4 情夫、契約する
「こっちだよ」
ゼルとガーネットは、少年の言われるままについていった。と、いうより、狭い建物の隙間は、少年が通り抜ける場所の他、ゼルたちに通り抜けられそうな場所はなかった。
「うおっ」
狭い隙間から広い場所に抜けてつんのめりそうになる。
ガーネットは、擦りむいた身体をこすっている。まだ、器官に煙が残っているらしく、少し咳き込んでいる。
少年は、その様子を楽しそうに見ている。先ほどかぶっていた面のようなものは外している。咳き込んだ様子がないことから、煙を遮断するものだったかもしれない。
「なにが楽しいんだ?」
「楽しくはないけど面白いのだよ」
少年は、傍に置いてある木箱の上に座ると、足をばたつかせる。
大通りから少し離れた路地裏らしく、木箱や空き樽が積み重ねられている。
ゼルはむっつりした顔で、少年に詰め寄る。今頃になってふつふつと怒りが込み上げてくる。
「おい、ガキ! 何やってたんだ」
伸ばした人差し指が、少年の小さな鼻を潰す。
少年は小動物のような目を瞬きさせる。
「なにって、忍び込むためなのだよ。表から入れないからあっちから入ろうと思ったのだよ」
「……それで爆破か」
あまりにあっけらかんと答える少年に、ゼルは呆れて口を開けたまま閉ることができない。
「うん。ちょうどいいかんじに補修中だったのだね。少しの発破でいけると思ったんだけど」
子どもはぶすくれてゼルとガーネットを見る。
「まさか、誰か来るとは思わなんだ」
「……いや、俺たちが悪いのか?」
「神殿の周りをうろちょろすると、不審者扱いされるのだよ」
「ああ、もうされているよ」
ゼルが空樽に座り、頭を抱え込む。
ガーネットはいつのまにか、買っていた酒瓶に口をつけている。よく路地を抜ける際、落とさなかったものだ。ゼルと酒を見比べて、酒瓶を差し出す。
「飲む?」
「飲まねえよ」
慌てる様子なく、酒を飲んでいる相方を半眼で見る。ガーネットを見ると、なんだか悩んでいるのがばかばかしくなってくる。
大通りのほうが騒がしい。先ほどの騒ぎで、人が神殿のほうに集まっているようだ。
(とりあえず、離れたほうがいいか)
「とりあえず、ここを離れたほうがいいのだよ」
ゼルの言いたいことを少年が代弁し、ゼルとガーネットの手を引っ張る。
「お、おい!」
「大人二人と子ども一人なら、さほど怪しまれないのだよ」
少年は、そういうと袈裟懸けにかけた鞄から、白いケープを取り出し、ゼルとガーネットに渡す。
「これ、羽織って」
(手馴れてる)
まるで、こうなると予想していたような準備の良さだ。
ゼルは漂白されたケープを羽織って、ガーネットを見る。
ガーネットは何食わぬ顔でゼルに微笑みかける。
(とりあえず大人しく従っておくか)
相方が何もしなければ特に問題なかろう。ガーネットは異常なほど、場馴れしているので、彼女に任せておけば大抵のことはうまく乗り切れる。
「自分の名前はナズと言います」
少年はそういうと、楽しそうに二人の手をぶんぶんと振り回した。
見た目よりもずっと幼く見える行動だった。
とても爆破犯には見えなかった。
宿屋の親爺は、ゼルたちを特に怪しまなかった。荷物を預けにきたときにいなかったナズについては、
「親子で旅かあ、大変だねえ。お子さん、けっこう大きいんだね」
と、簡単に済まされた。
ゼルは部屋に入るなり、むすっとした顔で、
「そんな年齢じゃねえ」
と、寝台に座る。
まだ、二十一なのに、十前後の子持ちと思われるのは心外だ。
(そんなに老けて見えんのかよ)
若く見られるのも腹が立つが、老けて見られるのも嫌なものだ。
「大丈夫、頑張ればできないことはない!」
なぜか、拳を握ってやる気なガーネット。昼間からやる気でも困る。
「いや、頑張りたくねえよ」
流し目をよこすガーネットから目をそらし、ゼルはナズのほうを見る。
ナズは大きな鞄を床に置き、中身の整理をしていた。確かに、大きな鞄だが、中身はその容量をはるかに上回っているように見える。
「ガキ。何者なんだ? おまえ」
隊商に紛れ込んだり、神殿を爆破しようとしたり、到底普通の子どもとは思えない。
取り出している荷も、子どものものとは思えない代物ばかりだ。金槌やのこぎりがふつう、鞄の中に入っているものなのだろうか。
ゼルは床に並べられたうち、奇妙な黒い石を拾う。他にも、魚の形をした石や奇妙な渦巻きの石が並んでいる。
「自分はナズなのだよ。それ以外の何物でもないのだよ」
おちょくっているのかと言いたくなるナズの言いぐさに、ゼルは足を組む。子ども相手に怒鳴りたくないが、そのように振舞っているようにしか思えない。
「なんで、あんな真似をした?」
「あんな真似?」
「なんで神殿に忍びこもうとした」
ナズは笑いながらゼルに近づくと手に持った黒い石をとる。
「これはなんでしょう?」
「……石だろ」
ナズは鞄から金槌を取り出すと、石を細かく割る。割った欠片を、円卓の上の灰皿にのせると先ほど火薬に火をつけた奇妙な棒を取り出す。ついた火を黒い石につける。
「……どういう手品だ?」
石が燃えている。
ゼルは驚き、ガーネットは酒を飲みながら興味深そうに見ている。
「手品じゃないよ。これは石に見えるけど、大昔の木なのだよ」
ナズは他にも魚や渦巻きの石をゼルに渡す。
「それは、大昔の魚、そっちの渦巻きはアンモナイトっていうのだよ」
「……だからどうしたんだよ」
「動植物の遺骸が土の中に埋まり、長い年月をかけてその形を石に変える」
遠回しなナズの言い方にゼルは眉間にしわを寄せる。ゼルはまともな教育を受けているわけでないので、ナズの言葉の意味がわからないのも仕方ないと思っている。ガーネットは、寝台に寝転がりながらいつの間にか用意していた干し肉を食んでいる。知っていても、知らなくても興味はないようだ。
「動植物が石になるまでの年月に、数千万年かかると言ったら?」
ナズはゼルの表情が変わるのを面白そうに眺める。ガーネットも、その一言に眉を寄せている。
ガーネットは噛んでいた干し肉を酒で流し込んだ。
「ご冗談?」
ガーネットは髪を振り払いながら、ナズに問いかける。
「冗談じゃないよ」
信じられない言葉を言う少年をゼルは睨み付ける。
数千万年前という膨大な年月を口に出した。この年月は、神殿の語る創世記よりもずっと古いものだ。
燃える石や魚の石の一つ二つで、証拠というにはあまりに拙すぎる。
しかし、もしナズの言葉が本当であれば神殿の教えと辻褄が合わなくなる。
そのゼルのかすかな引っ掛かりを広げるようにナズが言葉を続ける。
「もし、神殿がそういうブツの存在を皆に知らせずに保管していたとしたら? 他にも秘匿した技術や伝承があったとしたら?」
ナズはいつのまにかガーネットの隣に座り、干し肉をつまんでいる。
「無知な人間たちを馬鹿にするように、ほくそ笑んでるんだよ」
ナズは干し肉を裂くと、口に含みほとんど噛まずに嚥下する。
「神さまがくれたという技術を独り占めする、これは帝国のやり方と変わらないよね。自分はそれをちょっとのぞかせてもらいたいだけなのだよ」
唯一帝政をとっている国、固有名称はなくただ帝国と呼ぶ。資源不足により神の技術が枯渇する中、帝国の技術水準は他国の比ではない。
対して、神殿は神が降り立った古き時代の記録を持ち続ける点で、帝国と同等の立場といえる。
「知的好奇心を満たしたい。それだけなのだよ」
(なんだよ、それ)
興味本位でそんなことをされても迷惑なだけだ。
技術を隠していようが、いまいがゼルには関係ない。自分が食っていければ問題ない。
「関係なくないよ」
ゼルの心の中を読んだかのようにナズは言うと、部屋の窓を開ける。空の端っこには、歪な月が浮かんでいる。
「……おまえ、なんか言ったか」
「ん? なんのことだい?」
ナズは首を傾げて笑う。
よくわからない子どもだと、ゼルは鼻を鳴らす。
頭のおかしい子どもなのかもしれない。だったら、不可解な言動も納得がいく。
「ところで、なんであたしたちの前でべらべらと話しているわけ? それが本当なら、黙っとくべきことじゃないの?」
ガーネットはしどけなく寝そべり言った。
ナズはそれを待っていたといわんばかりに笑顔を見せる。窓から離れると、床に置いた鞄にしゃがみ込む。
「それはですね」
鞄に手を突っ込むとあれでもない、これでもないと中身を投げ捨てる。投げ捨てる手が止まったと思ったら、ゼルの前に手を差し出す。
いぶかしげにゼルは、ナズから何かを受け取る。
「なんだこりゃ?」
大きな赤い石が手のひらにおさまっている。きれいに磨き上げられ、血のように赤く、光が星形に反射している。
「紅玉ね。しかも、星入り。ざっと大陶貨三百枚ってとこ」
金持ちからの貢物で目の肥えたガーネットがいうのだから本物なのだろう。
(俺の稼ぎ六百日分)
「あたしの二か月ぶんの稼ぎってところかしら?」
ゼルは、ガーネットの言葉を聞かなかったことにして耳を塞ぐ。まさか、格差がそこまで大きいとは思わなかった。
「おい、おまえ、これは……」
「報酬ということでいかがかなって」
ナズはゼルから紅玉をとり布で包むと、ガーネットに渡す。
「自分は、おにいさんおねいさんたちを雇いたいのだよ。この身なりじゃ、隊商に入るのも難しいし、表向き保護者は必要だからね」
今更、ナズに対して親はどうしたという質問をゼルはかける気はなかった。
とりあえず面倒くさいことに頭を突っ込みたくなかったが、野放しにするのも気が引ける。ゼルは相方のほうを見る。
ガーネットは珍しく考え込んでいるようだ。酒も飲まず、じっと紅玉を包んだ布を見ている。
「ねえ。あたしたちのやることは、特にないのよね」
ガーネットは確認するように、ナズを見る。
「そだね。自分としては、目的地に一緒に行ってくれれば問題ないのだよ。たとえ、自分が悪いことしてへましても見捨ててくれればいいし、手伝う必要もない。船や隊商に入る際、身内として一緒に連れてってくれればそれでいい。もちろん、それは一時金だし、今後四半年ごとに同じだけ払うよ」
つまり、ナズが神殿にちょっかいを出す際にへまさえしなければよいのだ。神殿に目を付けられた場合、厄介だが逃げ切れないことはなかろう。
危険手当として四半年で大陶貨三百枚分は安いか高いか、ガーネットは見極めているようだ。ゼルには大金だが、ガーネットには稼げない額でもない。それに、期間を考えてみるとすぐに終わりというわけでもない。
「ふーん。じゃあ、報酬をかえてくれない? これじゃあ、換金しにくいわ」
ナズは鞄をごそごそ漁ると、小瓶を取り出す。中には歪な光沢のある石が入っている。
「淡水真珠か。これも珍しいんだけど。まあ、小粒なら換金できるか」
ガーネットは小瓶の中から小さいものを十個ほどとると、紅玉を返した。布で包むと、胸元に入れる。
「契約完了ということでいいのだね」
ナズの言葉にガーネットとゼルは頷いた。
まだ理解に苦しむ状況だが、ガーネットが問題ないというのならそういうことなのだろう。
頭のそれほどよくない情夫は、女の意見に従うことにしている。