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第一夜 真田幸村 8

 

 息子の言葉に紫荻は視線を廊下に向ける。

 人の気配はしなかったが。しかし。

 目に映ったのはふすまの陰から除く、藤色の着物の端。

 ――なぜ今まで気づかなかったのだろう。紫荻は表情を固めた。


「幸村様、どうぞお入りください」


 仕方がないので声を掛ければ、がたりと音が立つ。

 少しの間。なかなか入ってこない。

 しかし着物の端は他の奥方も気が付いたようで。皆、その表情を無表情へと。

 いや、呆れが混じる顔へと変貌していった。


 突き刺さる視線の束に、さすがに意を決したらしい。

 頭を掻きながら気まずそうに彼が身を出す。


「し、しつれいする」


 本当におずおずと。居心地悪そうに。

 懐に何かをしまいながら、幸村は部屋の中に入ってきた。

 その様子に竹姫がため息をつく。


「盗み聞きするぐらいなら声を掛ければよいものを」

「そうもいくか。――どうせ4人で俺への小言をこぼしていたのだろう?」

「あら。よくお分かりで」


 どうせなのか、竹姫は己の気持ちを隠しもしない。

 ほかの奥方も同じだ。澪姫も小梅姫も、それは白々しい視線。


 まぁ、浮気をしたのだから仕方がない。


 本当に何も知らず。純粋に幸村を見るのは桜姫と荻だけだろう。

 そして、奥方たちがこの場で何も言わないのも幼子二人のおかげでしかない。


「ととさま!」


 そして、そんな空気を壊すのはやはり幼子で。

 桜姫は小さな手を伸ばす。


 ため息をつきながら竹姫が抱きかかえていた桜を手放せば、小さい影は嬉しそうに幸村へと走っていった。

 幸村は何か迷った様子であったが、軽々と桜を抱きあげる。

 きゃっきゃと笑う桜に、控えめな笑みを向けている幸村。

 紫荻が口を開いた。


「それで、幸村様。何か私に御用ですか?」

「あ、いや」


 声をかけると、慌てた様子で彼は空いた手を懐に手を入れた。

 相変わらずだが、冷たい奥方たちの視線が突き刺さる。


「旦那様。どこへ行っていたので?」


 口を開いたのは竹姫だ。

 さすが正室というべきか、わずかに殺気がこぼれている。

 とっさに幸村の視線は泳ぐ。


「あ、あー。町まで」

「また、花様への貢ぎ物ですか?毎週、毎週。高価な着物に簪。――で、今日は何です?」


 今度は澪姫。目が笑っていない。

 というかまて、毎週?毎週、そんな高価なものを一国の大名の正室に送っているのか? 

 さすがに呆れる。


「い、いや。ちがう!」

「何が違うので?どうせ、また奥州まで会いに行ったのでしょう?こんどは何をねだられたのですか?」


 最後に小梅姫。言わずもがな。怖い。

 幸村の顔がさらに青くなった。

 しかし、奥方の勢いは止まらない。


 ぶっちゃけ、紫荻が何かをしなくてもよさそうで。

 怖がる荻を抱きあげながら、見守っていようと決めた。


「「「幸村様――!」」」

「こ、これをお前たちにと、買いに行ったんだ!」


 奥方たちが殴りかかろうとしていた三秒前。

 幸村が何かを取り出し、三人に向けて差し出すのだが。


「ほ、ほら、これ――」


 きょとんとする桜を抱きながら、おずおずと零す。

 奥方たちはまじまじと差し出されたものを見つめた。


 三人に向けて捧げられたもの。

 それは、3本の簪。

 それも一本一本丁寧に、絵柄それぞれ別に作られた代物。


 顔を見合わせ、幸村を見上げる三人に彼は微かな笑みを浮かべた。


「いつも苦労させているからな。好きなのを選ぶといい」

「……幸村様」

「なんだ?」

「――なぜ、三本しかないのですか?」


 ただ、竹姫のこの発言でやはり場が凍る。

 だってそうだろう。正室含めた奥方が4人。

 それなのに彼が差し出したのは、3本の簪。


 どうやって分けあえと――?

 奥方たちが額に筋を立てるのも仕方がない。


「ち、ちが――!こ、これは」


 ジト目の奥方たちに幸村は滝汗を流した。

 しかし何かを言い訳しようとしても、うまい言葉は出てこず消えていく。

 なんというか詰めが甘いというか。なんというか。


 まぁ、これは完全に浮気のお詫びなのだろう。それは目に見えてわかった。

 どうせ佐助でも助言したのだろう。時折は奥方たちにも土産を買えと。

 それが裏目に出たわけだ。――別に紫荻は元から幸村からは、妻とみられていないのに。


 しかし、ここで何かを言えばさらに油を注ぐのもわかっている。

 だから仕方がなく。紫荻はコホンと咳払いをした。


 竹姫が、気が付く。

 こちらを振り返る彼女に小さく首を振った。

 ――これは貸しだと、幸村に思いながら。


 すべてを察した竹姫がため息をこぼす。


「……では、私はこちらをいただきます」


 そういいながら簪の一本を手に取った。

 正室の行動に、ほかの二人も鎮まるしかなく。

 恨めしそうな目のまま、残りの2本をそれぞれ手に取る。


 結局は、あまり嬉しくない贈り物へとなってしまったのだった。


「ととさま、おうには?おうやおぎにはないのでごじゃいますか?」

「あ、ああ。お前たちには菓子を買ってきた。後でじじ様と食べるといい」

「わーい!ありがと、ととさま!」


 こんな空気をものともしないのが幼子というもので。 

 桜は気にすることなく、父に可愛らしいおねだりをする。

 ちゃんと子供たちにも土産を用意していたようで、ちょっと胸をなでおろした。

 なんだ。ちゃんと妻や我が子には優しいのか、と。


 正直、いつも自分の前では、そっけないので心配だったのだ。

 だから、ちょっと安心した。


 あ、いや。違う。紫荻は首を振った。

 ここは怒らねば。浮気ばっかりして何をしている――と。

 というか、さっきの花への贈り物。これに対しての話も解決も終わっていない。


 いや。まったく。

 真田家もそこまで裕福ではないのに、何を考えているのだ?苛立ちがこみあげた。

 もうここはぶん殴るしかないと活きこんで――。


 

「――紫荻。これは、貴女に」

「……え?」


 ――おもわず、と。声を上げる。

 一瞬理解ができず、呆然。

 幸村が差し出してきた手を、呆然と見つめるしかできなかった。


 大きくごつごつとした彼の手の上にあるのは、青と白の糸で編まれた髪紐が一つ。



「……?」

「前みたく、本当は簪がいいと思ったのだが。つけないのだろう?だから、これにしてみた」


 視線をそらしながら、彼は言う。

 え?なんだこれは?紫荻(じぶん)に?

 頭で理解できないままに、呆然と見つめる。 

 思わずと幸村の顔を見上げると、わずかに視線を外した。


「――いらないか?」

「え、い、いいえ。あの、いります……」


 理解が追い付かない。そのままに差し出された髪紐を手に取る。

 なんだろう。これは。なんで?


「――私に?」

「……」

 幸村が無言でうなずいた。


 いや、状況が全然受け入れられないのだが。

 幸村に何か物をもらったなんて、かなり久しぶり。

 ちがう。彼が自分に何か物を送るなんてなんて珍しい。


 嫁いでこの方、一回しかないのに。

 確かその時は、簪――。祝言数日後に祝いにともらった。


 でもあの時は、せっかくだからと。夜伽の時に着けはしたが、当の本人は何も反応してくれなかったのだっけ?


 それが突然、なに?


「……ありがとうございます?」


 ほとんど初めての贈り物。何を言えばいいのだろう。とりあえず感謝を一つ。

 紫荻の反応に、幸村は何も言わなかった。

 ただ、すこし満足そうに笑う。そして、どことなく頬を染めてそっぽを向く。


「じゃあ、俺は親父殿に呼ばれているので失礼する」


 足早に。抱き上げていた桜を置いて。背を向ける。

 もう己の用は済んだと言わんばかりに、部屋を出ていく姿を見送って。

 花の件を思い出したのは、彼の姿がもう見えなくなった頃だった。




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