第一夜 真田幸村 4
「……」
「……」
布団の上。
向かい合う形で座る二人の間に気まずい沈黙が流れる。
青い瞳に映る幸村は視線を外し、俯いたまま眉をしかめ、何かするわけでもなく口を閉ざす。
何もしなければよいと考えているのか、何もする気がないのか。
あまりに動く気のない夫に紫荻は大きくため息をついた。
仕方がない。そう思って、自分から着物をはだけさせる。
「ちょ!」
それに慌てるのは勿論幸村で。
今まで微動だにしなかったのに、慌てて紫荻の手を抑える。
抑えられた手は案外強く。仕方がなしに幸村を見上げた。
初めてまっすぐにこちらを見つめる焦げ茶の目。
そこには羞恥などは感じ取れず、ただ混乱が見え隠れする。
「……何をなさるので?」
「俺はお前を抱く気はない!」
はっきりと吐き捨てられた。ここまで来て自身の役目を放棄するのか。
眉をしかめ、まっすぐにその瞳を見上げる。
「なぜです」
「な、なぜって……。それは」
まっすぐに力強い視線に幸村は思わず目をそらす。
何か迷うように視線をふらふら。彼女の目を見ることなく、言い訳をかます。
「――。夜を過ごすなら、想い人がよいと」
「は?女々しい。本当に男ですか、あなた」
出された答えは、あまりに情けなく。紫荻は思わず本音をこぼす。
眉をしかめて、舌打ちを一つ。
さすがに妻にそんな態度をとれたからか、幸村も眉をしかめ口を開く。
それを遮るように紫荻は言い放つ。
「嫌いな女など抱きたくない。素直にそう言ったほうが何百倍もマシですよ」
その核心を突く言葉に、言の葉はかき消されてしまうわけだが。
紫荻は何度目かわからない大きくため息をつく。
目の前の男がほとほと情けなく見えて頭を抱えた。
「好きとか嫌いとか、実に馬鹿馬鹿しいですね。それでも武家の男ですか?」
「――!俺は、自分の気持ちを大切にしたいだけで――!」
「ですから。なぜ武家の人間が、己の些細な気持ちだけで物事を決めているのですか!」
苛立ちをままに、声を張り上げる。
この男は。次男坊と聞いていたが、ここまで分かっていないとは。
真田の長男は徳川の側近に婿入りしたはずだが、次男もしっかり育ててほしかったところだ。
「私どもは名を掲げ、国を治める立場の人間です。それを分かっていますか?」
「馬鹿するつもりか?俺とていずれはこの信濃を収めるようにと親父殿から教えを受けている」
「では、教えてくださいませ。その教えとやら?」
笑顔で詰めよれば、幸村はわずかに気圧されたようで視線を下げた。
それでも誰が何と言おうと武士の子。少ししてまっすぐに視線を向けて質問に答える。
「国とは人だと教わった。俺たちはその民を守り、先導する立場の人間だと」
「――」
まっすぐに、どこまでもまっすぐに。
いや、まぁ。求めていた答えと違うというか。
なんか思いもしてなかった答えが返ってきたのだけど。
いや、しかし“教え”を教えろといったのは間違いなく紫荻なのだから、黙って聞く。
「国とは人だ。民がなければ国にはならない。国の血肉は民であり、国の礎も民からなる、と。その上に立つ俺たちは民のため。彼らの――国の安念のため、民を飢えさせないために預かっているに過ぎない。それを心にとどめておけと……。いや、それが真田の教訓だ」
まっすぐに紫荻の瞳を見て、発言する幸村。
なるほど。それが真田幸村の掲げるものか。理解した。紫荻は小さく息をつく。
実に、人情がお好きなお人柄とうかがえる。――いやしかし。実に滑稽だ。
あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、その言葉は口から出ていた。
「民を飢えさせないために預かっているに過ぎない?――ならあなた方はいりませんね。むしろ民からすれば邪魔な存在です」
「――は?」
冷たく言い放たれた言葉に幸村が顔を上げる。
言葉だけでは侮辱ともとらえられたが、しかしてその様子を見て彼は息をのんだ。
まっすぐと青い瞳が彼を見つめ、軽蔑の色がゆらりと揺れる。
小さな頭が、わずかに首を傾げ問いかけた。
「では、なぜあなた方は戦をするので?」
「……なぜ?それは、国のため――」
「戦のために毎回その“国”である民を招集し、足軽として使っているではありませんか」
たったその言葉で、幸村が息をのんだのが分かった。
「隣国に攻め込まれたのであれば、まだ国が戦う理由は分かります。でも、領地が欲しいと、天下が欲しいと、その下らない理由のために、ほかの国に攻め込むために民を使うのは何故ですか?人を殺すのは何故ですか?民が殺しあうのは何故ですか?」
「――。そ、れは」
それは。――それは。
答えが出せない幸村に紫荻は迷いなく答えた。
「それが一国を収める大名の野望だからです」
国は人?人がいるから国がいるから成り立つ?
それもまた正しいのかもしれない。でも、それがすべて正しいとは到底思えない。
「国とは。民とは。それは王のためにあるモノです。野望があるから国は栄えるのです。民が集まるのです。我々が栄えさせるから平穏に人が暮らしていけるのです。国とは民ではない。国とは王の事でしょう」
首を傾げ、はっきりと言い放つ。
その瞳には幸村のような迷いは一切なく。そうであれと育てられた姫がいた。
根本的にこの男とは気が合わない。そう悟るかのように、青い瞳は揺らぐ。
何も言い返せない幸村に紫荻は続けた。
「さきほど、あなたは好きな女を娶りたいといいましたね。そんな感情は小大名とはいえ、国を治める人間が持ってならない願いでしょう。ただでさえ欲深い願いで国民を危険にさらしているのに。自分の気持ちだけを優先するなんて」
「――――」
「国を治めるのだから。我儘で民を危険にさらすのだから。指一つ。髪の毛一本。血の一滴だって。私たちも己の野望のために捧げられるものは捧げなくてはいけない。我々に愛はない。一つ一つが己の利益のためです。」
「それ、は」
「愛?好き?嫌い?――実に下らない。だったら真田の名を捨てなさい。ただの“人”としていきなさい」
――部屋中が静まり返った。
黒い瞳が小さく揺らめいているのがわかる。それでも青い瞳はまっすぐに彼の目をとらえていた。
彼のわずかな息遣い。息をのみ、何かを消し去るように空気が漏れる。
幸村の考えに紫荻は心底いらだっていた。
そもそも、根本的に違うだろう。
前に昌幸に彼女は真田家の家訓を聞いたことがあるのだから。
お前の家訓は「生き残る」だろうが。表向きの華々しい決意を持ち上げるんじゃない。
はっと気づいたのは、風が戸をたたいた時。
青い瞳が大きくゆらめいた。
まずい。ひどく、偉ぶったことを言ってしまった気がする。
なにを自分の考えを夫になる男に押し付けているのだ。
これからはこの人に仕えなくてはいけないのに。なんて無礼なことを。
「……失礼しました。お忘れください」
今の自分ができることは、彼の子供を産むことだけなのに。
慌てて頭を下げる。しかし謝罪を口にすることはなかった。
愛を語る、甘ったれたこの男には必要ないと思えたから。
しかし、自分を抱きたくないのなら仕方がない。
ふうと息を吐く。きっと眉を上げて、青い瞳にわずかな揺らめきがともったのはすぐの事。
体を大きく沿って、腕を振り上げる。
――ぱしん……乾いた音が木霊した。
それは、紫荻が幸村の頬を叩いた音。
結婚一日目で早くも妻が送った三行半。
わずかな間。大きく目を見開き、自身の頬を抑える幸村を目に映し、紫荻は言った。
「私なんて抱かなくてもよいです。嫁としてみなくていい。――さっさと正室をとりなさい。子を成すという、国を治める者の役目を果たしなさい」
しばらくの間。
彼女の雰囲気に何かを察したのか、幸村がわずかに手を伸ばす。
その手は彼女の肩に触れる直前で止まった。
何かに迷っているような、戸惑っているような、そんな顔で。
紫荻はその手を払いのける。
言いたいことは言ってやった。ならば次は寄り添うのが役目だ。
無理やりに笑みを浮かべて、気持ちを変えるように。
「私は嫁じゃなくていい。あなたに使える家臣とでも、相談役とでも見ればいい。あなたが扱いたいように扱えばいい。――私たちはそんな関係でいましょう」
紫荻の言葉に、幸村は何も言い返すことはなかった。




