第七十回
『どうかされました?』
「んっ? いやあ、なんでもない。つい、首をな、グルリと回してしまったんだ。それにしても君は目敏いな…」
ママの手前、小声で悟られぬように上山は云った。
『いやあ…、そりゃ、この世の者とは違いますから』
「ああ、それはそうだが…」
『なんといっても、食事、睡眠、勤め、世間の付き合いなど、一切の俗がございません』
「うん、だろうな…。まあ、今日のは間違いだから、消えてもらっても結構だ、君」
『そう邪険にされなくてもいいじゃないですか、課長。…いいお店ですねえ』
幽霊平林は、陰気ながらもニタリと笑い、店のあちらこちらと見回した。上山の顔が少し沈んだ。迷惑顔も出来ず、沈んだのである。
「ああ、少し陰気だがな…」
『そうですか? 僕にはちょうど頃合いなんですがね。行きつけですか?』
「一見だよ、この店は」
『あっ、これはこれは…』
上山はつまらんことを訊く奴だ…と一瞬、怒れたが、早く退散させねばならんし、二度と現れないようにするには…と、考えた。こんな酒場まで出現されては甚だ迷惑で困る。
「君さ、佃教授の様子を、ちょっと調べてくれないか。家へ帰ったら、また呼ぶから…」
『こんな時間からですか? …あっ! はい…。それじゃ』
幽霊平林も状況を理解したのか、諄くは押さなかった。云い終えると同時に、スゥ~っと鮮やかに消え去った。上山にはその消え方が、どこか格好よく感じられた。




