第13話:世界の欠損:消えゆくエルナ
王都を襲った「キューブ」の脅威は去った。しかし、勝利の余韻に浸る間もなく、健太はかつてない恐怖に直面していた。
「健太様……手が、動かないのです」
エルナの声が震えている。健太が彼女の手を取ろうとした瞬間、彼の指は彼女の肌をすり抜け、虚空を掴んだ。エルナの右腕が、まるで解像度の低い画像のように粗くなり、向こう側の景色が透けて見えている。
「エルナ様! ……アイリス、スキャンしろ! 何が起きてる!?」
アイリスは青ざめた顔でデバイスを叩く。「ダメ、生体反応じゃない……彼女の『存在確率』が低下してる! 健太、この世界そのものが、彼女を『不要なデータ』としてゴミ箱に送ろうとしてるわ!」
「そんな……私が、いなくなる……?」
エルナの瞳から涙がこぼれるが、その涙さえも地面に落ちる前にデジタルノイズとなって消えていく。
「させない。絶対に、そんなことはさせない!」
健太はエルナの透ける肩を(実体のある場所を探して)抱き寄せた。
「……方法が、一つだけあります」
魔力を使い果たし、蒼白な顔をしたセレスティアが、衛兵に支えられながら歩み寄った。彼女の瞳には、悲しみと強い意志が宿っている。
「聖教国の最深部、禁忌の地とされる『真理の書庫』。そこには、この世界の『始まりの記述』が保管されていると伝えられています。……健太、あなたの言う『ソースコード』というものがそこにあるのなら、エルナ様を定義し直すことができるかもしれません」
「真理の書庫……。だが、そこは聖教国の最高機密だろう? 枢機卿を倒したばかりの俺たちが行って、入れるのか?」
「私が行きます。聖女の正統なる継承者として、扉を開けましょう。……今の私なら、教典の言葉ではなく、あなたの『科学』の言葉で、あの場所にあるものの正体を解き明かせる気がするのです」
セレスティアは健太を見つめた。敵対していた頃の冷徹さは消え、そこには共通の「真実」を追い求める同志の光があった。
健太たちは、整備中の装甲列車を無理やり動かし、聖教国の聖都へと急った。
列車の車内では、アイリスがエルナの周囲に無数の魔導ケーブルを繋ぎ、必死に彼女の「実体」を繋ぎ止めている。
「蓄電池全開! 彼女の存在を『固定』するためのパルスを送り続けるわ! 健太、あと3時間が限界よ。それまでに書庫に辿り着かなきゃ、彼女は完全に消去される!」
「わかってる! 加速しろ! 蒸気圧限界突破を許可する!」
列車は漆黒の煙を上げ、大陸を切り裂くように爆走する。
窓の外では、世界のあちこちで「景色」が欠け始めていた。森の一部が真っ黒な四角い穴になり、山がポリゴンのように角ばっていく。
システムの崩壊は、確実に加速していた。
聖都の地下深く。
セレスティアの導きで辿り着いたのは、本棚が並ぶ図書室ではなく、**巨大な冷却ファンが回る「機械の神殿」**だった。
「これは……書庫じゃない。**『サーバー・ルーム』**だ……」
健太は息を呑んだ。
白銀の液体が流れるパイプ、青く明滅する巨大な結晶体。そこには、古代の魔法文字と現代のプログラム言語が混ざり合った、歪なインターフェースが存在していた。
「聖女の血をもって、封印を解除します」
セレスティアが祭壇に手をかざすと、神殿の壁一面に膨大なログデータが流れ出した。
『WARNING: WORLD_SERVER_SYSTEM_FAILURE』
『OBJECT: ERUNA_ROYAL_01 -> STATUS: REDUNDANT_DATA (DELETE_PENDING)』
「エルナ様が『余剰データ』だと……!? ふざけるな、彼女はこの世界の希望だぞ!」
健太はコンソールに飛びつき、キーボードを叩く。だが、セキュリティは強固だ。
「健太、私に繋いで!」
アイリスが自身のデバイスを神殿のポートに突き刺した。
「古代のマスターキーを強制挿入するわ! セレスティア、あんたはマナの供給を! 健太、あんたは書き換えるのよ、彼女の運命を!」
「書き換え……書き換えろ……!」
健太の目の前に、エルナの全人生が「数値」として展開される。
彼女の優しさ、勇気、健太への想い。それらすべてが、ただの「0」と「1」の羅列として処理されようとしている。
『ACCESS DENIED. AUTHORIZATION REQUIRED: PROJECT_GAIA_MANAGER』
「マネージャーの権限……。……そうか、これか!」
健太は、自分のスマートフォンの画面をコンソールに向けた。
あの『Project: GAIA』のアプリから放たれた認証コードが、神殿のシステムと同期する。
「上書き(オーバーライト)開始! エルナの存在定義を『余剰』から『システム維持に不可欠なコア・オブジェクト』に変更!」
画面上のゲージがゆっくりと上昇していく。
その時、エルナの身体からまばゆい光が溢れ出した。
「健太……様……」
透けていた彼女の指先に、温かい血が通い、確かな実体が戻っていく。
「間に合え……間に合え!!」
バチンッ! と、激しい火花が神殿中に散った。
コンソールが火を吹き、健太は吹き飛ばされる。
静寂。
煙の中で、健太は必死に目を開いた。
「エルナ様……?」
そこには、実体を取り戻し、涙を流しながら自分を見つめるエルナの姿があった。
彼女はもう透けていない。健太の手は、しっかりと彼女の柔らかい掌を握りしめていた。
「……良かった。本当に、良かった……」
健太が安堵したその時。
神殿のメインモニターに、新たな、そして絶望的なメッセージが表示された。
『OBJECT_RESTORATION_SUCCESSful.』
『NOTICE: TOTAL_SYSTEM_RESET_IN_PROGRESS (99% REMAINING)』
「……エルナ様は救った。でも、代わりに**世界全体の消去**が始まっちまったみたいだぞ……」
アイリスの震える声。
書庫の奥から、無機質な、しかし聞き覚えのある「声」が響いた。
「――お見事です、佐々木健太様。ですが、バグを一つ修正したところで、プログラムの実行は止まりません」
暗闇から現れたのは、健太の元の世界での上司によく似た姿をした、**「世界の執行者」**だった。




