第十五話 家畜の飼料始めました
「……トウモロコシ様、それは何ですか?」
「……静かにして、コーンミール。今、いいところなの」
トウモロコシは、一冊の本を夢中で読んでいた。
「どこからそんなものを手に入れたのですか?」
「この主人公……!」
コーンミールの問いを無視して、トウモロコシは本を指さした。
「甘い言葉ばかり並べて、全然働かない男に貢いでいるじゃない!」
「は、はあ……」
「しかも、男に都合よく扱われているのに、本人は愛されていると思っているのよ!」
トウモロコシは頭を抱えた。
「どうして気づかないの!? 完全に都合のいい女じゃない!!」
「トウモロコシ様……」
「こんな男、さっさと見限ればいいのに! 甘い言葉に騙されて、まったくもう!」
トウモロコシは、まるで自分が恋愛の達人であるかのように、深いため息をついた。
「おやおや。ずいぶんと熱心に読んでいらっしゃいますね」
「……っ!?」
トウモロコシは勢いよく顔を上げた。
そこには、見覚えのある男が立っていた。
「ヘ、ヘルメス……!」
「お久しぶりです」
ヘルメスは爽やかな笑顔を浮かべた。
「また何か企んでいるんじゃないでしょうね!?」
「おやおや。私はただ、あなたに会いに来ただけですよ」
「信用できるものですか!」
トウモロコシは警戒するようにヘルメスを見つめた。
「今日は、あなたにだけ素晴らしいアイデアを持ってきたのですが……」
「……私にだけ?」
「ええ。あなたなら、このアイデアの価値を理解してくださると思いまして」
「…………」
トウモロコシは腕を組んで考え込んだ。
「……話だけよ。話だけ聞いてあげるわ!」
「もちろんです」
ヘルメスは、にこやかに微笑んだ。
「実は、最近始まりつつある家畜の生産について、ひとつ提案があるのです」
「家畜の生産?」
「ええ。家畜を育て、その肉や卵を人々に届ける。これから大きく発展する分野でしょう」
ヘルメスは、にこやかに続けた。
「そして、そこにはあなたの力が必要なのです」
「わ、私の?」
「ええ。トウモロコシは家畜の飼料として、実に優れています。あなたの力があれば、家畜はよく育ち、肉はより美味しくなる。鶏が産む卵も、より美味しくなるでしょう」
「おお……!」
トウモロコシの目が輝き始めた。
「つまり、私が家畜の生産を支えるということ?」
「その通りです。あなたの力は、人々の食卓を豊かにすることができるのです」
「でも……」
トウモロコシは、少しうつむいた。
「私は、ムギやコメみたいに、猿たちに主食として食べてもらいたいのよ」
「ええ、存じています」
「まだ諦めたくないの。私だって、いつか世界中の猿たちに食べてもらいたいんだから!」
トウモロコシは拳を握った。
ヘルメスは、そんな彼女を優しく見つめた。
「もちろんです。あなたの夢を諦める必要などありません」
「えっ?」
「世界の主食を目指すことと、飼料になることは、どちらか一つを選ばなければならないわけではありません」
「どちらか一つ……?」
「主食として世界に広がる努力を続けながら、家畜の生産を支えることもできる。あなたの可能性を、一つの道だけに閉じ込める必要はないのです」
トウモロコシは、考え込んだ。
「……確かに、そうね」
「まずは試してみてはいかがでしょう?」
「わかったわ。とりあえず、やってみましょう!」
「素晴らしい判断です」
ヘルメスは、にこやかに微笑んだ。
「きっと、あなたの新たな可能性が見つかることでしょう」
「ふふっ……! 待っていなさい、コメちゃん、ムギちゃん! 私だって、負けないんだから!」
トウモロコシは、すっかりやる気になっていた。
そして――。
「コメちゃん、ムギちゃん!」
トウモロコシは二人を見つけると、勢いよく駆け寄った。
「どうしたんだ、トウモロコシ。ずいぶんとご機嫌だな」
「ふふふっ! 今日は、あなたたちに大切なことを教えてあげるわ!」
「大切なこと?」
コメが首をかしげた。
「そう! 私たちは、これまで猿たちに主食として食べてもらうことばかり考えてきたでしょう? でも、それだけが穀物の価値ではないの!」
トウモロコシは、得意げに指を立てた。
「これからは家畜の飼料よ! 家畜を育てれば、肉が美味しくなる! 鶏が育てば、卵だって美味しくなる! つまり、私たちの力で猿たちの食卓を豊かにできるのよ!」
「おおー! お肉が美味しくなるの!?」
コメが目を輝かせた。
「そうよ! しかも、これは主食の座を諦めるということではないわ。主食を目指しながら、飼料としての価値も広げていく。二つの道を同時に進めばいいの!」
トウモロコシは胸を張った。
「どう? 素晴らしい考えでしょう?」
ムギは、静かにトウモロコシを見つめた。
「……その話なら、私たちも聞いているぞ」
「……へ?」
「ヘルメスから提案されていたんだ。家畜の飼料として穀物を広めてみてはどうか、とな」
「えっ!? コメちゃんもムギちゃんも知ってたの!?」
「うん。でも、主食として食べてもらうことを目指しているのに、飼料にするのはどうかなーって」
コメが首をかしげた。
「猿たちが、自分たちの食べ物を家畜に与えることを嫌がる可能性もある。だから、私たちは断ったのだ」
「そ、そんな……!」
トウモロコシの顔が引きつった。
「じゃあ、どうしてヘルメス様は私のところに……?」
ムギは、何でもないことのように答えた。
「私が勧めたからだ」
「……へ?」
「君なら、私たちとは違う可能性を見いだせるかもしれないと思ってな。ヘルメスにも、君に話してみるといいと言っておいた」
「……へ?」
トウモロコシの思考が止まった。
「ちょ、ちょっと待って……。じゃあ、ヘルメス様が私に素晴らしいアイデアを持ってきたのは……」
「私が君のところへ行くよう勧めたからだな」
「ぐはぁっ!!」
トウモロコシは勢いよく振り返った。
「ヘルメスーーー!! どういうことなのよーーー!!」
「おやおや、どうされました?」
「コメちゃんとムギちゃんにも同じ話をしていたんでしょう!?」
「ええ。お二人にもご提案しましたよ」
「私だけじゃなかったの!?」
「おや? 私は、あなたにだけ話したとは申し上げておりませんが……」
「ぐはぁっ!!」
トウモロコシは胸を押さえた。
「そ、それは……そうだけど……!」
「それに、今回の提案が素晴らしいものであることに変わりはありません。家畜の飼料として穀物を活用する。これは、あなたの勢力を広げる大きな可能性を秘めています」
「そ、それは……!」
「私は、あなたならこの可能性を活かせると思ったのです」
「で、でも……!」
「騙してなどいませんよ」
ヘルメスは爽やかな笑顔を浮かべた。
「素晴らしい提案を、素晴らしいと思う方にお届けした。それだけのことです」
「……開き直ったーーー!!」
トウモロコシの叫びが響き渡った。
ムギは、そんなトウモロコシを見て、呆れたようにため息をついた。
「また甘い言葉に騙されたのか。君は本当に、めんどくさい上に都合のいい女になってしまったようだな」
「ぐはぁっ!!」
トウモロコシは胸を押さえた。
「ちょっと待って! それ、さっき読んでいた恋愛漫画の主人公みたいになってるーーー!!」
コメが思わず叫んだ。
「……え?」
トウモロコシは固まった。
「甘い言葉ばかり並べる男に騙されて、本人は特別だと思い込んでいる。まさに、あの主人公じゃないか」
ムギが淡々と指摘した。
「そ、そんな……! 私はあんな都合のいい女とは違うわよーーー!!」
「……面倒くさい女だな」
「……めんどくさいねー」
コメとムギは、そろってため息をついた。
こうして、トウモロコシの飼料化がスタートした。
トウモロコシ自身も気づいてはいないが、これこそがトウモロコシを世界的な穀物へと向かわせる手段となっていく。
それはまた、別のお話。




