第2話 事後処理の流儀
午前2時のスタート村東区の商業街は、まるで地獄のようなありさまだった。
ローウェンが、高級ブティックやオープンテラスのカフェで有名なこの通りに足を踏みいれたとたん、発酵した生ゴミと腐った牛乳、そして強烈な硫黄の匂いが混ざった、目や鼻を刺すような悪臭が襲ってきた。
「この匂い……ゴブリンの巣より目が覚めるな」
ローウェンは鼻をつまみながら、目の前のひどい惨状をみつめた。
通りの中央にあったはずのマンホールのフタは、どこかへ吹き飛んでなくなっている。
その直径1メートルほどの穴からは、小さな活火山のように、ウンコ色で悪臭を放つドロドロの半固形物が、とめどなくあふれだしていた。
スライムの粘液はすでに石畳の道をのみこみ、ゆっくりと、だが確実に両側の店の木の扉へと迫っている。
立ち入り禁止のロープの外では、ギルドマスターのバルガスがボロ布で口と鼻をおおいながら、パニック状態で数人の村の警備隊員にどなり散らし、土のうを積むよう指示していた。
そして、バルガスの足元からすこし離れた壁のすみには、初心者用の装備を着た4人の若い冒険者がしゃがみこんでいた。
彼らは全身にくさい粘液をかぶり、寒さと恐怖でガタガタとふるえ、まるで魂を抜かれたようにうつろな目をしている。
ローウェンはバルガスのそばに歩みより、その分厚い肩をたたいた。
「やっと来たか!」
バルガスは救世主でもみたかのようにふり向くと、壁ぎわの4人のルーキーを指さし、頭を抱えてグチをこぼした。
「頭のなかにスライムが詰まった大バカどもだ! こいつら、『地下水道の異臭そうじ』っていうDランク依頼を受けたんだが、下で生ゴミを食いすぎてパンパンにふくらんだスライムの群れに出くわしやがったんだよ!」
「それで?」ローウェンは、杖をきつく握りしめている震える魔法使いをちらりとみた。「まさかとは思うが、メタンガスが充満した地下水道で、火属性の魔法を使ったなんて言いませんよね?」
「その『まさか』だ! いきなり『火球術』を一発ドカンだ! あのクソガキ、自分は頭がいいとでも思ってやがった!」
バルガスは怒りでひげをふるわせた。
「ただの火球がドカン! じゃ済まねえ! ガス爆発でマンホールのフタが3階の高さまで吹き飛び、寝てただけのスライムたちを全部ブチギレさせちまったんだ!
今、粘液が逆流してきてる。もしとなりの商会の倉庫に流れこんだら、うちのギルドは来世までかかっても弁償しきれねえぞ!」
「了解しました。おれに任せてください」
ローウェンはため息をつき、重たいバックパックを下ろすと、「対スライム専用の粉」を取りだそうとした。
「待て、もう一つある」
バルガスは突然ローウェンの腕をつかむと、横に手を伸ばし、ずっと暗がりに立っていた人影をローウェンの前に引っぱってきた。
「さっき通信で言った、本部がお前のために特別につけた新しいメンバーだ。スタート村の地元ガイドでもある」
ローウェンは手を止め、目の前の女を観察した。
彼女はとても実用的なカーキ色の防水ツナギを着て、腰には色とりどりのガラスの薬ビンや謎の道具がぶら下がった太い革ベルトを巻いている。
髪は深緑色のバンダナでしっかりと包まれているが、そのバンダナのフチから、すこし上にとがった耳がのぞいていた。
その耳はエルフの血を引いている証拠だが、特徴はそれほど強くない。何代か前のハーフなのだろう。
だが、ローウェンにとってそんなことはどうでもよかったので、深くは考えなかった。
「彼女はリネアだ」バルガスが紹介した。「こう見えても、この村の地下パイプや水脈のことなら、自分の手のひらよりくわしいんだぜ」
「はじめまして、リーダー」
リネアはすこしうなずいた。態度は堂々としているが、エメラルドグリーンの目は、ローウェンの手にある装備をするどく見つめていた。
ローウェンはすこし眉をひそめ、迷うことなくバックパックをふたたび肩に背負いなおした。
「ギルドマスター、言ったはずです。おれは一人でやるのが性に合っていると」
ローウェンは平坦だが、きっぱりと断った。
「実戦経験のない素人を地下水道に連れて行っても、足手まといになるだけです。おれが一人で下におりて、強力な粉を何ビンかまけば、30分以内にあいつらを全部水に溶かせます。そうすれば元通り開通しますよ」
そう言うと、ローウェンはリネアをチラリともみず、背を向けて、まだドロドロがふき出しているマンホールの穴へと歩きだした。
鼻をつまんで下に飛びこもうとした、まさにそのとき——
「ちょっと待ちなさいよ!」
ザラザラした革の手袋をした手が、えんりょなくローウェンの革鎧のうしろエリをつかみ、ムリヤリ彼を引きもどした。
ローウェンが驚いてふり向くと、リネアがまるでバカをみるような目で彼をにらみつけていた。
「強力な粉? あんた、よそから来たおエラいさんか知らないけど、頭おかしいんじゃないの!」
リネアは容赦なくののしった。その口調はマシンガンのように速い。
「スタート村の東区の地下水道はね、200年前の古いレンガと石灰で作られてるの! 現代の強化セメントだとでも思ってるわけ!?」
「それがどうした?」ローウェンはあっけにとられた。
「スライムの粘液は強酸性よ。あんたのその強力な粉とやらは、どうせアルカリ性でしょ。
風通しの悪い地下パイプのなかで、激しい酸とアルカリの中和反応を起こしたら、どれだけ高い温度とどれだけの毒ガスが発生するか、わかってるの!?」
リネアはマンホールの穴を指さしてどなった。
「高熱で古いレンガは一瞬でふくらんでくだけ散るし、毒ガスはパイプづたいにこの通りの民家に流れこむわ!
あんたが下におりて粉をまけば、自分が下で窒息して死ぬだけじゃなくて、東区ぜんたいの地盤をくずすことになるのよ! そのとき、あんたはこの通りの家を全部弁償できるわけ!?」
ローウェンは口を開きかけたが、なんとひと事も反論できないことに気がついた。
A級冒険者として、彼は魔物を一番効率よく殺す方法は知っている。
事後処理のリーダーとして、薬品を使って残がいを掃除する方法も知っている。
だが、たしかに「200年前の古いレンガは、中和反応の熱に耐えられない」なんて問題は、これまで考えたこともなかった。
彼の人生で初めて、「事後処理のロジック」でボロカスに怒られた瞬間だった。
「なにも知らないくせに、『事後処理』を『二次災害』に変えるだけのバカなベテランね」
リネアは鼻で笑うと、ローウェンのエリから手をはなした。
そして、彼女は腰のポーチから手なれた様子で、変な形をした防毒マスクを二つ取りだした。
一つをローウェンの胸に押しつけ、自分はすばやくもう一つをかぶる。エメラルドグリーンの目だけがのぞいていた。
「つけて、あたしについてきて。あたしが踏んだところを踏むこと。壁には絶対にさわらない。わかった?」
目の前にいる「安全の常識」にあふれたハーフエルフをみて、ローウェンはしかたなくため息をついた。
彼はだまって手の中のアルカリ性の粉をバックパックの奥底にしまいこむと、防毒マスクを顔にかぶった。
「……どうやら、おれにはたしかにガイドが必要らしいな」
ローウェンはぶっきらぼうに言った。
2人は前後に並び、足元のヌルヌルした茶色い粘液を踏みながら、サビた鉄のハシゴをつたって、まっくらで悪臭のする地下水道の奥へとゆっくりとおりていった。
地下水道の匂いは、防毒マスクごしでも吐き気がするほどだった。
2人はネバネバした水たまりを踏み、せまい通路を慎重に進んでいく。
まわりの壁はたしかにリネアが言った通り、ボロボロでもろい古いレンガで、いくつかの場所はすでにスライムの酸で溶かされ、浅いくぼみができていた。
「着いたわ。あの前が東区の地下水道の水門よ」
リネアは足を止め、手に持っていた照明用の魔晶石を高くあげた。
光が照らしたその奥をみて、ローウェンは思わず息をのんだ。
それはもう「1匹」のスライムとは呼べない代物だった。
大量のメタンガスと下水の生ゴミを吸収し、さらにあの「火球術」の高熱が加わったせいで、何十匹ものスライムがくっつきあっている。
それは高さ3メートル近くになり、通路を完全にふさぐほどの巨大な肉のカタマリになっていた。
いつ爆発してもおかしくない毒ガス爆弾のように、水門の前にどっしりと立ちふさがり、吐き気がするような「ドボドボ」という音を立てている。
まわりには、こぶしほどの大きさの変異した子スライムが十数匹、護衛のように水たまりのなかをはねていた。
「このデカさは……」ローウェンは本能的にバックパックに手を伸ばした。「ダメだ、レンガの壁がすこし傷ついても、大量の粉で直接おおうしかない。完全にふくらんでパイプを破られたら、東区ぜんたいがくずれるぞ」
「その危険物から手をはなしなさい」
リネアはローウェンの手をはたき落とすと、大股で彼の前に出た。
「ここで発熱反応を起こしちゃダメだって言ったでしょ。こういうヤツには、もっとスマートな方法があるのよ」
彼女は深く息を吸いこみ、ゆっくりとザラザラした革手袋をはずした。
「10秒かせいで。あの小さなヤツらをあたしに近づけないでね」
「……自分がなにをやってるか、わかってるんだろうな」
ローウェンはそれ以上ムダ口をたたかず、一瞬で腰の片手剣を抜き放った。その目は、するどく冷酷なものへと変わった。
それは、A級の絶対的な集中力だった。
「ギィッ!」
3匹の子スライムが危険を察知し、空中にジャンプしてリネアの顔めがけてとびかかってきた。
「シュッ——!」
くらやみのなかで、静かな剣の光がひらめく。
ローウェンははでな剣技を一切使わず、手首の正確なスナップだけで、剣の腹を使って野球のようにスライムを打ちかえした。
3匹の子スライムはとなりの壁に見事にたたきつけられ、破裂して粘液のシミになった。
その動きはきわめて小さく、そして速い。
レンガの壁を一つも壊すことなく、リネアのまわりにスキのない鋼の防衛線をしいた。
「カンペキな護衛ね」リネアの口角がすこしあがった。
彼女が目を閉じると、その体に流れるエルフの血が働きはじめた。
エルフの魔法に複雑な呪文はいらない。必要なのは自然との共鳴だ。
だがリネアは、はげしい風やふぶきを呼ぶことはせず、すべての魔力をギリギリまで一点に圧縮した。
彼女が人差し指を伸ばすと、指先にとても弱いが、まぶしいほどに純粋な、青白い光がともった。
「凍れ」
髪の毛のように細い青い光が、彼女の指先から撃ちだされた。
その光はどんな爆発も起こさず、まわりの空気を凍らせることもない。
まるで見えない極寒のメスのように、巨大スライムの分厚い強酸の体を正確につらぬき、一番奥深くにある「コア」にドンピシャで命中した。
「カチッ」
くっきりとしたガラスが割れるような音が、地下水道に響きわたった。
巨大スライムの命と体を維持していたコアが、一瞬で氷のクズになり、そしてくだけ散ったのだ。
コアを失った瞬間、その3メートルの恐怖の肉のカタマリは、まるで底の抜けた水風船のように、一瞬で崩れ落ちた。
ドロドロの強酸は魔力を失い、ただの大量のきれいな地下水へと変わった。
「ザザザザァーーッ!」
大量の水が波のように通路を洗い流していく。
古いレンガを溶かすどころか、地下水道の悪臭と汚れをきれいに洗い流し、最後は水門のすき間から勢いよく流れ出ていった。
二次災害を一切起こすことなく、トラブルはカンペキに解決された。
ローウェンはゆっくりと剣をさやにおさめ、目の前のピカピカになった地下水道をみて、おどろきを隠せなかった。
「正確な魔力操作で、コアだけをねらって破壊し、まわりの環境にはまったく影響を出さない……」ローウェンはリネアをみて、めずらしくすこしだけ尊敬のひびきをまぜて言った。「魔法使いとして、その魔力コントロールはほんとうに見事だ」
「ほめすぎよ。4分の1のエルフの血じゃ、世界を滅ぼすような大魔法は撃てないけど、『おそうじ』にはけっこう役に立つのよね」
リネアは手についたホコリをパンパンとはたいた。
2人は、巨大スライムが陣取っていた場所へ歩いていく。
水が引いたあと、地面にはくだけた氷のクズがたくさん落ちていた。
ローウェンが口を開くより早く、リネアが突然目を輝かせた。
どこから出したのか小さなガラスのビンと特製の銀色の小さなヘラを取りだし、まるで大発見でもしたかのように地面にしゃがみこみ、残ったスライムの氷クズをていねいに削りとりはじめた。
「なにしてるんだ?」ローウェンは眉をひそめた。
「素材を集めてるのよ!」リネアは顔もあげず、熱狂的な声で言った。「これは200年分の下水の成分を吸収して、さらに高熱と極寒のダブルショックをうけた、変異スライムの残りカスなのよ! 防腐剤を作るなら最高の材料になるわ!」
彼女の手なれた、そしてすこしヤバそうな欲深さをみて、ローウェンがさっき感じた尊敬の念は一瞬で吹きとんだ。
代わりにわいてきたのは、深いため息とドン引きの感情だった。
ローウェンはしかたなくため息をつき、同じようにしゃがみこんだ。
コアが完全にこわれたか確認しようとしたとき、するどい直感が彼の手を止めた。
彼は剣の先で氷のクズをよけ、そのなかから手のひらの半分ほどの大きさの、表面に不気味な赤い文字が刻まれた黒い石を拾いあげた。
「これは……『誘引の魔石』?」リネアは素材を集める手を止め、顔を近づけてきた。エメラルドグリーンの目に、すこしおどろきが走る。
「ああ。こいつは弱い魔物を引き寄せる魔力波長を出すための道具だ」ローウェンの目は冷たくなった。彼は魔石を、気配をさえぎる特製の袋におさめた。
2人は、これがなにを意味するのか理解した。
あのルーキーたちの火球術は、ただの偶然のキッカケにすぎない。
このスライムの群れが、ふつうならありえないほど大量に水門の前に集まっていたのは、だれかがこの魔石をわざとスライムの体内に押しこんだからだ。
だれかが裏で計画し、魔物を利用して、たくさんの冒険者の夢がつまったこの「スタート村」の施設をこわそうとしている。
「どうやら、おれたち『事後処理班』のこれからの仕事は、ただの尻ぬぐいじゃ済まなそうだな」
ローウェンは立ちあがり、袋を懐にしまった。
「でっかいトラブルが来そうな予感ね」
リネアは肩をすくめ、スライムの残りカスがたっぷり入ったガラスのビンを腰のベルトにもどした。
午前6時、スタート村の東区広場。
のぼったばかりの朝日が、疲れはてた2人を照らしている。
広場の粘液はまだ完全に掃除しきれていないが、危機はバッチリ回避された。バルガスは目を真っ赤にしながら、警備隊に最後の水洗いを指示している。
ローウェンはそばにあるベンチに歩いていき、ドカッと腰を下ろした。ひと晩寝ておらず、体は鉛のように重いが、今の彼の気分はおどろくほどおだやかだった。
彼はもう「一人でやるのが性に合っている」とは言わなかった。
ローウェンはバックパックから最後に残った飲み水をさがしだし、横に立っているリネアにぽいっと投げた。
「明日の朝9時、ギルド2階の部屋に出勤しろ」ローウェンはゆっくりとのぼる朝日をみながら、相変わらず平坦な声で、だがはっきりと言った。「1分遅刻したら、1日分の給料カットだ」
リネアは水のボトルをしっかりとキャッチし、フタを開けて一口飲むと、口角をあげて自信ありげに笑った。
「了解よ、リーダー。ついでに、特濃のブラックコーヒーを買ってきてあげるわ」
ローウェンは目を閉じ、朝のすこし冷たい風を感じた。
トラブルだらけのスタート村、そしてムリヤリ押しつけられたハーフエルフの相棒。
このクソみたいな事後処理の仕事も、すこしだけ面白くなってきたかもしれないな。




