第一話 到任
ノート大陸のちょうど中央にある初心者向けの村、スタート村。
その名の通り、吟遊詩人が歌うような、希望と日の光、そしてたくさんのルーキーたちの夢が詰まった「冒険のはじまりの地」だ。
だが、北方王国にある冒険者ギルド本部からやってきたばかりのローウェンにとって、ここはいつでも爆発しそうな「でっかい火薬庫」でしかなかった。
ローウェンは、にぎやかな大通りの入り口に立っていた。
30歳になる彼の顔つきは岩のようにかたく、感情がまったく読めない。
長旅のせいか暗い色の髪はすこし乱れ、古い井戸のように深く光のない両目が、ひややかな視線でまわりを観察していた。
ピカピカの真新しい鎧を着たルーキーたちとは違い、ローウェンが着ているこげ茶色のレザーアーマーには、すでにいくつもの傷が刻まれている。
はでな飾りはなく、あらい糸で縫い合わされた獣の爪あとが残るだけだ。
腰にさげた片手剣は長すぎず短すぎず、一切の装飾を持たない。衣服に引っかからないよう鞘の表面は極限まで滑らかに整えられており、すべては「剣を抜く速さ」だけをもとめた結果だった。
そんなムダのない歴戦の剣士の姿とは、まったく合わないものがあった。
彼の背中で重そうにゆれる、巨大なバックパックだ。
パンパンにふくらんだカバンからは、彼が一歩あるくたびに、にぶい金属音がかすかに響く。
まるでなかにはハンマーやロープ、あるいは危険な薬品がぎっしり詰まっているかのようだった。
彼の視線は、浮かれている初心者たちの顔には向けられない。
無意識のうちに「トラブルの予測」をはじめていた。
10歩ほど先にある果物屋のそばでは、新しいローブを着た魔法使いが、おぼえたての魔法をみせびらかそうと、はしゃいで杖を振りまわしている。
その杖の先は、屋台のもろい屋根まで残り5センチに迫っていた。
さらに右をみると、若い剣士がサイズに合わない重すぎる鎧を着て、ペンギンのようにフラフラと歩いてくる。
その進む先には、ちょうど丸い石が転がっていた。
(3、2、1……)
ローウェンは心のなかで静かにカウントダウンした。
ドンッ!
バサァァーッ!
剣士が石を踏んでバランスを崩し、前に倒れこむ。
重い肩あてが、横にあった木のタルにドンピシャでぶつかった。
転がったタルは、今度は杖を振りまわしていた魔法使いに激突。
よろけた魔法使いの杖の先が、果物屋の屋根を思いきり引きさいた。
真っ赤なリンゴが滝のように地面に転がりおち、店主の怒鳴り声とともに、通りは一瞬にして大パニックに陥った。
ローウェンは表情ひとつ変えず、足元に転がってきたリンゴをよけると、村の中央にある剣と盾の看板がかかった建物へと歩きつづけた。
「本部のやつらが、ここのトラブル発生率は大陸平均の3倍だと言っていたが……冗談じゃなかったらしいな」
ローウェンは、冒険者ギルドの特別部署——『事後処理班』に所属している。
冒険者たちは依頼を受け、魔物をたおし、宝をみつけ、英雄としてもてはやされる。
だが、怪物が倒れたあとはどうなる?
魔法で吹きとばされた城壁や、病気の原因になる死がい、初心者が暴走させた魔物の群れ……だれかがその後始末をしなければならない。
それがローウェンの仕事だ。
戦場の掃除、こわれた建物の修理、そしておかしな依頼が引き起こすあらゆるトラブルの「尻ぬぐい」である。
冒険者ギルドの分厚い木の扉を押しあけると、安物の酒、焼けた肉の匂い、そして汗のまじった熱気が顔をたたいた。
広間はうるさく、何十人もの冒険者が集まって大声で笑いあっている。
ローウェンが足を踏みいれた瞬間、飲み残しの酒が入った木のジョッキが、酔っ払いの笑い声とともに彼の顔をめがけて飛んできた。
彼はまばたき一つせず、すこし首を傾けただけで歩くのをやめない。
ジョッキは耳の横をかすめ、うしろのドア枠にぶつかってくだけ散った。
さらに、その勢いのまま右足を軽くあげ、だれかの悪ふざけで倒れかけていたイスを、つま先で引っかけて音もなくもとの位置にもどす。
その動きは流れるようになめらかで、彼は受付に向かう足を一度も止めなかった。
「本部から応援で派遣された、ローウェンだ」
ポケットから本部のハンコが押された辞令を取りだし、受付の奥にいる、3日連続で徹夜したような深いクマを作った受付嬢に渡した。
「ギルドマスターに会わせてくれ」
受付嬢は、その紙に書かれた『事後処理班』の文字をみた瞬間、まるで救世主でもみたかのように目を輝かせ、声をふるわせた。
「お、お待ちしておりました! どうぞ、そのまま2階の一番奥の部屋へ! バルガス・ギルドマスターが首を長くしてお待ちです!」
ローウェンはうなずき、木の階段をあがって2階の重そうな木の扉の前に立った。
『ギルドマスター バルガス』と書かれた札がかかっている。
ドアをノックした。
「入れっ!」
扉の奥から、カミナリのように太い声が響いた。
扉を開けると、そこにあった光景にローウェンはすこし眉をひそめた。
その部屋には、事務仕事をするような空気はまったくなかった。
机の奥には、大人のヒグマのようにムキムキの大男が立っていた。
無精ひげを伸ばし、無数の傷がついた重装鎧を着たまま、緑色のドロドロがこびりついた大きな両手剣を、ボロ布で力まかせに拭いている。
彼が、スタート村のギルドマスター、バルガスだ。
ローウェンの姿をみるなり、バルガスは大きな剣を床に放り投げた。ガァン、とにぶい音が響く。
彼は机を大股で回りこむと、ローウェンの肩をガシッとつかんだ。肩の骨がくだけそうなほどの握力だ。
「本部のクソどもも、ようやくまともな仕事をしやがったな!」
バルガスは豪快に笑ったが、その笑い声には深い疲れとあきらめが混じっていた。
「おれは今すぐ村の外に出て、地竜3匹と殴りあうほうがマシだぜ! これ以上、あのアホどもがやらかした反省文なんて見たくもねえ!」
ローウェンは、その熊のような腕から自然に抜けだすと、肩をもみながら机の前のイスを引き、腰をおろした。
「資料に書かれていた以上に、『にぎやか』な状況のようですね。ギルドマスター」
「バルガスでいい!」
大男はイスにドカッと座りなおし、イライラした様子で頭をかきむしった。
「お前にはわかんねえだろうがな、ここのヒヨッコどもがどれだけトラブルを起こすか!
昨日なんか、『鎮静草』を集める依頼を受けた奴らがいたんだ。だが結果はどうだ? 奴ら、見た目がそっくりな『狂躁草』を抜いてきやがった!
しかも帰り道にうっかり火をつけて半分燃やしちまい、その煙が東の森に流れこんで……」
バルガスは深く息を吸いこみ、机を叩き割りそうな衝動をなんとかおさえた。
「結果、森の魔物のほとんどが凶暴化しやがった!
昨日の夜中、おれが自分で二つのチームを率いて止めに向かい、朝まで狂ったイノシシと角ウサギを斬りつづけるハメになったんだよ!
さっきの剣に血がついてたのはそういうわけだ!」
ローウェンはそれを聞きおわると、無言で腰のポーチからメモ帳とペンを取りだした。
「薬草の誤認による魔物のパニック。事後処理の範囲は、現場の薬効成分の消去、被害を受けた森の被害査定、および原因となったパーティーへの罰金とランクダウンの請求」
ローウェンは事務的な平坦な声で言いながら、メモ帳に素早く書きこんでいく。
「これらはすべてうちの班の仕事です。本部が約束した危険手当と残業代が滞りなく支払われるなら、いつでも引き受けます」
ムダな感情を挟まず、言い訳もしないその冷徹なプロの返答を聞き、バルガスは心底ほっとしたような、ニヤリとした笑みを浮かべた。
「いい度胸だ、気に入ったぜ! お前みたいにムダ口をたたかない仕事人は好きだ!」
バルガスは引き出しからカギの束を取りだし、机の上にバンッとたたきつけた。
「裏にあるギルドの寮、2階の奥の部屋がお前の部屋だ。
今日は着いたばかりだ、まずは荷物をほどいてこい。明日の朝一番で、この3日間にたまったクソみたいな尻ぬぐいを、全部お前に任せるからな!」
ローウェンはカギを受け取ると、バルガスに軽く手をあげて、血と汗の匂いが充満する部屋をあとにした。
ギルドの寮の部屋は、想像していたよりもずっとマシだった。
木の扉を押しあけると、シングルベッドが一つ、シンプルな木の机とイス、そして扉のないクローゼットが目に入った。
すみにクモの巣がいくつかあるが、日当たりは悪くない。
「悪くない。少なくともベッドはきれいだし、変な軋み音もしない」
ローウェンは机の前に歩みより、背中の巨大なバックパックを「ドスン」と下ろした。
大きく背伸びをすると、全身の骨がポキポキと鳴る。
彼はバックパックのベルトをはずし、店を開く商人のように、中身を一つずつ取りだしていった。
スライムの粘液を中和するための特別な粉末が入ったビン。
巨大なトロールでもちぎれないと言われるエルフのロープ。
弱い魔物(あるいは食いしん坊の子供)をおびき寄せるための、安い干し肉が入った大きな袋。
これこそが、事後処理班の日常のロマンだ。
するどい剣よりも、便利な道具のほうがずっと重要なのだ。
熱いシャワーを浴びたあと、ローウェンはベッドに重たい体を投げだした。
ベッドの板がにぶい音を立てて沈みこむ。
天井のすこし変色したシミを見つめていると、体の奥から深い疲れがじわじわとあふれてきた。
ときおり、A級冒険者だったころの日々を思いだすことがある。
モンスターを斬りすてて、あとは背を向けて立ち去ればよかった、あの単純で気楽な日々を。
あの日、酒に酔った勢いで、本部のえらい人に「事後処理の専門チームを作るべきだ」なんて余計な提案をしなければ……。
結果として、彼自身がその部署の初代リーダーに任命され、他人の尻ぬぐいをするという悲惨な社畜生活を送ることになってしまったのだ。
「……自業自得ってやつか」
うとうとと眠りに落ちそうになり、夢の入り口にさしかかった、まさにそのときだった。
ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!
枕元にある緊急通信用の魔晶石が突然、チカチカと不吉な赤い光を放ち、鼓膜を破るような警告音とともにローウェンの眠りを強引に引きさいた。
ローウェンはハッと目を開け、その石を絶望的な目でみつめた。
かたまった手を伸ばし、通信スイッチを押し込む。
「ローウェン! 寝てたか! すぐに起きろ!」
バルガスのカミナリのような怒鳴り声が石から爆発した。通信の奥からは、建物がくずれるような地響きが聞こえてくる。
「……現在、深夜2時です。労働規定により、これは深夜割増手当の対象になりますが」
ローウェンは眉間をもみながら、死んだ魚のような目で天井を見つめ、平坦な声で答えた。
「好きにしろ! 手当なら何倍でも払ってやる! 今すぐ装備を持って、東区へ向かえ!」
バルガスは完全にパニック状態で叫んだ。
「東区の地下水道のパイプを、あのアホどもが爆破しやがった! 今、悪臭を放つスライムの粘液が、商店街に逆流してきてるんだ!」
ローウェンは深く、ひたすらに深いため息をつき、体はすでに本能のまま、さっき脱いだばかりの革の鎧を着はじめていた。
「了解。これより現場へ向かい、周辺道路の封鎖を行います……」
「3分以内に到着しろ! もしあのクソ粘液が村長の家に入りこんだら、このギルド支部は明日には強制的に取りこわしだぞ!」
通信は一方的に切られた。
部屋はふたたび静まりかえり、ローウェンの重い呼吸の音だけが残った。
足元に置かれた、道具がぎっしり詰まった巨大なバックパックを見下ろす。
新しい職場に来た初日、午前2時。
仕事は、爆破された地下水道と通りを埋めつくすスライム粘液の処理。
ローウェンは表情ひとつ変えずにバックパックの肩ひもをつかむと、勢いよく背負い、深夜の部屋の扉を開け放った。




