第一夜 真田幸村 6
紫荻は泣く澪姫の背中をさすりながらに思い出す。
――花。
自分を貶めた彼女は、今や伊達政宗の正室に収まっている。
もう正直、好きにしてというか。これに関してはどうだっていいと思っているのだが。
終わったと思った問題は、次の人災として当たり前のように紫荻に降り注いだ。
政宗と祝言を上げ、一国の正室になったのに、あの異常なまでの崇拝は収まることを知らなかったのだ。
それも夫がいる身で、各国の大名や名のある武士たちを誑し込んでいるという。
いまだに体の関係もあるとまで噂に聞いている。
幸村もその一人。
この十年ずっと、あの女の尻を追いかけ続けている。
わんわん泣き続ける澪姫や、険しい顔の正室である竹姫の表情を見るに。
また幸村がわざわざ遠出して花に会いに行ったのだろう。それがバレたに違いない。
こないだは文通がばれ、竹姫から大目玉を食らったというのに。懲りないというか、なんというか。
「幸村様は花とかいう女に現を抜かしすぎかと!秀吉公の妹君でも、もとはただの村娘でしょう!」
竹姫が眉を顰めて苦言をこぼす。
一応、竹姫はその豊臣に使える武将の妹君なのだが。
いや、あの女の出自は残念ながら、何もわからない村娘なのは確かか。
「なぜ、政宗公も何も言わないのですか?自分の奥方がほかの男と密会しているなんて」
すすり泣いていた小梅姫が言う。
そういわれても。紫荻は笑みを僅かに引きつかせる。
婚約者の愛姫を捨てて、あの女を選び。あまつさえ男遊びなんてものを容認する、甘々な兄だ。
どうせ花がそう望んだから。だから兄も何も言わないのだろう。と、推測している。
そして、それは残念ながらに合っていたりする。
正直、もはや夫としてどうかと思うが、花を崇拝している彼らには届かないのだろうと思う。
そもそも最近は伊達の良い噂も聞かないというのに。
「そもそも民に圧政をしいている伊達なんて――!国中から資金を集め、毎晩奥方のために宴を開いているそうじゃないですか!幸村様も高価なものを毎週――!」
「お澪様!」
澪姫が勢いを儘に言葉を滑らす。
それは今の伊達への不信感から出た言葉で、紫荻にとっては兄の悪評となる。
慌てたように竹姫が制してくれたが、それでも紫荻は苦笑を浮かべるしかできない。というか、事実なのでそれしかできない。
そう、これが伊達の悪い噂だ。
毎晩開かれる奥方のため盛大な宴。
豪華な料理、高価な酒。大名も含めた沢山の人を呼び、毎晩どんちゃん騒いでいるとか。
そのために国民から金を巻き上げ始めたなんて噂も流れている。
聞くだけで頭が痛くなってくる。冷静な兄はどこへ行ったのか。小十郎は何をしている?
足が動くなら馬に乗って今すぐ殴りに行くのに。
「あ、義姉様!もうしわけありません!!」
「いえ、お気になさらず。事実ですし」
頭を押さえていると、紫荻が怒っていると思ったのか、澪姫が顔を真っ赤にして頭を下げる。これに紫荻は首を横に振った。
「……兄には一応、書簡は送っているのです。一昨日だって佐助に頼みましたとも。私の力が及ばないことを、国中にお詫びしたい」
本当に自慢の兄だったのに。悔いが襲う。
「紫荻様のせいではないでしょう!」
「ええ、そうよ!そもそも男どもがおかしいのよ!花様、花様って――!」
竹姫に続き、澪姫が悔しげに眉を顰める。
二人だけじゃない。小梅姫も険しい顔を浮かべていた。
正直言う。花は女性陣からはめっぽう評判が悪い。
兄や父、夫が花にご執心で気持ち悪い。特段美人でもないのにおかしい。
政宗と同じ、聡明であった夫がおかしくなった。とはよく聞く悪評だ。
そして、今。この日の本は豊臣秀吉の天下が限りなく近いと言われているが、それも花のおかげとかいう噂が流れている。
彼女が泣くから、彼女が悲しむから戦は起きない。
花の兄上である秀吉を天下にしよう。彼女の兄なら申し分ない。
異常としか言えないが、兄の政宗がその筆頭といってもよいのだから頭が痛い。
今、豊臣に苦い顔をしているのは、越後の上杉と三河の徳川だけと聞くまでなのだから。
「……家康様に文でも出してみますか?これは……」
「「「え!」」」
紫荻のとんでもない回答に奥方三人は跳ね上がる。
徳川家康は秀吉の次に天下を取ってもおかしくないと言われている。
むしろ、豊臣がいなければ絶対に家康の天下と言わしめる御仁。
なぜ、その方と伝手が?――と、まぁ、驚くのは仕方がない。
「家康様とは戦場を回っていた時に良くしてもらいましたから。何度も戦場で見えて。殺し合いも――ああ、いえ。……今も何かと私の身を案じてくれていますし」
「――本当に顔が広い」
これは紫荻自身の縁からだった。日本各国を巡り歩いた功績といえよう。
彼女にとって家康は気の良い、中老のおじさんであるし。一応豊臣の次に力があると今でも見ている。今の状況を仲裁してくれると有難かった。
「ですか、よいのですか?その、一国の大名に女一人をどうにかしてくれなんて」
「もう私たちでは、どうにもならない状況ですから」
正直言うと、花の件はかなりの問題だと思っていた。
別に豊臣が天下を取るのは問題ない。
問題はその天下を取る前に、花のせいで奥州が没してしまう可能性があることだ。
さすがに縁を切られたとはいえ、伊達の娘としてそれは許せない。
ああ、そうなると忌々しくなるのは、やはり己自信となる。
紫荻は忌々しそうに動かない足を見据える。
「ああ、もう!足が動けば、私自身が処しに行くのに!」
たとえ、その結果。自分が死のうとかまわないのに。小さくうなる。
そんな紫荻の様子に竹姫は苦笑を浮かべた。
「もし、そんなことをしたら紫荻様が罰せられるではありませんか」
もちろんというべきか、冗談である。
ただ、この猪突猛進と言われた姫、この年になっても冗談の受け止め方を知らない。
「?――それで国が少しでもまともになるのでしたら、私の命など安いものでしょう」
今風に書くと目がマジだった。
奥方三人は黙り込んだのは、これまたもちろんのことで。
その様子に、「あ、しまった」と思ったがもう遅い。
三人は紫荻に背を向けて、こそこそと耳打ちをする始末であった。
「あいかわらず。なんて男らしい」
「正直夫には向かないけど。ほんと、なぜ女に生まれてきてしまったのかしら?もったいない!」
「真田はもっと重宝するべきよ!」
と、まぁ。実は大体ほめているのだが。
それは紫荻には聞こえず。さすがにヘマをしたと焦る。
そもそも女人である妻が政治にかかわるのは、御法度に近いというのに。
頬を掻きながら、紫荻は視線を上へと向けた。
「で、でも、幸村様には困ったものですね!美人な奥方が三人もいるのに。またひっ叩いてやろうかしら」
話を戻すように、幸村の話題へと変える。
勿論というべきか、この美人には自分は含まれていない。
その様子も、ほかの奥方からはあまりに痛々しく。新たな夫への反感を芽生えさせるには十二分であった。
「その時は私も参加しますわ!」
「「――私も!!」」




