終章 殺された英雄
終章
ああ、死ねなかった。
寝台の上で意識を取り戻し、ベノルは胸の内で嘆いた。
看護士たちが、何やら騒いでいる。こうして天井を見るのは初めてだが、ここは城内の医務室に違いない。そう認識したとき、白衣の医師がとんできた。
「ライト様、聞こえますか。ライト様!」
小さく声を出し、彼は目を閉じた。絶望の闇の底で、ダナの姿を探す。が、何かが抜け落ちたように、彼女は不鮮明であった。
色がない。色が、ない。
もう、手が届かぬとういうことか。
ベノルは自嘲した。彼女を想う資格を、もう、彼は持たなかった。
医師は、ベノルが三日も意識が戻らず、非常に危険な状態であったことを熱心に説いた。その雑音に、部屋の外からの叫びが交じる。
「そんな、無茶です!」
ただならぬ気配に、ベノルはうっすらと目を開いた。見慣れた部下たちが、病室へなだれ込んできた。そろって、苦々しい表情であった。
「団長。陛下のご命令です」
一人の騎士が、代表して告げる。
「意識を取り戻したならば、すぐにでも謁見せよ、と」
医師が飛び上がった。
「まさか! あと十日は絶対安静ですよ。陛下は、ライト様を死なせるおつもりですか」
「陛下の、ご命令です」
頭を垂れる騎士たちに、ベノルは「わかった」と応え、寝台を降りた。上着を羽織る。痛みは、あまり感じなかった。これは自分の体なのだろうか。感覚が遠くにある。
このままいっそのこと、全てが他人事のように過ぎ去っていけばいい、と彼は願った。先を見通す智も、大陸中に知れた剣や指揮の才も、王族に次ぐかのような地位も、英雄の称号も。全て、なかったことになればいい。
そうすれば、何もかも手が届かないと、諦めてしまえる。
喪失も絶望も、浅くて済む。
ベノル=ライトは部下たちに支えられ、ようやく王の前へたどり着いた。
二ヶ月ほど前にダナと歩いた赤絨毯の上へ、片膝をつき、一礼する。
王座へ腰を置く少年王は、あからさまに怒気を放っていた。
「ベノル=ライト。おまえが中庭にて自害を図ったとの目撃証言がある」
謁見の間につめかけた人々は、息を殺して見守った。
「それが真であると、認めるか?」
「はい。認めます」
ベノルの即答は、王の怒りを煽った。
「騎士の誓いを忘れたか、ベノル=ライト。おまえの命は、スリノア王のものであるぞ。それを自ら絶とうとした罪の重さ、自覚しておろうな!」
応えるベノルの声は、弱々しく、かすれている。
「しかし、陛下……私はすでに、死んでおりました」
「そんなことは分かっている!」
王は立ち上がり、声を荒げる。ここが謁見の間であることを、忘れてしまっているようであった。
「おまえは、あの女に毒された! あの女が、おまえの気を狂わせた! あの女は、まんまとおまえを殺して帰っていった!!」
「陛下……」
「『ヘイカ』と呼ぶなっ!」
痛切な響きを伴う叫び。人々が、怪訝そうに王を見上げる。
「なぜ私をそう呼ぶのだ。おまえにとって、私は王でしかないのか!」
ベノルは、その少年の叫びに、応えることができない。
ただ、うつむくしかなかった。
ざわめきが広がる。王はようやく、熱くなりすぎたことを悔いた。
「その罪人を、牢へ放り込め」
非情な命に反応し、傍で控える宰相が前へ出た。
「陛下。彼は重傷です。今すぐ牢へ入れるというのはあまりに」
「牢へ放り込め!」
命ぜられた二人の近衛騎士が、足取り重くベノルへ近づく。ベノルはゆっくりと立ち上がり、両手を差し出した。
宰相を始め、謁見の間を満たす者たちが、息を呑んで目を瞠った。国の英雄のこのような姿は、あってはならない、スリノアの汚点とも言うべき衝撃的な絵柄であった。
玉座に背を向けながら、ベノルは終戦の時に感じた喪失と虚無に、再び飲み込まれていた。
謁見の間が、少年王が、遠ざかる。
全てが、全てが、まるで逃げるかのように、遠ざかるのだ。
残るのは、彼を絶望へと追いやるものだけである。
行きどころのない、怒りと悲しみ。押し寄せる、悔恨とむなしさ。
それらに身を委ねながら、彼は笑い出したくなった。
英雄などと呼ばれていることを、ひどく滑稽に感じたのである。
ベノル=ライトは王子を護り、厳しい戦いに勝利をし、自由と平和をスリノアへもたらした。それはそれは聞こえの良い、英雄譚の王道であろう。
しかし、彼の知るベノル=ライトは、醜く愚かだ。
彼はただ憎しみに囚われ、復讐を遂げたかっただけなのだから。
そして、彼の幸福な世界から色彩を奪った者たち、憎むべき者たちを殲滅しさえすれば。スリノアを取り戻し、そこへ帰りさえすれば。
そうすれば、失った全てが、彼の前に蘇るのではないかと。
そんな叶うはずのない夢を、みていただけなのだから。
スリノアの英雄編・終
はじめまして。12月の風です。
森と湖の国の物語、第一部が完結しました。タイトルに似合わず、シリアスダークまっしぐらでごめんなさい(笑)おまけにドライ。
第二部は、少年王ことジャスティス君が主人公のお話です。第一部の数ヵ月後が舞台です。少年が主人公のため、第一部よりはウェットな感じになっていると思います。
もしお時間が許せば、一言だけでも辛口でもかまいませんので、この「スリノアの英雄編」にご感想をいただけると嬉しいです。本当に、それこそ飛び上がらんばかりに・・・(笑)。(09/6/25)