第一夜 真田幸村 3
「こちらが奥方様の部屋です」
「……」
来た時と同じように忍びに抱きかかえられる形で、一つの部屋へと案内される。
六畳ほど。必要なものが最低限そろえられていた部屋だ。その部屋の中心にある座布団の上に紫荻は降ろされる。
「なにかあれば俺を呼んでください。世話役を申し付けられたので」
「え?あなたが?」
ぼんやりと部屋を見渡していると、側から思いがけない言葉を浴びせられ、紫荻は忍びを見上げる。
猿飛佐助。改めて、その男を視線に映したのだ。
黒い着物を纏う。大柄な。六尺はあるのではないかと思うほどの細身の大男。
耳したほどまでに切られた髪は異様に白く、まるで白雪のよう。口元は黒い布で覆われていて見えやしない。そんな彼は、糸のように細い目が紫荻を見下ろしていた。
「大旦那様――。昌幸様の命です。何かと不便をかけるだろうと、お付きに任命されました」
昌幸。――それは幸村の父親の名だ。
今日は体調が悪いとのことで顔合わせもできなかったが、少なくとも気を使われたということだろう。
しばらく無言で佐助を見上げる。何を思ったのか、佐助は視線を逸らす。
「……すみません。俺では色々不便でしたね。すぐに侍女でも――」
「え?いえ。気になさらず。対外なことは一人で……」
いや。小さく首を振る。
世話役などいらないと言おうとして、言葉が詰まった。
この部屋に来ることさえ一人でできなかったのに、何を言えようか。
ため息を一つ。ここはお言葉に甘えるしかないだろう。
「では、佐助様。着物を着替えるのを手伝ってくれませんか?あと体を拭きたいのですが」
「……は?」
「え?」
紫荻の言葉を聞いて外れていた視線が戻る。表情は読み取れないが、ひどく驚いているのがわかる。紫荻は首を傾げた。何をそんなに驚いているんだろうか?
これから夜伽であろう。長旅だったのだぞ?風呂はさすがに無理でも体を拭くぐらいはしたいし、こうも動きにくい着物は早く着替えたいのだが……。
ああ、なるほど。ちゃんと伝えなかったのが悪いのか。と紫荻は思った。
「夜伽の前に体を拭きたいのです。着物も着替えたいですし、手伝っていただけませんか?」
しかし素直に言ってみたが、佐助はなかなか動かない。
やっぱり表情は分からないが、困惑しているのはなんとなくわかった。
「あの、奥方様?見てのとおり俺は男ですが?」
「はい……?」
いや、男なのは分かっている。どう見てもお前は男だ。
なぜそんな見てわかることを言ったのだろう。
なんだろう。この何とも言えない雰囲気は。
紫荻の様子を悟ってか、佐助が大きくため息をつく。
「あの、なにか?」
「いいですか奥方様。女人が。ましてや夫のある身が、夫以外の異性に肌を見せるのはいけないことです。初夜も迎えていないんですから」
「……はぁ?」
しかし、佐助の言い分に、紫荻は首をかしげるしかなかった。
世話役が世話をして何が問題あるのか。口を開く。
「でも、あなたは私の世話役なのでしょう?」
「俺以外にもいますよ。貴女は今日から真田の嫁なのだから。この家の者はこき使ってください」
「?ですから頼んでいるではありませんか。体を拭いてくれっと」
「――。侍女に頼んでくださいそれは!」
「でも、こんな深夜に人を呼び、世話をさせるのも大変でしょうし。今ここにいる世話役のあなたに頼んだほうが楽なのでは?」
「ですから!――俺は男です。男の俺に軽々しく肌を見せるな、と言っているんです」
「そこがわかりません。女人が男の前で裸になって何が悪いのでしょうか?別にこの場で私を抱けと言っているわけではないのですよ?男同士や女同士だと文句も言われないのに。異性だとだめだと?」
ああ言えばこう返ってくる。まるで押し問答。
ただ、これに関しては佐助が哀れに思えてくるが。
佐助は自身の白い髪をわしゃわしゃと掻き殴り、わずかに目を開けて苦言をこぼした。
「――いや、だから。その。……恥ずかしいでしょう?男に裸を見られるなんて」
「そこに異性は関係あるのですか?」
それが答えなのだが、紫荻はやはり首をかしげるだけだった。
しばしの沈黙。再び、佐助が大きくため息をこぼす。
「伊達はどんな教育をしてるんだか。……嫁にやる気なかっただろ、本当は」
「はい?」
「いえ。もういいです。奥方様が何と言おうと侍女に準備させますので。少々お待ちください」
もう言い争うもの面倒だ。そういわんばかりに、部屋から出ていく。
結局、しばらくして紫荻の世話役として、お鈴という侍女がたらいを持ちやって来たのは一時間ほどたってからの事だった。
なにが問題だったのか、最後まで分からなかった。
体も拭き、身綺麗にしたのち。部屋には布団がひかれる。
すぐにでも横になりたかったが、さすがに初夜だ。
横になったまま夫を待つわけにもいかず。布団のそばに座り、幸村を待つこととする。
しかし――。暇になればいろいろな事が思い浮かぶ。
白い手がもう動かない足をさすった。
あれから幾度となく試したが足は動かなかった。
もう戦場を駆けることができないということが、今でも嘘のように思える。
いつも思う。一番誇りにしていたものを奪われた今、自分は生きている価値があるのか?
いいや。首を振る。
くだらないことを考えた。別の事を思い浮かべる。
そういえば。佐助との間の問題。さっきの、本当に何が問題だったのだろうか。
伊達にいるころから、父は母もちろん。兄や小十郎もうるさかった。
たとえ戦場でも、少しでも着替えようとするだけで怒られた。混浴なんてもってのほか。
ここでも男女問題を出してくるとは。別に紫荻は大丈夫なのに。
異性に裸を見られたぐらいで、恥とも思わないし。人に見られて恥ずかしい身体でもないし。
「そもそも裸ぐらいで騒ぎすぎでは?身体を見られたぐらいで頬を赤らめるなんて。少女でもないというのに」
ぶつくさ文句を言いながら小さく頭を振る。
もう面倒だ。別の事を考えよう。
そう思い、次に思い浮かべるのは、兄の――。
「ああ。鬱陶しい」
これも首を振る。
次に思い浮かべる。それは夫、幸村の事。
あの後、幸村とは簡単な祝言を済ませた。
誰からも祝われることなく、未届け人も佐助一人という。ただ、盃を酌み交わしただけの質素なものであるが。
なんにせよ、これで二人は夫婦となったわけである。祝言なんて面倒なので、簡単に済ませてくれて助かった。それが本音だ。
しかし。俯きうなだれる幸村の姿を思い浮かべる。
戦場では紫荻と並び、率先して戦場を走る有望な若者であった。
その雄姿はほれぼれとするものだったのに。男としてみれば、あそこまでうじうじなよなよの優男とは思いもしなかった。
紫荻の悪評で嫌っているのは仕方がない。しかし、花が好きなら伊達まできてかっさらえばよかったものを。
そしたら。……そしたら。――きっと。
「――ああ、もう遅い!!」
首を横に振る。今何刻だろうか?
夜も更けたのに、幸村は姿を見せない。
夫婦になるのも不服そうであったのは確かだが、役割も果たせないのか、
そう心の中で、小さく舌打ちを繰り出し、ため息をついた時だった。
「こ、こら佐助!主に対しての行動じゃないだろう」
「うるさい。少しは役目を果たしてください」
部屋の外、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。
バタバタと荒々しい足音。
それが、部屋の前まで来たと思ったら、ぴたりと止まった。
「奥方様、佐助です。失礼します」
そう思ったら声がかけられる。
それが佐助だと気が付いたと同時、こちらが了承する前にふすまが開かれた。
バンっと音がして、大柄な男があらわになる
細くて表情も読み取れない目で見降ろされたと思えば、わずかに体を下げて数秒。
何かが部屋の中に投げ飛ばされたのは、その瞬間だった。
「おわ!」
声が一つ。大きな影が布団へと倒れる。
思わず身構えたが、その正体が幸村であるとみてすぐに気が付いた。
顔からダイブしたが、大丈夫だろうか。
「ゆ、幸村様!?いったい」
「それでは、失礼しました」
紫荻がおずおずと幸村に手を伸ばした時、佐助が同時に何事もなかったかのようにふすまを閉めた。最後まで視線すら合わなかったが。彼が首根っこを引っ掴んで、幸村を連れてきてくれたのは確かだった。




