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朝のHR前、まだ眠気の残る教室で、俺はいつものように机の周りを囲まれていた。
「樫屋、ごめん、消しゴム貸して」
「樫屋くん、教科書見せて」
「シャーペンの芯余ってたら一本ちょうだい」
「はいはい、どうぞ」
返事しながら、鞄のポケットやペンケースを探る。慣れたもので、どこになにが入ってるか迷うこともなく、ほぼ無意識に手が動く。
俺を囲んでいたクラスメイトのうちのひとりが、消しゴムを掲げてわざとらしく拝んだ。
「さっすが樫屋サマサマ! なんでも持っててなんでも貸してくれる! 所有のプロ!」
「所有のプロってなんだよ」
俺が苦笑しても、周りも「ほんと便利だよな」と笑っていた。
貸してほしいと言われたら、大体なんでも貸せる。なんで俺がこんな便利屋扱いされているかというと……。
ガラッと、教室のドアが開いた。
「洸平ー! ジャージ貸して!」
飛び込んできたのは、俺の一個上の兄貴である。
俺はため息をつきながら、ロッカーに入れていた一個上の学年色の予備ジャージを取り出した。
「はい」
「助かるー! 持つべきものはしっかり者の弟だな。お礼にお菓子買っとくねー」
「そうやって俺に甘えるな!」
俺は兄貴のおでこに、グリッと人差し指を突きつけた。
「全くもう、今朝もだらだらスマホ見てるばっかで、ちゃんと確認してないから忘れ物するんだ! 面倒を見る俺の身にもなれ!」
「えー、俺だってスマホ見るのに忙しいんだよ。口うるさいなあ、お前は俺の保護者かよ」
「弟だよ!!」
「はいはい、面倒見のいい弟に恵まれてお兄ちゃん嬉しいデス。じゃ、サンキューな」
兄貴はジャージを抱いて、上の学年の上の階に駆け上がっていった。
クラスメイトたちが、呆然とする。
「ジャージは学年ごとに色が違うのに、なんで違う学年のジャージ持ってるんだよ……」
「そりゃ、あんな兄貴がいたらな」
俺は小さくため息をついた。
俺、樫屋洸平は、忘れ物が多くてだらしない兄貴がいるせいで、やたらと準備が良くなってしまった。
兄貴がいつなにを借りに来てもいいように、文房具は自分が使う分より余分に持ち、教科書やジャージも部活の先輩から譲ってもらって他の学年の分まで完備している。兄貴が借りに来る前提で、持ち物を揃えているのだ。
そうして兄貴に貸し出しているうちに、いつの間にか俺は「なんでも持ってる樫屋弟」と話題になってしまったようだ。今では兄貴以外にまで、「忘れ物をしても、樫屋弟に頼めば貸してもらえる」と認識されるようになってしまった。
クラスメイトが俺の肩を叩く。
「樫屋、ほんと助かるわ。なんでも持ってるよな。樫屋がいれば忘れ物しても安心だよ」
「いや、なるべく忘れるなよ!? 俺は最終手段! 甘えるな!」
俺が威嚇すると、彼らは「はーい」とおりこうさんな返事をした。そんな中、誰かがふいに呟いた。
「もしかしたら樫屋なら、『あいつ』も解決できるかも」
「あいつ?」
「ほら、隣のクラスの……なんか毎日、日替わりで変なものを探してるって噂の」
『あいつ』?
俺がきょとんとしていると、兄貴が開け放っていったドアの向こうから、とある男子生徒が顔を出した。
「なあ、樫屋洸平って、このクラスか?」
整った目鼻立ちが目を引きつける。背は高く、黒髪はサラサラしていて、立ち姿が凛としている。
彼のことは知っている。隣のクラスの、浦田だ。
あのルックスはよく目立つし、女子ウケもよくてうちのクラスの女子も噂していたから、関わっていなくても顔と名前を知ってしまう存在である。
とまあ、俺の方は知っていても、彼からしたらチビでガキっぽい顔の俺なんか視界に入らないと思うのだが、そんな彼が俺を訪ねてこの教室に来た。
そうであれば、目的はなんとなく察しがつく。俺は彼の待つドアまで歩み寄った。
「はいはい、俺が樫屋だよ。なんか忘れ物した? なに貸してほしいの?」
なんでも貸してくれる便利屋の噂を聞きつけて、頼りに来たに違いない。接触がなかった人から「貸して」と頼られるのも、慣れたものである。
浦田は低く落ち着いた声で、言った。
「そのとおりだ、貸してほしいものがある。でもクラスの誰に相談しても誰も持ってなくて……『隣のクラスの樫屋ならなんでも貸してくれるから、相談してみればいい』って言われて、来た」
「ああ、やっぱり。持ってるものなら貸すよ。なにが必要なんだ?」
いつものやつだな、と俺はあっさり受け入れた。浦田が真顔のまま、答える。
「サボテン持ってる? できるだけ丸いやつ」
……サボテン?
教室が一瞬で静まり返る。俺も固まった。
「サボテン? なんで?」
「射手座の今日のラッキーアイテムだから」
「えっ、真顔でなに言ってんの?」
説明されたところで、余計に意味が分からない。困惑する俺をよそに、彼はさらに続けた。
「丸いほどより運気が上がるらしい」
「知らねぇよ、占いの仕様」
これまでもいろんな人がいろんなものを借りにきたが、サボテンを貸してほしいと頼まれたのは初めてだ。
意味不明なことを言っているくせに、顔はやたらとかっこいい浦田を呆然と眺めたのち、俺はくるりと彼に背を向けた。ロッカーに戻り、開けて、そこから小さな鉢を取り出す。白い棘をふんわり湛えた、丸いサボテンが植わっている。
「まあ、持ってるけど」
言った瞬間、クラス全員が振り返った。
「持ってるの!?」
「なんで!?」
俺はまた浦田の待つドアまで行き、そのミニサボテンを彼に差し出した。
「昔、兄貴が生物の授業で育ててた植物を持ち帰ったまま忘れたことがあってさ。念のため、と思ってサボテン持っててよかったよ」
「そんなことある?」
背後からクラスメイトたちのざわめきが聞こえる。浦田は感動して目を輝かせ、サボテンを受け取った。
「ありがとう。噂は本当だった。樫屋ならなんでも貸してくれる……!」
「普通は持ってないからな? なんかたまたまサボテンはあったというだけで」
俺だって、我ながらサボテンを貸せてしまう自分に驚いている。
浦田はクールな無表情を崩し、片手にサボテンの鉢を、もう片手で俺の手を握った。
「本当に頼りになるんだな、樫屋。すごいよ」
いや、頼られたくて持ってるわけじゃないんだけど。




