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第一夜 真田幸村 2

 


 兄の宣言通り真田のもとについたのはそれから数日たった事。

 嫁に来たというに、あまり歓迎されていない雰囲気の中。

 出迎えてくれたのは黒い装束の一人の忍びの男のみ。

 猿飛佐助と名乗った彼に抱きかかえられる形で、夫の前に通された。


 男の前に座らされる。顔は確認しなかったが彼が夫となる男に違いない。

 一応夫となる人だ。頭を下げ、数秒。

 反応がないのでちらりと顔を上げると目が合う。


「……はぁ」


 目が合った時、夫となる男が一番に発したのは、バカでかいため息だった。

 イラ――。としたが我慢する。


「……そう堅苦しくするな。いつも通りでいい」


 嫌々と言わんばかりに、声を掛けられ顔を上げる。改めて男を見た。

 今年19だと聞くが、それよりかは童顔で整った容姿。髪は赤色が混じる焦げ茶で、あまり手入れされていない腰下までの長い髪。好青年そうな目じりがわずかに上がる焦げ茶の瞳。薄い唇を不満げに閉じて。まっすぐとこちらを見ている。


 ――真田幸村。彼が今日から紫荻の夫だ。

 彼は信濃でも名高い武士の一人だったはず。

 現に幾度か戦場でまみえたことがあるし、話したこともある。


 前の印象から、真面目な朴念仁だと思っていたが。

 仮にも妻になる女に対して、こうも露骨に嫌な顔をするとは。紫荻の中で評価が下がった。


「若様。仮にも奥方の前ですよ。そんな反応は慎んでください」


 見かねた忍びがそことなく小言を漏らすが、幸村は己の感情を隠すことないらしい。


「俺は……。花が好きだったのだ」

「もういい加減あきらめてください。花姫なら伊達に嫁いだでしょう」

「だからってその花を貶めた女など」


 花。花。花――。

 幸村からは紫荻が一番嫌う女の名が飛び出る。

 またか、そう思った。


 花。花姫。

 今、日の本で一番天下に近いとされる男――。豊臣秀吉の妹を名乗る。しかし得体も知れない女の名だ。

 妹といっても一年ほど前に、招待された豊臣の宴で急に発表され、紹介された怪しい女。

 甘ったるい鼻につくにおいと、イライラするしゃべり方が嫌でもよみがえる。

 思えば兄がおかしくなったのは、あそこからかも知れない。

 何事にも無頓着で冷静だった兄は、あの日を境に代わってしまった。

 毎日毎日ぼんやりしていたし、口を開けば「花」「花」。兄だけでない。あの時一緒に宴に行った兄の重臣も全く同じように変わってしまったのだから。


 違う、伊達もモノだけじゃない。

 それから以降出向く戦場でも必ず彼女の名前が挙がったのだ。

 交流が深かった名高い武将達が頬を赤らめて彼女の名を呼ぶ。

 少なくとも。あの日、豊臣に呼ばれた者たち全員。いいや、それ以上に。

 中には妻を捨ててでも花を嫁にしたいと言い出すものがいたという。

 好意を抱いているなんて非じゃない。いまではもう崇拝に近い。

 こんなもの異常なんてものじゃない。



 だから、幸村も他と同じではないかと危惧していたが。

 想像通りになってしまったらしい。

 何がそこまで熱心になれるか紫荻にはさっぱりだが。


 そもそもと思う。今、幸村は紫荻が花を貶めたといったが、全く心当たりがない。

 確かに花には厳しく当たった。だが、それの何が問題だったのだろうか。


「見知らぬ国に来たばかりの花にひどいことを言ったのだろう?」


 ひどいこと?それは「信用できない」といったことだろうか?

 宴から数か月後、いきなり前触れもなく唐突に奥州にやってきた豊臣の姫。

 何をしに来たか聞いても「兄の命令で政宗に会いに来た」としか抜かさない娘をどう信用すればよいというのだ。

 だというのに、兄も側近の片倉小十郎も、皆が浮かれ顔で受け入れて。

 今までそんなことなかったのに。おかしいのはあちらだろう。


「何もしていないのに頬を叩いたとか」


 いや、ただの客人なのに、政宗に高価な着物や簪。南蛮物を何十とねだる女ぞ?

 いい加減にしろと怒っても、甘えた声で「怖い」と周りの男に泣きつくばかりで加減を知らない。なぜか意味もなく花を甘やかす政宗ごと、その頬をひっ叩いてやったわ。


「戦場でも、自分の手柄が取れないと花にあたり散らかしていたとか」


 していない。応援がしたいとか、戦場で無駄に豪華な着物を引き下げてやってきたのを叱り飛ばしただけだ。あんなもの足手まといの何物でもなかった。


「戦場のさなか。花を切り殺そうと襲い掛かったとか……」


 ――していない。紫荻は唇をかみしめる。

 戦場の最中。花を切り捨てようとしていたのは、敵側の武将だった。

 身を挺してかばったなんて――。きっと誰からも信じてもらえないだろう。

 焼けただれた顔が、切られた足がずきりと痛む。


『殺さないで。足の健を切り落とすぐらいでいいわ』


 にやにやと笑う女の顔で、はめられたとようやく気が付いた。

 男たちに押さえつけられ、暴れても無意味で。

 赤い炎が頬に近づく。焼ける肉の匂い、自分のものとは思えない絶叫。


『目障りだったのよね。その顔も、武勇も』


「やめろ」と何度も泣き叫ぶ中。にやにやと嘲笑いの中心で、振り下ろされた刀。

 はじけ飛んだ血飛沫も、その痛みも、きっと忘れることは二度とできない。


「……幸村様」


 苦い記憶のまま、紫荻は顔を上げる。

 青い瞳に侮蔑を込め、悪意を込めて彼をまっすぐに見据えて問う。


「よほど私のことが嫌いのご様子ですね。なぜ、嫁にもらったのですか?切り殺すためです?」


 嫌味をたっぷり込めて。それでも満面の笑みで。

 紫荻の言葉に、幸村はわずかに方眉を上げた。


「花に頼まれたのだ。そうでなければ――。いや……」


 さすがにと思えたのか口ごもる。

 その様子さえも腹立たしくて、紫荻は切りかかるように吐き捨てる。


「そうでなければ私など嫁にはしなかったと?まぁ、兄上とあなたは面識もないですし。私も幸村様とは戦場で幾度か顔合わせただけですものね」

「……」

「……」


 口ごもるぐらいなら否定しておけ。――と思ったが言わぬが仏。

 紫荻は笑みを讃えたまま言葉を続けた。


「でしたらどうぞ、私なんて尼寺に放り込んでくださいませ」

「……それは」

「私も、なよなよといじける殿方のもとには嫁ぎたくありません。尼になったほうがましというもの。これでも伊達の娘。嫁ぐなら武人のもとに嫁ぎ、女としての役目を全うしたく思います」


 二度と刀は持てない。戦場には赴けない。

 戦場の蒼月はあの瞬間に沈んでしまったのだから。

 正直、それなら自害したほうが今後は楽だと思う。


 それをも兄たちは取り上げた。死ぬのならその前に手を切り落とす。そう、脅された。

 花が「殺さないで」とみんなに泣きついたから、なぞに生かされている。

 現に、ここ数か月は手を繋がれて牢屋の中にいたし。

 仕方がないので死ぬことは諦めるしかなかったが、そのとたんにこうして捨てられる。


 もう兄に対しては情なんて持ち合わせていない。


 何もかも取り上げられ。唯一最後にできるのは女としての役目だろうと思う。

 子を孕み夫の家を栄えさせること。それでも、彼女の最後の誇りが言う。


 これでも武家の娘だ。子を孕むなら、立派な武人の子がよい。


 もしそれすら叶わぬのなら。そんなのいっそ、尼になったほうがましというもの。

 幸村もいらない嫁など追い出せるし、お互いに一石二鳥だろう。


「それはできませんよ」


 返答を待っていると、遮るように言葉を発したのは彼の側にいた忍びであった。

 見えているかも分からなかった糸のような細い目が、わずかに開き二人を見ている。

 その色には幸村ほどの拒絶はない。しかし、冷たく。氷のような色合いを見せていた。


「尼寺に送る?この婚姻は真田家、伊達家の両家が決めたこと。この婚約により、両家の同盟が決まったのでしょう?勝手に破棄して泥を塗るおつもりで?」


 ――。同盟?そんなもの。初耳だ。

 紫荻は息をのむ。


 兄に有無も言わさず伊達から追い出され。文字通り、身一つで嫁いできた。

 まさかこんな妹を使い同盟を組むとは。それもあまり接点もない真田と。


 ――いや、どんなモノでも使っていくのが正しい選択か。

 真田は豊臣の臣下の一人で、今有望視されていると聞く。豊臣側に妹という人質を受け渡すのが狙いなのかもしれない。

 幸村は特に期待されていたはずだ。今後のためにも同盟を組んでいても何も問題はないだろう。


 まぁ、豊臣の傘下の中で自分を受け入れてくれるのが真田だけだったのかも知れないが。


 ただ、その幸村本人はこの婚姻には納得していないのは目に見えて明らかだった。不満を隠さないままに、彼は声を上げる。


「同盟も婚姻も、親父殿と伊達家が勝手に決めたこと。俺は反対で――」

「何を子供じみたことを。そもそも若。あんた今年で19でしょう。だというのに初恋拗らせた挙句、今までの縁談全部断って、その年で嫁一人取らない。御父上のご好意を受け入れるべきです」

「いや!俺よりも五も上のくせして嫁も取らないお前に言われたくない!そもそも今思えばこんなもの気の迷いで――」


 幸村が何か言い返そうとしたが、紫荻に視線が向き、口ごもる。

 なぜ二人ともこちらを見るのだろうか。

 何とも言えない雰囲気を壊すように、忍びは大きな声を漏らす。


「とにかく。身勝手なことは慎んでもらいたい。――特に奥方様。それこそ武家の姫なら我儘など言わず、自分の役割を受け入れてもらいたい」


 ――なにを勝手な。

 思わず声に出そうになった言葉を飲み込む。


 彼の言う通りであったからだ。なんかかんやと言いながら紫荻は自身の我儘で尼寺に逃げようとしていた。こんな夫は嫌?こんな婚姻は願い下げ?尼寺のほうがまし?

 しかし現状は伊達のため、同盟のための婚礼と気が付く。

 そうなれば自分の気持ちなど、伊達家の責任から逃げようとしているともいえるのではないか。

 くそ、同盟なんて大義は立派なものを付けやがって。


「しかし――」

「承知しました」


 食い下がろうとする幸村を遮る。

 夫となる男に体を向けて、凛――とまっすぐに彼を見据える。


「先ほどは失礼いたしました。今までの発言撤回させていただきます」


 まずは先ほどの非礼を詫び。改めて、名を名乗る。

 自分のわがままを叱咤し、一国の姫として運命を受け入れるしかない。

 悔しい気持ちも腹立たしい気持ちも勿論あった。

 それでも。伊達の名を汚す真似だけはできなかったから。


「伊達政宗が妹、紫荻と申します。改めまして幸村様。不束者ですが、これよりよろしくお願い申し上げます」


 だからこそ指先を重ねて、深々と頭を下げるのだ。




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