないわよ! すぐに手を離しなさい!」
「この前のサバも私がおろしていますから……。もうお姉様は黙って座っていてください」
ハラハラしながらも座り直すと、エミリアはキャベツの前で包丁を構える。
シュカカカカカカカカッ!
み、見る見るキャベツが細い千切りなるものに変わっていく! 速すぎて包丁を持つエミリアの手が見えない!
「……そんな技能があったなんて。本当に前世の記憶が甦ったのね……」
「千切りキャベツは定食屋の基本ですから。さて、では(前世のお店の)秘伝のタレにつけこんだこの若鶏に、衣をつけて揚げていきますね」
と、エミリアはなんと煮えたぎった油の前に。
これを見た私は再び慌てて椅子から立ち上がった。
「そんな熱々の油の前に! 危ないわよ! すぐにその場を離れなさい!」
「…………。お姉様、黙って座っていてください」
ハラハラしながら見守っている間に、エミリアは手際よく若鶏を揚げていく。
やがて妹は私のお皿にからあげなる料理を一つ置き、「ご試食お願いします」と言った。
では、いただきます。
ナイフで切り分けると中から肉汁が。フォークで口へと運んだ。
こ、これは! 外の衣はカラッと、中のお肉はジューシー! とても美味しいわ! なぜか白いライスがすごく欲しい!
瞬く間に完食した私はお皿をエミリアの前へ。
「もう一つ、いえ、もう五つほどいただけるかしら?」
「……全然試食じゃないですね。ご飯もいりますか?」
「いただくわ」
以前のサバといい、エミリアの作る定食は相当美味しいわ。果たしてこのままこの子を旅立たせていいのかしら。やっぱり監禁してでも引き止めるべきなのでは?
すると、エミリアは私の心を読んだように目を細めてこちらに視線を向けてきた。
「……監禁は諦めたはずでしょ。レシピを置いていくのでやめてください」